第十七話 明かされる秘密
「カリス様」
「・・・カリスさん」
「ああ。久しぶりだな。ローゼン。ミスト」
無事、アークライン家への養子入りを果たしたカリス。
国への手続き等も終え、爵位を持たない相談役、ランパルド・アークラインの義理の息子という立場となった。
その手続きに数日を消費した為、予定より幾分か遅いが、ようやくカリスは二人を迎えに行く事が出来た。
「シーザー。貴方には感謝している。ここまでの事も、二人を匿ってくれた事も」
「いいのよ。そんな事。私達も貴方達と過ごせて楽しかったわ」
「そうか。そう言ってくれると助かる」
互いに笑顔で語り合う二人。
一ヶ月間を共に過ごす内に二人は気の置けない友となっていた。
共に人間と亜人の事を考えている二人だ。
そうなったのも当然であったのかもしれない。
「私達は常に海を渡っているから、一箇所には留まらないけども、近くに来た時は手紙を送るわね」
「ああ。次に会えるのを楽しみにしている」
「アナスハイム領に帰る時も送ってあげるわ。私達が貴方の姿を変えて屋敷まで送り届ければ問題ないでしょう」
「そうか。そうすれば、バレずに済むからな。何から何まですまない」
「いいのよ。それぐらい簡単ですもの」
港で船を背に語る二人。
その脇では、ローゼンとミストがユリア、ララックと話していた。
「寂しくなるな」
感慨深く呟くララック。
「別に。元々いなかったんだから前に戻るだけよ」
顔をあさっての方向に向けながら、なんでもないように言い切るユリア。
「相変わらず素直じゃないよな。お前」
その表情に少しだけ浮かんだ寂しさを感じ取ったのか、ララックが呆れたように言う。
「な、何がよ」
ララックの言葉に、慌てたように返すユリア。
「フフフ」
「・・・クスッ」
そんな二人を見て、ローゼンとユリアは微笑みあう。
「・・・貴方達まで」
不貞腐れるユリア。
「貴方達のお陰でこうして無事にセイレーンまで辿り着いたわ。本当にありがとう」
「・・・ありがとうございました」
頭を下げてそう告げる二人。
「別に。姉さんが助けるって言ったからそうしたまでよ。私の意志じゃないわ」
「ホントに、まぁ・・・。ま、こいつの事は放っておいてだ」
「何ですって!」
ララックの言葉に怒りの表情を見せるユリア。
だが、ララックは微塵も気にしない。
「別に俺達は恩を着せようと思ってやった訳じゃないぜ。カリスさんが本当に亜人を大事にしているのが分かったから。そんな人を失うのは痛いって思っただけだ」
「無視!?」
「こんな態度だが、ユリアもそうだ。本当に嫌いなら近づいても来ないこいつだからな。嫌がる素振りを見せながらも君達と接していたのは、気に入っているからなんだよ」
「・・・やめなさいよ。変な事言うの」
不貞腐れたように顔を背けるユリアに三人は苦笑した。
「とにかくだ。寂しくなるが、もう会えなくなる訳じゃない。また会える日まで、楽しみに待ってるぜ」
「ま、貴方達といると疲れるけど、待っていてあげてもいいわ」
そのユリアの言葉を切欠に、一同は笑い合う。
別れの時も笑顔で別れる。
寂しいのは確か。
でも、その寂しさが次会った時の嬉しさの糧となる。
顔を見合わせて楽しそうに笑い合うその四人の姿。
そこには確かな友情が見えた。
「これからも私達は保護活動を続けるわ。カリス。貴方も貴方が思う通りに亜人と接していって」
「ああ。分かった。お前達も頑張れよ」
港から出航していくシーザー達の船。
港からその船を見送るカリス達。
少しずつ離れていく両者は、その姿が見えなくなるまで手を振り続けた。
「行っちゃったな」
「はい。ちょっと寂しいですね」
「そうだな。だが、また会える時が来る。その時を楽しみにしていよう」
「・・・はい」
見送りを終えた三人は、船が見えなくなった方向を見詰めながらそう呟いた。
「さて、これからは俺達も忙しくなる。大変だと思うが、付いて来てくれ」
カリスの言葉を受け、ローゼンとミストは力強く頷いた。
その後、街の外で待たせておいたルルと合流し、カリス達はセイレーン主都にあるアークラインの屋敷へと向かった。
いそいそと己の定位置であるカリスの前に座ったミスト。
ルルが空を駆り、それによって生じた柔らかな風がミストの髪を綺麗に靡かせる。
いつもなら髪に隠れる首飾りもそれにより陽の下に曝け出され、陽の光によって輝いた。
首飾りとして常に肌身離さず掲げられているミストの大事な指輪。
その指輪によって、カリス達は衝撃的な事実を知る事となる。
「よく来たのぉ」
アークラインの屋敷へと辿り着いたカリス達。
そんなカリス達をランパルドと使用人達が出迎えた。
「わざわざ、すいません。父上」
「何。カリスの連れという事はこれからここで暮らすという事じゃろ? 気になるのも仕方がないというものじゃ」
頭を下げるカリスに、ランパルドは陽気に笑いながら告げる。
「お久しぶりです。ランパルド様」
「おぉ。ローゼンか。久しぶりじゃの。元気そうで何よりじゃ」
「お陰様で。ニコラは元気にやってますか?」
「ああ。元気じゃぞ。ニコラ」
ニコラとランパルドが後方に控えている使用人達に向かって告げる。
すると、中から可愛らしい衣装に身を包んだ可愛らしい少女が駆け寄ってくる。
「お、御姉様ぁ~~!」
「ニコラ!」
抱き付く素振りを見せた為、ローゼンも手を広げてニコラと呼ばれる少女が来るのを待つ。
・・・・・・が。
「キャッ!」
・・・後ちょっとという所で壮大に転んでしまった。
「・・・そうだったわね。貴方はそういう娘だったわよね。ニコラ」
「えへへ。転んじゃいました」
舌を出しながら、愛想笑いをするニコラ。
ローゼンは呆れた表情でニコラを眺めていた。
「久しぶりね。ニコラ」
「はい! お久しぶりです。御姉様」
少女の名はニコラ・ランスター。
肩に掛かる程度の長さの銀髪にそっと主張された獣耳。
その姿は間違いなく、銀狼のものだった。
「初めまして。私はニコラ・ランスターと申します。いつも御姉様がお世話になっています」
元気良く告げるその様子には好感が持てる。
「・・・ランスター? 御姉様? ローゼンさんと姉妹なんですか?」
当然、気になる疑問だ。
ミストが首を傾げながら、ローゼンに問いかける。
「違うわよ。ランスターっていうのは部族名。私達は同じ集落に住んでいたから同じ名前なのよ。御姉様ってのは、この娘が私の妹分だから」
「はい。御姉様は凄いんですよ。私を含めて妹分がたくさんいるんですから」
「ニ、ニコラ。変な事を言わないの」
「はぁ~い」
手をあげながら返事をするニコラ。
いつも笑顔なニコラはいるだけでその場を和ませてくれていた。
「カリス様。おかえりなさい」
「ああ。ただいま。ニコラ。元気にしてたか?」
「はい!」
「そうか」
ポンとニコラの頭に手を乗せ、その頭を撫でるカリス。
その感触が気持ちいいのか、ニコラは頬を緩ませていた。
カリスは手続きの間、既にこの屋敷で過ごしていた為、ニコラと親交がある。
以前救い出してもらったという事もあってか、ニコラはカリスを慕っていた。
「・・・・・・」
そんなカリスとニコラの様子をミストが寂しそうに、羨ましそうに眺めていた。
「カリスや。その娘を紹介してくれんかの」
だが、それに気付いてか、気付かないでか、ランパルドがカリスにそう問う。
気付いてそう問いたのか、それとも純粋に気になってそう問いたのか。
ランパルドの意図する所は分からないが、確かに話題の中心はミストとなっていた。
「はい。ミスト。おいで」
「・・・はい」
カリスに呼ばれ、ミストはカリスの隣までやって来る。
「彼女はミスト。ミスト・キルレイクです。ミスト。御挨拶だ」
「・・・はい。・・・ミストです。よろしく御願いします」
「こちらこそ。カリス。彼女は?」
「はい。御察しの通りです」
「そうか。まぁ、カリスの連れじゃ。心配ないじゃろ」
ランパルドが問いたのは、ミストがエルフかどうかだ。
ランパルドは、ミストが頭全体を帽子で隠している事から、エルフだと悟った。
セイレーンという国は平民から貴族まで魔術至上主義に染まっている。
騎士として認められているのはユリウスとその他少数程度だ。
では、そんなセイレーン国民にとってエルフとはどのような存在なのだろうか?
もちろん・・・恐怖の対象である。
自分達が自慢とする魔術がエルフからしてみればお遊びに過ぎない。
屈辱的であり、遥かな高みにいるエルフは恐怖でしかない。
エルフ以外の亜人に対して比較的友好的なセイレーンでさえそうなのだ。
どの亜人でも否定的な考えを持つ他国では決して受け入れらないだろう。
人間が治めるどの国でも、エルフとは恐れられ、拒まれる存在なのだ。
エルフが治めるメディウス魔国が一際閉鎖的な国になってしまったのも当然の事と言える。
たとえ王家が友好関係を築きたいと考えていても、恐怖心を持っている相手にはそう簡単には心を開けない。
侭ならないものである。
「・・・ん?」
しばし談笑を楽しんでいたカリス達だったが、突如、ランパルドが疑問の声をあげた。
「どうしました?」
眉を顰めるランパルドにカリスがそう問う。
「ミスト・・・と言ったかね?」
「・・・はい」
「首元の指輪を少し見せてくれんかね」
「・・・・・・」
無言で首を横に振るミスト。
ルルから降りたばかりで髪が全て背中側に回っていたからこそランパルドは気付く事が出来たのだろう。
この指輪はミストが常に肌身離さず持っているミストにとって大切な物だ。
それは誰であろうと気軽に渡せるようなものではない。
信用できる、できない、ではなくて、単純に手放したくないのだろう。
「・・・父上。申し訳ありませんが・・・」
カリスが頭を下げる。
ミストにはとことん甘いカリスだ。
ミストが拒めば、それを『無理にでも』とは出来ない。
「いや。少し見覚えがあっての」
「・・・え?」
ランパルドの呟きにミストが眼を見開く。
この指輪に見覚えがある。
この指輪は母の形見。
なら、その指輪がどんなものかを知れば、母の事が分かるかもしれない。
「・・・・・・」
しばし考え込んだ後、ミストは首元から指輪を外し、ランパルドに手渡した。
「すまんのぉ」
一言侘びた後、ランパルドは指輪を手に取り、眺めた。
そして・・・。
「これは!」
驚きの声と共に限界まで見開かれるランパルドの眼。
ランパルドはその思いがけない衝撃に身体を固まらせた。
「・・・父上? 如何なされました?」
不思議に思ったカリスが静かに問いかける。
だが、カリスの言葉に反応せず、ランパルドはミストに問いかけた。
「・・・ミストや。お主の母の名は何という?」
「・・・ファルゼラです」
「や、やはりそうじゃったか・・・」
肩を震わせながら、ランパルドが呟く。
そして、そっとミストを抱き締めた。
ミストは突然のランパルドの行動に眼を見開く。
だが、何故だか、振り払おうと思わなかった。
「そうか。そうか。あやつの血はこの娘に受け継がれていたんじゃな」
瞳から涙をこぼし、感慨深く呟くランパルド。
ミストは何故か安心できるその暖かさに、眼を瞑りその身を預けた。
静かに涙をこぼす老人と抱き締められる少女。
そのどこか神聖な光景を前に、周囲の者達はただ静かにその場から見守る事しかできなかった。
「カリス。ミスト。ローゼン。お主達に話さなければならん事がある」
屋敷内へと案内され、荷物を整理した後、一同はアークライン家の居間へと集められた。
「ミスト。先程はすまんかったのぉ。思わず取り乱してしまっての」
「・・・いえ」
決して不快ではなかった。
むしろ、不思議と胸が暖かくなる抱擁だった。
だから、ミストは小さく微笑みながらそう告げた。
「父上。先程の事がこれから話す事に関わりがあるのですね」
「そうじゃ。じゃが、この話はお主達だけで収まる話じゃないのじゃ」
深刻そうな表情で告げるランパルド。
一同も真剣な表情でランパルドを見詰める。
「どういう事ですか? 父上」
「ふむ。可能性の話なのじゃが、ミスト。お主はセイレーン王家の血を受け継いでいるのかもしれん」
「ッ!」
「・・・え?」
「・・・真ですか?」
ランパルドの言葉に、カリス、ローゼン、ミストの誰もが眼を見開いた。
「可能性の話じゃからな。ミストの持っとる指輪。あれは現聖巫女、ファムリア様の妹君がシュバルド王国に嫁入りする際に王家より贈られた婚約指輪なのじゃ」
「で、では・・・」
「うむ。その指輪が真に母の形見ならば、ミストの母はセイレーン王家の血を継ぐファルゼラ様という事になる」
「・・・・・・」
その言葉に、ミストは呆然とした。
森の奥深くで隠れるように済んでいた母と自分。
その母は本当はとても身分が高く、それでいて、自分の為に命を尽くしてくれたのだ。
何て優しい母なのだろう。
何て強い母なのだろう。
優しく笑う母の顔を思い出し、思わずミストは瞳に涙を浮かべた。
「ミスト」
そんなミストに気付き、カリスは優しくミストを抱き締める。
その何よりも暖かい温もりに包まれながら、ミストは涙を流し続けた。
「これから城へ向かおうと思う。カリスの事もあるしの。ミストの事を聖巫女様に教えて差し上げたいのじゃ」
過去、聖巫女ファムリアは妹の死に涙した。
嫁入りして間もない頃にカーマインとシュバルドの戦争が勃発し、そのままシュバルド王家が滅んでしまった。
敗北国の王家の者が生きている訳がない。
その当時、ファムリアは当然、国を挙げて援軍に駆けつけたかった。
だが、当時は他国との争いが続き、兵も民も疲弊し、また、隣国であるアゼルナートのことも気にしなければならず、編成に時間がかかった。
援軍が駆けつけた時には時遅く、既にシュバルドは滅んでしまっていたのだ。
その時、ファムリアの中で妹、ファルゼラの死は確定した。
ファルゼラの血を受け継ぐ者もおらず、ファルゼラがこの世に残したものは何一つない。
そうファムリアは嘆き、悲しんだ。
だが、ここにいたのだ。
そのファルゼラが残したものが。
ファムリアが喜ばない訳がない。
そう思い、ランパルドは一刻も早く城へ向かいたかった。
「ミスト。大丈夫か?」
「・・・はい。もう大丈夫です」
眼を赤く腫らせながら、笑みを浮かべてみせるミスト。
カリスは優しく頭を撫でると、ランパルドへ視線を向けた。
「分かりました。父上。城へ向かいましょう」
こうして、ランパルド、カリス、ローゼン、ミストは城へ向かう事となった。
「ファルゼラ?」
城内へと足を踏み入れ、セイレーン王家や護衛部隊などのカリスに近しい者達が集まった大広間へとカリス達は辿り着いた。
そして、カリス達が大広間に入った瞬間、聖巫女であるファムリアがミストを見てそう溢した。
「聖巫女様。この娘の名はミストじゃ」
一礼して、ランパルドがファムリアにそう紹介する。
「そ、そうですか。彼女もカリス殿の?」
「はい。ミストも俺の仲間です」
ファムリアの問いにカリスが頷く。
「聖巫女様。カリスの為に集まってもらっておいて申し訳ないんじゃが、まずはミストについて話し合いたい」
「ミスト殿に何か?」
ランパルドの真剣な表情にファムリアも『大事な話なのだ』と理解し、表情を真剣なものに変えた。
「先程、ファルゼラ様じゃないのか? そう言っとったじゃろ?」
「え、ええ。幼き頃のファルゼラに良く似てたので」
「それこそが聖巫女様に話そうと思ってた事じゃ。ミストはもしかしたらファルゼラ様の息女かもしれん」
「ファルゼラの!?」
ランパルドの言葉にファムリアのみならず、ファルゼラを知るユリウス、エルネイシア、レイリーもが驚愕に眼を見開いた。
「ユリウス様」
「ああ。エルネイシア。どう思う?」
「私は幼少の頃、ファルゼラ様の慈母のような笑顔に憧れていました。それは時が経っても忘れない私の思い出です。あの子を見て、確かに私もファルゼラ様を思い出しました」
「うむ。私の兄は王家の近衛兵に属していた為、私も何度かファルゼラ様にお会いした事がある。あの顔立ちは確かにファルゼラ様に似ておられる」
ユリウスとエルネイシアは互いの幼少時の思い出よりファルゼラの事を思い浮かべ、ミストと比較した。
その結果、両者とも確かに似ているという結論になった。
「・・・(ファルゼラ様。貴方様は私を姉と慕ってくれたわよね。あの娘を見ているとあの頃の事を思い出すわ。あの娘が貴方様の残した最愛の娘なの?)」
ファムリアを除いて誰よりもファルゼラを知るレイリーがそっと涙をこぼした。
今、ステラがルルシェ、リースの世話役を担当しているように、レイリーはファムリア、ファルゼラの世話役を担当しており、まるで姉妹のように仲が良かった。
それ程、近い存在だったのだ。
ミストからファルゼラの面影を感じたレイリーが感極まったのも不思議ではない。
「ランパルド。貴方がそうまで言うのです。この娘がファルゼラの息女であるという証拠があるのでしょう?」
「そうじゃ。ミスト。何度も申し訳ないんじゃが、あの指輪を見せてやってくれんか?」
「・・・・・・」
ランパルドの言葉に、ミストが反応し、カリスの方を見る。
カリスはミストと眼があるとニコリと笑い、頷いた。
ミストはそのカリスの反応を見て、意を決したのか、ゆっくりとファムリアのもとへ行き、首元から指輪を取り出し、手渡した。
「こ、これは・・・」
その指輪を見て固まってしまうファムリア。
「レイリー。貴方もこの指輪に見覚えがあるでしょう?」
「・・・はい。間違いなくファルゼラ様が嫁入りの際に婚約指輪として付けられていた指輪」
レイリーにもその指輪を見せ、確信を深めるファムリア。
「ミスト殿。貴方の母親は・・・」
「・・・はい」
ミストは瞳に涙を浮かばせながら、母との別れを語った。
何故、母が死んでしまったのか。
今、こうしてここにいられるのは何故か。
ミストが話し終えた瞬間、ファムリアの瞳から涙が零れ落ちた。
「あぁ・・・。私は何故諦めてしまったのでしょうか。諦めず捜索し続けていれば妹を助ける事ができたかもしれないのに」
「御母様・・・」
ミストの話の中で、ファルゼラが死んだのは二年程前だと知り、ファムリアは心の底から嘆き悲しんだ。
ファムリアは二十年程前のシュバルドとカーマインの戦争で既にファルゼラが死んだと思っていた。
だが、真実は違う。
ファルゼラは確かに二年程前までは生きていたのだ。
慣れない森暮らしで疲弊する前に助ける事が出来れば死んでいなかったかもしれない。
そもそもシュバルド王家が滅んだ瞬間にも捜索の手を広げ、ファルゼラを保護する事が出来れば、今頃姉妹仲良くこの城で暮らせていたかもしれない。
たらればが現実には存在しないと理解しつつも、そう思わずにはいられなかった。
「あぁ、ミスト殿。貴方の顔をもっと私に見せてください」
「・・・・・・」
まるで力が入っていない様子のファムリアが震えながらミストに近づく。
拳一個分程に顔を顔へと近付け、そっとその頬を撫でた。
「見れば見る程、ファルゼラにそっくり・・・」
涙で眼を腫らしているのはどちらも変わらなかった。
母の死を思い出し、涙を浮かべるミスト。
妹の死を嘆き、後悔に涙を浮かべるファムリア。
だが、最愛の妹の、何も残していないと思っていた妹の残したものがこうして眼の前にいる。
それだけで、ファムリアは嬉しかった。
「・・・あ」
頬を撫で続ける内に、ミストの頭から帽子が落ちてしまった。
それにより、ミストの頭にあるエルフの証である尖った耳が周囲に晒されてしまった。
ミストは小さく悲鳴をあげる。
「エ、エルフ?」
「ファルゼラ様の息女である筈なのに、何故エルフの耳を」
その事実に周囲は騒然となった。
もしや、ファルゼラ様の息女ではないのでは?
ただ似ているだけではないのか?
そう考え始める者もいた。
だが、そんな者達にファルゼラが一喝する。
「お止めなさい! ファルゼラの身に何があったのかは分かりませんが、この娘がファルゼラの娘であるという事に変わりはありません」
力強く言い切り、ミストを可愛がり続ける事を止めないファムリア。
ファムリアはそっとミストを抱き締め、告げる。
「貴方の母は我が妹。これからは私を母と思ってくれても構いませんよ」
「・・・母さん」
「ミスト」
「・・・うぅ・・・ん・・・あぁぁっぁぁ! あぁぁぁぁあぁぁぁっぁっぁぁぁぁぁ!!」
母を感じさせる温もり。
その温もりに包み込まれた瞬間、ミストの涙腺は崩壊した。
今までにない程の声量で泣き続けるミストに周囲も感化され、瞳に涙を浮かべた。
そんな中、カリスは一人安堵のため息を吐く。
「・・・(ミストがこれ程に感情を露にするのは初めてだな。きっと今まで嘆きたいのを我慢して悲しみを溜め込んできたんだろう。やはり母の愛には敵わないか)」
今までカリスの眼の前で大声をあげて泣いた事がなかったミスト。
だが、今、ミストはその悲しみ全てを曝け出し、感情のままに泣いている。
『今まで自分は本当の意味でミストを救ってあげられていなかったんだな』と情けない気持ちになった。
だが、同時に『これで本当の意味でミストは救われたんだな』と心の底から喜ばしい気持ちになった。
泣き続けるミストを眺めるカリスの視線は、本当に暖かく、優しいものだった。
そして、ミストが母と呼べる存在に出会えた事に対する若干の寂しさもまた、その視線には含まれていた。
「カリス殿。貴方には本当に感謝の言葉もありません。ルルシェを救い出してくれただけではなく、こうして妹の娘までも救ってもらいました」
ミストの件を話し終えた後、会議はしばらく休憩という事になった。
その後、ファムリアに連れられ、ルルシェ、リース、カリス、ミストの四人はファムリアの私室へとやってきていた。
ちなみに、ローゼンは部屋の外でカリスとミストを待っている。
『大事な話だ』と言われ、遠慮したのだ。
「私からもお礼を言わせて下さい。この娘は私にとって従姉妹。カリス様。従姉妹を救って頂き、本当にありがとうございます」
「ありがとうございます。御兄様」
王家の者達に次々と頭を下げられ、カリスは慌てた。
「頭を上げてください。以前も言いましたが、俺は当然の事をしたまでです。それが巡り巡ってセイレーンの為になっただけ。俺は礼を言われるような事はしていませんよ」
「御礼ぐらいさせてください。カリス様」
「ルルシェ様」
カリスの言葉に、ルルシェはカリスに対し真剣な表情で告げる。
「カリス様はいつもそうです。私達に御礼一つさせてくれません。酷いです」
「ひ、酷い・・・ですか?」
「せめて御礼ぐらいさせてください。いつもカリス様には与えられてばかりで申し訳が立ちません」
ルルシェはいつも悩んでいた。
『どうすればカリスから受けた恩を返せるだろうか』と。
窮地に立たされた自分を救ってくれた。
危険な眼に遭いつつも、『再び町の視察をしたい』という自分の我が侭に護衛として付き合ってくれた。
従姉妹を救ってくれた。
自分はいつも与えられてばかりだ。
でも、まだ自分はその恩を返せていない。
ルルシェはそう考えていた。
「きちんとした形で私はまだカリス様に恩を返せていません。それなのに、御礼すら受け取ってもらえないとなれば、心苦しいです」
言い終わった後、ルルシェは少し後悔した。
日頃の悩みで鬱憤が溜まっていたのか、本人に言わなくてもいい事を言ってしまったからだ。
負の感情を曝け出してしまうのは巫女として醜い姿。
巫女とはこうあるべきという理想像があるルルシェとしては、感情の赴くままに失言してしまったという事は充分に落ち込む理由となる。
「そうでしたか。ルルシェ様はそんな事を」
カリスがそう呟く。
その呟きにルルシェは俯いていた顔をあげて、カリスを見詰めた。
「では、ルルシェ様に御願いがあるのですが、よろしいですか?」
笑顔でカリスがルルシェにそう問いかける。
「あ、はい! 何でも言って下さい!」
その言葉に、ルルシェは顔に喜色を浮かべる。
何かしてあげたいと考えている人間に遠慮するのは逆に申し訳ない。
だから、あえて御願いをする。
これもカリスなりの気遣いだった。
「これから騎士団として働こうと思う俺ですが、俺の顔を知っている人はいくらでもいると思うんです」
「・・・確かにそうですね。所属する部隊も前と同じなので、前から所属している人はすぐに気付いてしまうでしょう」
「他にも他国からの来訪者として俺を知っている者が来たら、俺が生きている事がバレてしまいます」
『確かに』とルルシェは思った。
カリスの話している事は決して可能性が低い訳ではない。
騎士団から情報が蔓延する事もあるし、他国にバレたらわざわざ死んだ振りをしてまでやって来た意味がなくなる。
「万が一、バレた際には、城内の者や騎士団の者へは緘口令を出すつもりですが、他国の者にまでは干渉できませんからね」
傍で聞いていたファムリアがそう告げる。
「そこでですが、俺は、俺がカリス・アナスハイムだとバレないように髪型を変え、顔を何かで隠そうと考えています」
「・・・え?」
「お、御兄様。そんなに綺麗な髪なのに切っちゃうんですか?」
カリスの発言にミストとリースが眼を見開く。
「少しでもバレないようにする為です」
「そんな・・・勿体無いです」
「・・・私もそう思います」
「仕方ないですよ。俺の存在を知られる訳にはいきませんから」
既に決心しているカリスは何を言っても意見を変える事はないだろう。
ルルシェとファムリアはカリスの事を良く知っている為、そう判断した。
「では、私は何をすればいいんですか?」
ルルシェがカリスに問いかける。
「髪型、顔を隠せる物。それらを手配して頂きたいのです」
「髪型は御自分で選んだ方が良いのでは?」
「姫様にお任せします」
笑顔で言い切るカリス。
「わ、分かりました。どうにかやってみます」
笑顔のカリスに、ルルシェは真剣な表情でそう応えた。
だが、内心では・・・。
「・・・(ど、どうしたらいいんでしょう。どんな髪型がカリス様は御好きなんでしょうか? 顔を隠せる物? 仮面とかですか? えっと。私、どうしたらいいんでしょう?)」
と、かなりの慌て振りだった。
もし、今、ルルシェの内なる自分が登場したら、かなりの涙目なのは間違いないだろう。
ずっと抱え込んでいた悩みは解決したが、ルルシェは新たな悩みを抱えてしまう事となった。
ルルシェの悩みは尽きない。
「えぇ~・・・コホン。御話してもよろしいですか?」
部屋に呼んだまでは良かったが、どこか脱線してしまった話を元に戻す為、ファムリアが口を開く。
「も、申し訳ありません。御母様」
混乱しているルルシェは勢い良く頭を下げる。
「・・・そこまで謝らなくてもいいんですが・・・」
そう呟いた後、気を取り直したファムリアは真剣な表情でカリスに告げる。
「私の部屋にわざわざこうして足を運んでもらいましたが、それには理由があるのです」
「理由・・・ですか? それは一体?」
「それは、これを貴方達に見せる為です」
カリスの問いにこう答え、ファムリアは私室の奥から何かを持ってきた。
「これは我が国、セイレーン聖教国にファレストロード様が贈られた神宝の一つ、“聖石『清浄の光』”です」
聖石『清浄の光』。
神龍ファレストロードが八つの国に贈ったとされる神宝の一つだ。
セイレーンの血筋を持たない物が触れても、それはただの宝石。
だが、セイレーンの血筋を持つ者が触れれば、その宝石は眩いばかりの光を放つ。
事実、ファムリアがそれに触った瞬間、眼を思わず閉じてしまう程の強烈な光が部屋中に放たれた。
「これには毒、呪いなどの人体に有害な物全てを浄化する力があります。王家の者が触れている事が条件ですが・・・」
ファムリアが聖石を机に置きつつ、そう告げる。
ファムリアが置いた瞬間、先程までの光が嘘のように聖石はただの宝石となってしまった。
そのままでは、何処にでもある拳大の宝石にしか見えない。
「王家の者が触れれば、先程のように光ります。ルルシェ、リース。触ってごらんなさい」
「はい。御母様」
「はい」
聖石に向かって、ルルシェがそっと手を近付けていく。
そして、聖石に触った瞬間・・・。
「・・・ま、眩しい」
光り輝いた。
「リース」
「はい。御姉様」
ルルシェに促され、リースもそっと聖石に触れる。
「・・・光りました」
結果、リースも光り輝いた。
これは両者が確かに聖母セイレーンの血を受け継いでいる事を表している。
「このようにルルシェ、リースの両名は光り輝きました。王家の血筋であるという事です」
「そのようですね。ミストにも試したいという事ですか?」
「はい。既にファルゼラの娘であるという事は確信していますが、更に真実だと実感したいのです。それに、聖石を輝かせる事が出来れば・・・」
『それは即ち、王位継承者という事になる』
そう、ファムリアは告げた。
聖石を輝かせられる。
ただそれだけで王家の血を受け継ぐ者として立証できる。
ルルシェ、リースに次ぐ王位継承者であるという事が証明できるのだ。
「ミスト」
「・・・はい」
「触ってごらん」
「・・・分かりました」
そっと、少しずつ手を近付けていくミスト。
もし、これが輝けば、自分の親は間違いなくセイレーンの姫だったんだという事が証明される。
今まで何も知らなかった母親の事がわかるんだ。
喜びと不安。
その相対的な感情に緊張しつつ、ミストは震える指先で聖石に触れた。
その瞬間・・・。
「・・・・・・」
再度、強烈な光が部屋を包み込んだ。
~SIDE リース~
・・・光った。
光りました。
ミストが触れて、聖石が光ったんです。
「・・・・・・」
ミストはその光にビクッと驚いてすぐに聖石から手を放してしまいましたが、確かに光り輝いていました。
御母様は『やはり』と言わんばかりに頷いていますし、ルルシェ御姉様は喜んでいます。
かくいう私もとても嬉しいです。
何故なら、ミストが私達の従姉妹だと分かったんですから。
何だか、新しい妹が出来たみたいで、ワクワクします。
「やはりミストは妹の娘のようですね」
御母様が安心といった表情で、そう呟きます。
きっと不安だったんだと思います。
『もしかしたら、違うのかもしれない』と。
でも、ミストは確かに王家の血を受け継いでいた。
多分、誰よりも御母様が一番喜んでいると思います。
「・・・ミスト。・・・良かったな」
御兄様が呟きます。
心の底から安堵したかのような、そんな万感の想いが込もった呟きでした。
本当に、本当に暖かい笑顔でミストを見詰めています。
「・・・カリスさん」
「ミスト。聖石が光ったという事は、お前はこれでセイレーン王家に名を連ねる者として認められたという事になる。もう不自由のない暮らしはしなくていいんだぞ」
御兄様がミストの視線にあうように身体を下げて、眼を正面から見詰めながら言います。
「・・・カリスさん。でも・・・」
「聖巫女様や姫様達ならお前の事を任せられる。これからは俺なんかと行動せずに城で穏やかに暮らせ。わざわざ危険な眼に遭わなくていいんだ」
御兄様が突き放すように言います。
何だか、御兄様らしくありません。
「・・・カリス様」
「それが、貴方の優しさですか・・・」
御兄様とミストを見ながら、御姉様と御母様がそう呟きます。
どういう事なんでしょう。
「御母様。優しさとは?」
私が御母様にそう問うと、御母様は眼を瞑りながら言います。
「ミストは人間と亜人との間に生まれた娘。きっと、今まで相当な苦労をしてきたんでしょう。人間として認められず、亜人としても認められず」
人間でもない。
亜人でもない。
どちらからも受け入れてもらえない。
私には到底理解できない苦しみです。
「そんな時、唯一、自分の全てを受け入れてくれていた母親が死んでしまいました。誰も味方がいないという状況です。苦しく、寂しく、不安だったでしょうね」
身体を震わせながら、御母様が言います。
きっと、御母様は凄く後悔しているんだと思います。
『諦めなければ、助けられた筈なのに』と。
「そんなミストの心を救ったのがカリス殿。カリス殿のお陰で、ミストは悲しみから解放されたんです」
・・・御兄様。
御兄様は本当に誰かを救ってばかりですね。
「でも、それでミストの境遇が変わる訳ではありません。何があってもミストがエルフの娘であるという事は変わりません」
エルフ。
私達セイレーンでもその存在は恐れられています。
亜人と親しくしたい。
そう考えていても、エルフだけはどうしても受け入れがたいのです。
エルフの王は天変地異を起こすとすら言われています。
私達人間にとってエルフとは絶対的な恐怖の対象なんです。
「普通のエルフならメディウスで暮らせばいいでしょう。ですが、人間の血が混ざっているミストが果たしてメディウスが受け入れられるでしょうか?」
「・・・無理だと思います」
「・・・御姉様」
私も御姉様の言う通り、無理だと思います。
エルフは人間に対しても、他の亜人に対しても、心を閉ざしています。
国全体で閉鎖的です。
そんな中、たとえエルフの血が混じっていようと、半分が人間のミストを受け入れてくれる筈がありません。
何より・・・母親が完全な人間なのですから。
ただでさえ受け入れがたい娘が完全な人間である母と共に入国だなんて事になったら、絶対に受け入れてくれる訳がありません。
「他の亜人は自分達と同じ種族なら受け入れますが、他種族は殆ど受け入れません。民族意識が強いんです。ミストを受け入れてくれる他亜人の国なんてありません」
獣人は獣人だけを。
翼人は翼人だけを。
鬼人は鬼人だけを。
交流は持っていても、国民として受け入れてくれる程に友好的な訳ではないのです。
貿易などでは接しますが、それも仕事上の関係。
入国は出来ても、永住は出来ないでしょう。
「分かりますか? 人間の国でも、亜人の国でも、大陸中の何処を探しても、ミストを受け入れてくれる所はないのです」
「・・・御母様」
寂しそうに呟く御母様。
私だって、寂しいです、悲しいです。
ミストは何て辛い境遇に身を置いているのでしょうか。
「でも、王家の血を継いでいるとなると話は別です」
「えっ? どういう事ですか?」
「リース。あの娘は私達の従姉妹。何が何でも保護しなければならない存在です。彼女は王位継承者の末席にあたるのですから」
・・・王位継承者。
聖巫女を名乗る事が出来る存在の事です。
王家の血を受け継ぐ者は国内の公爵家などにも何人かいますが、その方達は既に分家として爵位を持っているので、王位継承者にはなれません。
私達の御母様、もしくは、その妹姫様の娘のみが王位継承者として名を連ねる事が出来ます。
即ち、御姉様、私、ミストの三人です。
第一位の御姉様が次期聖巫女。
第二位の私は御姉様にもし万が一があった時の為の“予備”です。
言い方は悪いですが、事実ですから。
そして、一番年下のミストが第三位となります。
またもや、言い方は悪いですが、予備はいくらあっても困る事はありませんから、第三位のミストは王家の者として絶対に保護しなければなりません。
「たとえミストにエルフの血が受け継がれていようとセイレーン王家の血を継いでいる事に違いはありません。私達はミストを王家の者として保護します」
「・・・御母様」
御母様がそう強く言い切ります。
最高権力者の御母様が告げたのですから、今、この瞬間、ミストは第三位王位継承者となります。
ですが、それと御兄様の優しさに何の繋がりがあるんですか?
「分からないって顔ですね。リース」
「あ、はい。御母様。それと御兄様の優しさに何の関係があるんですか?」
私には全然分かりません。
「今までミストは自分の居場所を得る為にカリス殿と共に戦いという危険な場所に身を置いていました。それが必要な事だったからです」
「戦い?」
「直接的な意味だけではありません。己の正体を隠し続けるなどの間接的な意味でも、ミストは他者と戦い続けていました。ずっと不安な日々だったでしょう」
今までエルフだという事を隠し続けて生きてきた。
バレないようにといつも気を張り続けていた事でしょう。
きっと常に不安だったに違いありません。
「ですが、我々王家の者がミストを保護すると言ったらどうでしょう? もう、正体を隠す必要などなくなるのです」
『セイレーン国内だけですがね』と御母様が言います。
確かにセイレーン王家が保護するとなっては、たとえエルフと言えど受け入れるしかありません。
感情までは分かりませんが。
「カリス殿はこれからも戦いに身を置くでしょう。だから、ミストに言ったのです。『そんな自分に付いて来ないで王家の下で平穏な暮らしをしてくれ』と」
「・・・御兄様」
「今までカリス殿と共に行動する事が己の身を護る為に必要な事だったのです。でも、これからはそんな事をする必要はありません」
「自分に付いてくるという事はまた戦いに身を置く事になってしまう。そうカリス様は言いたいのですね」
「そうです。ルルシェ。だから、カリス殿は突き放すようにミストに告げた。何とも不器用な優しさです」
・・・御兄様。
本当に不器用で優し過ぎます。
「聖巫女様」
今までミストと話していた御兄様がこちらを見ます。
「何ですか? カリス殿」
「ミストの事、よろしく御願いします」
御兄様が頭を下げます。
その姿からは本当にミストの事が大事なんだと伝わってきました。
でも、そんな御兄様の後ろにいるミストは悲しげに俯いています。
「こいつは今まで本当に苦労してきました。それが報われる日がやっと来た。こんなに嬉しい事はありません」
いつもクールな御兄様が、今まで涙を見せた事のない御兄様が、今、ミストの為に、涙を流しています。
涙を見せる程に大切な存在なんですね。
・・・ちょっと羨ましいです。
「分かりました。カリス殿。この娘は私の姪です。必ず大切にします」
「ありがとうございます」
再度、頭を下げる御兄様。
・・・でも、良いんですか?
ミストが・・・ミストが悲しそうに表情を歪ませています。
もう瞳に涙を浮かばせて、いつ泣いてもおかしくありません。
「・・・御母様」
私は思わず呟いてしまいます。
でも、ミストの顔を見ていたら・・・。
「・・・・・・」
ニコッと。
私の方を見て、御母様が笑いました。
思わず、私も笑みを浮かべてしまいます。
あれは、御母様が何かを企んでいる時の顔ですから。
「ただし・・・」
「ただし?」
御母様の言葉に、御兄様が眉を顰めます。
さぁ、御母様!
言っちゃってください!
「貴方にはミストの近衛騎士も兼任してもらいましょうか。良いですね? ミスト“姫”」
やりました!
それでこそ御母様です!
『これで良いのでしょう? リース』
そんな視線を私に向けてきます。
だから、私は笑顔で御母様に頷きます。
『流石、御母様です』と。
それが伝わったのか、御母様も笑顔を浮かべてくれました。
「・・・え?」
事態が良く分かってなかったのか、ミストが首を傾げます。
でも、少しずつ分かってきたのか、悲しそうな顔が徐々に笑顔へと変わっていきます。
そして・・・。
「・・・は、はい! はい! 御願いします!」
満面の笑顔でミストがそう言いました。
近衛騎士。
それはただ一人を守護する為だけの役職です。
この役職に就いた者はその対象となる者の傍にいる事が許されます。
如何なる場所、如何なる場面でもです。
これなら、ミストが王位継承者となったとしても御兄様と離れ離れにならなくて済みます。
良かったですね、ミスト。
「し、しかし、俺では・・・」
「貴方はアークライン家の子息でしょう? 家柄的には問題ない筈ですが?」
「そうですが・・・」
「それに、そもそも近衛騎士は近衛兵とは違い、家柄、身分、年齢など関係ないのですよ。近衛騎士を選ぶのは守護される本人自身ですから」
近衛騎士は本人と共にいる事を認められた人物。
誰よりも近く、誰よりも長く、傍にいる事になります。
一人に対して、一人だけ認められる大切な騎士。
そんな者が変な柵に縛られて選ばれる訳ありません。
もちろん、信用、信頼できないような者はたとえ本人が望んでも御母様が許さないと思いますが。
「ミストは王位継承者の第三位にあたるのです。近衛騎士を選出し、任命する権利があります」
「しかし、俺が務めては・・・」
それでもなお、食い下がる御兄様。
「貴方の気持ちは分かります。大事に思っているからこそ引き離したいのでしょう?」
「・・・・・・」
「ですが、それは大事な女の子を泣かせてまでする事ですか?」
「えっ?」
御母様の言葉に、御兄様が眼を見開き、御母様を見詰めます。
その後、その言葉の意味に気付き、後ろに振り返ります。
そこには、涙を浮かべながら喜ぶミストの姿がありました。
「ミストは今、涙を流して喜んでいます。ですが、その涙は喜びからではありません」
「・・・・・・」
「その涙は先程、悲しくて流したものです。ミストを泣かせてまで貴方はミストを引き離そうとするのですか?」
「そ、それは・・・」
「カリス殿! 騎士として女性を泣かせるとは何たる事ですか! ミストは貴方の大切な女の子。それならば、貴方が自分で護ろうとしないでどうするのです!?」
「・・・・・・」
御母様の一言に、御兄様は黙り込みます。
・・・御兄様。
きっと御兄様の中で大きな葛藤があるんだと思います。
でも、“騎士”として誇り高い御兄様が、ああまで言われて、そのままでいるとは・・・。
「・・・分かりました。引き受けましょう。ミスト姫は俺が命に代えても護りきってみせます」
そうですよね。
御兄様なら、そう言うと思っていました。
「それでこそ、カリス殿です」
ニコッと御母様が笑います。
私も『それでこそ御兄様だ』と感じました。
きっと御姉様もそうだと思います。
こうして、ミストの王位継承者入りと同時に御兄様の近衛騎士任命が決まりました。
新しい妹みたいな存在も出来て、御兄様の立場きちんと決まりましたし、万々歳です。
・・・ただ唯一残念なのは御兄様がミストの近衛騎士に決まってしまった事ですかね。
私と御姉様はまだ近衛騎士はいませんから。
もちろん、私達にも近衛騎士を任命する権利はありますが、ずっと御兄様が私も御姉様も護ってくれていたので、無理に選ぶ必要がなかったんです。
でも、これで御兄様を私と御姉様共通の近衛騎士にするという望みは駄目になっちゃいましたね。
残念です。
もし、私の近衛騎士だったら、ずっと私は御兄様と一緒にいるのに・・・。
ミストが羨ましいです。
~SIDE OUT~