第二話 語られる空白の五年間
~SIDE ロラハム~
「俺が家を飛び出してからの最初の半年間。その間は各地を回ってみようとあちこちを旅しました」
「あちこち?」
「はい。アゼルナートはもちろんの事、セイレーン聖教国、カーマイン帝国も歩き回りました」
カリスさんが旅の話をし始めました。
先日、御両親にカリスさんが話した時は家族だけでという事だったので、僕達は話を聞いていません。
また、僕がカリスさんと旅をするようになってから一年程経ちましたが、あまり詳しい事は聞かされていません。
その為、僕自身、カリスさんの旅の内容をまるで知らないのです。
僕が合流するまでに、カリスさん達に何があったのか、凄く興味があります。
この機会に、カリスさんの旅の話をしっかりと聞いておこうと思います。
「その半年間。何をしてたの? 路銀だってそんなになかったでしょう?」
トリーシャさんが路銀について訊ねます。
旅をしている限り、当然、路銀は必要となります。
僕が合流した時は既に充分な路銀がありましたが、どうやら始めの頃は路銀があまりなかったようです。
「所々で盗賊退治やら危険生物の討伐やらに参加して路銀を得ていたな」
「半年間もそれで生活していたんだ。それは逞しくなるよね」
僕もそう思います。
そんな手段ではあまり路銀は得られない筈です。
それならば、多くの戦地に立ったという事でしょう。
戦闘経験も豊富になりますよね。
「半年程経った頃、偶然にも俺はカーマイン帝国で有名な人に拾われました」
カーマイン帝国は僕の出身国でもあります。
そんな僕がカーマイン帝国で有名な人と言って一番に思い浮かべるのはあの方です。
「カーマイン帝国で有名な人物・・・。もしや」
その名は大陸中に響き渡っているので、きっとエルムストさん達も知っているでしょう。
嬉しい事に、僕はカリスさんのお陰で何度かそんな有名な方と会うことが出来たんです。
ホント、カリスさんには感謝です。
「はい。カーマインが誇る二大将軍の一人、クリストファー・ギャラクシー将軍です」
クリストファー・ギャラクシー将軍。
カーマイン帝国が誇る至高のドラグーン。
ドラグーンにとって、将軍は憧れ中の憧れだそうです。
「・・・クリストファー将軍にか?」
「兄さん・・・すごいね。修行するのに最適すぎる場所だよ」
「だが、アゼルナート出身のお前がカーマインの軍に入隊するのは国際的に問題があるだろう?」
アゼルナート出身の人を普通なら自国の軍に入れたりしませんよね。
軍の秘密などを自国に持ち帰られたら、自軍が圧倒的に不利になりますから。
「はい。ですが、クリストファー将軍にどうしても師事して欲しかったので、俺は名を変えて、平民出身の将軍の養子として将軍の直属部隊に入隊しました」
これはクリストファー将軍に直接聞いた事なんですが、カリスさんが師事して欲しいと告げる前に将軍自体がカリスさんをどうにかして配下に加えようとしていたらしいんです。
何でも、カリスさんの武人としての才能に惚れ込んだらしく、国にとっての損になるかも知れないというのに、自分が育ててみたいと思ったとか。
まぁ、今のカリスさんを見れば、クリストファー将軍の読みは的確過ぎたという事が分かりますね。
将軍が惚れ込むほどの才能をカリスさんは確かに持っていた訳ですから。
「名を変えて・・・か。仕方がない事なのだが、あまり良い事ではないな」
エルムストさんはアナスハイムという名に誇りを持っているみたいです。
カリスさんが名を変えてと言った時、少し不満そうな表情を浮かべていましたから。
「それから、俺はクリストファー将軍の下で修練を積みました。一時的にですが、将軍所有の竜を借りて、ドラグーンとしての教育も受けました」
カリスさんのドラグーンとしての始まりはクリストファー将軍直々の指導からだったんですね。
・・・贅沢です。
「ロラハムと会ったのもその頃です」
「正確に言えば、僕はカリスさんに拾ってもらったんです」
「拾ってもらった? どういう意味だい? ロラハム君」
「はい。僕は平民として生まれ、親を早いうちに失くしてしまいました。そんな頼る宛てがない僕をカリスさんが拾ってくれたんです」
「・・・そうか。すまない事を聞いた」
「い、いえ。気にしないでください。もう吹っ切れてますから」
僕の母は僕が十二の時に亡くなりました。
それからずっと僕は一人で生きてきたんです。
働く術を持たない僕は盗みも平然としてきました。
野宿だって当たり前でしたね。
頼る人が誰もいなかったんですから。
父親なんて顔も知りません。
母は貴族の使用人として生計を立てていて、その貴族に子を妊娠させられてすぐに捨てられたそうです。
母から、母とその貴族は愛し合っていた訳ではないと聞きました。
平民出身の母は貴族に逆らえず、無理矢理子を妊娠させられたらしいんです。
母は、そんな過程で出来た僕でも自分の子だからといって、しっかりと産み、愛情を持って育ててくれました。
僕の顔を見るのも嫌だったと思うのに・・・。
僕はそんな母が大好きでしたし、尊敬もしていました。
今は亡くなってしまいましたが、今でも僕にとっては心の支えとなってくれています。
それに反して、僕は父親を一生許せそうにありません。
顔も知らない父親なので、許す許さないもないと思いますが、機会があれば罰したいです。
逆らえないからといって、無理矢理そんな事をする傲慢な貴族。
それが僕の父親像であり、貴族像でもあります。
だから、僕は貴族が嫌いなんです。
あ、もちろん、カリスさんのような貴族は尊敬しますけどね。
「僕はカリスさんに拾われた後、孤児院に預けられたんです。その時のお金はカリスさんが払っていてくれたみたいで」
「気にするなと言っただろ? まだ気にしていたのか?」
「気にしないわけにはいきませんよ。この恩は絶対に返してみせるんですから」
孤児院に預けられた僕はカリスさんに憧れて、身体を鍛えてきたんです。
弱かった僕ですが、強くなれば恩返しになるかもと思って鍛えたのは僕だけの秘密です。
武人としてのカリスさんを少しでも助けられればと思ったんです。
「・・・まぁ、お前の好きにすればいい」
カリスさんが苦笑しながら、僕に言います。
はい。
好きにさせてもらいます。
「カリス。続きを」
「はい」
エルムストさんに促され、カリスさんが再び話し始めます。
「一年程経った時、ある事件が起きました。俺はその事件で掛け替えのないものを失いました」
カリスさんが俯いてます。
その顔に悲しみの表情が浮かんでいるのだという事が嫌でもわかります。
失うという事の苦しみ、悲しみは僕も少しは分かるつもりです。
・・・僕も母を失いましたから。
「・・・兄さん」
トリーシャさんを始め、エルムストさんもシズクさんも心配の表情でカリスさんを見詰めます。
「俺はその事件がもとで、亜人という存在を酷く憎みました」
「えッ!?」
僕は思わず声をあげてしまいました。
だって・・・カリスさんが亜人を憎む?
そんな事、そんな事、ある訳ありません!
だって、カリスさんは亜人の事をあんなにも案じているじゃないですか。
憎んでいるのなら、ローゼンさんやミストと共に旅をする訳ないですよね。
そうですよね? カリスさん。
「お前が亜人に恨みがあるという事は分かった。・・・お前は今でも亜人を憎んでいるのか?」
「ハハハ。そんな事ないですよ。俺を諭してくれた人がいましたから」
エルムストさんが深刻な表情でカリスさんに問いかけますが、カリスさんは柔らかく微笑んで答えます。
良かったです。
カリスさんを諭してくれた人がいたみたいですね。
その人のお陰で、カリスさんは今のカリスさんになれたんですね。
でも、酷く亜人を恨んでいたカリスさんを諭した人って一体誰なんでしょうか?
「諭してくれた人って?」
「それは、これから話していくさ」
トリーシャさんが僕達の聞きたい事を聞いてくれました。
ここは、カリスさんが話すのを待ちましょう。
「俺は亜人を憎むと共に、自分自身を憎みました。何故自分はこんなにも弱いのか、自分は大事な人一人護りきる力すらもないのか・・・と」
自嘲するような笑み。
カリスさんが失った掛け替えのないものというのは、どうやらカリスさんの大事な人だったようです。
元々話すつもりがなかったものが、つい言葉に出てしまったという感じです。
身内に話すようなことではないですからね。
でも、つい漏らしてしまったという事は、カリスさんにとって、本当に大事な人だったんだと思います。
きっと今でも忘れられないほど、カリスさんはその人を深く想っていたんでしょう。
いえ、もしかしたら、失った今でもなお、カリスさんはその人を想っているのかもしれません。
・・・馬鹿になんて出来ませんよ。
僕だって母を亡くしているんです。
身近な人、大事な人を亡くした人以外に、この気持ちは理解できません。
過去に囚われるか、過去を糧にするかは本人次第ですが、到底振り切れるものではありませんよ。
「俺はそんな自分が嫌でした。そして、強くなりたいと思いました。強くなれるのならば、何を犠牲にしても構わないとまで思うようになっていました」
「兄さん! そんな事!」
何を犠牲にしても構わない。
確かに、聞き逃すことは出来ない言葉です。
でも、カリスさんは本当にそう思ったんでしょう。
それ程、亜人に対する憎しみが深かったのかもしれません。
「必ず復讐してやる。そんな暗い気持ちを背負ったまま、俺は周囲の反対を押し切り、神龍山に登りました。当時は、死ぬのすら厭わないとさえ思っていました」
「神龍山だと!? お前、神龍山に登ったのか?」
神龍山。
カーマイン帝国の北東、場所的には大陸の中心にある天にまで届くと言われた大陸で最も高い山です。
そして、野生の竜達の巣でもあります。
神龍山に登って、帰ってきた者はいない。
そんな逸話も残っている程に危険な山です。
生物の中でも最上位にいる竜が集団で群がっているような場所ですよ。
その危険度は大陸で最も高いでしょう。
「神龍山での食事は殆ど竜の肉でしたね。なまじ、火なんて焚くと竜とかが近寄ってきますから。ギリギリまで火が焚けていられるように気配を読むのが上手くなりましたよ」
わ、笑いながら言う事じゃないですよ。
数多の野生の竜を相手に生き延びるなんて。
「野生の生物は危険察知と気配を読むのが優れてますから。それを上回るのは容易じゃなかったです」
あ、当たり前じゃないですか!
カリスさんに限界なんてないんじゃないですか?
っていうか、ホントに人間ですか?
「もちろん、何度か死に掛けましたよ。聖術、なかでも癒術が行使できなかったら、俺は今頃死んでましたね。身体にも何個か傷は残ってますし」
「そういえば、カリスさんの背中には何かで切り裂かれたような跡がありましたよね」
「あぁ。あれは痛かった。竜に後ろから噛まれた後、爪で引っ掻かれてな。致命傷である噛まれ傷を治して、引っ掻かれ傷を後回しにしていたら傷跡が残ってしまった」
もはや何も言いません。
ただ、一言だけ言わせてください。
カリスさんはやはり努力の人でした。
「しばらくの間、山頂を目指して登りつつ、一日一日を必死に生き抜いてきました。我ながら、無茶な修行を積んだと思います」
自覚はあったみたいです。
天然なカリスさんですから、もしかしたらと思って不安だったんでけど、杞憂に終わって何よりです。
「幸いな事に、食料には困りませんでしたから、何ヶ月か経って、山頂に辿り着きました」
山に登ると息苦しくなるはずですから、それすらも適応してしまったんですね。
逞しくなるのも頷けます。
というか、当然ですよね。
「山頂で、俺は師匠に出会いました。師匠こそが俺を諭し、亜人への偏見を失くしてくれた人です」
「山頂に人がいたのか!?」
「え、ええ、まぁ。人といっていいかわかりませんが・・・。あ、いえ。なんでも」
「??」
珍しく狼狽えるカリスさんに誰もが首を傾けます。
「コホン」
誤魔化すように咳払いをした後、カリスさんが続きを話します。
「師匠は元から山頂に住んでいましたから。俺も長い間そこにお世話になっていたんです」
・・・世の中には変わった人が居るもんですね。
態々、危険で、生活が困難な場所に住み着いているだなんて。
・・・そういえば、どうしてカリスさんは言葉を詰らせたのでしょうか?
何だか、秘密にしなければならない事があったかのようです。
「それから、俺は師匠から様々な事を師事して頂きました。師匠は本当に立派な方で、俺にとって理想的な師でした」
カリスさんの師匠。
機会があれば会ってみたいですね。
カリスさんをここまでの武人に仕立て上げた人ですから。
さぞかし、立派で“非常識”な方だったんでしょう。
「それで、お前の師匠は何てお前を諭したんだ?」
エルムストさんがカリスさんに問いかけます。
それが僕も気になっていました。
亜人を憎んでいたカリスさんを亜人と人間との関係を改善しようとまで思わせたのですから。
気にならない訳がありません。
「師匠は俺に言いました。『お前が亜人を憎む理由は分かる。理解できる。だが、お前は本当に亜人が悪いと思っているのか?』」
カリスさんにとっては、大事な人を殺されたのですから、間違いなく憎むべき相手ではあります。
「『何故、お前は亜人全体を憎む? お前は全ての亜人がお前にとって敵だとでも思っているのか?』」
確かに、憎むべき相手は亜人全体ではなく、カリスさんに何かしらの関与をした亜人本人です。
亜人全体を憎むのは不自然な事なのかもしれません。
「『お前は何故、亜人が人間を襲ってしまうのか分かるか?』」
亜人が人を襲う理由・・・。
考えた事もありません。
「『それは、人間に捕らえられてしまえば、自分が酷い目にあうと分かっているからだ。亜人が人を襲うのは防衛本能からなんだよ』」
「・・・防衛本能」
「・・・自分を護る為」
エルムストさんとシズクさんが呟きます。
「『お前だって自分の命が危険に晒されれば、自衛行動を取るだろう? 眼の前に危険な相手が居れば、殺してでも助かろうとする筈だ。それは人間も亜人も変わらん』」
見つかり、捕まってしまえば、酷い眼に遭わされる。
そう思っているのなら、亜人が人間を襲ってしまうのも分からなくありません。
それが亜人の人を襲う理由ですか・・・。
ある意味、当然の事なのかもしれませんね。
僕だって、危険な眼に遭えば、そうしてしまうかもしれませんから。
「『もちろん、命を奪った事を許していい訳ではない。お前が亜人を憎むのも無理はない事だ』」
それは、確かに仕方がないことだと思います。
大切な人を失ったのですから・・・。
「『だが、お前が本当に憎むべきものは、亜人ではなく、亜人にそんな行動を取らせてしまった人間と亜人との間にある確執ではないのか?』」
人間が亜人を恐れ、亜人が人間を恐れるからこそ生じる種族間の壁。
その壁こそを憎むべきだとカリスさんは師匠に言われたんですね。
「俺は師匠にそう言われて、いかに自分が憎しみという感情に囚われ、視野を狭めていたかを思い知らされました」
「・・・そうか。良い師についたな」
エルムストさん同様、僕もそう思います。
話を聞くだけで、その人の偉大さが伝わってきましたから。
「でも、俺の中で亜人に対する憎しみが消え去ったわけではありませんでした。師匠の言う事が正しいという事を理解していても、感情が納得してくれなかったんです」
仕方のないことだと思います。
どんな心優しく、真っ直ぐな人でも一度憎しみを持ってしまったら、それを簡単には拭い去れないでしょう。
「だから、俺は亜人の事を知ろうと思いました。実際に接する事で、亜人というものを見直そうと考えたんです」
「・・・そうか」
エルムストさんがそっと呟きます。
その呟きには安堵が込められていたように感じます。
きっと、エルムストさんはカリスさんに憎しみという感情を抱えて欲しくなかったんだと思います。
だから、憎しみを解き放つ機会を設けられる事に安堵したのでしょう。
それに、憎しみから解放されようと前向きなカリスさんにも。
「その為に、俺は亜人との蟠りが少ないセイレーン聖教国へ向かう事にしました。以前、旅をしていた時に時たま亜人の姿を見かけた事があったので」
セイレーン聖教国は聖母セイレーンが建国したという慈愛に満ちた国です。
その為か、首脳陣の方針により、亜人と積極的に交流しようとしています。
今のところ、あまり成果はないようなのですが、亜人と人間の壁は比較的薄いみたいなんです。
ちなみに、これらはカリスさんから教わった事ですよ。
僕はまだまだ世間知らずですから。
「師匠に相談し、俺は下山する事を決めました。それは山を登り始めてから大体一年程が経った時ですね。その際に、師匠からルルを預けられたんです」
ルルをですか?
そんな経緯があったなんて・・・。
「ルルって?」
「あぁ。言ってなかったな。俺達が乗ってきた竜がいるだろう? あれが俺の相棒のルルだ」
トリーシャさんの質問にカリスさんが答えます。
「竜の名前でしたか。可愛らしい名前ですね」
「うんうん。それに、相棒って言い切るのが兄さんらしい」
そうですよね。
乗る立場である竜を相棒と言い切るの人は中々いません。
大抵の人は、相棒と言いつつも、どこか上下の関係であるかの様に扱っています。
でも、カリスさんは心の底から相棒だと思っているのでしょう。
日頃の扱い方からそれが充分伝わってきます。
「カリス君。続きをお願いします」
シズクさんがカリスさんを促します。
「はい。俺はルルと共に一気に下山し、クリストファー将軍のもとへ向かいました。そこで、セイレーンへ赴く事を告げました」
「将軍はなんて?」
「『分かった』の一言で許可してくれた。それだけでなく、古くなった俺の武器代わりに新しい武器を贈って餞別としてくれたよ」
クリストファー将軍は大人ですね。
内心ではカリスさんを失うのは痛いと思っていたと思います。
何といっても、神龍山での修行を生き延びる程の猛者なのですから。
「許可を得て、俺はそのままセイレーンへと向かいました。その際、セイレーンとカーマインの国境あたりで、俺はルルから降りて歩く事にしました」
僕が合流してからの一年間もルルがいるにも関わらず大抵歩いていました。
だから僕にとって基本的に旅は歩くものだという認識があります。
「俺達はしばらくセイレーン中を目的もなく歩いていました。そんな時、多大な報酬を得る為に亜人を捕まえる密猟団、いえ、誘拐団に出くわしました」
「誘拐団?」
「はい。希少価値の高い動物、亜人を捕らえ、高額で貴族に売るという下種な連中の集まりです」
密猟、誘拐。
カリスさんが苦虫を噛み潰したような顔で告げます。
カリスさんにとってホントに許せない事だったんですね。
もちろん、僕だって不快ですし、許せませんよ。
「その時、俺は師匠の言葉の本当の意味を知りました。そして、人間という生き物がいかに罪深く醜い生物なのかという事も」
わざわざ希少価値の高い動物、亜人を捕らえ、しかも、それを高額で買い取った貴族達は観賞用や自分の自己満足の為に使っているのだそうです。
確かに、人間というのは醜い生き物なのかもしれません。
「我々人間がこのような事をしていれば、亜人との間に壁が生じるのも当たり前です。自分の命を守る為に人を襲うという行為はまるで不自然ではありません」
本当に辛そうにカリスさんが話します。
当時の事を思い出しているのかもしれません。
「そんな光景を眼にし、俺はそんな事をする奴らが許せなくて、怒りのままに蹴散らしました。あの時は、戦闘が終わったのを気付かない程、我を忘れていました」
カリスさんが本気で怒ったら、一体どうなってしまうのでしょうか?
僕もそんな奴らは許せませんが、カリスさんと遭遇してしまった事は何故か哀れにさえ思えます。
「全員を蹴散らした後、俺は囚われている者達を解放しようと奴らの馬車に近づきました。そこで、俺は人間不信に陥りかけるほど、壮絶な光景を見ました」
「人間不信?」
「はい。彼らが誘拐してきたのは銀狼という種族ですが、殆どの銀狼は毛皮を刈り取られて死んでいました。生きている者も全て瀕死の状態でした」
「銀狼? 絶滅危惧種の中でも更に絶滅に近い生き物の一種だよね。大陸一陸を駆けるスピードが速くて、毛皮には魔術を遮断する効果があるって」
「そうだ。その毛皮が目的で誘拐してきたらしい。その内の何匹かは貴族の為の観賞用として生き残らされていたらしいがな・・・」
そんな光景を見れば、人間不信になってしまうのも無理はないと思います。
傷だらけの人間を見れば、誰だって衝撃を覚えますよね。
「幸い、瀕死であっても生きている者が何体かおり、俺は急いで治療にかかりました。この時の俺は人間を信じれば良いのか、亜人を信じれば良いのか、全く分かりませんでした」
亜人を憎んでいた筈のカリスさん。
でも、その光景を見たことで、亜人よりも人間が悪いのではないかと思ったのかもしれません。
「治療を終え、少数ですが、無事助ける事が出来ました。助けられなかった命もありましたが、少しでも救えてよかったと思います」
悔しそうな表情で告げるカリスさん。
出来る事なら、助けられるもの全てを助けたいと思っていたのでしょう。
でも、そんな都合良くはいきません。
「助けられた銀狼の中には、俺に襲い掛かってくる奴もいました。でも、俺にはどうする事も出来ません。避ける事さえあの時の俺には出来ませんでした」
殺されかけたのも人間なら、助けられたのも人間。
混乱するのは当たり前ですよね。
「そんな時に、一人の銀狼がやってきました。それが、今後旅を共にする事になる俺の仲間の一人です」
ローゼンさんの事ですね。
ローゼンさんとカリスさんの間にそんなことがあったなんて・・・。
「仲間? 獣を仲間ってどういう意味?」
えッ?
獣って・・・ローゼンさんは亜人ですよ。
「俺も知らなかったんだがな。獣人、翼人の中には、原型とも言える生物に変身する事が出来る種族が一握り程いるらしいんだ」
「そ、それなら、銀狼は亜人だったって事? 獣人種族の一員だったって事?」
「そうなるな。恐らく大陸内でも知っている人間は極僅かでしかないだろう」
そうだったんですか?
知りませんでした。
僕はてっきり獣人は皆が獣になれるのかと・・・。
「待て。それなら、亜人を憎んでいるお前が亜人と共に旅をしてきたというのか?」
「律儀な奴でして。恩返しをしたいと俺に忠誠を誓ってくれています。俺はそんな事は望んでいないんですが・・・。俺はただ仲間として楽しくやっていければいいんですけどね」
「ちょっと待って。仲間だし、一緒に旅をしてきたんだよね。それなら、今その亜人はどこにいるの?」
トリーシャさんが鋭い質問を告げます。
カリスさんは真剣な顔で三人を見回すと、ゆっくりと口を開きます。
「三人には内密にしていて欲しいんですが・・・。今は父上や母上の許可を得て、アナスハイム領で暮らしています」
「アナスハイム領でだと!?」
「そ、それなら、今のアナスハイム領には亜人が居るって事?」
二人が驚愕の表情を浮かべます。
トリーシャさんにいたっては、どことなく恐怖の表情も混ざっているように感じます。
やはり、亜人と人間との溝は深いのでしょうか?
「実は他にももう一人俺の仲間が住んでいます。この事は他言無用でお願いします。バレると大変な事になりますから」
「あ、ああ。もちろんだ。だが、慎重になれよ。万が一だってあるんだからな」
「はい。分かっています」
真剣な表情でカリスさんを見詰めるエルムストさん。
エルムストさんは最悪の事態を想定して動くタイプの人間らしいです。
戦場ではこのような人が最も頼りになるとカリスさんから教わりました。
臆病に感じるかもしれませんが、臆病なぐらいがちょうどいいらしいんです。
もちろん、臆病なだけで、碌な対応が出来ないのならば、むしろ足を引っ張る事になるのですが・・・。
「もう一人って・・・もしかして、エルフ?」
トリーシャさんが恐々といった様子で訊ねます。
エルフだと何かまずいのでしょうか?
「マジシャンであるお前がエルフを恐れるのは分かる。だが、ミストは理由なく人に魔術を放つような奴ではない」
「エルフなんだね? エルフが近くにいるなんて」
「トリーシャ。信じてくれ。あいつはエルフだが、お前の思っているような奴じゃない」
「・・・・・・」
トリーシャさんが黙り込みます。
「トリーシャ。お前はカリスの事を信じられないのか?」
「そんな事ない! でも、それとこれとは話が違うよ!」
「いや。違わない。カリスがその者を信じているのなら、その者を疑うのはカリスを疑うのと同じだ」
「でも、兄さんだって亜人と好意的に接せられる訳じゃないでしょ!? どうして、そんな亜人の肩を持つの?」
トリーシャさんの言葉に、カリスさんは悲痛な表情を浮かべます。
身内の言葉程、堪えるものはないという事でしょう。
何より、人間と亜人の壁をまざまざと見せ付けられた気分になったのかもしれません。
「ああ。そうだ。俺だって亜人が好きな訳ではない。何より、俺やシズクも大事な仲間を亜人に殺された事があるからな」
「ならッ!」
エルムストさんも亜人によって何かを失った人の一人みたいです。
それはシズクさんも同じなようです。
「だが、亜人全てを憎んでいる訳ではない。職業柄、人間と対峙した事もある。人間によって仲間を失ったからといって、人間全てを憎む訳ではないだろう?」
「・・・・・・」
「カリスではないが、実際に接してみなければ何も見えてこないんじゃないのか?」
「・・・でも、エルフは・・・」
「分かっている。マジシャンにとってエルフの存在は絶対的な敵であり、恐怖そのものだからな。お前の気持ちが分からない訳ではない」
どういう意味でしょうか?
何故、マジシャンにとってエルフがそんな存在なんですか?
「カリスさん。マジシャンとエルフの間に何かあるんですか?」
「え・・・あ、ああ。以前教えたが、マジシャンが使っている魔術は本来亜人が使っていたものだ。なかでも、エルフの魔術に対する知識、能力は群を抜いている」
悲しみの表情にくれていたカリスさんに質問するのは憚れましたが、聞かない訳にはいきません。
もしかしたら、亜人と人間との間にある溝の一部分かもしれませんが、理由が分かるのかもしれませんから。
「他の亜人の魔術資質は人間とそう変わらんが、エルフに関しては別だ。その資質は人間が何人集まろうともエルフには勝てないと言われているぐらいだ」
それ程の差が?
ミストのあのマジシャンとしての優秀さの理由が分かりました。
「マジシャンであるという事を意識している人間にとって、そんなエルフは恐怖でしかない。そして、恐怖を抱かせるものは本能的に敵なんだ」
「・・・本能的に・・・ですか?」
「ああ。自分の身が危険に晒されれば自衛行為をするだろう。その瞬間、自分を危険に晒す相手は倒さなければならない存在であり、敵として看做される」
確かにそうなのかもしれません。
攻撃するという事は敵対するという事。
敵対するという事は敵として看做すという事ですから。
そんな状況を日常的に感じているのなら、エルフそのものに嫌悪感を示すのも無理はないかもしれません。
「カリス。話の続きを」
「あ、はい」
どうやら、僕がカリスさんと話しこんでいる間にエルムストさんによるトリーシャさんの説得が終わったようです。
渋々といった様子でしたが、一応は納得しているようです。
シズクさんもなんと言っていいか分からないといった複雑な表情を浮かべています。
「どうにか助けられた少数の銀狼達と共にこれからどうしようとか途方に暮れていた時、セイレーンの王宮部隊がやってきました」
「王宮部隊? それは俺達と同じようなものか?」
エルムストさんがシズクさんとトリーシャさんに視線を送りながら問いかけます。
「そうですね。同じような部隊です。ただ、アゼルナートとは違い、セイレーンの部隊は亜人問題にも対応できるよう訓練されていました」
「亜人問題?」
カリスさんにトリーシャさんが訊ねます。
「ああ。人間と亜人との間にどうしても生じてしまう問題の事だ」
「亜人が人間を襲うとか?」
「いや。むしろ、逆だな。残念な事だが、人間は亜人を奴隷のように扱ったり、観賞用として密漁してきたりなど散々な事をしているんだ」
「・・・酷い」
「王宮部隊はそんな事を失くそうと通常の業務に加えて、亜人問題にも活動範囲を広げている。貴族の調査や密漁団の討伐などな。少しでも被害者を失くす為に」
「そっか。セイレーンの王宮部隊はそんな活動もしてるんだ」
「それで、その後どうなったんだ?」
エルムストさんに先を促され、カリスさんが話し出します。
「王宮部隊は何処からか誘拐団の事を聞きつけ、それを取り締まる為にやってきたようです。そこで、誘拐団の事を話し、王宮部隊に後の事を任せました」
「後の事を任せたって?」
「密猟、誘拐団の捕縛。誘拐されてきた銀狼の保護。その他諸々だな。何よりも銀狼の保護は優先してもらった。これ以上、人間が信じられなくなりたくなかったからな」
このような状況で亜人である銀狼を放っておいたら確かに人間が信じられなくなりますよね。
拉致しておいて、そのまま放置なんて勝手すぎますから。
国の貴族が仕出かした事なんですから、国として責任を持つのは当たり前の事ですよね。
「共に来ると言った銀狼以外の銀狼を保護してもらい、俺はルルと銀狼であるローゼンと共にセイレーン各地を回りました」
ローゼンさんの名前が出てきました。
確かに、ローゼンさんが一番カリスさんと合流したのが早いですね。
「始めの頃の俺はローゼンに複雑な感情を抱いていました。憎むべき相手がすぐ傍にいるのですから」
そうですよね。
憎しみは拭いきれていないのですから。
共に旅をしている身ですが、憎しみの感情も秘めている。
複雑です。
「でも、共に旅をして気付いたんです。喜怒哀楽があり、笑顔も涙もあり、容姿が違うだけで他は何も人間と変わらないのだという事を」
ローゼンさんは良く笑う人です。
そして、カリスさんと接する時は何処か誇らしげです。
人間が思う亜人像とは全く重ならないと思います。
人間は亜人を恐怖というフィルター越しにしか見る事が出来ませんから。
無表情で人を襲うことしか考えていないとまで思っている人もいるぐらいです。
そんな人こそ、実際に亜人と触れ合って欲しいと思います。
それが全て自分の誤解であると気付くはずですから。
まぁ、恐怖しているのですから触れ合うのには勇気がいると思いますが・・・。
「それに、セイレーンでは人間に混じって亜人が生活しているのを時折見る事が出来ました。積極的に交流しているという訳ではないですが、不自由はなさそうでした」
「そうか。セイレーンが亜人親和派だという事は知っていたが、そこまでだったとはな」
カーマイン帝国では間違いなく亜人と共に過ごしていたら罰せられています。
それは恐らくですが、アゼルナートも変わらないと思います。
セイレーンがいかに異例な国なのかがわかります。
「そんな時に、偶然セイレーンの姫と知り合える機会がありまして。姫に連れられてセイレーンの本城まで行きました」
いきなり話が飛びましたね。
それに、セイレーンの姫君・・・ですか?
皆さんも唖然としてしまっていますよ。
「セイレーンの姫だと? という事は・・・」
「はい。聖巫女の正統後継者、セイレーン聖教国の姫君です。私が知り合ったのは第一子でして、次期聖巫女と言われていました」
「・・・・・・」
誰もが言葉を失っています。
かくいう僕も同じです。
セイレーン聖教国にとって、聖巫女の存在は国の象徴であると同時に政治の頂点を張る存在でもあります。
他国に比べて、セイレーン聖教国は王家の権力が高く、王家筆頭である聖巫女は国民の期待を一身に背負います。
そんな聖巫女を支える存在が巫女と呼ばれ、プリーストとして聖術を行使出来る者が選ばれます。
その為、セイレーンでは聖巫女に次いで巫女という存在が敬われ、崇められます。
貴族達より巫女の方が権力を持つというのがセイレーンですから、不思議なものです。
何でも、平民の出でも、巫女として認められれば、貴族よりも上位な存在になれるとか・・・。
そんな国の聖巫女候補と知り合えたというのです。
それは誰だって唖然としますよね。
「本城まで付いていき、結局一年程本城の方に滞在する事になりました。滞在の間は護衛部隊と王宮部隊に強制入隊させられまして。まぁ、良い経験でしたよ」
「王宮部隊というのは先程で分かりましたが、護衛部隊とは?」
「護衛部隊とは姫様を守る為に存在する姫様の側近とでも言った所でしょうか? 実際、姫様達と接する機会は毎日のようにありましたね」
「そ、そうか」
冷や汗をかいているのではないかと思える程、動揺しているエルムストさん。
まぁ、その気持ちは分かります。
「セイレーンにいた一年間。聖巫女様や姫様達、巫女の方々に聖術を学びました。やはり本場は絶好の修行場でしたね」
それはそうでしょうね。
・・・誰も言葉を発しません。
「また、修行の一環として姫様に紹介されたのがエルさんです」
「エルさん?」
「トリーシャ。お前にはこう言った方が分かりやすいか。エルさん、改め、エルネイシア・マゼルカさんだ」
「エルネイシア・マゼルカ!? それって・・・」
「そう大陸屈指のマジシャンでその能力は上位のエルフに勝るとも劣らないと言われている人物だ」
エルネイシア・マゼルカ。
マジシャンではない僕でも知っている程、有名な方です。
セイレーン聖教国魔術師団団長であり、軍の総責任者でもあるそうです。
マジシャンにとっては、雲の上の存在であり、憧れ中の憧れでもあり、誰もが目標としている人物らしいです。
「だが、そんな人物に何を教わったんだ? お前、魔術なんて使えなかっただろう?」
確かにそうですよね。
修行の一環とは言っても、カリスさんは魔術を使えない筈ですから。
魔術を教わったという訳でもなさそうですし・・・。
「はい。幼い頃から魔術が行使できないという事は知っていましたから。俺はマジシャンに対する戦闘の術をエルさんから学んだんですよ」
「マジシャンに対する戦闘の術?」
「ああ。マジシャンは乱戦でもない限り、距離を取れば理不尽なまでの強さを誇るだろ。弓兵の物理的な攻撃も途中で魔術によって無に帰してしまえるからな」
魔術は単純に強力ですからね。
僕のように接近戦でしか戦う術がない人間は、距離を詰められない限り勝つ事は出来ません。
ですが、マジシャン相手ではそう容易に近付けないものです。
その為にもマジシャンに対する戦闘の術を学ぶ必要があったんでしょうね。
「でも、それをエルネイシア様から教わるなんて贅沢だよね。マジシャン相手なら誰でも学べるのに」
「ああ。だが、大陸屈指のマジシャンに教わる程、有意義なものはあるまい。最高位に慣れていれば、他のマジシャンに対して簡単に対処できるだろう」
「いいなぁ。兄さん。エルネイシア様に教われて。羨ましいよぉ」
「・・・いや。エルさんとの修行は辛いぞ。何度死に掛けたことだか・・・」
青褪めた表情でカリスさんが言います。
・・・あのタフなカリスさんが青褪めるだなんて・・・。
一体、どんな修行だったんでしょうか?
「・・・どんな修行なの?」
「聖術も同時に修行してな。エルさんに極限まで追い詰められた後、身体を治癒してすぐさま戦闘。これの繰り返しだ」
「・・・それは確かに辛いかも・・・」
「ああ。この時程、聖術を行使できた事に感謝した事はない。ある意味、神龍山より恐ろしかった」
・・・ご愁傷様です。
「その後はどうなったんだ?」
「セイレーンで過ごす間に俺は亜人に対する憎しみを拭い去れました。それはローゼンのお陰でもあり、聖巫女様を始めとする城の皆のお陰でもあります」
良かったです。
亜人を憎んでいるカリスさんなんて想像も出来ませんから。
「そこで、俺はもっと亜人の事を知りたい。そう思い、亜人の国を回ってみようと思いました」
「・・・・・・」
「・・・・・・」
「・・・無茶しますね。カリス君」
言葉を失う皆さん。
まぁ、確かに命を捨てているようにも感じますね。
言いたくはないですが、敵地に入り込もうしているようなものですから。
見つかれば問答無用で殺されても仕方ないんですよ?
無謀だと考えてしまうのも無理はありません。
「ハハハ。そうですね。俺もそう思います」
そんな皆さんに対し、カリスさんは苦笑するだけです。
ホント、逞しすぎますよね。
「俺はまずローゼンとセイレーンで知り合ったマジシャンの二人と共に隣国であるハインツ獣国へと向かいました」
ハインツ獣国。
獣の姿をした亜人が統率する国です。
容姿的にローゼンさんはきっとこの国出身ですね。
「ハインツ獣国は比較的人間に対する溝が浅く、ローゼンの存在もあり、穏やかに過ごす事が出来ました。亜人であっても、積極的に接すれば友になれると分かりました」
「人間と亜人が友か・・・。俺には想像もつかない光景だな」
「私も・・・」
「・・・はい」
僕も一年前まではそう思っていましたよ。
でも、カリスさんと共に旅をしてから、そんな先入観は吹き飛んでしまいました。
僕の勘違いではなければ、僕はローゼンさんやミストと友であると思っています。
ほら、僕だって亜人と友になれたんです。
他の人がなれない訳ありませんよ。
「ハインツでの旅を終え、カミナ、バレントと入国しようと思いましたが、亜人に迎撃されてしまい断念しました。別に無理矢理入国したかったわけではありませんからね」
「仕方がないだろう。亜人にとっても人間は恐怖の対象。やすやすと入国はさせん」
人間が亜人を恐れ、亜人が人間を恐れる。
そんなでは距離が近づく事はありません。
お互いに寄り合わなければ、溝がなくなる事はありえませんよね。
「メディウスこそ入国したいと思ったのですが、やはり速攻で追い出しを喰らいましたね。その為、メディウスも断念せざるえませんでした」
「そうなんだ。難しいね」
「そう簡単にうまくはいかないという事だ。特にメディウスはな」
メディウスは森人達の国。
エルフと人間の確執が最も深いですから。
「最寄の国であるカーマインに戻る事を決めた俺達はメディウスからカーマインへと向かいました。その帰り途中に、もう一人の仲間と出会ったんです」
「それがエルフ?」
「ああ。そうだ。名はミストという」
「ミスト・・・」
ミストの名をトリーシャさんが呟きます。
色々と不安なんですが・・・。
「ミストを連れて俺達はカーマイン国内を歩き回りました。その途中、セイレーンから共に旅をしていたマジシャンが離脱。入れ替わるようにロラハムが加わりました」
「そこでロラハム君と合流したのか。ロラハム君は何故カリスと?」
「はい。カリスさんと旅をする事で、カリスさんから様々な事を教わろうと思いまして。それに、少しでも役に立てればと思いまして」
「孤児院で身体を鍛えていたらしく。大分身体が出来上がっていましてね。旅をするのもそれ程苦ではなかったようです」
あ、それは僕だけの秘密のはずですが!?
まぁ、構いませんが・・・。
身体を鍛えていたのは事実ですし。
「それからの一年間はずっとカーマインで過ごしていましたね。様々な場所を回りました」
「亜人に抵抗の少ないセイレーンならまだしもカーマインを亜人と共に歩くのは危険だったのではないか?」
「見つかったら問答無用で逮捕だよ?」
「幸いな事に誤魔化しようがあったからな。ミストは帽子を被って耳を隠せばいいし、ローゼンは獣状態になればいい」
「なるほど。それならば、周りは銀色の狼を連れているだけの珍しい旅人達という捉え方をするだけですね」
「それって、逆に目立つんじゃ・・・」
「いや。利用しているようで申し訳ないが、ローゼンに注目してくれれば、ミストが目立たなくて済む。人は一つの事に着目すると他に眼がいかないものだからな」
「より目立つものがいるお陰で普通なら目立つものも目立たなくなる。上手く考えたものだ。人の心理の穴を突くとはな」
そこまで考えていたなんて・・・。
やっぱりカリスさんは凄いです。
「カーマインに一年ぐらいいたんだよね?」
「ん? ああ。そうだぞ」
「でも、何でカーマインにいたの? すぐに帰って来れば良かったのに」
確かに、そう思ってもおかしくないですよね。
でも、それには理由があったんですよ。
「ミストに色んな景色を見させてやりたいと思ってな」
「色んな景色?」
「ああ。ミストはちょっとした事情があって、幼い頃から森の奥底で隠れ住んでいたんだ。だから、どんな景色も目新しかった」
ちょっとした事情というものは僕にも分かりません。
『いつかミストから聞けたら』と思います。
「だからな、あいつに色んな景色を見させてやりたい。そう思ってカーマインで安全な場所をあちこち回ったんだ」
「・・・そう。・・・その子も苦労してるんだね」
複雑な表情で告げるトリーシャさん。
「それで、一年経った今、どうして帰ってきたんだ?」
「あらかたミストにカーマインの景色を見せてやれましたから。次はアゼルナートの景色を見せてやろうと思いまして」
「・・・それだけ? 他に理由はないの?」
「もちろん、そろそろ家族に会いたいというのも理由の一つだぞ」
トリーシャさんがカリスさんの答えに安堵の色を浮かべます。
ミストの為だけに帰ってきたと言われたら、悲しいでしょうからね。
でも、それだけではないでしょう? カリスさん。
跡目探しとか育成とかに時間がかかっていたではないですか。
任せられると安心したから帰る事を決めたのでしょう?
「なるほど。それがお前の五年間か。・・・良い経験を積めたな」
「はい。我ながら、激動の五年間だったと思います」
「そうだよね。凄い人達と知り合えたみたいだし」
「クリストファー将軍。エルネイシアさん。聖巫女様や姫様達。アゼルナートにいただけじゃ絶対に知り合えないですね」
「そうだな。上流な方達に拘らず、伝手があるのは良い事だ」
僕もそう思います。
いざという時に頼る伝手があるのとないのでは大きく違いますから。
それは僕が一番分かっています。
「ねぇ、トリーシャちゃん。カリス君の悪い癖、出てると思います?」
「う~ん。私は出てると思いますよ」
悪い癖?
何でしょうか?
「ですよね。私の直感では、セイレーンの姫様が怪しいと思うのよ」
「分かります。それと、カーマインあたりで何人か」
「確かに。カリス君は昔から」
昔から?
「天然ですから」
「鈍感だから」
・・・ハハハ。
コソコソと話していると思ったら、そんな事を・・・。
まぁ、分からなくもないですが・・・。
あ、エルムストさんがカリスさんに話しかけます。
「それで、これからお前はどうするんだ? アナスハイム家としては軍に入るべきだと思うが・・・。お前も事情があるのだろう?」
やはりカリスさんの兄ですね。
人への気遣いを忘れません。
暗に亜人との事を考えてくれたのでしょう。
「はい。しばらくは領地内の問題を引き受けようと思います。ミストにも様々な景色を見せてやりたいですし。色んな経験をさせてやりたい」
ホントに、カリスさんはミストの事に熱心ですね。
「ねぇ、兄さん。亜人であるかどうかは別として、そのミストって子を妙に気にしてない?」
確かにそうですよね。
カリスさんのミストに対する思い入れはホントに深いですから。
「あいつに複雑な事情があるというのもあるが、何より放って置けなくてな。それに、不思議な事だが、あいつからは何か懐かしい印象を受けたんだ」
「懐かしい?」
「ああ。俺の記憶にはない微かな温もり・・・とでも言えばいいのか。まるで・・・な」
「ッ!」
「・・・そうか」
記憶にはない温もり?
どういう意味でしょうか?
でも、エルムストさんとトリーシャさんを見る限りお二人は理解しているようです。
「あんな少女にそんな印象を受けた俺もどうかしてるが、大切にしたいと思った。狭い世界にいたあいつを広い世界に連れ出してやりたいと思った」
カリスさんが真剣な表情で語ります。
「深い悲しみに包まれていたあいつを支えてやりたいと思った。これ以上悲しい思いをさせないように護ってやりたいと思った」
どれだけカリスさんがミストを大事にしているかが、痛い程伝わってきます。
「・・・・・・」
トリーシャさんがカリスさんをジッと見詰めています。
その視線は羨ましいような嫉ましいような。
そんな感情が込められているように感じられます。
「長い事話させて悪かったな。少し休憩を挟もう」
エルムストさんの言葉に、皆さんが頷きます。
こうして、カリスさんの五年間が語られたのでした。
~SIDE OUT~