プロローグ 戻ってきた息子
『遥か昔、この世界には二体の全てを超越した生物が存在した。
創造の超越者、名を聖龍という。
彼の者の息吹が全てを創造し、生命を生み出した。
破壊の超越者、名を邪龍という。
彼の者の息吹は全てを破壊し、混沌を生み出した。
そんな二体の超越者。
彼の者達が争うのは必然であった。
全てを創り出し者と全てを破壊し者。
彼の者達の争いは熾烈を極めた。
何十年、何百年、何千年、悠久の時を経てもなお終わりを告げる事はなかった。
聖龍によって創り出された数多の大陸が邪龍によって次々と破壊され、広大な土地を有する大陸が一つ残された時、彼の者達の争いは形を変えた。
彼の者達は自らが争う事を止め、自らの配下となる生物を創り出し、それらを争わせる事にした。
聖龍は、知恵を持ち、生み出す力を持った人間という生物を。
邪龍は、頑強な身体を持ち、無に帰す力を持った人とはまた違った形を持つ亜人という生物を。
聖竜、邪竜の争いを受け継ぐように、人間と亜人は争いを始めた。
始めは生み出す知恵も力も持ち合わせていなかった人間が劣勢であった。
だが、時が進むにつれ、人間は何かを創り出すという事を覚えていった。
それが傷を癒す力であり、素手では決して敵わない相手に用いる武器であった。
更に、破壊する為に邪龍が亜人達に授けた魔術すらもその持ち前の知恵で習得してしまった。
こうして、知恵を使い始めた人間は徐々に戦況を覆していく。
だが、亜人とて知恵が無い訳ではない。
人間の創り出した武器の有効性を認め、亜人達も人間を真似て武器を生産していった。
未知への探求を忘れない人間と破壊への探求を忘れない亜人。
進化し続ける人間と亜人の間には既に優劣はなかった。
そして、争いを続けていく内に、人間と亜人は進化を重ねていき、聖龍、邪龍ですら驚愕させた。
そして、それと同時に、彼の者達は気付かされた。
創造と破壊は紙一重であると。
その事実を知り、彼の者達は悠久の時で互いに忘れていた事を思い出した。
それは自分達が元々一つの存在であったという事。
そう、聖龍と邪龍は表裏一体の存在であり、生物の持つ善と悪の観点から分かれた存在なのだ。
その事を互いが同時に自覚し、彼の者達は元の姿に戻る事にした。
そして、その姿こそが全てを創り破壊する全知全能な存在、神龍であった。
一つの存在となった神龍はそれからも人間と亜人の争いを眺めていた。
どちらかの創造者という立場ではなく、生物の可能性を見出した神として。
そして、神である神龍が見守る中、人間と亜人はそれぞれ国家を作り上げていった。
剣聖アゼルナートが建国したアゼルナート皇国。
聖母セイレーンが建国したセイレーン聖教国。
騎帝カーマインが建国したカーマイン帝国。
武神シュバルドが建国したシュバルド王国。
賢者メディウスが建国したメディウス魔国。
獣王ハインツが建国したハインツ獣国。
翼天カミナが建国したカミナ空国。
獄鬼バレントが建国したバレント襲国。
争いを繰り返しながらも、それぞれが平和な国を創りあげようと日々尽力していた。
神龍はそんな自分が創りあげた者達を眺め、自分という存在を必要としない時代がやって来たのだと悟った。
そして、各国に神具を贈り、大陸の中心に宮殿を創りあげ、その身を宝玉として封じ込めた。
突如として現れた神具、瞬く間に創りあげられた宮殿、飛来してくる宝玉を見た人、亜人は次々と悟る。
あれこそが我らを創りし神の化身であると。
それから、どの国でもこの宮殿は絶対的に守護するものと定められた。
そして、人間、亜人、関わらず全ての生物が神龍を崇めていったのだった。』
ファレストロード教 聖典より抜粋
穏やかな時間が流れるある日の事だった。
突如飛来した極小規模の隕石が、神龍の宝玉を守護する為に立てられた宮殿を直撃する。
その結果、宮殿は壊滅し、祭られていた宝玉は何かに導かれるように飛び立っていった。
その光景を見ていた者達は、まるで星が流れていくようだったと語る。
宮殿が壊滅し、宝玉が飛び去ったこの日。
大陸中を動乱に導く運命の歯車が回り始めたのかもしれない。
とある国の辺境の地にて、家族と思わしき面々が対面していた。
「・・・行くのか?」
「はい、兄上」
「・・・そうか」
兄と呼ばれた長身の青年。
「兄さん、帰ってくるんだよね?」
「ああ。どれくらいかかるかは分からんが、自分に納得が出来たら帰ってくるつもりだ」
「無理しないでよ。絶対に」
「分かっている。お前も身体には気を付けろよ」
兄と呼ぶ小柄な少女。
「・・・・・・」
「母上。申し訳ありません」
「いいのよ。貴方にも貴方なりの考えがあるんでしょう?」
「・・・はい」
「それなら、自分の足で答えを見つけてきなさい」
母と呼ばれた柔らかな母性を感じさせる女性。
「一度すると決めたのなら、最後まで貫き通せ。納得が出来るまで帰ってくる事は許さん」
「承知しました、父上。必ずや答えを見つけてから帰ってきます」
父と呼ばれた大柄な男性。
「身体には気を付けるのよ・・・カリス」
「はい。母上。それでは・・・」
そして、背後から呟きを向けられたのは・・・力強い光を放つ瞳を持ったカリスと呼ばれる少年。
家族達が見守る中、少年はゆっくりと前へと進みだした。
家族達の少年を見詰める瞳には複雑な感情が込められているようだった。
少年、カリスが家族達のもとを去ってから、五年もの月日が経った。
「・・・懐かしき・・・我が故郷・・・か」
太陽に照らされる青紫の髪が風に靡き、一点に注がれる彼の瞳は海の底を表すかのような深い蒼。
そこには、以前のような少年の面影は影を潜め、立派な青年となったカリスの姿があった。
「カリスさん。あれがカリスさんの家が治める領地ですか?」
「ん? ああ。そうだぞ。ロラハム」
そんなカリスの後ろには、まだまだ立派な青年とは言えない幼さを残した少年ロラハム・マルクストがいる。
綺麗な茶髪と整った顔立ちで、幼いながらも瞳からは強い意思が感じられた。
「久しぶりの故郷はどうですか? カリスさん」
「そうだな。懐かしい匂いがする・・・とでも言えばいいのか・・・」
「懐かしい匂い・・・ですか。ハハハ。なるほど」
「笑うなよ。ロラハム」
カリスの言葉に苦笑染みた表情で応えるロラハム。
そんなロラハムにカリスも苦笑で応えた。
「お前にな・・・この風景を見せてやりたかったんだ」
そう言うとカリスは、大人しく自分の前に座り、小さな背中を預けてくる少女の頭を帽子越しにゆっくりと撫でる。
「ミスト」
「・・・はい」
頬を少し緩ませ、呟くように答える少女ミスト・キルレイクをカリスは笑顔で見詰める。
カリスの胸ほどしかない身長で、帽子の脇からは優しさを感じさせる眩い蒼銀の髪の毛がそっと風に靡いていた。
そんな髪と帽子の影には、人間にしては大きく尖った耳が隠れるように存在している。
そして、首元には、綺麗な指輪が首飾りとして付けられていた。
「もちろん。お前にもだぞ。ルル」
「クゥ~ン」
名を呼ばれ、首元をそっと撫でられる大きな竜。
その感触が気持ちいいのか、嬉しそうに声をあげる。
「ホント、ルルはカリスさんが大好きみたいですね」
「・・・ルルは甘えん坊です」
ルルと呼ばれる竜を微笑みながら撫で続けるカリスの姿を、二人は程度の違いはあるもののお互いに微笑を浮かべて眺める。
「カリスさん。ローゼンさんはどうするんですか?」
「・・・きっと待ってます」
ロラハムとミストがカリスに問いかける。
「ああ。亜人と共にいきなり訊ねたら領民達も驚いてしまうだろう? 俺としてもすぐにでも連れて行きたいんだがな。物事には順序ってものがある」
「・・・そうですね。僕達はカリスさんの影響であまり気にしないんですけどね」
「・・・私は大丈夫なんですか?」
ミストが少し困惑した様子でカリスを見詰める。
「あまり良い事ではないんだが、ミストなら帽子さえ被れば誤魔化せるからな。もちろん、お前が亜人だという事を隠すつもりはない。きちんと説得するさ」
「・・・分かりました。信じます」
ミストは耳が長い事を考えれば、ただの人間とまるで変わらない。
だが、ミストにはミストなりの秘密があるのだ。
「悲しい事ですよね。人間と亜人の間にはなくてもいい壁があります。多分、それを拭い去るのには切欠と長い年月が必要になるんでしょうね」
「そうだな。・・・いつか人間と亜人が共に笑いあう世の中になればいいんだがな」
「・・・カリスさん。・・・優しい」
ミストは小さな微笑みをカリスに向ける。
「そうですね。僕は加わるのは遅かったですが、カリスさんと一緒に亜人も人間も関係なく旅をしてきましたから。少なくとも僕達の間に種族の壁なんてありません」
「ああ。人は自分とは違う生き物に怯えてしまうものだ。だが、どちらにも意思を疎通させるために言葉というものがあるんだ。互いに歩み寄ろうという意思があれば通じ合える」
「素晴らしい考えですね。互いに心寄せ合えば、分かり合えない事はない。そんな考えを持つカリスさんだからこそ、ルルも慕っているんでしょうね」
「クン。クク~ン」
頬を緩ませ、嬉しそうな声を挙げるルルにカリスの微笑みも深まる。
人間と亜人という種族間の問題を憂いながらも、分かり合えない事はないと語り合う三人。
確かに、今の彼らの間には、種族の違いによる偏見なんて存在していなかった。
「・・・カリス様。お帰りなさいませ」
領地の門の前でルルから降り、ゆっくりとした足取りで領地を歩いていくカリス。
そんなカリスに領民達は暖かい言葉を掛けていく。
領民達から慕われているカリスに、ロラハムもミストも嬉しそうに微笑んでいる。
そして、しばらく領地を徘徊した後、カリスは久しぶりの実家へと赴いた。
実家の門を潜ると、そこには懐かしき姿があり、自分に気が付いたのか、颯爽と近付いて来る。
「・・・オハランか。久しぶりだな。元気でやっていたか?」
オハラン・ロンド。
カリスの祖父の時代からアナスハイム家に仕える古株であり、同時にアナスハイム家に仕える騎士の筆頭格である。
幼少時、彼によってアナスハイム家の子供達は教育されたと言っても過言ではない。
「もちろんでございます。使用人一同、カリス様のお帰りをお待ちしていました」
「そうか。・・・父上や母上はいらっしゃるか?」
「はい。屋敷の方にいらっしゃるかと・・・」
「分かった。最近のここの様子は?」
「最近は争いも起こる事無く、平穏な時が続いております。領民も笑顔に溢れていますので、旦那様も御満足です」
「それは良かった。民にとって、平穏は何よりも大事なものだからな」
オハランの言葉に、カリスは嬉しそうに笑う。
やはり、自分の親族が治める領地が平穏なのは喜ばしい事なのだろう。
「オハラン。父上と母上に俺の仲間を紹介したい。お前にも紹介したいから付いて来てくれ」
「畏まりました、カリス様」
先程までの二人に加えて、オハランを連れ、カリスは屋敷へと向かう。
そんなカリスの後姿を眺め、オハランは見た目からも分かる程成長したカリスの姿に満面の笑みを浮かべるのだった。
~SIDE ロラハム~
「ただいま戻りました。母上。父上」
今、僕の眼の前でカリスさんとカリスさんの御両親が対面しています。
僕が聞いた所、カリスさんにとっては五年ぶりの再会になるらしいです。
「久しぶりだな。カリス」
「無事で良かったわ。カリス」
カリスさんの父、ジャルストさんが笑みを浮かべてカリスさんを迎え入れ、感極まった様子のカリスさんの母、マズリアさんがカリスさんを抱き締めています。
以前、カリスさんが話されたように厳格ながらも暖かさを感じる父親さんと包み込むような優しさに満ちた母親さんです。
「父上。母上。御二人に紹介いたします」
カリスさんが僕とミストさんに視線を向けながら告げます。
カリスさんに釣られる様に、ジャルストさんとマズリアさんの視線も僕達に向けられます。
・・・何だか緊張しますね・・・。
え~と、ミストは今どんな感じでしょうか・・・?
ミストは・・・カリスさんの後ろに隠れていますね。
普段あまり表情が変わらないミスト。
偶にですが、僕にも分かる程度には表情を見せます。
ですが、カリスさんのように、些細な違いにまで気付きません。
カリスさん曰く、『表現方法が分からないのかもな。だが、感情がないわけじゃないんだ。良く見ればどんな時でも表情を変えているぞ』だそうです。
・・・僕には分かりそうにありませんね。
少しの動作や仕草で分かってくれるカリスさんはミストにとって心地よい人物なのかもしれません。
慕われているのも判る気がします。
ですが、今のミストは僕だって分かるほどしっかりとした表情が浮かんでいます。
その表情は・・・恐怖。
強張った表情で窺うようにカリスさんとカリスさんの御両親を見ています。
ミストには複雑な事情があると聞きました。
きっと、それが原因なんでしょうね・・・。
悲しい事に、これも種族間の確執が原因ならしいです。
詳しい事は分かりませんが・・・。
「こいつはロラハム・マルクスト」
あ、どうやら僕が紹介されたみたいです。
「御初に御目にかかります。僕はロラハム・マルクストと申します。カリスさんには槍を師事して頂いています」
僕の次はミストの番なんですが・・・隠れていて出てきそうにありません。
カリスさんの服の裾を握って、黙って俯いています。
「彼女はミスト・キルレイク。少々事情がありまして」
申し訳なさそうな表情を浮かべつつ、労わる様にミストの頭を撫でるカリスさん。
少し落ち着いたからか、ミストはカリスさんを上目遣いで見詰めています。
・・・あれはカリスさんの数少ない弱点の一つです。
あの状態でのお願いはカリスさんは絶対に断りません。
いえ、断れません。
あの瞳に見詰められたら誰でも断れないだろうってミストを知っている誰もが言っていました。
それぐらいの威力があるみたいです。
「・・・お世話になるから挨拶します」
「そうか。なら、頑張れ」
「・・・手を繋いでいて下さい」
「分かった」
ミストがスッとカリスさんの隣に出てきます。
その手はカリスさんの手をしっかりと握っていますが、どことなく震えているようにも感じます。
「・・・ミストです。・・・これからお世話になります」
小さな声ですが、しっかりと頭を下げて挨拶をしました。
ミストはすぐにカリスさんに振り返って、視線で問いかけます。
「ああ。偉いぞ。ミスト」
そんなミストにカリスさんは満面の笑みで応えます。
ミストはそんなカリスさんの表情を見て、安堵と嬉しさを合わせた様な表情を浮かべます。
小さな感情表現ですが、それでも充分すぎるほど伝わってくる表情でした。
「カリス。・・・この子は?」
マズリアさんが困惑した様子で問いかけます。
「事情があって、俺が引き取りました。極度の人見知りなので、理解していただければ幸いです」
「そう。分かったわ」
マズリアさんが暖かい笑みを浮かべてミストさんを見ます。
「カリス。今までのお前の旅。聞かせてくれるんだろうな」
ジャルストさんが突然話しかけてきます。
きっと、重い空気をどうにかしてくれようとしたんですね。
「もちろんです。ですが、その前にお願いがございます」
「何だ? 言ってみろ」
「手紙にも書きましたが、俺の仲間達に部屋を与えていただきたいんです」
ここに来る前にカリスさんは手紙をしたためていました。
それの内容がこれだったんですね。
ですが、自分に部屋ですか・・・何だか申し訳ないですね。
「ああ。問題ない。二部屋でいいのか?」
「いえ。もう一部屋お願いできますか?」
「三部屋か・・・。マズリア」
「ええ。大丈夫よ」
「そうか。カリス。部屋の方は確保できるようだ」
「ありがとうございます」
カリスさんが僕達の為に頭を下げてくれています。
カリスさんだけなら、何の問題もないはずですから。
僕もミストも頭を下げます。
これからお世話になるのですから、当然ですよね。
「だが、その部屋は何に使うんだ? 他に仲間がいるのか?」
・・・来ました。
カリスさんはなんて答えるんでしょうか?
説得に失敗すれば、ローゼンさんには不自由な暮らしをさせてしまいます。
カリスさんは絶対にそんな事はさせないと語っていました。
僕もそう思います。
人間と違う種族の亜人だからといって、不自由な暮らしを当然のようにさせてはいけません。
ここはカリスさんにどうしても説得を成功してもらうしかありません。
「父上。父上や母上はもちろんの事、オハランや領民にも納得してもらわなければならない事があります」
「突然だな。どういう意味だ?」
ジャルストさんがカリスさんに訝しげな表情を向けています。
「俺の仲間。もう一人は亜人です」
「ッ!」
「えっ?」
「・・・・・・」
ジャルストさん、マズリアさん、オハランさん。
それぞれの息を呑む音が聞こえます。
やはり、突然こう言われてしまったら、混乱しますよね。
人間と亜人には大きな隔たりがあります。
カリスさんのように全てを受け入れる方がおかしいのかも知れません。
僕だって始めは怖かったですし、慣れるのにも相当な時間がかかりました。
・・・・・・。
静寂な時間が過ぎていきます。
誰も話そうとしません。
「確かに人間と亜人の間には確執があります。ですが、分かり合えない事はないとこの旅で悟りました。俺にとって亜人であっても大事な仲間なんです」
「・・・・・・」
「・・・それに、亜人の事を人間は誤解していると思います。ここにいるミスト。彼女も亜人です」
「亜人・・・だと!?」
「彼女が!?」
「はい。ミスト」
ジャルストさん、マズリアさんが驚いている中、カリスさんがミストを呼ぶと、ミストはカリスさんの前に来て、自ら帽子を取ります。
そして、帽子を取ると髪の毛が流れ出て、その間から長い耳が主張するように出てきます。
この耳こそが、ミストさんが亜人、森人であるという証拠です。
分かりやすく言うならば、エルフですね。
「エルフや亜人は絶対的な恐怖の対象。それが我々人間の考えです。ですが、そんなものは偏見だと俺は断言できます」
カリスさんが力強く言い切ります。
「人間と亜人の間に変な確執があるからこそ、互いに嫌悪し、争うんです。俺はそんな蟠りを失くしたいと考えています」
真剣な表情で見詰めあうカリスさんとジャルストさん。
睨むかのような視線のジャルストさんにカリスさんは全く怯む事無く視線を返しています。
精悍な顔つきで鋭い眼光を放つジャルストさんを正面から眼を離す事無く見詰められるなんて・・・。
僕だったら、すぐにでも眼を逸らしてしまいそうです。
「・・・いいだろう。お前の仲間であるというのならば、危害を与えないものであると信じよう」
「ありがとうございます」
「ただし! お前が領民達を納得させろ。それが条件だ。いいな?」
「分かりました。必ずや説得してみせます」
・・・良かったです。
ジャルストさんが認めてくれました。
マズリアさんもオハランさんもカリスさんを見て微笑んでいるんですから、きっと認めてくれたんですよね。
後はカリスさんが領民の皆さんも説得するだけ。
あ、もちろん、僕も手伝いますからね。
「旅の話は後でいいから、まずは領民の説得に行きなさい。お仲間さんを放っておくのは心苦しいでしょう?」
「ありがとうございます。母上」
マズリアさん、なんて良い人なんでしょう。
カリスさんが他人への気遣いを忘れない優しい性格な理由が分かった気がします。
「カリス様。根気強く説得すれば領民の方達も分かってくれる筈です」
「ああ。オハラン。分かっている」
オハランさんの言葉に、カリスさんが力強く頷きます。
カリスさんならきっと成功する筈です。
「それでは、父上、母上、失礼します」
一礼すると、カリスさんが屋敷から出て行きます。
僕とミスト、それにオハランさんもカリスさんを追って、屋敷から出ます。
きっと説得は大変な作業だと思いますが、仲間であるローゼンさんの為に頑張ろうと思います。
だって、何よりもカリスさんがそれを熱望しているんですから。
弟子である僕が頑張らずして誰が頑張るのかというものです。
「・・・不思議な光景ですね」
眼の前で、カリスさんが領民の皆さんに頭を下げています。
一人一人家を回っては根気強く説得を続けるカリスさん。
平民出身の僕としては、カリスさんの姿に違和感を覚えずには居られません。
「知っているかい? ミスト」
「・・・?」
ミストに問いかけたら首を傾げられました。
まぁ、質問の内容を言っていないのですから、当たり前ですよね。
「貴族っていうのはね。領民達に傲慢で勝手な人達ばっかりなんだよ」
「・・・カリスさんも貴族ですか?」
「そうなるね」
「・・・カリスさんはそんな人じゃありません」
ハハハ、カリスさん、愛されてますね。
「そうだね。だから、カリスさんはきっと本当の意味での貴族なんだろうね。普通の貴族は領民に命令こそするけど、お願いなんて絶対にしないんだから」
「・・・?」
ミストに首を傾げられてしまった。
まぁ、今まで森の奥底で住んでいたミストが貴族と平民の間にある亜人と人間のような確執を知っている訳ありませんからね。
少し難しい話でしたか・・・。
「僕は貧しい平民の生まれだったからね。貴族の事は嫌いなんだ」
領民、即ち、平民にとって貴族というのは絶対なんです。
貴族の命令には拒否できませんし、どんな理不尽な事でも耐えなければなりません。
だから、平民にとって貴族は嫌悪の対象なんです。
特に僕のような貧乏と特殊な生い立ちの者からは。
「・・・ロラハムさんはカリスさんの事嫌いなんですか?」
ミストが悲しそうな表情で僕を見詰めてきます。
あ、大事な事を言ってませんでしたね。
「そんな事ないよ。カリスさんは僕が尊敬する人だからね。だから、貴族が皆カリスさんみたいな人だったら良いなって思っただけだよ」
きっと、カリスさんのような人種、階級、生まれに拘らない人が貴族として民を導いてくれれば・・・。
「・・・皆が笑顔で幸せに暮らせる」
「ハハハ。ミストも同じ事を考えていたみたいだね」
平民や貴族の間に壁なんてなく、対等な関係。
領民が居るから領主がいて、領主が居るから領民が居るって関係。
それに、亜人であったって、人間であったって、互いに嫌悪を示す事無く、平和に暮らせる。
僕はそれが何より素晴らしい世界だって思います。
貴族だからって、平民を疎かにし、自分が神であるかの様に扱う人間が領民を幸せに出来る訳ありませんから。
「さて、次に行こうか」
説得を終えたのか、カリスさんが僕達の所へやってきます。
「お疲れ様です。カリスさん。あの・・・聞きたいことがあるんですけど」
「ん? 何だ?」
「カリスさんの家って伯爵家でしたよね」
カリスさんの実家であるアナスハイム家は伯爵家だって聞かされていました。
伯爵といえば、凄くという程ではないですが、貴族の中でも上流に入る家系です。
それだけ大きな権力を持っている貴族なんですから、もっと偉そうなんだと思っていました。
実際、何となくですが権力が大きければ大きいほど、貴族も傲慢になっていくように感じましたから。
それなのに、伯爵家って言う上流階級が平民と自然に接しているなんて、まるで・・・。
「ああ。そうだが・・・。何だ。貴族らしくないって思ったか?」
「・・・・・・」
・・・図星を当てられるって結構気まずいですよね。
黙り込むしか選択肢がありません。
「ハハハ。まぁ、お前の言いたい事は分からないでもない」
カリスさんが苦笑を僕に向けてきます。
「確かに俺は、いや、そもそもアナスハイム家自体がか。貴族らしくないよな。俺もそう思う」
「はい。貴族が態々領民を説得しにいくなんて。領主が一言言えば全て丸く収まるんじゃないですか?」
「確かにそうだな。だが、そんな解決法は良くないだろう」
そう断言するから貴族らしくないって思えてしまうんですけどね。
「アナスハイム家にとって平民は疎かにしていいものではないんだ」
「どういうことですか?」
「貴族が平民を護るからこそ、平民は貴族を信じ、税を納めるんだ。だから、貴族と平民は対等な関係なんだな。これは幼い頃から教訓として言い聞かされてきた」
「貴族が平民を護るからこそ、平民は貴族を敬い従う。権力を持って平民を従わせるのはおかしいって訳ですね」
「そうだな。そして、それが騎士道に繋がるんだ」
アナスハイム家は騎士道を重んじる家らしいんです。
他の貴族とは全く違う思想を持っているみたいですね。
「他の貴族からは平民に尻尾を振るなとか言われるが、俺はこれで良いと思っている。貴族は平民を慈しんでこその貴族だからな」
「平民を虐げる貴族が多い中、平民を愛し慈しめるアナスハイム家は立派な貴族だと思います」
「・・・私もそう思います」
「ありがとう。ロラハム。ミスト」
カリスさんが満面の笑みを僕達に向けてきます。
それを見たミストは照れているのか、カリスさんの笑顔に見惚れているか、・・・多分両方ですね、顔を真っ赤にしています。
「それを理解していれば、お前もきっと立派な騎士になれるぞ。ロラハム」
「ありがとうございます」
自分が騎士なんて大袈裟ですよ。
でも、騎士としての誇りと志だけはカリスさんからきっちり学ぼうと思っています。
「さて、あと少しだ。早く済まして迎えに行こう」
騎士の誇りと志を胸に掲げるアナスハイム一家。
今時珍しい貴族の務めをきちんと果たしている立派な貴族だと感じました。
「父上。母上。ただいま戻りました」
領民の皆さんの説得を終え、僕達はアナスハイムの屋敷まで戻ってきました。
説得の間、ルルの事をオハランさんに任せていたので、カリスさんがオハランさんにお礼を言っていました。
オハランさんが使用人なのかどうかは分かりませんが、当然のようにお礼を言う貴族というのも本当に珍しいと思います。
「ああ。どうだった?」
「はい。不安は隠せないようでしたが、納得はしてくれました。後は実際に接して理解してくれればと思います」
「そうだな。それが良いだろう」
カリスさんはローゼンさんの事を信頼しています。
ローゼンさんは一番長くカリスさんと共に旅をしてきた人ですから、二人の絆が深いのも当然かもしれませんね。
カリスさんは信頼するローゼンさんが人間に危害を与える訳がないと確信しています。
そして、そんなローゼンさんなら領民の皆さんにも理解してもらえるとカリスさんは確信しているんだと思います。
領民の皆さんも穏やかな人ばかりでしたから、亜人といって暴行を加えるような人はいないと思います。
それなら、すぐには分かり合えないかもしれませんが、いつか分かり合えるときが来るのではないでしょうか?
カリスさんもきっとそれを望んでいます。
「父上。申し訳ありませんが、もう一つお願いしてもよろしいでしょうか?」
「何だ? 言ってみろ」
「何でも言いなさい。出来る範囲なら、何でもいいわよ」
優しい・・・というより、どこか気を遣っているという感じですね。
カリスさんの顔にも複雑な感情が込められているように感じます。
・・・僕の勘違いでしょうか?
「ありがとうございます。母上」
「頭なんか下げないで。カリス。貴方は私達の子供なんだから」
「その通りだ。カリス」
「ありがとうございます」
今のカリスさんは嬉しいような、申し訳ないような、そんな表情に見えます。
子供だという事を強調したマズリアさんの意図が掴めません。
どうして当たり前の事を態々言ったのでしょうか?
やはり五年ぶりの再会というのが原因なのでしょうか?
・・・どこか違和感を覚えます。
「お願いなんですが、俺が連れて来て今オハランに任してある竜。名はルルと申しますが、ルルの住まいが欲しいのです」
「竜・・・か。先程も見たが、あれはお前の竜だったのか。いつあの竜を? あれ程立派な竜は中々見ない」
「はい。旅の途中で。それからずっと共に旅をしてきました」
「そうか。マズリア。世話の出来る者を」
「ええ。すぐにでも」
「あ、いえ。ルルの世話は俺がしようと思います。ルルは俺の相棒ですから」
カリスさんはルルの世話だけは他の誰にもやらせません。
以前居た所でも、使用人や専門の人に任せればいいものを必ず自分で世話をしていました。
カリスさんのルルに対する思い入れが伝わってきます。
もしかしたら、相棒を他人に任せるのが嫌なだけかもしれませんが・・・。
カリスさんだって嫉妬はするでしょうからね。
「そう。分かったわ。きちんと面倒を見るのよ」
「もちろんです。母上。お手数おかけしますが、お願いします。父上」
「構わんよ。それよりも早くお前の仲間を迎えに行って来るといい。待っているのだろう?」
「ありがとうございます。父上」
カリスさんが頭を下げます。
それに続くように僕達も頭を下げます。
何故なら、ジャルストさんが僕達の仲間を気遣ってくれているのが分かるから。
ホントに大きな人です。
「それでは、迎えに行ってきます。ロラハム。ミスト。お前達はここで待っていてくれ」
「えッ? 何故ですか?」
「いや。迎えに行くだけだからすぐに済む。それより、荷物を整理し・・・て・・・」
ん?
途中まで言って、カリスさんの言葉が止まりました。
「・・・・・・」
ミストが裾を握って、カリスさんを涙目で見詰めています。
・・・陥落ですね。
「・・・・・・」
無言のカリスさん。
カリスさん・・・無駄な葛藤はやめましょう。
「・・・分かった。ミスト。一緒に行こう」
「・・・はい」
案の定、カリスさんはミストを連れて行く事を決めたようです。
僕はどうしましょう?
付いてはいきたいですが、一人ぐらい待っていた方がいいかも知れません。
「ロラハム。お前はどうする?」
「はい。僕は荷物の整理をしておきます。御二人の荷物も運んでおきますよ」
「そうか。頼む。母上。お願いできますか?」
「ええ。任されました」
マズリアさんが部屋を案内してくれるそうです。
ありがとうございます。
「それでは」
カリスさんがミストさんを連れて屋敷から出て行きます。
ローゼンさんは領地の近くの森の中で待機しているみたいです。
ルルに乗っていけば、あっという間でしょう。
御帰り、お待ちしています。
~SIDE OUT~
アナスハイム領から近隣にある森の中に少し間の空いた空間がある。
そこに銀色の毛皮をした一匹の狼が悠然と立っている。
瞳はある一点をただ見詰め、まるで動こうとしない。
「・・・・・・」
無言で空を眺める狼の視界に大きな竜が映った。
その竜はゆっくりと、それでいて堂々と地面へと降り立ってくる。
狼は動く事無く、眼の前に降り立つ竜に視線を送っていた。
「待たせてしまったな。ローゼン」
竜から降り立ったカリスが狼のもとへ行き、声をかける。
「いえ。どうでしたか?」
ローゼンと呼ばれた狼が当然のように言葉で答える。
「・・・ローゼンさん。・・・戻って下さい」
そんな狼にミストが簡潔な言葉を掛ける。
「・・・分かったわ。ミスト」
狼がそう言うと、狼の身体が光り出し、徐々に姿を変えていく。
光が止んだその場所には銀色の髪を風に靡かせる凛々しいという表現が似合う女性が立っていた。
彼女こそがローゼンと呼ばれる女性であり、同時に狼でもある。
それは、銀色の髪の間でそっと主張されている獣耳と背中側に見える存在感のある尻尾が何よりの証拠であろう。
彼女が狼になれる理由は後々語られることであろう。
「これで良いかしら? ミスト」
柔らかい笑みをミストに向けて、女性ローゼン・ランスターが問う。
「・・・はい」
言葉を返すと、ミストはローゼンにそっと抱きつく。
ローゼンは抱きついてきたミストの頭を柔らかく撫でながら、カリスに視線を向ける。
頭を撫でられているミストは嬉しそうに頬を緩めていた。
「それでどうだったのですか? 私としてはどちらの状態でも構いませんが」
「いや。きちんと説得したさ。許しも得た。無理に狼の状態にならなくても大丈夫だぞ」
「そうですか。人前で人型になるのはカリス様達を除けば久しぶりですね」
「ああ。今まで苦労をかけたな」
「いえ。貴方様の傍に居られるのでしたらどのような状況でも苦になりません」
「ありがとう、ローゼン」
微笑みあう二人。
ミストもローゼンが人型でいられることが嬉しいのか、笑顔を浮かべている。
「さて、慌しくて悪いが、屋敷に帰ろう。大丈夫か? ローゼン」
「もちろんです。参りましょう」
カリスがローゼンに問いかけ、ローゼンが頷く。
「それなら、ルルに乗ってくれ。ルル。頼むな」
「ククーン」
カリスの問いかけに、元気に鳴くルル。
その顔は頼られたからか、どことなく嬉しそうだ。
カリスが早速ルルに乗り、下にいる二人に手を差し出す。
「ミスト。掴まれ」
「・・・はい。・・・ルル。よろしくね」
ミストがカリスの手に掴まり、ゆっくりとルルの上に乗る。
「ローゼンは・・・もう乗ってるか。流石だな」
待っていたであろうローゼンの姿が地上に見えず、もしかしたらと後方に視線を向けると、案の定ローゼンは既にルルに跨っていた。
そんな素早い彼女に感嘆しつつ、カリスもきちんとルルに跨ると、前方を眺め、ルルに合図を送り、空へと飛び立った。
ちなみにローゼンもきちんとルルに乗る際に感謝の言葉を告げていた。
「カリス様。カリス様の故郷とはどんな所なのですか?」
「ああ。海に面した割と多きな街でな。温暖な気候で農作物も海産物も楽しめる良い所だ」
「・・・とっても綺麗でした」
空から眺めたアナスハイム領はミストにとって壮大な景色だったようだ。
「ミスト。まだまだあんなもんじゃない。お前は今まであまり外に出れなかったんだ。もっと色々な景色を見させてやる。今度、とっておきの場所も教えてやるからな」
「・・・ありがとうございます。カリスさん」
笑みを浮かべるミストに、カリスも笑みで応える。
「お前も来るだろう? ローゼン」
「是非とも。楽しみです」
カリスの問いにローゼンは笑顔で頷く。
ミストとローゼンの答えに満足したのか、カリスは満面の笑みで頷くと前方へと視線を戻して、遠い空を見詰め始める。
「二人っきりが良かったかしら?」
「・・・皆一緒がいいです」
「ウフフ。そうね。皆一緒に行きましょうね」
「・・・はい」
頬を赤く染め、顔を背けた後、そっと呟くミスト。
そんなミストに、ローゼンはニヤリとした笑みを浮かべる。
カリスの時は忠義を尽くす臣下の態度だが、それ以外だと気さくな態度を見せるローゼン。
そのあたりにも、カリスとローゼンの間にある秘密が隠されているのだろう。
静かに一点を見続けるカリスの後ろで、ミストとローゼンの明るい声が静かに空へと流れていった。
その後、カリス達はしばらく飛び続け、先程の屋敷まで戻ってきた。
屋敷に到着した際には、既にロラハムが荷物整理を終えたのか、庭で出迎えてくれた。
「お疲れ様です。カリスさん。ミスト。お待ちしてました。ローゼンさん」
「ありがとう、ロラハム」
ロラハムの言葉に、柔らかく微笑むローゼン。
「・・・皆一緒です」
「そうだな。皆が揃わないと意味がないよな」
「はい。僕もそう思います」
「カリス様のお陰です。感謝します」
笑顔で語り合うカリス達。
その誰もが、再会、そして、皆と共に居られるという事に喜びを感じているようだ。
「亜人と人間があんなに楽しそうに話しているわ」
「分かり合えない事はない・・・か。確かにこの光景を見ているとそう思えてくるな」
そんなカリス達を屋敷の窓からそっと覗いているジャルスト達。
「ええ。不思議な光景ね」
「いつか、遠くない未来、人間と亜人が本当の意味で分かり合える日が来るのかも知れんな」
「はい。旦那様。それをきっとカリス様が教えてくださいます」
「そうだな」
「ええ。そうね」
人間であるカリス、ロラハム。
亜人であるミスト、ローゼン。
そんなカリス達が楽しそうに笑い合っている。
その光景は人間と亜人の間にある新しい可能性を指し示しているように思えてならない。
ジャルスト達はその光景に眩しいものを感じた。
「カリスの歩んできた軌跡。その話を聞くのが楽しみだな」
「ええ。何を学び、何を失くし、何を得てきたのか」
「旅とはそういうものだからな。カリスは人として一回りも二回りも大きくなって帰ってきた」
「はい。カリス様は御立派になられました。私は嬉しく思います」
「そうね。オハラン。カリスは立派になって戻ってきたわね」
カリスを見詰めるジャルスト達の視線はとても暖かいものだった。
満足している様子で頷き続けるジャルスト。
マズリアは再度感極まったのか、瞳に涙を浮かべている。
オハランもジャルスト同様、嬉しそうにカリスを眺めていた。
「これからもよろしく頼むな。皆」
こうして、カリスと共に旅をしてきた仲間達が再びカリスのもとへと集まった。
これはカリスとその仲間達が紡ぎだす、大陸の歴史に名を残す壮大な物語である。