第十五話 別れ
「私達は代々貿易業を生業としてきたわ」
一騒乱を終えて、関係者達はアナスハイムの屋敷へと集まっていた。
力を貸してもらった領民達にはジャルスト自らが礼を述べ、被害を受けた者にも弁償するなど寛大な処置を施した。
屋敷へと招待された彼女達は大広間へと案内され、そこで彼女達は事の顛末を話す事となった。
「海人である私達は上手く正体を偽り、人間にも亜人にも邪魔される事なく商業をする事が出来たの」
海人であると示せば、貿易業の恩恵さを知る為、港も彼女達の入港を拒む事はないだろう。
また、何も言わず、人間と偽れば、人間の国も彼女達を積極的に招き入れる。
それは、亜人のみが持つ秘薬や武器、装飾品、衣類など、眼に珍しい物が手に入るからである。
もちろん、亜人の物だからといって嫌悪感を示す者もいるが、斬新な文化に触れる事は人間にとっても無常の喜びと言える。
「人間、亜人に拘らず品物を入荷し、出荷していったという事か」
「それなら、貴方達は亜人や人間に拘りがないって事?」
ジャルストが感嘆し、マズリアが問いかける。
「人間だろうが亜人だろうが私にとっては商売相手でしかないの。商売相手に拘ってたら貿易業なんて破綻だわ」
「それと、一応だけど忠告しておくわ。勘違いはしない事ね。私達が商売する相手は公正な商人であって、危険物の密輸なんかはしてないわ。相手はきちんと選んでる」
マズリアの問いに、シーザーは冷静に答えるが、ユリアは何が気に入らないのか、憮然とした態度で補足した。
「では、貴方達がミストを攫った、いや、保護しようとしたのはどうしてなんだ?」
疑問に思ったカリスが二人に問いかける。
人種に拘りがないのなら、亜人が人間と一緒にいるという事も気にしないと思ったからだ。
「船で話した通りよ。亜人に親しい国として有名なセイレーンとて亜人を奴隷に扱っている人間がいる。そんな人間を信用できて?」
「・・・信用は出来ないだろうな。貴方達も亜人の一種だ。嫌悪感を抱かない訳がないだろうからな」
「ええ。私達は様々な国を回り、結果、亜人と人間は分かり合えないものだと結論を出したの」
「ッ!」
シーザーが言い切った内容に、カリスは思わず席から立ち、シーザーに告げる。
「不可能ではない。貴方達がどのようなものを見てきたのか俺には分からないが、そんな簡単に決めて欲しくはない」
「そうね。でも、私はこう思うの。セイレーンで保護されたとて、人間と生活を共にする亜人なんて希少。結局、亜人で集落を作り暮らしている」
「それなら、結局場所が変わっただけで、亜人達の生活が変わった訳じゃないわ。それは果たして人間と亜人が親しくしていると言えるの?」
「それは・・・」
シーザーやユリアが言っている事は間違いなく事実だった。
セイレーンの主都とて亜人の姿は極僅か。
それなら、地方では本当に一人いるかいないかというぐらいの人数でしかないだろう。
結局は集落を作り、そこに保護するという名目で暮らさせているだけで、親交を図っている訳ではない。
この程度なら、亜人親和派と主張しても浅く見られるだけである。
「もちろん、人間が一方的に悪いだなんて思っていないわ。私達は亜人が人間を奴隷のように扱っている所も見た事があるし」
「・・・・・・」
その言葉に、一同は絶句した。
そう、どうしてその問題に気が付かなかったのだろうか?
人間が亜人を奴隷にするように亜人が人間を奴隷にする事もあるのだと。
寧ろ、根本的な意味で劣っている人間にとっては亜人の存在は恐怖でしかなく、抵抗する術も持たず働かされているのではないか?
「だからこそ、私は考えたのよ。亜人は亜人が、人間は人間が引き取るのが最も無難な事であると」
「だから、私達はその子を保護したって訳。人間と一緒にいても苦しいだけだろうからね」
皮肉るように告げるユリアにミストとローゼンの眉がピクッと反応する。
「・・・苦しくなんかないです」
「余計なお世話よ。私はカリス様の傍にいる事が望みなんだから」
意思の込もった表情でそう言われれば、ユリアも口を閉じるしかなかった。
「そうなのよ。だから、私達も困惑してるの?」
「困惑してる? どういう意味だ?」
困ったように話すシーザーにカリスが問いかける。
「私達は分かり合えないという結論を出した。だから、亜人は保護し、人間も保護した。それぞれの故郷に送り返してあげるのが相手も望んでいるものだと信じて」
「人間も保護していたのか?」
「ええ。流石に色々合って国許までは送ってあげれなかったけどね。おっと、話が逸れたわね。でも、そこで貴方達の存在は私達の結論を揺るがすものとなってしまった」
ゆっくりと自分の考えを話していくシーザー。
周囲も黙って聞いている。
「正直、血だらけで貴方が出て来た時、思わず身震いしてしまったのよ。まさか、亜人の為にここまで身体を張る人間がいるなんて思っていもいなかったから」
「そうね。それだけは私も認めているわ」
『お前には言われたくない』
恐らく、カリス側の人間は総じてユリアに対してそう思っている事だろう。
何といっても傷付けた本人なのだから。
「同じ人間に対してもそこまでの事を出来る人間がどれ程いる事か。それを貴方は亜人であるあの子達の為にやった。これは賞賛に値する事よ」
「俺にとって亜人だろうが人間だろうが大事な家族だからな。家族の為ならいくらでも身体を張る」
「危ない考えだけど、それが貴方を形作っているんでしょうね」
しみじみと呟くシーザー。
「まぁいいわ。で、私達のここでの結論。亜人と人間の関係は極めて良好。私達が干渉する必要はどこにもなかったようね」
「亜人と人間が分かり合える光景なんてないと思ってたのに。ここは変な所ね」
「一言余計よ。ユリア」
「フンッ」
可愛らしい容姿であるのに異様なまでに毒舌なユリア。
このギャップには誰もが驚いている。
話さなければ上流階級のお嬢様という雰囲気を醸し出しているからだ。
「ごめんなさいね。私達は余計な事をしてしまったみたいで」
シーザーがミスト達に頭を下げる。
「・・・いえ」
「別に私達は気にしてないわよ」
そんなシーザーを二人は簡単に許した。
「貴方達も二人を思っての事だったんだ。気にしないでくれ」
「・・・・・・」
カリスの言葉に、眼を見開く二人。
「互いが互いを奴隷として扱う。そんな光景を眼にしていれば、このような行動に出るのもおかしくない。いや、それを実行に移す貴方達は立派だと思う」
「・・・・・・」
「俺は両者の関係を憂うだけで何も実行できていなかった。それに比べ、貴方達は確実な成果を残している。それは素晴らしい事だと思う」
「・・・・・・そう」
「貴方達の活動で救われた人もきっと多いはずだ。感謝してくれている事だろう。貴方達は確実に両者の蟠りを減らしていっている」
「・・・ありがとう」
シーザーがそっと呟く。
『ここまで自分達の事を理解してくれるなんて』
そうシーザーは思った。
無論、自分達は正しい行いをしてきたと考えている。
『だが、それは本当にそうなのか? 自己満足だったのではないか?』
そうシーザーは常々考えていた。
奴隷を解放し、生まれ故郷に運んだとしても、生活がいきなり楽になる訳ではない。
寧ろ、奴隷としてギリギリ食物を口に出来ていたが、帰ってからは職もなく食物も口に出来ず、餓死するような人も事実存在した。
そんな人達にとっては自分達は死を運んだようなものではないだろうか?
奴隷として暮らすことが当事者にとって辛いことなのは事実の筈。
でも、だからといって、闇雲に解放するだけで本当に当人達は満足してくれるのだろうか?
結局の所、自分達は救っただけという事実から眼を逸らし、自己満足に浸っているだけではないのだろうか?
救出活動を始めてから、シーザーはそう悩んでいた。
もちろん、仲間達はこの活動を全面的に肯定してくれている。
『立派な活動だ』
そう言ってくれている。
だが、解放した奴隷達からその場で感謝されても、国に帰した後どうなったかなどは聞いた事がない。
聞くのが怖い。
『自分達は自分達の活動を肯定したいが為に、そんな人達から眼を逸らしているんだ』
その罪悪感がシーザーを苦しめていた。
だが、今、カリスの言葉で一気に救われた気がした。
シーザーにとってカリスは本当の意味で亜人の事を考えてくれている人間。
今までに見た事のないタイプの人間だが、その瞳、姿勢を見ていれば、充分信頼に値する。
そんな亜人の事を本当に想ってくれている人からの肯定の言葉。
これに勝る喜びはないだろう。
初めて第三者から肯定してもらったというのも大きいだろうが、それがカリスだった為にその喜びは更に大きくなった。
シーザーのみならず、ユリアもカリスの肯定の言葉に喜びを浮かべた。
自分達の行いを肯定し、喜んでくれれば、嬉しいものだろう。
ユリアは胸の奥が暖かくなるのを感じた。
「これで話を終わりよ。そろそろ私達は行くわね」
「ああ。話が聞けてよかった」
シーザー、ユリア、ララックが席から立ち上がる。
それをカリス達も席から立ち、見送る。
シーザーとカリスは互いに歩み寄り握手を交わす。
「友好の証かしら?」
「そうだな。貴方達とは友となりたい」
互いに顔を見合わせて微笑む二人。
この瞬間、彼らは人種の壁を越えて分かり合えたのだ。
「それじゃ、行くわね。また、ここには寄らせてもらうわ。ここは良い品物が幾つもあるからね」
「ああ。その時は歓迎しよう」
笑顔を浮かべながら、三人は部屋から立ち去っていく。
それを笑顔で見送る一同。
だが、事が起こったのはその時だった。
「だ、旦那様!」
三人が扉を開ける前に、オハランが勢い良く扉を開けたのだ。
「オハラン! 客人の前で失礼だぞ」
たちまちジャルストが注意するが、オハランに今、それに応える余裕はない。
三人はいきなりの事態に顔を見合わせる。
「く、国より視察が参っています」
「視察だと? 内容は? 責任者は誰だ?」
「な、内容は亜人の秘匿。せ、責任者はカイム・ミステル伯爵です」
「何!? それは確かか?」
「はい。間違いありません。現在、この屋敷に向かっているとの事です」
「早過ぎる! 亜人の誘拐だなんて事件が起きたとしても、こうも早く対応できる筈がない」
「恐らく、ミステル伯爵がアナスハイム家の事を注意深く監視していたのでしょう。だから、こうも早く。それに、アナスハイム領内で聞き込みもしていたようです」
「クッ! 若造が!」
「・・・遂に来てしまったか」
叫ぶジャルストの傍でカリスがそっと呟く。
いつかこういう日が来るだろうという事は覚悟していた。
しかも、責任者はカイム。
アナスハイム家に、いや、カリスに対し個人的な恨みもある。
執念深くこちらの様子を探っていたのだろう。
そんな彼の事だ。
どんな細かい事でも追求し、間違いなく家を陥れようとする筈だ。
それ程の確執がカイムとカリスの間にはある。
それを自覚しているカリスとしては避けられない事態であり、そして、想定内であったからこそ、冷静でいられた。
「どういう事?」
状況が掴めないユリアが呟く。
「アゼルナートでは亜人を領内に匿う事を罪としているんだ」
「そんな事を罪にしているの? 人間ってくだらないわね」
「ハハハ。そうだな。違いない」
「兄さん! 何でそんなに冷静なのよ!?」
和やかなムードで話しているカリスにトリーシャが叫ぶ。
「分かってるの!? 今この状況で踏み込まれたら、間違いなく秘匿がバレるよ。そうなれば、アナスハイム家は」
「分かっているさ。だから、こういうとき、どう対応するかも分かっているつもりだ」
「カリス。それは・・・」
「お前・・・」
カリスの言葉に、ジャルスト、エルムストが呟く。
次にカリスから飛び出す言葉。
それが予想できるからこその呟きだ。
「父上。母上。先程も言いました。もし、ミスト達の事が露見したら、俺を躊躇せずに家から追い出してくださいと」
「カリス。それは・・・」
「分かっている筈です。ここで俺との関係を切る事と匿い、秘密とする事のどちらが安全であり、利点があるか」
「・・・・・・」
カリスの言葉に、家族達は黙り込むしか出来なった。
「兄上は俺と違い軍務、政務のどちらでも優秀です。トリーシャも宮廷魔術師団に入団できる程に優秀なマジシャンです。きっと良い嫁ぎ先も見つかるでしょう」
「カリス・・・」
「兄さん・・・」
エルムスト、トリーシャが呟く。
「カリス。俺は言ったはずだ。『そう簡単には諦めない。家族を救う為に動かぬ程、俺は薄情ではない』と」
「はい。父上のその言葉、生涯忘れる事はないと思います」
「そうか。ならば、俺が取る行動は分かっているだろう」
「はい。ですが、だからこそ、俺はここを出て行きます」
「何? どういうつもりだ?」
ジャルストが怒ったような顔でカリスに問いかける。
「父上はどんな犠牲を出してでも、俺を救おうとしてくれるでしょう。ですが、それでは犠牲となる領民達はどう思うでしょうか?」
「領民?」
「俺と領民を天秤にかけた時、父上。貴方ならどうしますか?」
「それは・・・」
ジャルストは答えられない。
家族としてカリスは失う事のできない大切な存在だが、領民もアナスハイム家にとっては掛け替えのないもの。
その両者を天秤にかけた時、どちらに傾くかなど・・・。
「そう。それでいいんです。父上。俺が父上に大切にされている事は理解しています。ですが、アナスハイム家にとって護るべきは領民。違いますか?」
「・・・・・・」
カリスの言葉に、ジャルストは黙り込んでしまう。
確かに、ジャルストが何かしらの行動を取れば、領民に被害が出る事は間違いない。
一人を救う為に、何人もの人に被害を被らせてしまう事になってしまう。
例えばの話だ。
アナスハイム家の家族全員で逃げ出す事も出来なくはない。
だが、そうなれば残された領民はどうなるだろうか?
逃亡者が治めていた領地の領民として新しく入った領主に軽蔑され、理不尽な税などで苦しめられる事だろう。
そうなれば、アナスハイム家は先祖に申し訳が立たない。
何より、愛する民が傷つくのをジャルスト達は耐えられない筈だ。
「・・・カリス。貴方は私達の子。後は親に任せて隠れていなさい」
「母上。母上の気持ちはとても嬉しい。ですが、最良の方法はこれだと貴方も理解しているのでしょう?」
「カリス。我が子の為に犠牲になるのがそれ程いけないことなの? 私達は貴方にとってそんなに頼りにならないの?」
「母上・・・」
マズリアの言葉に、カリスも黙り込んでしまう。
「そうだよ。兄さん。まだ諦めるのは早いって。きっと他にも対処法がある筈だよ」
「そうよ。カリス。他の方法を試してからでも遅くないわ」
トリーシャ、マズリアは懸命にカリスを説得する。
だが、カリスは首を縦に振らない。
「責任者はミステル伯爵。どんな些細な事でも見逃さない筈です。あの人は俺に恨みがある筈ですから」
「・・・それは・・・」
『ただの逆恨みだよ』
そうトリーシャは言いたかった。
だが、逆恨みだろうとなんだろうと今の状況では何も変わらない。
「・・・それで、お前はどうするつもりなんだ?」
今まで黙り込んでいたエルムストがカリスに問いかける。
「これからお前がどうするのか。それが明確でないのなら、俺はお前の行動を認める訳にはいかない」
「・・・それなら、納得していただければ認めてくださるのですね」
「・・・そうなるな」
「エルムスト兄さん!」
エルムストの返答に思わず大声を上げてしまうトリーシャ。
「冷静に考えろ。トリーシャ。俺達が取れる行動はカリス達の隠蔽か、カリス達を追放するか。この二択しかない。時は刻一刻と迫ってきているんだ。決断は早い方が良い」
「そ、それなら、エルムスト兄さんは兄さんを・・・カリス兄さんを追放していもいいというの?」
「俺達は領民と家の事を最優先に考えなければならない。その中で最良の選択をしなければならないんだ」
「兄さん! 家族を失ってまで、領民や家の事を優先しなければならないの!?」
「トリーシャ! 我が家の家訓を忘れたか!? 俺達は何よりも領民の事を考えなければならないんだ! 口を慎め!」
「兄さんのバカ! 父さん。母さん」
「・・・・・・」
「・・・・・・」
トリーシャに視線を向けられても、何も応えてあげられないジャルストとマズリア。
トリーシャの瞳から涙がこぼれ落ちる。
「どうして!? どうして皆兄さんをそんな簡単に諦められるの!? 家族じゃないの!? 家族は何よりも優先するものじゃないの!」
泣きながら叫ぶトリーシャに対し、周囲は黙り込むしかなかった。
そんな中、カリスがそっとトリーシャに近づく。
「ありがとう。トリーシャ」
そして、優しく、暖かく抱き締めた。
「・・・兄さん・・・」
「お前の気持ちは嬉しい。でもな、勘違いするなよ。父上。母上。もちろん、兄上だって、俺の事を助けてくれようと一生懸命なんだ」
「でも・・・」
「ああ。それでもどうしようもないから、こういう結論になってしまっただけだ。皆だってお前と同じ気持ちなんだよ」
「・・・兄さん・・・」
「確かに俺はアナスハイム家からは追放となる。だが、どこにいっても俺は必ず生きる」
カリスがゆっくりと優しく言葉を紡ぐ。
「アナスハイムという括りがなくとも、俺はお前にとって兄だ。お前は大切な俺の妹だ。生涯、忘れる事はない」
「・・・兄さん・・・」
「いずれ、機を見て会いに来るさ。だから、アナスハイム家の為、何より領民の為に、俺の追放を認めてくれ」
「でも、私は兄さんを失いたくない」
「大丈夫だ。言っているだろう? アナスハイム家から追放されても俺はお前の兄だ。家族だ。お前は何も失っていない」
「・・・・・・」
「また会いに行く。だから、認めてくれ」
「・・・やっと、やっと五年間も我慢して再会したんだよ。それがもう会えないの? お忍びでしか会えないようになっちゃうの?」
「・・・・・・」
カリスのトリーシャを抱き締める腕の力が強まる。
「やだよ。兄さん。兄さんとはいつでも、どんな所でも会いたいよ。一緒に街を歩きたいよ。色んな所に行きたいよ。笑顔でずっと一緒にいたいよ」
「・・・トリーシャ・・・」
「離れたくないよ。傍にいてよ。もう何処にも行かないでよ」
涙を流しながら、懇願するように話すトリーシャ。
抱き締めるカリスの力は更に強くなる。
「・・・・・・」
ただ無言で抱き締め続けるカリス。
最早、言葉での説得は無理だった。
カリスはトリーシャの言葉を待つ。
「・・・・・・」
「・・・・・・」
周囲もただ黙り込んでいる。
しばらくして、ようやくトリーシャが口を開いた。
「もう決めちゃったんだよね」
「ああ」
「・・・分かった」
目元に溜まった涙を拭き、トリーシャはカリスと向きあう。
そして・・・。
「・・・・・・」
「・・・え?」
「なッ?」
「ッ!!」
その唇に自らの唇を合わせた。
「ト、トリーシャ?」
いきなりの事態に呆然とするカリス。
「フフフ。最愛の妹の唇を奪ったんだから、無事に会いにこないと許さないんだからね」
頬を赤く染めながらもそう言い切ったトリーシャ。
「ハハッ。分かった。必ずまたお前に会いに行こう。トリーシャ」
呆然としていたカリスもトリーシャの言葉に笑みを浮かべてそう答えた。
「奪ったって。自分からしといてか」
「エルムスト兄さん。何か言った?」
「いや。何も」
緊迫していた筈の空気が何故か和やかになってしまっていた。
「コホン」
エルムストが場を正す。
「それで、カリス。どうするつもりなんだ?」
「はい。セイレーンへ向かおうと思います」
「セイレーンに? まぁ、あそこは唯一の亜人和親国だからな」
「はい。セイレーンならばいくらかの伝手がありますし、ミスト達を連れていても問題ないでしょうから」
「・・・そうか」
向かう先としては間違いなく最良であり、エルムストはこう呟くしかできなかった。
「だが、そう簡単には逃げられないぞ。どうするつもりだ? お前は最早有名人だからな」
カリスにジャルストが問う。
「そこでですが。父上。俺を殺してください」
「なッ!?」
カリスの返答に絶句するジャルスト。
周囲も眼を見開いていた。
「どういう意味だ?」
「正しくは死亡扱いするよう工作してくださいという事です。流石に死亡扱いされれば探されないでしょうから」
「・・・罪状が出る前にお前が亜人達と逃げ出し、お前を死んだ事にすれば、誰も罪人にならずに済み、かつ、お前が姿をくらましたのに正当な理由がつくという訳か」
「はい。その通りです。父上」
「確かにそれなら一気に解決するかも知れん。だが、それ程上手く行くのか?」
「成功させるしかありません。そうしなければ、上手く解決しませんので」
真剣な表情で見詰めあう二人。
「詳しく話せ」
「はい。まず、ミストとローゼンをすぐさま領外へと連れ出し、幾日か隠れていてもらいます」
「そうだな。次は?」
「ミステル伯爵には俺が対応しましょう。ミステル伯爵には俺の存在を確認してもらう役目になってもらいます」
「ミステル伯爵を逆に利用するという事か」
「はい。その時、伯爵には亜人がいない事の証人となってもらいます。上手くすれば時間は稼げるでしょう。監視は厳しくなると思いますが」
「だろうな。一度証拠を掴んだんだ。俺達を陥れるのを諦める訳がない」
「そして、幾日か経ったら、俺達騎士団の拠点を燃やしてしまってください。俺の骨が残らないくらい激しく」
カリスのその言葉に、誰もが驚きの顔を浮かべる。
「ダ、ダンナ。あそこを燃やしちまうのか?」
ラミットが慌てた様子でカリスに問う。
「ああ。勿論、お前達の荷物ごとではない。燃やし、証拠とするのは全て俺の私物にするつもりだ」
「いや。そうじゃなくてだな」
「あそこを燃やしてしまったら、私達騎士団としての活動が・・・」
嘆くように呟くアリア。
そんなラミットとアリアの様子を見て、カリスは真剣な表情になり、二人に告げた。
「そうだな。二人にはきちんと言わなければならない」
「えッ?」
カリスが二人を見詰めながら、二人にとって大きな意味を持つ言葉を発した。
「今日をもって、天竜騎士団は解散とする。今まで俺に付き従ってもらい、二人には感謝の言葉もない」
「ッ!?」
「え・・・」
頭を下げるカリスとそれを呆然と眺める二人。
突然の申し出に、言葉すら失ってしまう。
「勝手ですまないが、こうなってしまったら騎士団として活動する事は不可能だ。二人には突然で申し訳ないが・・・」
「ちょ、ちょっと待て。俺はここが気に入ってるんだ。急に解散って言われても困るぜ」
「はい。私もまだラインハルト様に充分な指導をしてもらっていません」
「そう言ってくれるのは嬉しい。だが、ここで俺と共に来た所でお前達に利点はない。もし共に来たら、お前達も死亡扱いとなり、二度とこの国で傭兵としてやっていけなくなる」
「そ、それは・・・」
傭兵は意外と組織だった繋がりが多い。
一度、傭兵として国のギルドに登録する必要があるからだ。
だが、そこで死亡扱いされる事があれば、登録は抹消され、二度と活動できなくなるだろう。
他国に行けば良いかも知れないが、どんな時に仕事があるか分からない為、たとえ一つの国といえども信用を失いたくはなかった。
「今なら、天竜騎士団の元団員として高給与で雇ってくれるはずだ。俺はお前達に迷惑をかけたくない」
「ダ、ダンナ・・・」
「ラインハルト様・・・」
カリスの言葉に二人は黙り込むしかなかった。
「死亡扱いされるのは俺だけで充分だ。幸いな事に騎士団の規模、団員はそれ程周囲に出回っていないからな。俺の死亡がそのまま騎士団解散に繋がる」
「・・・・・・」
「セリスには何も言わずに実行する。あいつが何か関与していたと知られれば国内でのあいつの立場が危うくなるからな。騎士団が解散すれば国の騎士隊に戻る事が出来るだろう」
「セリスさんには何も知らせないと?」
「ああ。その方があいつにも良い。二人もセリスに会っても何も言うなよ」
「・・・あいよ」
「・・・分かりました」
カリスの言葉に二人は力なく頷くしか出来なかった。
「・・・お前の意見は分かった」
ジャルストがカリスに告げる。
「皆もそれでいいか?」
「・・・・・・」
黙って頷く事しか出来ない一同。
カリスの決心は今更覆せるものではなかった。
「拠点で燃やすものはお前に任せる」
「はい。分かりました」
「ならば、早速実行に」
「待って!」
実行に移ろう。
そんな時にシーザーが声をあげる。
「どうやら私達のせいでこんな事になってしまったみたいね」
「いや。なるようにしてなった結果だ。貴方達が気にする必要はない」
シーザーにカリスがそう告げるが、シーザーは納得していない。
「だから、罪滅ぼしという訳ではないけど、協力させて欲しいの」
「協力?」
「ええ。まず、二人の脱出先だけど、私達の船を使うといいわ。私達が匿ってあげる」
「しかし、それでは迷惑が・・・」
「それぐらいはさせて。それに私達にはとっておきがあるのよ」
「とっておき?」
「ええ。見てて」
首を傾げる一同にシーザーは力強く頷く。
そして、ミストに近づくと、そっと帽子を取る。
「この子を匿うのにはこの耳さえ隠せば良い。そうよね?」
「・・・そうだな」
「それなら・・・」
そう言った後、詠唱に入る。
そして・・・。
「これで問題ない筈よ」
ミストの手をシーザーが握ると、なんとミストの耳が人間の耳と全く同じになった。
「えッ?」
唖然とする一同。
「忘れたかしら? 私達は陸に上がる為に下半身全てを人間に擬態できるの。耳程度なら簡単よ」
「に、兄さん! これなら、これからも隠し通せるよ」
希望が出来たからか、笑みを浮かべるトリーシャ。
だが、他の一同は安堵の表情は浮かべながらも喜んでいる様子はなかった。
「良かった。これなら、疑われる事なく脱出できるな」
「ええ。引率は任せて。私が責任を持って二人を匿うわ」
「頼む」
頭を下げるカリス。
「兄さん?」
そんなカリスにトリーシャはキョトンとしている。
折角別れなくても済みそうなのに・・・。
そう考えているのだろう。
だが、現実はそう甘くなかった。
シーザーがミストの手を放すと瞬く間にエルフの耳へと戻ってしまったのだ。
「・・・どういう事?」
「残念だけど、この魔術は私達海人が対象に触れている事が条件の魔術なのよ」
申し訳なさそうに答えるシーザー。
「・・・そっか」
落胆するトリーシャ。
だが、すぐに表情を戻し、カリスを見詰める。
「それとセイレーンまで送ってあげるわ。次の目的地もセイレーンだったしね。ほとぼりが冷めるまで私達の船にいるといいわ」
「何から何まで済まない」
再度、頭を下げるカリス。
「いいわ。なら、早速、私達は二人を連れて船に戻るわ。貴方も上手くやりなさい」
「ああ。頼む。ミスト。ローゼン。船で待っていてくれな。俺も数日したらすぐに行く」
「・・・はい。分かりました」
「御意に。御無事をお祈りしています」
ローゼンがシーザーによって、ミストがユリアによって、擬態され、それぞれ船へと連れて行かれた。
きっと彼女達なら上手く匿ってくれる事だろう。
「・・・カリス」
「申し訳ありません。不孝をお許しください」
「いいのよ。生きていれば。私はそれだけで充分」
頭を下げるカリスにマズリアが近寄り、抱き締める。
「貴方を拾ってからもう二十年が経とうとしているわ。・・・いつの間にかこんなにも大きくなっていたのね」
「母上。俺は貴方達に拾われた事を幸せに思います。俺が今ここにこうしていられるのも貴方達のお陰ですから」
「そう・・・。カリス。立派になった貴方を身近で見ていられないのは残念だけど、貴方ならどこに行っても頑張れる筈だわ」
「はい。母上」
「頑張りなさいね。貴方はいつまでも私の息子なんだから」
「ありがとうございます。母上」
抱き締めてくる母に対し、子としてカリスはマズリアを抱き締め返す。
「カリス」
「はい。父上」
苦虫を噛み潰したような表情のジャルスト。
その表情は、情けなさ、葛藤、申し訳なさ。
それら全てが含まれる複雑な感情からくるものだった。
だが、いつまでもこのままではいけない。
そう思い、ジャルストは深呼吸し、普段道理の表情に変えた。
「二十歳になったら、お前に渡そうと思っていた物がある。それを今、お前に渡そう」
『ちょっと待っていろ』
そう言って、ジャルストが部屋を退室していった。
「カリス。今から渡す物はね。貴方を拾った時に貴方の傍にあった物なのよ」
抱き締めていたカリスから離れ、マズリアが涙を拭きながら語る。
「俺を拾った時にですか?」
「ええ。御伽噺みたいな話だけど、貴方は川を渡ってアナスハイム領に辿り着いたのよ。偶然、流れ着いた貴方を私達が見つけて、保護したの」
「・・・自分の事ですが、不思議な話ですね」
「本当にね。その時の貴方はとっても小さな赤ん坊で、籠の中で毛布に包まれていたのよ」
当時を思い出しているのか、マズリアの表情はとても優しげであった。
「・・・本当に感謝しています。誰の子供なのか分からない俺を我が子のように」
「我が子のように? 違うわよ。貴方は“我が子”なの。血が繋がらなくても貴方は私の子。離れ離れになっても貴方は私の子なのよ」
「・・・はい。母上」
再度、涙ぐんでしまうマズリア。
エルムストもトリーシャも感化されたのか、瞳に涙を浮かべている。
「待たせたな」
そんな時、漸くジャルストが部屋に帰ってきた。
そして、そのまま、カリスのもとへと向かう。
「これだ」
ジャルストからカリスに渡された物。
それは・・・。
「・・・これは・・・何て深い紅」
深紅の宝玉。
握り込んでしまえば見えなくなる程に小さいもの。
だが、その小さな宝玉から発せられる存在感が何と凄まじい事か。
光り輝き、陽の光が無くてもそれ単体で輝いてしまえるのではないかと思える程にその輝きは眩しく、神々しい。
たとえ宝玉に興味がなくとも、それを眼にすれば殺し合いになってでも欲しがるだろう。
たとえ宝玉に詳しくなくとも、それを眼にすれば誰もが口を揃えて“至高の宝玉”だと言うだろう。
それ程までに妖艶な魅力で溢れ、人を瞬く間に虜にしてしまうであろう魅惑の一品であった。
気付けば、その宝玉を初めて見たエルムストとトリーシャはウットリしながら宝玉を凝視してしまっている。
「見て分かるように、この宝玉は人の感覚を狂わせる程に魅力溢れるものだ。危険と感じる程にな。だから、お前が自分の身を護れるようになったら渡すつもりでいた」
「その目安が二十歳だったのよ。貴方に武術の才能があろうとも、魔術の才能があろうとも、私達なら貴方を強くできる。そう思って、貴方を鍛えてきたわ」
「この宝玉が何なのかは俺達も分からない。だが、確実に大陸でも最高峰に数えられる至高の宝玉だろう。国単位でもあるか、ないかぐらいの物だと俺は思う」
真剣な表情でそう語るジャルスト。
マズリアも真剣な表情でカリスを見詰める。
「酷な事を言うようだが、お前の両親は既に死んでいるかもしれん」
「・・・はい」
ジャルストの一言にカリスは眼を見開くも、すぐに頷く。
「だから、お前はこれを両親の形見として後生大事にするといい」
「はい。父上」
手を開いて、宝玉を見ていたカリスは、それを力強く握り締めて、頷いた。
「これ程の物を贈れる両親だ。恐らく、お前は相当に高貴な生まれだろう。だが、それは誰にも見せない方がいい」
「変な争いに巻き込まれないように・・・ですか?」
「そうだ。幼いお前に渡さなかったのもその為だ」
幼い頃にもしそのようなものを持っていたらどうなっていたか。
恐らく、殺してでも手に入れようとするだろう。
しっかりとした判断ができない子供に渡して、安心できる訳がない。
「ですが、これが俺の両親の証となるなら・・・」
呟くように告げるカリス。
『それを手掛かりに本当の両親を見つけたい。たとえ、既に死んでいたとしても・・・』。
その言葉、表情からそんなカリスの気持ちが痛い程に伝わってきた。
「・・・その判断はお前に任せる。お前はもう立派な大人だ。自分で判断しろ」
「はい。父上」
再度、カリスは力強く頷いた。
「黙っていてごめんなさいね。カリス」
「・・・母上」
「きっと、それは貴方にとって本当に大きな意味があると思うわ。だから、肌身離さず持っていなさい。きっとそれが貴方の為になるから」
「分かりました。母上。肌身離さず持ち歩きます」
泣き笑いのような表情でマズリアが頷く。
別れの時が近いと再認識したのだろう。
「カリス」
「兄上」
今まで黙っていたエルムストがカリスに近づく。
トリーシャもそれに続いた。
「アナスハイム家次期当主として、お前がアナスハイム家にいた事を誇りに思う」
「ありがとうございます。兄上」
手を差し出すエルムストに、カリスは手を握る事で応える。
「兄さん。約束は破ったら駄目だからね」
「分かっている。必ずまた会いに来るさ」
肩程の位置にあるトリーシャの頭を優しく撫で、カリスが笑みを浮かべる。
そんなカリスにトリーシャは涙を零しながらも、今の自分にできる最大の笑顔を見せる事で応えた。
その笑顔は今まで見た笑顔の中で最も綺麗な笑顔だった。
こうして、家族達との別れを終えたカリス。
彼らが再び合間見えるのは何時の事になるのだろうか?
「・・・今日でおさらばってか?」
拠点を前に、荷物を持ったラミットとアリアが語る。
「ラミットさん。そう言わないでください。止むを得ない事情があったんですから」
「しかしよぉ。これで俺達も前の傭兵生活に元通りって訳だろ。これからどうするよ?」
「そうですね。しばらくしたら、セイレーンの傭兵ギルドへ行ってみようと思います」
「セイレーンに? まぁ、お前の故郷だしな」
「まぁ、それもありますが、カリスさんが向こうで何もしないと思いますか?」
「って言うと?」
「カリスさん。向こうではラインハルト様ですが、カリスさんの求心力は凄まじいものがありますし、何より、あれ程の武の持ち主が何もしない訳がありません」
「まぁ、そうだな。単純に勿体無いだろう」
確信しているかのように断言しているアリアにラミットも同意する。
「恐らく、カリスさんは王家の宮廷で仕事をする事になると思います。そこで傭兵を必要とする可能性も決して低くありません」
「なるほど。そこに潜り込んでやろうって事か?」
「はい。上手く逃げたかも確認したいですし」
「いいねぇ。なら、俺もその案に乗させてもらうとするか。いいか? アリア」
「はい。ラミットさんならそう言うと思ってました。そうしましょう」
視線を合わせ、微笑みあう二人。
「おっ。ダンナが出てきたな」
二人の視線の先には拠点から出てきたカリスの姿があった。
「ダンナ!」
「あぁ。ラミットとアリアか。準備は終わったのか?」
「おう。もう全部運び出したぜ」
「すまんな。急な話で」
「何。気にしなくてもいいぜ。別にダンナが悪い訳じゃねぇしな」
「ありがとう。ラミット。これから二人はどうするんだ?」
その言葉に二人は顔を見合わせ、微笑む。
「そうですね。私はしばらくはこっちの方で傭兵を続けようと思います」
「あぁ。俺もだ。折角天竜騎士団元団員っつう便利な肩書きがあるからな。使わせてもらうぜ」
「そうか。是非使ってくれ。それでなくては申し訳が立たない」
笑みを浮かべて告げるカリスに二人も笑い合う。
「それで、ダンナ。証拠品として燃やしちまうのはどれにしたんだ。滅多な物じゃねぇと証拠にならねぇぞ」
「・・・ああ。悩んだな。悩んだが、結局、これしか思い浮かばなかった」
そう告げながら挙げるのは騎士の心、宝剣と己の武の心、ハルバードだった。
「ダンナ? 武器を燃やしちまうってのか? でも、それは・・・」
「ああ。俺にとって欠かす事の出来ない大切な物だ。だが、逆にこれが俺を証明する一番の物になる」
「・・・そうか。さぞかし無念だろうな」
「仕方がないさ。俺を証明する全ての物をここで消し去らなければならない。死亡扱いされるにはな」
「・・・そうかい。すると、ルルの奴はどうするつもりだ?」
「ああ。ルルなら、しばらくの間、アナスハイム家に預かってもらうつもりだ」
「預かるって。それで大丈夫なのか?」
「もちろん、続きがあるさ。当分の間、アナスハイム家にいたのを野に放てば、俺の死が怪しまれないだろう? ルルなら俺の所に戻ってくるなんて容易い」
「へぇ。流石はダンナのパートナーだな。しかし、ルルを見ただけで分かる奴は分かっちまうんじゃねぇか?」
「かも知れんな。だが、所詮は疑われるだけだ。明確な証拠にはならんさ」
「そうかい。ならいいけどよ」
多少不安は残るが、カリスが『大丈夫だ』と言い切ったので納得する事にしたラミット。
「そういえば、残念だったな。ダンナ」
「ん? 何がだ?」
「折角亜人であるミストちゃんと領民が本当の意味で分かり合えたのにすぐに別れねぇといけなくなるなんて」
「・・・ああ。本当に残念だ。だが・・・」
カリスが空を見上げながら答える。
「これが切欠で、領民達が亜人との蟠りを失くしてくれたら。それだけで俺は満足だ」
「・・・そうかい。まぁ、ダンナはそんな奴だったな」
カリスの言葉に苦笑を浮かべるラミット。
「今更だが、二人には本当に感謝している。二人がいなかったら俺達の隊はうまく機能していなかっただろうからな」
「いや。俺こそ感謝してるぜ。何といっても楽しかったからよ。今回はこんな終わり方だけどよ。またなんかあったら誘ってくれや」
「ああ。頼りにするよ。ラミット」
「こちらこそ、ありがとうございました。ここでの経験は今後の糧になると思います」
「そうか。それなら、良かった。もし、役に立ててなかったら、ラミットに面目ないからな」
最後だというのに彼らから笑みがなくなる事はなかった。
これが彼らの半年間で築いてきた関係なのだろう。
別れが決まっても、また再会できると笑みをもって別れられる。
「そうだ。アリア」
「ん? はい。何でしょうか?」
「最後にお前が戦う理由。教えてくれないか?」
「戦う理由ですか?」
「ああ。以前、俺達に教えても良いと思ったら教えてくれとお前に俺は言ったよな。それはまだ駄目か?」
「い、いえ。そんなに大した理由でもないのに、もったいぶっていて御恥ずかしい限りです」
「そうか。それなら、最後に教えてくれないか? お前の戦う理由を」
「はい。分かりました」
アリアがゆっくりと語りだす。
「ラミットさんもカリスさんも知ってると思いますが、私の生まれ故郷であるセイレーンはマジシャン中心の国です」
「ああ。人間が治める国の中では実質トップの魔術国家だな」
「俺みてぇな泥臭い戦いをする奴には肩身の狭い国だな」
「そうですね。だからこそ、私もこうして国の外に出て傭兵なんかをやっています」
苦笑しながら同意するアリア。
アリアが生まれたのはアゼルナートの北にある聖母セイレーンが建国したとされるセイレーン聖教国である。
この国は巫女と呼ばれる存在が尊ばれ敬われる国だ。
政治の中心も巫女達の代表者である聖巫女が務めており、巫女達の権力は貴族などよりも強い。
貴族があまり優遇されないという点では稀有な国だろう。
巫女とは国内に生まれた女性プリーストの事であり、その身を神であるファレストロードに捧げている。
そのことから分かるように、この国は大陸内で伝わるファレストロード教の総本山でもある。
女性が巫女に対し、男性は神官と呼ばれ、ファレストロード教を国民達に教えている。
女尊男卑という訳ではないが、建国者が女性な為、重要な役職は女性が着く事が多い。
現に王家は代々女性が代表となっており、セイレーンを治めている。
その女王こそが聖巫女と呼ばれ、国民達から愛されている存在なのだ。
プリーストは聖術を行使できる者の事だが、やはり王家の者だけあって、国内でも最高峰の魔術資質と魔力量を持つ。
そんな存在なのだから、巫女達の代表者となるのは当然の事だろう。
また、魔力という観点から、プリースト同様、マジシャンもこの国では優遇されている。
それは魔術資質や魔力量が他国に比べ、この国の民が最も優れているからである。
マジシャンは巫女のように国としての権力を持つ事はないが、主戦力として国から扱われ、戦場で中心となれる。
事実、政務観点で言えば、巫女が絶対の権力を持つが、軍務関係でいえば、貴族を中心としたマジシャン達が幅を利かせている。
平民に比べ貴族の方が魔術資質、魔力量、共に秀でている為、セイレーン貴族の誇りは魔術とも言える。
アゼルナートでいう剣が、この国では魔術という訳だ。
当然、主戦力がマジシャンである為、ソルジャーのような一般兵は冷遇されてしまう。
その結果、貴族から国民までもが魔術至上主義に染まってしまっていた。
「そんな国で私は貴族の娘であるのに、魔術が使えなかったんです」
アリアも貴族の娘として、貴族達が通う学校へと入学した。
だが、大抵の者がマジシャンであるのに対し、アリアは少数の一般貴族。
更に言えば、アリアは国内でも有数の上流貴族であり、家族の誰もが高い地位にいる。
その跳ね返りがアリアに来るのも当然の事であった。
良く捻くれずに今のような性格でいれたものだ。
「でも、それは我慢すれば良い事でした。私が魔術を使えないのは事実でしたから。同じように使えない何人かの友達と耐えてきました」
「魔術に妙に拘る連中だからな。セイレーンの国民ってのは。別に魔術が使えねぇでも生きていけるのによ」
ラミットがそう呟く。
彼自身、マジシャンの事を甘く見ているわけではない。
戦場で会えば、決して気を抜かない。
でも、だからといってマジシャンが全ての者より秀でているかといえば、違うと断言できた。
長年戦場に立てば、マジシャンを倒す術なんていくらでも見つかる。
ただでさえ、接近戦に弱いという弱点があるのだ。
そこからいくらでもつけこめる。
また、私生活に魔術が必要かと問われれば否であろう。
では、政治に魔術が必要かと問われれば、それもまた否である。
結局、魔術至上主義でも、魔術が必要な時なんて数が知れているのである。
それなのに、マジシャンがどうとか、魔術がどうとか、くだらない事にセイレーン貴族達は妙に拘り、魔術を行使できない者を卑下する。
意味のない拘りだとも言えよう。
「でも、そんな時に私は魔術が使えない自分が許せない程の事件が起きたんです」
「事件?」
「はい。相手は大規模な盗賊団でした。その一団が領地を襲い始めたんです」
盗賊、山賊、海賊。
賊徒は何年経っても無くす事の出来ない領主にとっての絶対的な敵対者である。
彼らとて、生きていく為には仕方のない事なのかも知れないが、領民を襲うのならば、領主が討伐しなければならない。
「数多の盗賊団が襲ってくる中、父上や兄上も迎撃に向かいました。それは魔術が使えるからです」
国の主戦力がマジシャンであるように、各地に存在する兵達も主戦力はマジシャンである。
「魔術が使えない私は屋敷の奥で震えている事しか出来ませんでした。それが本当に惨めで情けなくて・・・。何度泣いたか覚えていません」
武の心得があるならまだしも、彼女は魔術も使えず、戦闘の教育も受けていなかった。
そんな彼女が取れる行動は隠れる事しかなかった。
「それから私は戦う術を求めたんです」
「それでお前は傭兵になったと?」
「はい。セイレーンでは魔術の事は学べても他の事はあまり学べませんから。なら、国外に出て正式に教えてもらったほうがよいと考えまして」
主戦力がマジシャンである為、セイレーンではマジシャンの育成に力を入れていた。
それに反して、剣、弓、槍などの武術の育成にはあまり力を入れていなかったのだ。
確かにそんな所では充分な教育が受けられない。
「領民や家族を護る為に力が欲しい。それがお前の戦う理由が」
「そんな大層なものではありませんよ。ただ、一人で隠れているのではなく、自分も戦える術が欲しいと思っただけです」
「立派な信念だな。アリア。俺はお前を尊敬する。誰かを護りたいという気持ちが人を強くするからな」
「そんな。カリスさんにそう言われると照れてしまいます」
「フフフ。そうか」
アリアの話を聞き、満足したように頷くカリス。
そして、今、空を見上げている。
「俺は良い仲間に巡り合えたんだな」
ボソッとカリスが呟く。
「ん? ダンナ。なんか言ったか?」
「いや。なんでもない」
「そっか。んじゃぁ、俺らはそろそろいくとするぜ」
そう言って、荷物を持った二人はアリアのペガサスに跨る。
「そうか。今までありがとう。達者でな」
「おう。ダンナもな」
「カリスさん。兄によろしくお伝えください。私は元気にやってると」
「分かった。ラミット。アリア。元気でな」
空へと飛び上がっていく二人をカリスは地上から見送る。
「・・・やはり、これだけは捨てられなかったな」
カリスの手元に宝玉以外で唯一残った物。
それは戦争の際に身に付けていた何度も取り繕った跡のある古びたマントだ。
天竜騎士団の紋章の基となった大事な紋章も刻まれており、カリスにとっては何があっても失ってはならない掛け替えのない大切なものだ。
「未練か・・・。まだ俺はお前の事が忘れられないらしい。・・・クリミス」
ラインハルトの名を示し、カリスに大切な女性の存在を思い浮かばさせる唯一無二のマント。
カリスの呟きと共にそのマントはそっと優しい風に流された。
優しく包み込むように流れるその風に、カリスは眼を閉じ、温もりを感じていた。
・・・今夜、カリスはここアナスハイムと決別し、新しい人生を送る事となる。
願わくば、彼に幸あらん事を・・・。