破門された聖騎士の殉教
王都の白亜の大聖堂に、夕暮れの光がステンドグラスを透過して血のように差し込んでいた。
若き星誓騎士ロランは、冷たい大理石の床に膝を突き、一心に祈りを捧げていた。
その静寂を破るように、豪奢な絹のドレスをまとった公爵令嬢エレノアが歩み寄る。
「また民のための祈りですか、ロラン。……いい加減、その煤けた平民どもから私に視線を戻してはいかが?」
ロランは静かに振り返り、そのエルフのようにはかない美貌に、いつもの穏やかな微笑を浮かべた。
「エレノア様。神の前では、公爵家も、路頭に迷う民も、皆等しく愛されるべき存在です。私の祈りは、この国を生きるすべての人へ捧げられています」
エレノアは焦燥を隠そうともせず、ロランの白銀の手甲をはめた手を強く握りしめた。その瞳には、熱病のような恋情が燃えている。
「そんな綺麗事は聞き飽きたわ! 私はあなたを求めているの。我が公爵家の力を以てすれば、あなたを聖騎士の頂点へ押し上げることも、贅を尽くした暮らしを約束することもできる。……私を選びなさい、ロラン」
しかし、ロランはそっと手を引き、深く頭を垂れるばかりであった。
「ありがたきお言葉ですが、お断りいたします。我が剣とこの命は、神と、この国のすべての民に捧げられたもの。……個人の愛を受け入れることは、私にはできません」
「私を拒むというのね……?」
エレノアの声が激しく震えた。
望むものはすべて手に入れてきた公爵令嬢のプライドが、目の前の清らかな壁によって粉々に砕け散っていく。
「このエレノア・フォン・ローゼンバーグが直々に乞うているのよ!? 恥をかかされた私の誇りが、これを許すと思うの!?」
ロランは何も言わず、ただ悲しげに澄んだ瞳で彼女を見つめるだけだった。
その沈黙が、エレノアの心にドス黒い憎悪の火をつけた。
「いいわ。そこまで神とやらが大事なら、その神の御前で、奈落へ突き落としてあげる」
◇
数ヶ月後、大聖堂の審問の間は、氷のような静寂に包まれていた。
中央に立たされるロランの上座には、国の最高権力者である公爵夫妻、そして冷酷な笑みを湛えたエレノアが座っている。
枢機卿が重々しく机を叩き、罪状を読み上げた。
「聖誓騎士ロラン。公爵令嬢エレノア様より、重大な告発があった。エレノア様のお腹に宿る不義の子……その父親は、貴殿であると。これは聖誓を汚す最大の大罪である!」
ロランは微動だにせず、ただ静かに前を見据えていた。
エレノアは用意していたハンカチで目元を拭うフリをしながら、か細い声を絞り出す。
「……そうなのです、枢機卿。この男は清らかな聖騎士の仮面を被り、私の夜の寝室へ忍び込みました。私の気高き青い血は、この男によって汚されたのです!」
「ロラン! 弁明はあるか! 何か申し開きをせよ!」
枢機卿の怒号が響く。
しかし、ロランはエレノアをじっと見つめるだけだった。
その瞳には怒りも、恨みもなく、ただ深い哀れみだけが満ちていた。
「……私から申し上げることは、何もございません」
「沈黙は肯定とみなす! 聖誓を汚した大罪人ロラン! その称号を剥奪し、教会からも破門、この王都から永久に追放する!」
ロランは静かに一礼すると、白銀の外套を自ら脱ぎ捨て、罵声を浴びせられながら雨の降る王都から去っていった。
エレノアはその背中を見つめながら、爪が肉に食い込むほど拳を握りしめていた。
(どうして……? どうして言い返さないの!? 嘘だと叫べばいいじゃない! あなたのその澄んだ瞳が、私を狂わせるのよ……!)
◇
一年後、神の審判の如く、古代竜の襲来によって王都は炎の海と化した。
公爵邸の最上階、崩落した瓦礫に挟まれ、エレノアは生まれたばかりの赤ん坊を抱いたまま煙の中にいた。
「ゲホッ、ゲホッ……! 誰か、誰かいないの!? 私の赤ちゃんを、この子を助けて……!」
天井が燃え落ち、絶体絶命の瞬間。燃え盛る扉を文字通り蹴り破って、一人の人影が突入してきた。ボロをまとい、かつての輝かしい面影を失ったロランだった。
「エレノア様!!」
エレノアは信じられないものを見るように目を見開いた。
「ロ、ロラン……!? なぜ、追放されたはずのあなたがここに……!?」
「お喋りは後です。ここを出ます、私の背中に隠れてください!」
ロランは素手で燃え盛る瓦礫を退け、エレノアと赤ん坊を抱き起こした。
激しい炎の舌が二人を襲う。
ロランは己の身体を盾にし、背中に大火傷を負いながらも、二人を抱えて崩壊する城から飛び降りた。
◇
避難所となった広場。
ロランはその場に崩れ落ち、激しく血を吐いた。
エレノアは赤ん坊を抱えたまま、その傍らにすがりつく。
「なぜよ!? なぜ私を助けたの!? 私はあなたを騙し、名誉を奪い、泥を塗った悪女なのよ! 恨めばいいじゃない、見捨てればよかったじゃないの!!」
ロランはかすれる声で、ただ一言、優しく紡いだ。
「……あなたが、ご無事で、よかった……」
駆けつけた医師が声を荒らげる。
「重傷だ! 早く服を脱がせて手当てを――」
医師がロランのボロボロの衣服をはだけさせた、その瞬間だった。周囲の者たちが一斉に息を呑み、広場が凍りついた。
そこに現れたのは、傷だらけではあるが、紛れもない「美しい女性の身体」であった。
「な……なんだと!? ロラン殿は、女性……だったのか!?」
エレノアは衝撃のあまり、呼吸を忘れた。
「嘘……。そんな、まさか……。女性、だったの……?」
すべてを理解した瞬間、エレノアは頭を掻きむしり、狂ったように叫んだ。
「あああ……! なんてこと……! 女性であるあなたが、私の子供の父親になれるわけがない……! なのに、あなたはあの審問で、どうして黙っていたの!? なぜ自分を弁護しなかったのよ!?」
ロランは血に染まった唇で、最期の力を振り絞ってエレノアの手を握った。
「……私が、女性だと明かせば、国を欺いた罪で……教会は混乱します。それに聖騎士は人々を守るもの」
「信仰のために……? 自分を陥れた私をかばい、名誉も、命も捨てたというの……!?」
ロランは、エレノアの腕の中で無邪気に眠る赤ん坊を見つめ、聖母のような笑みを浮かべた。
「……綺麗な、お母さんと同じ目をした、可愛い赤ちゃんです……。どうか、その子を……愛してあげて、くださいね……」
ロランの手からふっと力が抜け、その美しい瞳が二度と開くことはなかった。
「嫌あああ!! 目を開けて、ロラン! 私を罵って、怒ってよ!! ああ、神様、私が殺したのよ、この聖女を、私が……!! ロラン――っ!!」
王都の夕闇に、己の傲慢さを悔いるエレノアの哭声だけが、いつまでも、いつまでも響き渡っていた。




