心の空耳 〜とある王女の恋物語〜
「助けて! お願い――」
懇願は虚しく石壁に反響していった。
以前であれば宴が催されていた春の宵、通路の明かりを落とした王宮は見知らぬ迷路のよう。
「やっ……離し、なさい!」
わたしを引き立てる兵士は、何も聞こえないように振る舞う。否、聞こえているはずなのに。
誰もいない。誰も助けてくれない。
やがて気が遠くなるほど長い螺旋階段をのぼり、突き当たりの部屋へと放り込まれる。
ガチャリ。
施錠の音が無情に響き、真にひとり。真っ暗闇に取り残されて足音が遠ざかる。
ここは。
「聞いたことがある……王族の、幽閉塔」
口にしたとたんに恐れがせり上がる。
足元から立ちのぼる震えに逆らえず、わたしはしゃがみ込んで嗚咽をこらえた。
――なけなしの、王女としての誇りだった。
◆◆◆
「姫様。こちらの服にお着替えください」
「ナミア、事情を教えて」
「……畏まりました。ですが、お召し替えが先でございます」
〝姫様〟とわたしを呼ぶ、亡き乳母の娘ナミアは、幽閉された翌朝訪れた。真っ暗だった部屋はいまは明るく、格子窓のかたちがゆるく伸びて床に影を落とす。
ナミアは、くちは聞いてくれたけれど、頑として役目を譲らなかった。与えられた衣服はくるぶし丈のワンピース。寝間着よりも装飾がない生成り色で、まるで囚人のようだ。
(なぜ母様は……いいえ、考えるだけむだね)
浮かんだ問いは続かない。
母の心は、ずっと昔からわからないのだから。
ひとつしかないテーブル席に導かれ、座ったあとはナミアが持参した櫛で髪を梳られた。
「できましたよ」と告げられ、渡された手鏡には、垂らした金の髪と同色の瞳の娘が、まっしろな朝日に似つかわしくない表情でこちらを見ている。
(おばけみたい)
わたしは、つい、と顔を背けた。
「ありがとう」
「……まずはお食事を。どうか、お召し上がりになりながらお聞きくださいませ」
ナミアはエプロンのポケットから呼び鈴を取り出し、チリン、と鳴らした。
すると、ドアの下の差し入れ口からトレイが押し込まれる。外に運搬係か見張りがいるのだろう。
ナミアがテーブルに運んできたそれは、冷めきったスープにパン。水の入ったグラスだけ。
わたしは平然と祈りを捧げ、木のスプーンを手に取った。
「糧に感謝を」
「……っ」
とうとう我慢できずにナミアが顔を伏せる。
「なんて、おいたわしい」という涙声が聞こえたけれど、聞かなかったことにした。彼女の立場をいまより悪くさせるわけにはいかない。
――忠義者だった乳母の計らいで、ずっと引き離されていたナミアは知らないだろうが、先月からわたしの食事は良くてこうだ。かつて父様がご存命だったころの温かさも、香りも賑やかさも、どこにもない。
どころか、何度も食事を抜かれた。水だけの日もあった。かちかちの黒パンがひと欠片だけのときもあった。もはや、与えてもらえることがありがたいのだ。
ゆっくりと食事を摂るわたしに、ナミアは指で目尻を拭いた。
そうして、ようやく告げてくれた。
〝第一王女ティリエルを廃嫡。生涯蟄居を命ずる〟という、信じられない王命を。
◇◆◆
「たったひとりの王統のわたしまで廃嫡だなんて……。どうなってしまうのかしら、この国は」
この国――アイルラーゼ。
あまねく大地の精霊神が人間を愛でてお作りたもうたと伝えられるヒュナ大陸の、ここは木っ端のごとき小国だ。
北を切り立つ峰に塞がれ、東は富裕な軍事大国に。西には海とみまがう巨大な湖。南も深い森が広がり、その向こうは中堅国家の同盟群。
アイルラーゼが生き残るため、東の強国ヒュドリアの属国となるのは避けられなかった。
母はヒュドリアの王女だった。
悋気がひどく、産まれた娘の髪色と瞳が気に食わないとしょっちゅう打擲するため、父はわたしを離宮へと匿った。忙しい政務の合間に、必ず顔を見に来てくださって。
離宮には信頼できる者だけが配された。
身の回りのすべてはナミアの母である乳母が。
警護は父様の腹心の騎士たちが。
遊び相手はいなかった。
けれど――わたしには秘密もあって。学問も礼儀作法も、とある存在たちがこっそりと教えてくれた。
それが。
「……ああ、ごめんなさいね。悲しい気持ちにさせてしまったかしら」
虚空の闇に、すぅと手を差し伸べる。
なぜ、皆には視えないのか。
それすらも彼らが教えてくれた。
日没後の薄闇にふわふわと漂うのは蜉蝣のような羽を背に生やした小さな精霊。
名はノクティ。
夜の訪れとともに現れる彼らは個体としての意識はないけれど、複数のノクティがより合わさると、ときにたおやかな婦人に。ときに厳しい老人に。役割にふさわしく外見をくるくると変えて、ひとりぼっちのわたしに色んなことを教えてくれる。
〝薄暮の闇〟そのものの彼らは、もちろん世界の始まりから地に満ちていた。
彼らいわく、『人間なんて新参の赤ちゃんみたいなもの』らしい。
そのくせ『成長速度だけはおそろしい』『独自の文化を育むのが面白い』と。
伸ばした指に、今日はなかなか集合体をとらないノクティが小鳥のように腰かける。
ほのかな明かりをまとうのは、幼いころ暗闇を怖がった人間のためなのだとか。
ほっそりとした少年姿のノクティは、ふわりと浮かんでわたしの額にかかる前髪を撫でた。
――――《悲しくないよ。だって、すごいかたが遊びに来たんだ》
「遊び……? どこに?」
すごいかた、というのも気になったが、精霊は同族の呼び名にこだわる。
尋ねても理解は及ばないだろう。
わたしは、覚えている限りの我が国を思い浮かべた。
……王宮は違う。
すでに母女王が全権を掌握しており、宮廷には佞臣がはびこっている。賄賂も暴行も横行しているとか。
では城下?
それも違う気がした。
だって、離宮を抜けてこっそり街歩きをしていたら、日増しに税が高くなると民が嘆いていた。
異国の商人などは、通行税と称して積荷をほとんど召し上げられたと辟易としていた。『お嬢ちゃんもこんな国、できれば早く出たほうがいい』と諭されて。
地方の記憶を探る。
数年前までは風光明媚と謳われた北の峰、西の湖、南の森。いまはどこも無残なもの。ヒュドリアの軍営地と化したと聞くので。
わたしは、ふるふると頭を振った。
「気のせいではなくて? こんな場所、絶望と怨嗟がお好みの精霊しかおいでにならないわ。そんなかた、いらっしゃらないと思うけれど」
どんどん気が塞ぎそうになるわたしに、ノクティはぎゅうとおでこに抱きつく。
正確には、抱きつく仕草をしただけ。感触はない。だって、ノクティたちは、どんなにやさしくとも精霊だから。
ノクティは、まるで内緒話のように、こしょこしょとわたしの耳元で話した。
――――《あのね、わかる? もういるの。ふふっ、探してみて》
「ええ……?」
すっかりいたずらな小精霊に翻弄され、わたしは部屋を見渡した。さいわい、ちいさなノクティがあちこちにいる。見えなくはない。
壁紙はところどころ傷んでみすぼらしく、飾り気なんて何もなかった。用を足したり、体を清めるための続きの小部屋はあるけれど。
あとはベッドとテーブル、ひとつしかない椅子に格子窓……
(あ)
わかった瞬間。
わたしは、声を上げられなかった。
どうして気がつけなかったんだろう?
誰か、おとなの男性が腕を組んで壁に寄りかかっている。窓辺に差す月明かりは彼を、靴の爪先から順に露わにした。雲間が晴れたのだ。
音もなければ気配もなかった。
真っ黒なブーツに黒装束。装飾品は何もないのに、こんなに立派な――――そう、神がかった美丈夫をわたしは知らない。知覚したとたん、存在の圧が想像を越えた。切れ長の瞳は鬱金。たとえるならば、闇そのものがうるわしく凝ったひとがいる。
否。これは?
「あなた……誰?」
「オレが人間に見えるか? 弱いくせに豪胆な子どもだ」
「! 見え、ませんけど」
ムムッと眉間を寄せたわたしに、彼は怪訝そうに首を傾げた。その様子すら、やたらと凄味がある。
わたしは、なんというか――――プチン、と切れた。
それはいわゆる堪忍袋の緒とやらで、彼にはいい迷惑だったかもしれない。
なのに、情緒の堤が戻らない。ぽろぽろと勝手に雫がこぼれる。だって、昨夜からいろいろありすぎたんだもの。
わたしは、瞬時に感情を爆発させた。
「〜〜ッ、子ども。ええ、そうですとも! わたしはたったの十二歳。あなたのような高位精霊には、ほんのいちどの瞬きだって満ちませんわ!」
◆◇◆
(言い過ぎたかしら……)
囚われびとの生活は判で押したように単調で、ついくよくよしてしまう。
昨夜は思いがけない客人ならぬ客精霊に、ひどい八つ当たりをしてしまった。かなりの大精霊だったのに、怒りもせずに姿を消すなんて。
朝日とともに起き、ナミアの介助で体を清め、食事を摂る。一日二回の食事はナミアが側にいた。その間は外の見張りを気にしてか、必要以上の会話はない。空の器はすぐに下げられる。蝋燭も、もちろん明かりの魔石もない部屋は日が沈むと真っ暗になる。
けれど皮肉なもので、塔に幽閉されてからのほうが精霊たちはやって来た。
身投げ防止の格子がはめられた窓からは風の精霊が。朝になれば、枕元で踊る光の小精霊が。夜は馴染みのノクティの溜まり場と言って差し支えない。むしろ――いまのほうが。
「節操がない人間だな。いつ寝ている?」
「!」
出現の直前、わかりやすく部屋の密度が変化した。
彼だ。
わたしはいつも通り椅子に座り、幻の紅茶セットでお茶を淹れてくれる貴婦人姿になったノクティ(たち)との世間話に興じていた。その姿勢のままで声の方向を見つめる。
きゅっと心臓を締めつけられる圧と、無視し難い存在感に、わたしは、前回よりは緊張しながらくちをひらいた。
「お昼寝ならしています。夜のほうがあなたがたを視やすいので」
「ほう。――ああ、いい。続けてやれ」
――――《はい。常闇の君》
貴婦人ノクティは礼儀にかなった所作で立ち上がり、彼に膝を折っていた。
圧が和らぎ、ふたたび始まる幻の茶会に、わたしは、ふといたずら心が湧く。
「あなたもいかが? お名前は『常闇の君』と仰るのかしら」
「本当に、呆れた奴だな」
クスクスと笑うのは貴婦人ノクティ。
げんなりと肩を落とした美丈夫は、いつのまにか用意された幻の椅子に、酔狂にも腰をかけてくれた。
(まぁ。いいかただわ)
「……シェイド、と呼べ」
「え?」
空耳かと思うほどさりげなく名乗られ、正真正銘ほうけてしまう。ノクティは、あらあらと片手で口元を押さえていた。
「どうせ視えるんだ。呼ぶくらいは構わん。オレは、こいつらを束ねる――『闇』そのものを司る。お前の短い一生のあいだ、付き合ってやらんことはない」
「シェ、シェイド?」
「ん」
短くぞんざいな返事に、わたしはさぁっと血の気が引いた。『ノクティ』とは違う。呼んだ際に生じる、音の重みが違いすぎる。
確信した。かなりの大物だ。
(〜〜待って、待って。これはまさか太古に精霊と人間が交わしたという、主従や隷属の契約では!?!?)
こんなこと、神話やおとぎ話のなかだけでいい。それこそ国を興した英雄や、運命に選ばれし聖女とか。ごく一握りの人間だけに与えられる幸運ではないのか? たかが、こんなところに閉じ込められるだけの自分が……と、畏れと疑問が駆け巡る。
シェイドはそんなわたしを意に介さず、しれっと供された幻の茶器を手にとった。
「――いや、隷属までは許さん。ちからある大精霊なら、気に食わん契約など相手の命ごと断ち切れるからな」
「待って!? 心まで読むのですか!!?」
「たやすいことだ」
「やめてください困ります!!!!」
「うるさい主だ」
つやめく夜闇をそのまま絹糸にしたような髪は滝のごとく、腰まで流れている。顔の横に垂れたそれを肩のうしろに払い、優雅に紅茶(幻)を嗜む。表情がいっさい変わらない長命貴種――大精霊を前に、わたしは脱力した。
たしかに、たかが人間風情がいくら騒いでも意味はないだろう。
わたしは、渋々姿勢を正してため息を落とした。
「……わかりました。わたしは、アイルラーゼの王女『ティリエル』です。呼ぶことを、許します」
「成立だな。よろしく、ティリエル」
青白い月明かりは窓の外、遠く夜明けの気配。シェイドとわたしのあいだで、キン、と何かが響いて結ばれる。
わたしは、なんだか、とんでもないモノと強制的にお友達になった気がした。
――《うふふ。よかったですね、人間の姫》
「うう……」
うなだれるわたしとは正反対に、ノクティだけは楽しそう。部屋中に白い花の幻影を咲かせて遊んでいた。
「――そんなこともあったわね、シェイド」
「ああ」
いま、わたしは現実の紅茶を淹れながら真昼の王宮のガゼボに佇む。薄緑の木々を渡るそよ風は、あれから何度も巡った春の匂い。
わたしは、この国の女王になっていた。
◆◆◇
シェイドとノクティが遊びに来る幽閉生活は、思ったよりも平穏で。
時おりナミアが悲しげに教えてくれる外の情勢から、むしろ守られているようだった。
最初の契機は、おそらくわたしの輿入れが決まったとき。母様が、わざわざ塔をのぼっていらっしゃった四年前。
わたしは十六歳になっていた。
『喜びなさい。お前を生かしておいた私の温情を。ヒュドリアの、私の可愛い甥がお前を所望よ。新しい玩具が欲しいのですって』
……玩具? と、当時のわたしは首を捻ったが、相変わらず禍々しいオーラを放つ母様は、負の感情を色濃くまとわせながら、けろりとなさっていた。
代わりに、契約を交わしたことで昼も一緒に過ごすようになったシェイドが凍れる波動を放つものだから、『いやね、みすぼらしい部屋は寒いこと』と言って、早々にお帰りになったのだけれど。
泣きながら採寸してくれたナミアは、『ドレスが縫い上がる半年後が輿入れです』と教えてくれた。
そこから、ぱたりとシェイドは姿を見せなくなって――
「あのときは寂しかったのよ、わたし」
「それは済まなかった」
「いいの。知っているから」
「……ん」
ノクティが教えてくれた。シェイドは〝闇〟を司る。それは自然の闇も、心の闇も。
わたしには安らぎの夜闇を与えてくれた彼が、あの半年間にやってのけて見せたのは、アイルラーゼの民を蜂起させることだった。
同時にヒュドリアは内部瓦解した。
なんでも、享楽と暴虐を是とする蛇の邪霊がヒュドリア王室に長年巣食っていたらしく、シェイドはおごそかに「大精霊の落とし前」をつけたのだとか。
……ノクティは、その辺りは震えて教えてくれなかった。わたしも敢えては聞かなかった。
だって、想像に難くない。
しばらく満ち足りた空気を醸していた彼は、ふと声音を下げた。
「『薄闇』め。ひとこと言っておくか」
「やめてあげて。というか、本当、心読むのやめて」
「聞こえてくるものはしょうがないだろう。それだけ――」
――――『繋がりが深い』。
そう言われた気がして、わたしは刹那に息を止めた。こんな気持ち、空耳ならいいのに。
誤魔化すように椅子に座り、自分で淹れた紅茶にくちをつける。
あの夜、ノクティが淹れてくれたお茶も飲みたかったな、と思いつつ。
「……美味しいです。一緒に、飲めたらもっといいのに」
「オレは、香りはわかるぞ。ティリエル」
「そうですか」
――――律儀に、隣の椅子にかけてくれるあなたが好き。
fin.
ようこそ。お読みくださり、ありがとうございます。
当作は「ティリエル国物語」シリーズ『王兄殿下は曰く付き〜闇稼業の王子ですが、婚姻をお望みでしょうか〜』の、派生短編になります。
https://ncode.syosetu.com/s2781k/
当作では、このときの淡い気持ちも本当で、それでもかたちを変えて繋がったティリエルとシェイドの想いを描けていたらうれしいです。




