第三十五話 すれ違う想い
ハインツ獣国。
それは獣人達が暮らす彼らの楽園。
数多の種族が暮らし、多くの命を育む広大な地。
そんな彼らを纏めるはマンティコアの化身。
国王グラニット・ハインツ。
人間の何倍も巨躯な身体を持ち、正に百獣の王に相応しき覇気と力強さを誇る生粋の武人であり、王。
その圧倒的カリスマ性と圧倒的な力は国民の尊敬と畏怖を一身に集める。
そんな彼が住む城へと招かれた他国からの使者。
彼らが提案してきた前代未聞の草案。
新しい時代の幕開けか?
そう思わずにはいられない驚愕の内容だった。
「御初に御眼にかかります。私はセイレーン聖教国正統王位継承者のルルシェ・セイレーンと申します」
会談の席、正面に座るグラニットに一礼するルルシェ。
既に交渉という戦争は始まっているのだ。
「こちらこそ。我が名はグラニット・ハインツ。この国の王だ」
眼の前に立つはハインツの王。
射抜くような鋭い視線。
己の身体が三つ分はありそうな程に高く太い巨躯な身体。
それらから発せられる威圧感は凄まじいものがある。
だが、ルルシェとて一国の姫。
気圧されようが堂々とした佇まいは崩さない。
「・・・(ほぉ。小娘の癖にようやる)」
表情を変えず、内心で感嘆するグラニット。
見た目は弱々しい人間の娘。
だが、その娘は己が発した威圧感に耐え、それでなお体勢を崩さない。
これはなかなか出来る事ではない。
獣人の民とてグラニットの前に立ち、威圧感を発せられれば、気を失いかねないのだから。
「・・・(そして、他の者も)」
そして、ルルシェだけではない。
カリス、エルネイシア、ローゼンは涼しい顔をしていて、気圧される以前の問題だった。
カルチェは多少額に汗を浮かべるが、それでも自らの気を奮い立たせ退く事はない。
最も小さく、弱々しいと見えるミストですら、グラニットの威圧感に腰は引けていなかった。
腰が引け、恐怖を浮かべているのは付き添いの騎士二人だけである。
グラニットは意図的にその二人を視界から外した。
「そなたらは?」
グラニットはルルシェの隣にいるカルチェ、ミストと後ろに立つカリス、エルネイシア、ローゼンに視線を向けそう問いた。
「我が義妹ミスト・セイレーン。交渉役のカルチェ・バートン。ミストの護衛であるカリス・アークルイン。私の護衛であるエルネイシア・マゼルカ」
グラニットは紹介を受けた者達を一人一人吟味していく。
「・・・(義妹か。なれば、この娘もまた王位継承者という訳か。小さいなりして逞しいではないか。エルフの耳を持っているくせに堂々としているのにも好感が持てる)」
ミストは観察されているという事に気付き、身体を震わせる。
すると、タッとカリスが前に出た。
ミストの前には椅子がある為に行く事は出来ないが、カリスがサッと隣に立つだけでミストの震えは収まった。
「・・・・・・」
睨みつける事はないが、無表情でグラニットを見詰めるカリス。
ミストを必ず護るという姿勢がグラニットの笑いを誘う。
「すまんな。ぶしつけだった」
「いえ」
ミストから視線を外した事でカリスはまたスッと後ろへ下がった。
「・・・(我を睨むでもなく威圧するとはな。カリス・アークルインといったか? ・・・興味深い)」
視線を次々と流していく。
「・・・(あれが噂のエルネイシアか。我のように荒々しくない静かな威圧感とでも言おうか。噂されるだけはあるな)」
グラニットと眼があった為、エルネイシアはニコッと笑いかけた。
それが彼女が歴戦の勇士である事を示している。
この状況下で笑えるなど普通の女ではない。
「・・・(交渉役か。武の心得はなくとも使者としての気概はあるという訳か。まぁ、それは良い。問題は・・・)」
カルチェの次の人物。
それこそが問題だった。
「そなたは銀狼で相違ないか?」
「如何にも」
鋭く睨みつけるも何処吹く風でまるで動じないローゼン。
問いにも簡単に答えた。
「何故、そなたがそちら側にいる。そなたはこちら側の者だろう」
人間達のそちら側。
獣人であるならばこちら側にいなければおかしいと。
そうグラニットは告げる。
「私は私の使命の為にこちら側にいるのです。銀狼という亜人の枠を越えて」
「ほぉ。銀狼のそなたもが同意する草案。それは何だ?」
グラニットは興味を持った。
既に絶対数が少ない銀狼。
獣人の王であるグラニットにとって彼女の価値は計り知れない。
獣人内でも名を馳せる戦闘民族、銀狼。
その数の少なさと特殊能力で銀狼は幻想種の中でも更に珍しい種族となっていた。
その銀狼が使節団の一員としてやってきた今回の会談。
向こう側の提示とは一体何なのか?
国の宰相達と何度か会談があったらしく、何でも向こうはハインツと友好関係を結びたいと訴えているらしい。
その意図は何なのか?
グラニットは眼を細め、交渉役であるカルチェに視線を向けた。
「私達が望む事は“貴国と同盟を結び、貿易等で強固な関係を築きたい”という事です」
「ほぉ。同盟と貿易とな」
グラニットが唸る。
「はい。我が国セイレーンと貴国ハインツとの間には争う理由がありません。私達は疎遠な関係より一歩踏み出し、友好的な関係を築きたいと考えているのです」
「争う理由がない。では、奴隷問題に関してはどう思う?」
「私達も出来る限りの事をしています。ですから、そちらも出来る限りの事をして欲しいのです」
「我らがか?」
「はい。人間が亜人を密漁するように貴方達亜人もまた人間を密漁している。それは我々も承知の上です」
核心を突く一言。
室内に緊張の色が漂う。
「我々は保護した亜人を各国へ返したいと考えています。その為にも私達は貴国と同盟を結び、共にこの問題を解決したいのです」
「同盟を結ぶ事がその解決になると?」
「そうではありません。密漁団は需要がある限り存在するでしょうし、奴隷として労働力を欲する者は幾らでもいます」
「それでは解決にならんではないか」
「その為に同盟を結びたいのです。根本的な解決の為には国民思想を一から変えていくしかない。人間が亜人を。亜人が人間を。それぞれ奴隷にしないようにと」
力強く言い切るカルチェ。
それに対し、グラニットは・・・。
「フン。馬鹿馬鹿しい」
鼻で笑った。
まさか、そう反応してくるとは思わず、一同は唖然とする。
「馬鹿馬鹿しいとはどういう意味ですか?」
そんな中、ルルシェが毅然と立ち向かう。
己が全力で成し遂げようという理想を馬鹿にされたのだ。
ルルシェの気持ちは痛い程に分かる。
「そもそもが間違っている。そなたら亜人の奴隷を認めていないようだが、人間の奴隷はどうなのだ?」
「・・・人間の・・・ですか?」
「うむ。知らなかったとは言わせんぞ。我らとて他国の情勢は知っておる。人間の愚かさもな」
「・・・・・・」
人間の愚かさ。
その言葉が胸に突き刺さる。
「貴族制とやらがどれだけのものかは知らんが、貴族と平民という身分差を作り、貴族が平民を奴隷のように扱うのが人間の国。亜人の奴隷がどうだとか以前の問題であろう」
「・・・・・・」
人間は人間を奴隷としているという紛れもない事実。
平民であるというだけで惨めな思いをする人間の国。
事実であり、とてもじゃないが、言い返せない。
「人を買い、人を道具のように扱い、人の尊厳を踏みにじる。それが得意な人間に我々が何故協力しなければならないのだ?」
「我々はそれをどうにかしようと・・・」
「戯けが!」
叫ぶグラニット。
その声に威圧され、ルルシェとカルチェは息を呑む。
「貴族制とやらで身分を作り、生まれながらに将来が決まってしまうような国がどうして他国の民を救えようか。所詮は夢の話ではないか」
「夢ではありません。私達は・・・」
「では、まず、国内の奴隷問題とやらをどうにかしてみろ。全ての平民が正当な報酬を貰い、虐げられるような事がないような環境を作ってみろ」
「・・・それは」
「出来んのだろう? 当たり前だ。どの国であろうと、どの時代であろうと裏で人を奴隷として労働させる。それこそが自然の摂理だ」
「そんな事はありません」
「労働力としての奴隷は権力者にとって不可欠なもの。それは人間であろうと亜人であろうと関係ないのだよ」
「・・・・・・」
どの時代であろうと虐げられるのは弱い民。
罪なくとも、権力者によって使い捨てと言わんばかり酷使されるのが当然である。
労働力はいくらあっても足りないのだ。
それこそ奴隷ならば、金を払う必要もなく、無駄な出費は一切ないのだ。
人件費等で金を取られる程に馬鹿らしい事はない。
それがこの世界では当然の事だった。
「・・・それでは、貴方達は奴隷を黙認していると。そういう訳ですか?」
「我が護りたいのは国の民であり、他国の民ではない。無論、密漁する者は厳しく罰すが、奴隷として扱われている者を救おうとは思わん」
「それでも貴方は王ですか!?」
「我は王だ。王故に、我が護るべきは国民である。そなたらが亜人を救いし事には感謝するが、その恩に報いようとは思わない。そもそもがそなたらの同属が犯した罪なのだから」
激昂するルルシェ。
だが、グラニットはまるで動じずにそう告げた。
「所詮は同属の尻拭い。我はそなたらを憎む事はあっても、感謝する事はない。我が愛する国民を密漁し、奴隷としているのだからな」
「・・・・・・」
事実なだけに言い返せない。
『それならば、貴国だってそうでしょう』
そう言った所で事態が好転する訳ではない。
向こうは既に奴隷を黙認しているのだから。
「しかし、それでは種族間の溝が深まるだけ。そうではありませんか?」
「如何にも。だが、現状、その溝を埋めるだけの何かがある訳ではあるまい。我らとそなたらが協力しようと焼け石に水だ」
「同盟を結び、共に問題に対処すれば出来ない話ではありません」
「では、同盟を結んだ後にそなたらは何をするというのだ?」
グラニットの問いかけに堂々と答えるカルチェ。
「まずは国内の奴隷を解放し、それを互いに自国へ返還させます。奴隷は次々と見つかるでしょう。その度に王家同士で連絡を取り合い、国内へと返還致します」
「奴隷として扱っていた者はどうするのだ?」
「厳しく罰し、爵位、財産を没収します。それを続ければ徐々に奴隷を持つ事に危険性に気付くでしょう」
「そうなれば自ずと亜人の奴隷はいなくなると?」
「はい。その通りです」
カルチェは頷く。
「だが、それで数がなくなる事はありえない。必ず裏で奴隷として扱う者はいる。権力者であればある程にそれらの事を巧妙に隠すからな」
しかし、グラニットの言葉こそが真理だった。
事実、カリスとローゼンは巧妙に隠された真実に辿り着くのに半年も掛けている。
しかも、その全貌が全て明かされた訳ではない。
未だに真実に辿り着けていないのだ。
「そなたらは現実を甘く見過ぎている。そのように都合良く物が運ぶと本気で思っているのか?」
「不可能ではない。そう思い、こうしてここにいます」
力強く言い切るルルシェ。
その瞳を見て、グラニットは笑みを溢すが、眼は笑っていなかった。
「そなたは綺麗過ぎるな」
「え?」
いきなりの言葉に困惑するルルシェ。
だが、それは容姿や人柄という訳ではない。
ただ単純に潔白過ぎると。
更に言えば・・・。
「清濁。その両方を受け止めなければ一国の王として成り立たん。我とて人を奴隷として扱う事に憤りは感じているが、必要悪である事も事実だ。そなたは世間知らずでしかない」
世間知らずの甘い小娘でしかないのだ。
グラニットの視線が彼女を射抜き、ルルシェは身体を震わせた。
「綺麗な所だけを認め、汚い所を否定する。それで成立するのは絶対王政でしかありえない。そなたらは絶対的な君主が政治をしているのかね?」
セイレーン聖教国は聖巫女を頂点に置く政治体系。
だが、貴族という権力を持つ者がいる限り、聖巫女のみだけで政治を決定している訳ではない。
聖巫女が圧倒的な権力を持つ事は事実だが、完全に支配している訳ではないのだ。
「そうでなければ反発する者が生まれる。反発する者が生まれれば団結し、王家を倒そうとする。即ち、そなたらが今抱えている問題、革新軍のようになるのだよ」
「ハインツ王。貴方は知っていたのですか?」
「無論。王たる者は隣国の現状に詳しくなければならない。隣国のみならず全ての国を対象としているが、隣国には一層力を入れている」
「・・・そうですか」
政教分離。
巫女や神官といったプリーストが実権を握るのではなく、貴族こそが実権を握るべきだという者達の集まり。
王家の政策に反発した者達が群れとなり王家を打倒しようとしている。
正にグラニットの言う通りだった。
ま、彼らに限っては政策よりも政治のあり方に反発を抱いているのだが。
「そなた自身が清濁を飲み込む必要はないのかもしれん。周りが補佐し、汚い部分を請け負ってくれればな。だが、あまりにも清らかな事を主張し続ければ必ず破綻する」
聖巫女とて政治を担うものとして清濁を飲み込んでいる。
ルルシェにはまだその覚悟がなかった。
「人の主張とは必ずしも同じという訳ではない。たとえそなたらが正しいと思って行っている事も違う者には間違っていると受け取られる事もある」
「・・・・・・」
「妥協ではない。必要悪と知りながらもそれを受け入れるだけの強き心を持たねばならないという訳だ」
それは王としての助言。
若き指導者を導く年長者からの助言だった。
「だが、そなたらの気概には敬意を表そう。そなたらが保護してくれた獣人達は我が責任を持って保護する」
「・・・ありがとうございます」
力弱く頭を下げるルルシェ。
今の彼女にはこれが精一杯だった。
「同盟や貿易に関しては後日詳しくお話致そう。こちらにも利があるからな」
利をもって動く。
これもまた王の動き方だった。
慈愛や徳も時には必要だろう。
だが、何より利こそが王に求められる事。
利あるからこそ他の者も付いてくる。
「人間、亜人の奴隷問題。それに関しては返答できん」
「・・・分かりました」
頷く事しか出来なかった。
「以上だ」
そう言って退出していくハインツ王。
現在王であるハインツは次期聖巫女というルルシェより身分的には上となる。
だからこそ、ここまで上手に出れた。
「姫様。一度の会談で全てが上手くいく訳がありません。交渉とは地道に行うものなのです」
「・・・そうですね。カルチェ。分かりました」
獣人が退出し、使節団だけが残された部屋で、項垂れるルルシェをカルチェが慰める。
「では、私達も行きましょうか」
ニッコリと笑って歩みだすルルシェ。
そんな彼女の後姿をエルネイシアとカリスは悲しそうに眺めていた。
~SIDE ローゼン~
「清濁を飲み込む心の強さ・・・か」
会談を終えた私達は騎士の一人が手配していた宿へとやって来たわ。
王城で部屋を用意されていたが、戦闘していないといえど他国の王城。
万が一があるかもしれないから、王城には安心して泊まれないわ。
王城で囲まれてしまったら逃げられないものね。
部屋割りはルルシェ様とエルネイシア、私とミスト、カリス様とカルチェ。
後は適当に二人ずつといった所ね。
部屋の番はいつも通り騎士達が交代でやってくれるらしいわ。
「・・・ローゼンさん。御姉様は間違っているのでしょうか?」
御姉様。
ルルシェ様の事ね。
「間違っていないわ。彼女は正しき事をしている」
「・・・なら・・・」
「でも、正しい事が誰にでも正しい訳ではない。そういう事ね」
シビアな考え方。
でも、それが事実。
「私は政治に詳しくないから何とも言えないけれど、善悪のバランス。それの舵取りこそが指導者の役目なんでしょうね」
「・・・善悪のバランス・・・ですか」
「ええ。善き事だけで国は成り立たない。また、悪しき事だけでも国は成り立たない。それら両方を背負い、塩梅良く纏めることが出来る者を理想の指導者と呼ぶのでしょうね」
良い政治、悪い政治というものがあるわ。
良ければ民に慕われ、悪ければ民に嫌われる。
でも、民に慕われる者が理想の指導者という訳ではないの。
時に畏怖され、恐れられようとも、国民を護り続けた指導者もいた。
孤高の王族、でも、理想の指導者。
セイレーン王家は潔白すぎたのかもしれないわね。
「・・・ハインツ王が正しいのでしょうか?」
「いえ。ハインツ王も正しくて間違っているのよ。政治に正しいも間違いもないのかもしれないわ。指導者とて一人の人間だもの。全てを把握しきれないわ」
表では穏健でも、裏では人とは思えないような残酷で醜い事をしている者だっている。
そんな裏の全てを把握することなんて一介の人間では到底不可能。
そんな事は神様にしか出来ないわ。
「・・・それでは、何が正しいのでしょうか?」
「・・・さぁ。それを悟った時に一人前の指導者になれるんじゃないかしら」
そうとしか答えられない。
綺麗な部分も汚い部分も持っているのが人だ。
人間だろうと亜人だろうと変わらない。
誰にだって醜い部分はあるのだ。
それは嫉妬であったり、優越感であったり、誰にだって必ずある。
そうね。
清濁を飲み込まなければならないのは別に政治家だけじゃないわ。
私達だって己という清濁を理解し、受け止めなければ前に進めない。
これが己に克つという事なのかしら?
・・・違うか。
「それでも、カリス様やルルシェ様の行う事は私にとっての理想。何があっても手伝うつもりよ」
「・・・私もです。人間と亜人とが手を取り合う。その理想が実現不可能であると決まった訳じゃないのですから」
ニッコリ。
ミストの笑顔も日に日に魅力的になってきたわね。
将来は色んな意味で魔女になりそうだわ。
コンッコンッ。
突如として響くノックの音。
「ん? 誰かしら」
そうして私は扉を開き、客人を招きいれた。
その人物がとても意外で、私は硬直してしまったの。
~SIDE OUT~
~SIDE エルネイシア~
「・・・・・・」
困りましたね。
ルルシェ様が落ち込んでしまってます。
「ルルシェ様」
「・・・エルネイシア」
「お気持ちをお聞かせ下さい。お一人で溜め込んでも害にしかなりませんよ」
善き指導者でいようというルルシェ様には今日の話は辛かったかもしれません。
悪しき者も必要だという今日の話は。
「・・・私は間違っていたのでしょうか?」
そんな事はありませんよ。
そう内心だけで伝えます。
今はただ無言こそが答え。
「善き指導者になろうと。悪しき者は徹底的に罰しようと。それが理想の指導者なのだろうと私は思いここまで生きてきました」
幼き頃より政治を学んできたルルシェ様。
しかし、ルルシェ様は純粋過ぎます。
政治家とは強かで謀略に富んだ者が殆ど。
純粋過ぎては遅れを取り、挙句の果てに滅ぼされてしまうでしょう。
聖巫女様とて、多くの修羅場を乗り越え、聖母としての慈悲を忘れない非情な指導者へとなれたのです。
純粋過ぎる、民を想い過ぎるルルシェ様は良き国主にはなれますが、指導者にはなれないかもしれませんね。
「ですが、今日の件で私は世間知らずなのだと実感しました。甘さや情けだけでは人は付いてこない。そうですね。貴族全てが私達に賛同してくれている訳でないのですから」
ハインツと同盟を結ぶ。
その政策に反発したのは少数ではありません。
むしろ、首脳陣や国の中心に近い者達は殆どが反対していました。
私達はそんな彼らを根気良く説得し、渋々了承させたのです。
ですが、了承したといっても心の奥では未だに反対している筈。
強硬な政策が、より求心力を低めるなどという事態に陥らなければ良いのですが・・・。
「亜人の奴隷は気にするくせに人間の奴隷は認めていた。国民こそ、私にとっては人間こそ絶対に守護しなければならない存在なのに」
道理でした。
亜人の奴隷に対しては一部隊に騎士団並みの権限を与えて対処しているのに、人間の奴隷に関しては一瞥もせず。
ハインツ王が獣人を何より大切にしているのに、私達は亜人との友好に執着し、最も大切にしなければならない国民の事を忘れていました。
ハインツ王が私達を否定したのも頷けます。
「貴族と平民との身分差。それが争いを産むのなら・・・」
「ルルシェ様?」
「エルネイシア。貴方の考えを聞かせて」
と、突然ですね
「分かりました。まずはルルシェ様のお話を御聞かせてください」
「ええ」
と、ルルシェ様は頷きます。
「貴族制を廃止して、全ての国民に教育を施し、国民の中から政治家、役人を選出する。・・・どうかしら?」
「・・・・・・」
斬新です。
そうなればルルシェ様の望む争いは起きないかもしれません。
ですが・・・。
「ですが、不可能です」
「そうですよね。分かっていました」
そうなれば確実に貴族達は反乱を起こすでしょう。
今までの権力全てを失うのですから。
「新しく立ち上がった国や滅ぼされた国が再建された国などでは可能でしょう。反発する者はいませんから」
「そうですか。この案は頭の隅に置いておきましょう」
良い案でした。
ですが、貴族としての自我が強過ぎる現状では到底不可能です。
「清濁を飲み込む心の強さ。私も強くなれるのでしょうか?」
「強くなれます。ですが、強くなる必要はないかもしれません」
「それは他の者に汚い所を任せてしまうという事ですか?」
「そうですね」
「それは許されません。私はいずれ聖巫女になる者。他者に汚い所を任せるのではなく、全てを私が背負わなければ」
・・・責任感が強すぎるのも問題ですね。
ルルシェ様には補佐役が必要です。
止める者がいなければ、己で全て解決しようとしてしまうでしょうから。
「ルルシェ様。一人で背負う事に何の意味がありますか。国を一人で背負う事は出来ません。何の為の臣下ですか? 何の為の従者ですか? 貴方は周りにも眼を向けるべきです」
「独りよがりでしたか?」
「ええ。貴方は本当にカリス君に似ています」
「私が・・・カリス様と?」
「そうです。貴方もカリス君も全て一人で背負い込もうとしてします。一人で解決できないと自覚していても、それでもなお一人で解決しようと足掻いてしまいます」
「・・・耳が痛いですね」
「頼られる事こそ臣下の名誉。私は頼りになりませんか?」
「そんな事はありません」
「では、頼ってください。貴方様には私だけでなく、母上様、ランパルド様、レイリー様など頼れる方はとても多い。頼るは恥だとお思いですか?」
「いえ。遠慮なく頼ります。私の良き相談役となってください。エルネイシア」
「もちろんです」
それがエルネイシア・マゼルカ。
王家に忠誠を誓いし聖騎士筆頭の本分ですから。
コンッコンッ。
ん?
誰でしょう?
「ルルシェ様。よろしいですか?」
「ええ。御願いします」
ルルシェ様の許可も得ましたので、私は扉を開けました。
・・・そこには予想外の人物がいて、私は警戒態勢にならずにはいられなかったのです。
~SIDE OUT~
「私の名はカーツォル・マグンド。ハインツ獣国軍の総司令官を務めている者です」
宿屋の前にある高級なテラス。
そこにかリス達はいた。
眼の前には重厚な鎧を身にまとう大柄な男性。
彼こそがハインツ軍の総司令官であり、グラニットに次ぐ実力者であるカーツォル・マグンド、その人であった。
「ここに貴方達がいると聞きましてね。こうして参った所存です」
「軍の総司令である貴方が私達に何の用でしょう?」
警戒しながら問うエルネイシア。
他国の軍のトップが出向いてくる。
これは警戒せずに何を警戒しようか。
「そう警戒しないでください。私は軍の総司令官という役職で来たのではなく、一介の獣人としてここにやって来たのです」
座っていたカーツォルが立ち上がる。
その事に更なる警戒を浮かべるカリス達だったが、それは杞憂に終わる。
カーツォルはそのまま頭を下げたのだ。
「我らが同胞を救出してくださり感謝の言葉もありません」
「え?」
そんなカーツォルにカリス達は困惑するのだった。
「国王とて心では貴方達を賞賛しているのです。ですが、己の立場からそれを表には出せない。そこで私が代理でここまでやって来ました」
「代理・・・ですか?」
「はい。国王様の言葉をそのままお伝え致します」
カーツォルが真剣な表情となった。
「『同胞を救いし事、感謝致す。亜人と人間との奴隷問題をどうにかしたいと願う気持ちは我も同じ。同盟を結びし暁には我も全力で問題解決に力を注ごう』」
「そ、それでは・・・」
「ええ。国王様も貴方達の理想に共感しております」
笑顔を浮かべるカーツォル。
「奴隷が必要悪である事は変わりません。ですが、被害を失くしたいと思うのは当然の事です。苦しむのは互いの国民ですからね」
「はい。ありがとうございます」
歓喜の色を浮かべるルルシェ。
「人種の壁を越えて歩み寄ろうという貴方達の姿勢。私を含め、多くの者が賛同しております。少しずつかもしれませんが、友好関係が築けていけばと思います」
「ありがとうございます。私達も貴方達と友好関係を結びたい。その為には努力を怠りません」
「心強いお言葉です。そして、もう一つ」
カーツォルが告げる。
「私達が保護した人間。彼らも貴方達に返還するつもりです。その環境作りの方を御願いできますか?」
「保護した人間? ハインツでも保護して下さっているのですか?」
「はい。国王たっての希望でしてね。これ以上禍根の原因を作りたくないと」
歩み寄ろうというセイレーン。
遠ざからないようというハインツ。
方法は違えど思う気持ちは同じだったのかもしれない。
「ありがとうございます。早速、国に帰り、準備を進めたいと思います」
満面の笑みを浮かべるルルシェ。
挫折しかけた夢の実現への道が拓けたのだ。
その喜びは大きかった。
「ここまでが国間のお話。これからは個人的な話になります」
「個人的な話・・・ですか? 何でしょう?」
「貴方達が保護した全ての獣人。それをこちらに返還してくださるのですよね?」
何故か今まで以上に真剣なカーツォルにルルシェは困惑しながら答える。
「全てかは分かりません。希望者を募り、帰国したい者にその権利を与えようと考えています」
「全てではないと?」
「ええ。彼らがセイレーンにいたいというのなら、それを叶えるのも私達の役目」
言い切るルルシェ。
だが、カーツォルの表情はより一層真剣味が増していた。
むしろ、どこか睨んでいるようにも見える。
「希望者では人間に弱味を握られている獣人が帰国できないかもしれませんよ」
「弱味・・・ですか?」
「はい。どうしても帰りたいのに妨害があって帰れない。そんな者も中にはいる筈です。そんな者を帰国させる為にも全てを帰国させた方が良いと思うのです」
一理あった。
一理あったが、どこか釈然としない。
「ですが、街に残りたいと思う者も少なからずいると思います。そんな方々を無理矢理引き離すような事は・・・」
「それは私達との契約を反故にするという事ですか?」
「な、何故、そうなるのですか!?」
「そう思われても仕方がないという事です。全ての獣人を帰す事で何か拙い事でもあるのか? そう疑われてもおかしくないありません」
「そんなの言い掛かりではないですか」
「言い掛かりではありません。保護した亜人を帰すというのなら、全てを帰すべきなのです。本人の自由意志に任せるのは・・・」
「しばしお待ちを」
カーツォルの発言をローゼンが遮る。
「何を考えているの? カーツォル」
「いや。何をと言われても。私は間違った事を言っていない」
「これは貴方の言葉で国王の言葉じゃない。そうよね?」
「何を言っているのかな?」
突如始まる会話。
まるで知り合いのかのように話す二人に一同は困惑した。
「貴方の目的は何? 何の狙いがあって独断でこんな事をしているの?」
「独断とは失礼な。私は私なりにきちんと考えてだね」
「彼らには彼らの生活がある。ハインツ国に帰る事が必ずしも幸せという訳ではないわ」
「それもお前には分からないだろう? お前こそ勝手な判断で物事を話しているに過ぎない」
「そうね。でも、貴方の言うハインツに帰る事こそが幸せという訳でもないわ」
「私はそのような事を言った覚えはないが?」
「顔に書いてあるわよ」
ローゼンらしくない。
そうカリスとミストは思った。
いつでも飄々として感情を爆発させるような事はしない。
それが彼らの知るローゼンだった。
だが、今のローゼンは落ち着きのない子供のようだった。
「ローゼン。落ち着け」
「・・・はい。申し訳ありません」
今にも掴みかかろうとするローゼンにカリスが声をかける。
ローゼンはカリスの言葉で落ち着きを取り戻し、後ろに下がった。
「ローゼン? 私のローゼンを呼び捨てに・・・」
一人呟くカーツォル。
その呟きを聞いたルルシェがローゼンに問いかけた。
「ローゼン。貴方と彼の関係は何なのです?」
「いえ。ただの知人です」
「違うであろう。婚約者だ」
さりげなく告げるカーツォル。
それが彼らに衝撃を与えた。
「こ、婚約者!?」
「ローゼンと貴方がですか?」
「如何にも」
問いかけるエルネイシアに胸を張って答えるカーツォル。
「・・・ローゼンさん」
ミストが見詰める先にはカリスの視線を気にして身を縮めるローゼンの姿があった。
~SIDE ローゼン~
「違うであろう。婚約者だ」
あぁ。
知られてしまった。
・・・カリス様は私を軽蔑するだろうか?
婚約者を持ちながらも自国を顧みない私を。
でも、私はこの婚約を認めた訳ではない。
・・・そう言っても駄目よね。
信じてくれる訳がないわ。
裏切ったって。
そう思われるのかしら。
「・・・そうなのか? ローゼン」
問いかけてくるカリス様。
私にはその問いに対する答えを持っていなかった。
「・・・・・・」
「・・・そうか。今まで良く俺に仕えてくれた」
え?
「お前はもう国に帰り、幸せになれ」
そ、そんな。
カリス様?
「カーツォル・マグンド殿」
「はい。何でしょうか?」
「ローゼンは私の部下として良く働いてくれました。私の大事な友人です。大切にしてあげてください」
「無論です。私にお任せを」
な、何でですか?
カリス様。
ずっと、ずっと傍にいろって言ってくれたじゃないですか。
命ある限り俺に仕えろって。
そう言ってくれたじゃないですか。
それを・・・何で?
「カ、カリス様!」
「どうやら俺はお前を束縛してしまったようだな。婚約者がいるお前を平然と連れ回した俺を許してくれ」
そうじゃありません!
そんな事を言って欲しい訳じゃありません!
どうして!
どうして付いて来いって言ってくれないのですか!?
「ふむ。よくよく考えると全員を連れて来られても私達に彼らを養えるだけの環境はありません。やはり希望者を少しずつという形で御願いします」
そう。
貴方の目的は私だったのね?
いえ。
正しく言えば、銀狼としての私。
銀狼であれば誰でもいいのでしょう!?
貴方の元々の許婚は私の姉さんだったんだから。
「・・・ローゼンさん」
「ミスト。ローゼンにはローゼンの生き方があるんだ。俺達にローゼンを束縛していい理由はない」
「・・・カリスさん」
待って。
ミスト。
待って。
どうしてミストまでそんな。
「私の用事は以上です。では、失礼しますね。行くぞ。ローゼン」
立ち上がるカーツォル。
私の手を引っ張って、城へ向かおうとしている。
嫌。
そんなの嫌。
私は貴方の傍になんていたくない。
私の居場所はカリス様の・・・。
「付いて来い。お前が拒めばハインツとセイレーンの同盟は破棄される」
「なッ!?」
ど、どうしてよ。
「お前がハインツを選ばねば、セイレーンがお前の弱味を握っているとし、俺が全力で同盟を潰してやる」
「あ、貴方にそんな権限が」
「あるんだよ。その為の総司令官だ。それに王とて銀狼であるお前が配下に来る事は喜んでくれるだろう。俺がお前の婚約者であると知った王はそれはもう喜んでくれた」
・・・先手を打ったのね。
「お前に拒否権などないのだよ。ここでお前が拒否すれば・・・どうなるか分かるな?」
自国より他国を優先したと王は思う。
それが良い気分な訳がない。
私が銀狼である事がそれを更に増長させる。
幻獣種を配下に置きたいと王とて思っているだろうから。
「お前が他国を優先した。そう思ってくれるだけなら良いだろうな。セイレーンがお前の弱味につけこんだと判断すれば、幻獣種を国の宝としている王は激怒するだろうな」
王が激怒!?
そんな事になったら・・・。
「王が激怒したらセイレーンとハインツの間で戦争・・・なんて事になるかもしれないな。ま、俺には関係のない事だけどよ。ハッハッハ」
・・・カリス様を始めとする多くの者が望む亜人と人間との共存。
その為に必要なこの同盟。
それを私の存在が邪魔してしまう?
・・・そんな事できない。
出来る訳がない。
私がカリス様の邪魔なんて・・・。
『人間と亜人とが手を取り合ってくれたらいいな』
そう告げた時のカリス様の笑顔。
私にはその笑顔を壊す事なんて出来ない。
私の大事な、大事な人の夢を壊すなんて事できる訳がない。
・・・申し訳ありません。
カリス様。
私は・・・。
もう・・・。
貴方様に仕える事はできないようです。
~SIDE OUT~