第三十六話 一人の女を巡る戦い
「これで良かったのですか? カリス様」
ローゼンがカーツォルによって引っ張られる姿を見送るカリス達。
二人の姿が見えなくなった頃、ルルシェがカリスに問う。
「婚約者がいた。そんなローゼンをこれ以上俺のエゴに付き合わせる訳にはいきません」
「ローゼンがそれを望んでいてもですか?」
「・・・・・・」
黙り込むカリス。
「エルネイシア」
「・・・これは下手すると国際問題にまで発展します。軽率な判断は出来ません」
エルネイシアは既にカーツォルの考えを読み取っていた。
そして、普通の方法では抗えない事を。
「・・・カリスさん」
「・・・ミスト」
「・・・ローゼンさんは悲しんでいました。カリスさんの傍にいたかったんだと思います」
「・・・・・・」
あくまで黙り込むカリス。
「カリス様。カリス様とて分かっているのでしょう? ローゼンが悲しんでいた事に」
「・・・ええ」
「婚約者が何ですか!? 一人の女性を泣かす事がカリス様のいう騎士道なのですか!?」
力強く告げるルルシェ。
その台詞は以前聖巫女が告げた台詞と酷似していた。
「聖巫女様と同じ事をルルシェ姫様も言うのですね」
「え?」
同じ血が流れているんだな。
カリスはそう苦笑した。
「俺が騎士道を貫く事がセイレーンにとって損失となる。それでも俺は騎士道を貫いていいのですか?」
カリスもまた理解していた。
ここでローゼンを連れ戻すという事がハインツにとっては不快極まりないという事に。
エルネイシアの言う通り、国際問題になる可能性もある。
更にいえば、戦争にだってなりえるのだ。
『それでも俺は連れ戻してきて良いのですか?』
カリスはそう問いている。
「・・・・・・」
ルルシェはそう問われて返答に困った。
念願の同盟が叶うという時に問題を起こしたくない。
そう思う自分とローゼンを救うべきだと思う自分が葛藤していた。
「・・・カリスさん。一つだけ我が侭を聞いてください」
そんな中、ミストがカリスに告げる。
見上げるミストの瞳には力強い意識が込められていた。
「・・・私にはローゼンさんが必要です。ローゼンさんがいないと悲しくて仕方ありません」
「それは姫として。ミスト姫としてローゼンの存在は必要だと。そういう事ですね」
「・・・はい。貴方の為ではありません。私の為にローゼンさんを連れ戻して来てください」
「・・・ミスト。貴方・・・」
ミストが力強く告げた。
それはカリスを気遣って、ローゼンを気遣って、紛れもなく彼女が成長したが故の言葉。
全責任は私が負います。
だから、ローゼンを連れ戻してきなさい。
姫として、王位後継者の一員としてミストは明確に告げていた。
「申し訳ありません。ミスト姫様と俺の意見が一致しました。俺は全力で任務を遂行します」
「・・・分かりました。私も認めましょう」
「・・・良いのですか? ルルシェ様」
エルネイシアが問う。
「ローゼンがいない。それだけで姫の一人が嘆くのです。それだけで騎士の一人が嘆くのです。それならば、私達はローゼンを連れ戻すべきなのです」
「しかし、それでは・・・」
エルネイシアの懸念も分かる。
戦争など誰だって起こしたくない。
「その為のカルチェです。カルチェ」
「はい。何でしょうか。ルルシェ様」
名前を呼ばれて現れるカルチェ。
その顔には既に己がやる事は分かっているといった心強い表情が浮かんでいた。
「即刻ハインツ王城へ向かい、王との謁見を手配してください。ルルシェ・セイレーン個人として貴方に話があると」
「かしこまりました」
交渉役として外交能力に秀でたカルチェが先行して王城に乗り込んだ。
「姫様。何を?」
「私個人と告げれば会わざるを得ないでしょう。そこで、私は事の顛末を話します。そして、カリス様、貴方がローゼンを連れ戻すのです」
「全力を尽くします」
「では、参りましょう」
力強く足を踏みしめるルルシェ。
その顔は先程までのグラニットの言葉に動揺していた顔ではなく、凛々しい王女としての顔だった。
「着いたぞ」
ローゼンを無理矢理引っ張って来たカーツォル。
金獅子の化身たる彼の生来の力強さ。
そこに『抵抗すればどうなるか分かるよな?』という脅しが加わり、戦闘民族たるローゼンの抵抗を防いでいた。
「フン」
「キャッ」
荒々しく王城にある自室の扉を開けると自らが日頃寝ているベットの上にローゼンを無理矢理放る。
「婚約者と二人きりだ。何をするかは分かるよな」
厭らしい笑みを浮かべるカーツォル。
ローゼンは薄ら寒くて仕方がなかった。
鳥肌が立ち、寒気がして、全身が彼を拒んでいた。
「何だ? その眼は」
睨みつけるローゼン。
その眼が気に入らないカーツォルが叫ぶ。
「・・・・・・」
それでも無言で睨み続けるローゼン。
カーツォルは激昂してローゼンの小さな顔を片手で握り込む。
「・・・クッ・・・グッ・・・」
「何を抵抗しようとしているんだ? お前が抵抗するという事がどういう事なのか分かっているのか?」
青筋を浮かべ、端整な顔立ちのカーツォルの顔は醜く歪んでいた。
「キャッ」
そのままローゼンを壁に投げ飛ばすカーツォル。
ローゼンは背中から来る衝撃に痛みを覚えながら、カーツォルに告げる。
「主の理想の為、私はここにいるわ。でも、決して貴方に身体を開く為じゃない。私の身体に触れていいのはあの方だけ」
「主だぁ? 獣人の主と言えばハインツ王グラニット・ハインツに決まっているだろう」
「違うわ。私の主は人間だとか獣人だとかに拘らない。私の主は生涯ただあの方のみ」
「チッ。誰だ? それは。ぶっ殺してやる」
「フン。貴方なんかが口にする事すらおぞましいわ。貴方では到底辿りつけない領域にいるお方よ」
毅然と言い切るローゼン。
「貴様・・・」
苛立ちは既に限界に達しようとしていた。
血が飛び出るのではないかという程に青筋を浮かべさせたカーツォルがゆっくりとローゼンのもとへ向かう。
そして、自らの半分程しかない小さな身体を蹴り飛ばす。
「クッ!」
それでもなお睨み続けるローゼンにカーツォルは遂に怒りが限界に達した。
「いいか!?」
「グフッ」
「貴様は俺の言う事を聞いていればいいんだよ!」
「カハッ」
殴る。
蹴る。
とてもじゃないが、婚約者に対するものだとは思えなかった。
「まだ屈しないか? いい加減にしろ。力加減を間違えて殺してしまうかもしれん」
「・・・私を・・・殺して・・・いいの? ・・・グフッ・・・貴方だって・・・私が・・・死ねば・・・困るんじゃない?」
内臓器官にダメージを負ったのか、口から血を吐き出すローゼン。
「フン。お前が死のうと保護された獣人が帰ってくれば銀狼の一人や二人いるだろうに。そいつを俺の権力で奪っちまえばいい」
「・・・ど・・・どこまでも・・・自分勝手・・・ね」
「何の為にこの役職まで昇り詰めたと思っているんだ? 俺が誰にも邪魔されずに自由に行動する為だ。総司令官の俺に歯向かう者などこの国にはいない」
「い、今に・・・見てなさい。・・・あ・・・貴方は・・・必ず・・・滅ぼされるから」
「フン。金獅子たる俺に敵う奴なんかいないさ」
全身に痣を残すローゼンをカーツォルは再びベットへ放った。
「ハッハッハ。殺す前に一度抱いてやろう。光栄に思うんだな」
「だ・・・誰が・・・」
徐々に近付いてくるカーツォル。
だが、既に抵抗するだけの力がないローゼン。
恐怖が身を包む。
こんな奴に抱かれるのなら・・・。
「申し訳ありません。カリス様。私はここで・・・」
眼を閉じ、舌を噛み切ろうとするローゼン。
「カリス・・・様・・・」
「すまない」
「え?」
ダンッ!
「グハッ!」
突如聞こえた声。
続く衝突音。
獣の呻き声。
死を覚悟したローゼンがその強く瞑られた眼を開ける。
そこには・・・。
「遅くなったな。ローゼン」
彼女が求めてやまなかった大切な主がいた。
「カリス様。どうしてここに・・・」
「俺は意外にも独占欲が強いらしい」
「え?」
「すまないが、お前を手放す事は出来ん。お前は俺の傍にいろ」
「カ、カリス様」
抜け身の剣を片手に構えるカリス。
それを見るローゼンは傷付いた身体を歓喜に震わせた。
来てくれた。
また傍にいろと言ってくれた。
胸は動悸し、頬は赤く染まり、心は高揚する。
視界に映るのは最早カリスだけ。
身体の痛み?
そんなのまるで気にならない。
恐怖心?
そんなの既に歓喜に変わっている。
カーツォルを憎々しく思っていた筈の心はカリスの出現で快晴のように澄み切った。
「・・・カリス様。カリス様!」
歓喜が胸から溢れ、涙となって地に落ちる。
澄んだ笑顔。
歓喜の涙。
幸せの絶頂に彼女はいた。
「き、貴様ぁ!」
突如やって来て自分を吹き飛ばした人間。
権力者である自分に歯向かった事。
漸く追い詰めたと歓喜した瞬間に邪魔された事。
そして、何より・・・。
「たかが、たかが人間にこの俺が吹き飛ばされるなど・・・」
脆弱な人間に強者である己が吹き飛ばされた事。
それらがカーツォルの怒気を爆発させた。
「何故、貴様がここにいる。俺に逆らったらどうなるか分かっているのか?」
その言葉にローゼンは息を呑む。
そう。
自分が今まで逆らいたくても逆らわなかったのはこの脅しがあったから。
軍の総司令官であるカーツォルに他国の者が襲い掛かったとなれば尚更・・・。
「その心配はいらない」
現れるは巨体のカーツォルですら上回る巨体の持ち主。
「お、王!」
グラニット・ハインツ。
国王にして、国内最強の戦士である。
「話は聞かせてもらった。いや。見させてもらったといった方が良いな」
「なッ!?」
「確かに我は幻獣種を求めている。だが、我が愛する国民をこうまで傷つけたそなたを我は許す事は出来ん」
視線の先には口から血を吐き出すローゼンの姿。
「婚約者なのであろう? それをこれは何だ? 軍の総司令官ともあろう者が女性に対し・・・」
「・・・黙れ」
「何?」
「黙れと言っているんだ! 何が王だ。何が国内最強だ。国内最強はこの俺。カーツォル・マグンドだ。貴様など」
「ほぉ。我に逆らおうというのか」
漲る殺気。
国内最強。
神具贈られし八カ国の王にして獣人達の王。
その名に恥じない濃密で純粋な殺気だった。
カリスとてこれ程の殺気を身に浴びた事はない。
それ程までに八カ国の国王とは凄まじいものなのだ。
「だが、馬鹿にされたというだけで罰するは王としてあまりにも心が狭い。ここは・・・」
「俺に」
「良かろう。そなたが相手せよ」
国王が身を引き、カリスが前に出る。
「フン。たかが人間にこの俺が負けると?」
「その人間に負けるぐらいで国内最強を名乗るとは哀れだな」
「ほぉ。俺が負けると。いいだろう。外に出ろ」
窓をぶち壊し、外へと飛び出るカーツォル。
巨体に似合わない敏捷性だった。
「ローゼン」
「・・・カリス様」
傷付き倒れるローゼンをカリスが抱き締める。
「すまない。俺のせいでこんなに」
「カリス様のせいじゃありません。全てはこの私が」
「いや。お前は俺達の事を考えて抵抗しなかった。そうだろう?」
「・・・・・・」
「無言は肯定と受け取る。本当にすまなかった」
自分達の事を考え、こうまでされても抵抗の一つもしなかったローゼン。
それが申し訳なくて、それでいて、そうまで忠義を貫いてくれた事が本当に嬉しくて。
カリスは抱き締める力を強くした。
「カリス様。カーツォルと闘うのですか?」
「ああ。すまないが、お前の婚約者とて加減できる自信がない」
あらん限りの怒気を放つカリスがローゼンには嬉しかった。
自分の為にここまで怒ってくれる大切な主。
傍にいろと力強く告げてくれた大切な主。
やはり仕えるに相応しいお方だ、と。
私の主はこの方しかない、と。
カリス様に出会えて本当に良かった、と。
そう、ローゼンは心の底から思った。
「カーツォルは幻獣種である金獅子。その毛皮は凄まじく固く、刃物を通さないとまで言われています。それでも貴方は闘うのですか?」
「ローゼンを傷つけた相手だぞ。俺が闘わずして誰が闘う」
ニコリと笑うカリス。
そして・・・。
「天より注がれし神聖なる光よ。数多の光によりかの者を救い癒し給え」
突如として輝く光。
あまりの眩しさにグラニットとローゼンは思わず眼を瞑ってしまう。
「行ってくる」
部屋中に光が蔓延る中、その一言を残してカリスは去っていった。
「・・・いってらっしゃいませ。カリス様」
光が止むと、そこには痣や傷といった表面上の傷、内臓器官などの表面には見えない傷、それら全てが治癒された完全な健康体であるローゼンの姿があった。
「・・・凄まじいものだな。聖術というものは。あれ程の傷は一瞬で」
ゆっくりとローゼンへと歩んでくるグラニット。
「王。何故ここに?」
「セイレーン国のルルシェ姫が直訴してきてな。我とてルルシェ姫となれば無視できん。そして、そなたの事を聞いた」
「お手数をおかけして申し訳ありません」
「よい。我は何もしておらんからな。それより・・・」
視線を窓の外へと向けるグラニット。
「あの者は大丈夫なのか? カーツォルは国内で我に次ぐ実力者。蔑む訳ではないが、たかが人間が勝てるとは・・・」
「勝ちます」
「ほぉ。銀狼たるそなたが断言するとは。その根拠を聞こうか?」
「根拠などありません。強いて言えば・・・」
「強いて言えば・・・」
「この私が主と認め、傍にいたいと思える方だからです」
強く言い切ったローゼン。
その瞳に込める強き意思にグラニットは本当の意味で主従なのだなと実感した。
「銀狼たるそなたが我ではなく人間を主と認めたか」
「はい。失礼ですが、私はカリス様こそ我が主だと確信しています」
「我よりか?」
「はい」
「ハッハッハ。正直で良い。むしろ、そちらの方が清々しい」
笑うグラニット。
「では、見に行こうか? そなたが誇る人間の主とやらを」
「はい。王」
窓の外は王城の中庭。
既にカリス達の戦闘は始まりを告げていた。
「ふん。遅いわ」
中庭へと辿り着いたカリスを迎えるは金色に輝く巨大な獅子。
カーツォルは自分が最高の力を出せる獣形態でカリスを待ち構えていた。
「金獅子。名に違わぬ容貌だな」
カリスはいつも以上に集中している。
それは対面する相手が強者だと認めているから。
アゼルナート国内屈指の剣士、ジャルスト・アナスハイム。
カーマイン国内屈指のドラグーン、クリストファー・ギャラクシー。
セイレーン国内屈指の孤高の騎士、ユリウス・キルアーノ。
多くの最高峰の武人達と戦ってきたが、それらは全て模擬戦。
これ程の強者に対する本気での、完全な殺し合いでの戦闘はカリスにとっても初めてだった。
カーツォル・マグンド。
ハインツ獣国軍の総司令官であり、ハインツ王、グラニット・マグンドに次ぐ国内二位の強者。
最高峰の武人達に一歩も引けを取らない者と命懸けの戦闘をする。
カリスは久しく忘れていた死の気配に身体と心の両方を震わせていた。
「どうした? 身体が震えているぞ」
恐怖心だと思い込んでいるのだろう。
ニヤニヤと笑うカーツォル。
だが、その認識は間違っていた。
「俺は大陸一の武人となるべく己を鍛えている。久方振りに本気で戦える者が相手でな」
それは恐怖ではなく、歓喜。
カリスの震えは恐怖からではなく喜びの感情が溢れ出た事からだった。
「御託は良い。貴様は気に喰わん。死んでも文句は言うなよ」
「無論。そちらこそ切り裂かれても文句は言うなよ」
身体の重心を後ろ足に乗せ、いつでも飛びかかれるような姿勢を取るカーツォル。
それに対するカリスは等身大ともいえる巨大な剣を片手のみで持ち、刃先をカーツォルに向けていた。
「ローゼンを傷つけた罪。万死に値する」
「ぬかせ。ガァアァァァァ!」
シュンッと凄まじい速度で迫り、ゴォッと凄まじい豪腕を振るうカーツォル。
「・・・速さはローゼン以下。力は・・・」
それをカーツォルにも劣らない鋭い動きで避けるとカリスはカーツォルが振るった攻撃の跡地を眺めた。
「・・・凄まじいな。俺には検討もつかん」
地面は抉れ、子供一人は入ってしまうのではないかと大きく陥没していた。
他の地面にも亀裂が走っており、その一撃に込められた力だどれだけ凄まじいかを物語っていた。
「ほぉ。あれを避けるとは中々・・・」
己こそが最強と疑っていないカーツォルはニヤニヤとした表情でカリスを眺める。
「ガァァァ!」
「ハァ!」
振りかぶられた腕にカリスも全力で剣を振るう。
ガキンッと金属同士ではないくせに金属同士がぶつかったかのような低音の音が鳴り響く。
「俺の一撃で吹き飛ばされないとはな」
心底意外といったような表情でカリスを眺めるカーツォル。
だが、所詮は受け止められただけ。
力比べで金獅子が人間程度に負ける訳がない。
「ク・・・グゥ・・・」
圧倒的な力に押され、カリスの身体は徐々に体勢が崩れていく。
そして・・・。
「もらったぁ!」
右腕で剣を押し、体勢が崩れた瞬間を見越して、瞬時に右腕を地に付き、左腕でカリスの身体を吹き飛ばす。
「グハッ」
その圧倒的な力に身体ごと吹き飛び、地面に何度もバウンドして漸く止まるカリス。
「骨の一本や二本はいっただろ」
「クッ。何て力だ」
だが、カリスは無傷とまではいかないが、戦闘不能とまでもいっていなかった。
地面を転がった時の擦り傷はあるが、それ以外には特にダメージは感じられない。
「なるほどな。当たる瞬間に身体を浮かせたか」
ダメージを逃がす常套手段。
インパクトの瞬間に宙を浮けば、衝撃だけであり、身体の底にまでダメージは伝わらない。
スリ傷程度は必ず負うが、その程度ならば軽いぐらいだ。
まったく問題ない。
「なかなか手馴れしているようだな」
「こう見えても戦場を渡り歩いているからな」
再び剣を構えるカリス。
「ガァアァァア!」
飛び込みその勢いで敵を狩る事こそ金獅子の真骨頂。
カーツォルはそれを繰り返すだけで軍総司令官の階級を得た。
単純、故に、強い。
無論、飛び込む事は隙も大きく、スピードが乗る為に相手の攻撃を喰らった際に自らの身をそのスピードで痛めつける事になってしまう、所謂諸刃の剣なのだが・・・。
「ハァ!」
剣で斬ろうとも毛皮が刃の侵攻を許してくれなかった。
カリスは右腕を振るってくるカーツォルに対し、左側、要するに攻撃してくる腕側に避ける事で攻撃を回避、振りかぶった隙を突き、先端をカーツォルの身体に突き刺した。
だが、金獅子の伝説は伊達じゃなかった。
セイレーンでは最高峰に入るカリスの剣。
それが一切の侵入を許さなかったのだ。
それが彼が突進のみで強力だった理由である。
ただ突っ込むだけでその強靭な身体は敵を吹き飛ばし、その豪腕は敵を叩き殺す。
自らのスピードが裏目に出る事があろうともその身体は刃を通さない為に結局は無効。
強靭な身体、圧倒的な力を持つ豪腕。
たったそれだけだ。
たったそれだけで彼を大陸最高峰の武人としていた。
「クッ!」
カリスは攻撃を受ける前に、瞬時に後退する。
その後、先程までカリスがいた所を凄まじい勢いの腕が通っていった。
「心技体。それらが揃ってこそ一流の武人であると多くの師に教わったが・・・」
「ガォォォ」
「圧倒的な体だけでも十分驚異的なんだな」
腕を受け止め、すぐに離脱。
力比べをするような愚かな事はしない。
「攻撃は通らない。防御も出来ず、回避のみ」
「考え事か?」
離脱。
離脱。
離脱。
カーツォルの攻撃に対し、カリスは防戦一方だった。
無論、不必要な攻撃は一度も喰らっていないが。
「どうにかして対処法を・・・」
この程度の動きで息を切らす両者ではない。
度重なる突撃を避けられ、苛立ちは募るが、それで攻撃を乱す程、彼も愚かではない。
どれだけ性格が捻れ曲がっていようと、彼は己の実力のみで軍の総司令まで昇った男。
それなりの実力がある事に間違いはなかった。
「避けてばかりじゃ何も変わらんぞ」
「お前を倒す為の秘策を考案中だ。当分は追いかけっこに付き合ってもらう」
言葉通り、彼らの追いかけっこは長く続いた。
カーツォルの攻撃をカリスが逸らし、瞬時に離脱。
このパターンが何回、何十回、何百回も繰り返されていた。
彼らの決着がつくのは当分先になりそうだ。
「身体捌きといい、離脱の際にスピードといい、人間には勿体無い身体能力だな」
「カリス様は人間としての殻を破っておいでですから」
中庭の端の方でアンバランスな二人組が彼らの戦いを見守っていた。
無論、ローゼンとグラニットである。
「確かに。局部的な身体能力はカーツォルに分があるが、全体的な身体能力ではあの人間に分がある」
「確認したいのですが、カーツォルを殺してしまったも良いのですか?」
「軍の総司令官を失うのは痛い。だが、我が国は強き者が権力を握る国だ。いずれカーツォルを超える者が出てくる」
ハインツ獣国。
その実態は武力こそ全ての武闘国家だ。
勿論、国民全てにそれが求められている訳ではない。
だが、軍に席を置いた場合は完全に実力主義である。
軍の総司令であろうと司令であろうと軍団長であろうと全て武力のみで選定される。
己より階級が高い者に挑み、勝てばその階級に、負ければそのままという出世システム。
それがハインツ特有の軍組織であった。
年齢や種族など何の関係もない。
武力こそが全てだ。
「戦闘で死人が出ることなど日常茶飯事だ。死は己の責任。我には関係ない」
あくまで戦闘中は自己責任である。
上司に対して戦闘を挑み、破れ、命を落とそうと挑んだ己が悪いのだ。
上司は気にもしないし、部下の同僚は己惚れが強かったのだと同僚の死を己の糧に変える。
無論、その者の死に悲しむ者もいるだろう。
だが、それならば、『軍組織に入らなければいい』と告げられるだけだ。
全ての戦闘は自己責任である。
これがハインツの掟であった。
「王。貴方様ならばどうカーツォルを攻略しますか?」
「我は王ぞ。彼奴以上の強靭な身体、彼奴以上のスピード、彼奴以上の腕力、我の全てが彼奴の上だ。正面から闘おうが負けはせんよ」
「なるほど。それでこそ王です」
「ふむ。正に道理」
その逞しい胸を張る姿は王としての風格に溢れていた。
強靭な肉体という点でいえば、獣人の王である彼が最高であろう。
身体能力で獣人に敵う者はいない。
人間の限界を超えた者達ですら、彼の強靭な肉体の前には屈するしかないかもしれない。
そう感じさせる凄まじい肉体だった。
「では、逆に問おう。そなたならばどうカーツォルを攻略する?」
「分かりません」
「ほぉ。分からぬ・・・とな。その心は?」
「私の攻撃が金獅子に通じるとは思えないからです」
「ふむ。我に次ぐ強靭さ故に幻獣種であろうとただの拳では何のダメージも負わぬだろうな」
「はい。ですが、負けもしません」
「回避力でいえば銀狼は我にも勝るかもしれんな」
「王は回避する必要がありませんから」
「道理」
頷くグラニット。
「私の場合は攻撃を避け続け、相手の隙を突こうとするでしょう。ですが、隙を突いた所でダメージを負わないのであれば意味がありません」
「確かに。それでは、そなたに勝ち目はないという事だな」
「はい。絶対に勝てませんが、絶対に負けません。罠でもない限りは」
「狡猾な手段を取るはそれ特有の種族よ。我のような己の力を誇りとする者は正面から闘い続ける」
「そうですか。それでこそ王です」
「うむ。正に道理」
結局、ローゼンにはカーツォルの対処法が思いつかなかった。
「だが、そなたですらそうなのだ。あの者に勝ち目はあるのか?」
「分かりません。しかし、カリス様であれば、あるいは・・・」
「深く強い信頼関係だな。我もそなたのような臣下が欲しいものよ」
本当に羨ましそうにローゼンを見詰めるグラニット。
「私の身体と心はカリス様のものです。今日、改めて確信しました。私とカリス様は出会うべくして出会ったのだと」
「ほぉ。まるで恋に落ちたかのような物言いだな」
「そ、そんな事、主に恋などと」
「別に構わんだろ。文献によると恋は人を強くするらしいしな」
「王も文献を読むのですね」
「見聞を広める為に、我とて多くの書物を読んでおる。甘く見るでない」
「そうでしたか。それでこそ王です」
「ふむ。正に道理」
戦況がまったく動かないからか。
それともローゼンのカリスに対する信頼の深さからか。
グラニットはともかく、ローゼンはカリスの勝利を疑っていない為、それ程に不安は感じていなかった。
「そなたは国に帰る気がないのだな?」
「はい。故郷はハインツですが、私の居場所は主の傍ですから」
「それは構わん。では、そなたと同族である銀狼はどうだ? 国に帰るだろうか?」
「詳しくは存じませんが、彼女達もそれぞれの居場所を見付けています。恐らくですが、帰ると決める者は少ないでしょう」
「そうか。我は隠れ住む幻獣種の力を借りたいと思っておる。彼らにも彼らの生活があるんだろうが、我とて護れるのならば多くの民を護りたい」
王としての気概。
ハインツ王は武人肌であるからこそ、国民を護るという気持ちが他国の王族に比べて高い。
ハインツは力ある者が力なき者を護ろうという国民思想に国全体が染まっている。
民を思う気持ちは王だけでなく、軍組織に身を置く全ての者も変わらないのかもしれない。
「銀狼の地を駆るスピードはこの我ですらも超える。迅速な対応を求めし時にそなたらを重宝したと思っておった」
「ご期待に沿えず、申し訳ありません」
「良い良い。我は獣人が平和に暮らしているのならそれで構わん。我が欲しいのは戦力ではない。獣人達の穏やかな生活だからな」
国民を思う気持ちは王族それぞれ。
だが、ここまで国民を思う王族も中々いないだろう。
聖母セイレーンが建国したセイレーンと良い勝負だ。
貴族制という点から見れば、ハインツの方が国民全体を思う気持ちが強いとも思えるが。
「ん?」
「・・・カリス様。何か思いついたようですね」
彼らの視線の先には、苛立ちを隠しきれずに身体を震わせるカーツォルと何かを思いついたのか、口元を緩ませるカリスの姿があった。
「動くぞ」
グラニットの呟きが正に戦況を表していた。
「・・・ハァ・・・ハァ・・・」
「・・・フゥー・・・フゥー・・・」
流石の彼らとて全力での追いかけっこを長時間続ければ息も切れる。
「何故、気付かなかったんだろうな。お前を倒すにはこれしかない」
「ん? 俺を倒すだと? 冗談も休み休み言え」
対峙するカリスとカーツォル。
絶対の守備を持つカーツォルに対し、カリスが取る行動とは?
「ガァッァァ!」
最初に比べれば遅いが、それでも驚異的なスピードで突っ込んでくるカーツォル。
そんなカーツォルに対して、カリスが取った行動は・・・。
「・・・・・・」
・・・いつもと変わらなかった。
腕側に身体をずらし、完全に攻撃を見切りながら避ける。
そして、僅かに傷の付いた脇腹に刃先を突き刺した。
「その程度のカスリ傷が・・・グハッ!」
だが、そこからが今までと違った。
刃先を通さない毛皮を突かれ、何の痛みも感じない筈。
多少の傷など戦闘には関係ないと刃先からの突きを甘くみていたカーツォル。
それが彼の敗因となった。
「ガ・・・ガハッ・・・グハッ・・・」
口から夥しい程の血を吐くカーツォル。
表面上に痛みなどなく、これは身体の中からの痛みだった。
それも今までに感じた事のない程の激痛が。
「な・・・何をした・・・」
受けたのは全てカスリ傷の筈。
たかがカスリ傷の上から刃を突き立てられたぐらいでここまでの激痛はない。
朦朧とする意識の中、カーツォルは痛みを堪えてカリスを睨みつけた。
「それは目覚めた時に教えてやろう」
「ガハッ」
怯んだ額に全力で拳を振るうカリス。
その衝撃がもとでカーツォルは完全に気を失った。
「流石に頭部も固いか。拳の骨が砕けそうだ」
サッと癒術を全身にかけ、負ったスリ傷やちょっとした打撲などを治癒していくカリス。
それを終えると気を失ったカーツォルにも癒術を行使する。
実際、彼が負った傷は脇腹のカスリ傷程度、治癒する事は容易であった。
むしろ、治癒する必要すらなかっただろう。
「カリス様」
勝負を終えた事を確認し、やって来るローゼンとグラニット。
「・・・殺したのか?」
「いえ。気絶しているだけです」
「・・・そうか」
グラニットはそれだけ言うとその場から去っていった。
それは二人だけで話をしろと言わんばかりで王族のくせにどこか王族らしくない行動であった。
ローゼンはそんなグラニットに苦笑するとカリスにより近付く。
「ああ。言い忘れておったな」
と、立ち去っていくと思われたグラニットが突如振り向く。
「そなたとカーツォルの婚約は我の権限で潰しておく。そなたは安心してその人間に仕えるが良い」
「はい。ありがとうございます」
「我に次ぐ実力者を倒した男だ。いつでも歓迎するぞ。それではな。ハッハッハ」
高らかに笑いながら去っていくグラニットに多少引きながらも、カリスとローゼンは改めて対面した。
「ローゼン。大丈夫か?」
「カリス様こそお疲れなのでは?」
対面する二人。
だが、彼らの間に多くの言葉は必要なかった。
「行くか」
「はい」
穏やかな笑みを浮かべ、彼らは中庭を後にした。
ローゼンが使節団に合流した時にその場にいる全員が笑顔で迎え入れたのは言うまでもない。