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第6話 深夜の密会と、勘違いだらけの追跡劇

 その日の夕方、俺は客間で正座させられていた。


「……どうしてこうなった」


 思わず漏れた独り言に、向かいのソファへ優雅に腰かけていたリリアーヌが冷たく返す。


「あなたが“働く覚悟はある”などと、軽々しく言うからですわ」


「いや、言ったけど。言ったけど、まさかその日のうちに夜の尾行任務に放り込まれるとは思わないだろ」


「こちらは一刻を争うのです」


 それはそうだ。


 昼の時点で、舞踏会準備に関わった外部の衣装係見習いが姿を消していた。

 さらにバルトロの調べで、ルシェルが見た“セシル付きの女官”が、今夜ひそかに王都の南区画へ出る可能性があると分かったらしい。


 理由は簡単だ。

 昼間のうちに、屋敷の出入りを気にしていた下働きの少年が「見覚えのある女官服の人物が、今夜も外へ出るような話をしていた」と証言したのだ。決定打ではない。だが、見逃すには惜しい。


 そして問題は、その尾行を誰がするか、だった。


 バルトロは屋敷の外で別件を動いている。

 レオンは、いかにも護衛騎士然としすぎて目立つ。

 屋敷の使用人を出すと、逆に顔が割れている可能性がある。


 結果。


「なぜ俺とあんたなんだ」


「わたくしが顔を見られたとしても、“婚約破棄された令嬢が何かに動いている”と勘づかれないよう変装しますわ」


「変装するのはいい。でも俺は?」


「怪しい男ですもの」


「説明になってねえ!」


「もともと怪しいのだから、多少怪しくても誤差です」


「ひどい理論だな!?」


 だがリリアーヌは平然としている。

 いつもの昼用ドレスではなく、すでに動きやすい濃紺のワンピース姿だ。その上から外套を羽織り、髪も簡素にまとめている。正直、ぱっと見では上流貴族の令嬢には見えない。背筋と育ちのよさで隠しきれていない部分はあるが。


 対する俺は、地味なシャツと上着に着替えさせられ、いかにも“雇われの若い護衛か荷運び係”みたいな格好になっていた。


「……で」


 俺は正座のまま尋ねる。


「何で今、説教されてる?」


「確認です」


 リリアーヌは指を一本立てた。


「まず、今夜の任務はあくまで尾行。接触ではありません」


「了解」


「次に、相手は王家と繋がる可能性がある。見つかれば厄介です」


「了解」


「そして最後に、最重要事項」


 そこで彼女はわずかに目を細めた。


「変なところで妙な正義感を発揮して飛び出さないこと」


「……そこだけ妙に具体的だな」


「あなた、やりそうですもの」


「否定しきれないのが悔しい」


 実際、昼の聞き取りでもルシェルが怯えたときに、思わず前へ出そうになってマルグリットに止められた。自覚はある。


 リリアーヌはさらに畳みかける。


「それから、尾行中に必要以上に近づかないこと」


「いや、それは相手にだろ?」


「それもありますし、わたくしにもですわ」


「何でだよ」


「狭い路地で突然距離を詰められたら普通に不快です」


「それはそうだけど!」


 そこまで言うか。


 だが、昨夜の庭で少し距離が縮まったからといって、今日いきなり何もかも許されるわけではない。そこは分かっている。分かっているが、わざわざ言葉にされると微妙に傷つく。


「……了解」


「返事はよろしい」


 そのとき、扉がノックされ、マルグリットが入ってきた。


「準備が整いました」


「ありがとう、マルグリット」


「お嬢様、本当にお一人で行かれるのですか」


「一人ではありませんわ。不審者がいますもの」


「そこカウントされてるのか……」


 マルグリットは俺に冷たい目を向ける。


「あなたに言っておきます」


「はい」


「お嬢様に傷ひとつつけたら、屋敷の池では済みません」


「池より上があるのかよ」


「ございます」


 真顔だった。

 この侍女長、冗談を言わないから怖い。


 リリアーヌが立ち上がる。


「では参りますわ」


「ええ」


 マルグリットは一歩退き、だが最後にそっと付け加えた。


「……お気をつけて」


 その声は、侍女長ではなく長年仕える人間のものだった。


 リリアーヌはほんの一瞬だけ表情を和らげ、「ええ」と短く返した。


 日が完全に落ちた王都は、昼間とは別の顔をしていた。


 ヴァルモン家の馬車で表通り近くまで送られたあと、俺たちは人気の少ない場所で降り、そこから徒歩に切り替えた。尾行対象に屋敷の馬車を見られるわけにはいかないからだ。


 昼よりも気温は下がり、石畳には夜露の気配がある。

 通りには街灯代わりの魔道具ランプが点々と灯り、酒場や夜営業の店からは人の笑い声や音楽が漏れてくる。王都の中心部はまだ明るいが、少し外れると道は急に暗くなり、人影もまばらになる。


「……意外だな」


 俺は歩きながら小声で言った。


「何がですの」


「もっと中世みたいに真っ暗かと思ってた」


「意味は分かりませんけれど、王都ですもの。夜でもそれなりに人は動きますわ」


「なるほど」


 こうして二人で歩いていると、妙な気分だった。


 昨日までは、婚約破棄された悪役令嬢と身元不明の転生者。

 今は、それが並んで夜の王都で密偵まがいのことをしている。


 しかもリリアーヌは、変装しているとはいえ歩き方までいくらか変えていた。普段より少しだけ肩の力を抜き、貴族然とした“見られる姿勢”を薄めている。かなり器用だ。


 だが、それでも分かるものは分かる。


「……何ですの」


「いや」


「また変な目で見ていますわね」


「変装うまいなって思ってただけだ」


「本当かしら」


「本当だよ」


 すると彼女は少しだけ得意げに顎を上げた。


「当然ですわ。社交界では、見せる顔を変える技術くらい身につけますもの」


「それ、結構しんどい世界だな」


「ええ、しんどい世界ですわ」


 あっさり返ってきたその言葉に、少しだけ胸が重くなる。

 そうだ。この人は、そういう世界でずっと戦ってきたんだ。


 俺たちは指定された南区画近くの路地へ着くと、影に身を潜めた。

 向かいには、地味な看板の雑貨屋兼仕立て用品店がある。昼間は普通の店だが、夜は表の灯りが半分しかついていない。裏口側の細道に、時折人影が出入りしている。


「ここですの?」


「ああ。バルトロの情報だと、件の女官がたまに来るらしい」


「表向きは針子や衣装係への手配場所、というわけですか」


「でも、夜に来るには不自然だ」


「ええ」


 しばらく待つ。

 待つ時間は長い。

 夜風は冷たいし、じっとしていると足が痛くなる。


 リリアーヌは柱の影に立ち、外套の前を押さえながら店の方を注視していた。

 俺も同じようにするが、どうしても気になってしまう。


「寒くないか」


「何ですの、急に」


「いや、普通に心配しただけだ」


「平気ですわ。これでも冬の夜会を何度も経験しています」


「夜会って大変なんだな」


「貴族の“華やか”は、大抵かなり大変ですのよ」


 そのやりとりの直後、店の裏口がきしんで開いた。


「……来た」


 小柄な女が出てくる。

 フードつきのマントを羽織っているが、下から覗く裾と歩き方、それに腕に抱えた小箱から、女官や侍女に近い雰囲気がある。


 リリアーヌが息を潜める。


「……あの体格、ルシェルの証言と一致しますわね」


「顔は見えないけど、たぶん当たりだ」


 女は周囲を見回し、足早に路地を進む。

 俺たちは距離を取って後を追った。


 尾行というのは、思っていたより難しい。


 相手との間を空けすぎれば見失う。

 近づきすぎれば気づかれる。

 しかも夜の石畳は、変な踏み方をすると妙に足音が響く。


 何より最悪なのは、隣にいるのがリリアーヌだということだ。


 いや、能力的にも頭の回転的にも頼りになるのだが、だからこそ余計に気を使う。

 暗い路地で彼女のドレスの裾を踏まないように、壁際に寄りすぎて体が触れないように、妙に意識してしまう。


「もう少し左へ」


 小声で言われ、俺は慌ててずれる。


「すまん」


「そこ、樽がありますわ」


「見えてなかった」


「夜目が利きませんの?」


「普通の人間だからな」


「わたくしも普通ですわ」


「いや、そこは普通じゃないだろ色々」


 するとリリアーヌがこちらを睨みかけ――その瞬間、前を歩く女がふと立ち止まりかけた。


「っ」


 俺たちは咄嗟に路地脇の狭い隙間へ身を滑り込ませる。


 狭かった。


 思っていた以上に狭かった。


 石壁と木箱の間、せいぜい大人二人がぎりぎり押し込める程度の隙間だ。

 結果として、リリアーヌと俺はほとんど密着する形になった。


「……」


「……」


 近い。

 近すぎる。


 俺の背中は石壁。

 目の前にはリリアーヌ。

 彼女は俺の胸元を押すように片手をつき、もう片方でスカートの裾を押さえている。月明かりの届かない暗がりでも、彼女がものすごく不機嫌な顔をしているのが分かった。


「……だから申し上げたでしょう」


 囁く声が冷たい。


「必要以上に近づかないでと」


「今のは俺のせいじゃないだろ!」


「結果として近いのが問題なのです!」


「理不尽だな!?」


「静かに!」


 ぴしゃりと叱られた瞬間、路地の外で足音が止まった。


 やばい。


 俺たちは同時に息を止める。

 外の女は何かを警戒しているのか、しばらく動かない。

 そのせいで、俺はますますリリアーヌとの距離を意識せざるを得なくなった。


 いや違う。

 違うんだ。これは任務であって、決して下心ではなく、むしろこの状況をどう無害にやり過ごすかで頭がいっぱいで――


 《乳眼》が勝手に反応した。


 ばか。

 こんなときに。


 リリアーヌの胸元に走る感情は、いつもよりずっと分かりやすかった。

 怒り。羞恥。緊張。

 そして、その奥にほんの少しだけ混じる戸惑い。


 完全に嫌悪一色ではない。

 それを認識してしまった瞬間、俺の方が余計に動揺した。


「……何ですの」


 鋭い囁き。


「え?」


「今、何か変なことを考えたでしょう」


「考えてない!」


「嘘ですわね」


「いや、本当に、今はそれどころじゃ――」


「それ“どころ”の問題ではありません!」


 声が少し大きくなる。

 外の女がまたぴくりと反応した気配。


 まずい。

 このままでは尾行どころじゃない。


 俺は反射的にリリアーヌの肩を抱き寄せ――ではなく、口を押さえる寸前で理性が踏みとどまり、代わりに彼女の耳元すれすれで囁いた。


「黙って。見つかる」


 リリアーヌは目を見開いた。

 至近距離で、びくりと肩が震える。


 ……やばい。

 これ、言い方として最悪だったかもしれない。

 だが幸い、彼女は怒鳴らなかった。怒鳴れば本当に終わると分かっているのだろう。


 数秒後。

 外の足音がようやく動き出し、少しずつ遠ざかっていく。


 俺たちは同時に大きく息を吐いた。


「……最低ですわ」


 最初の一言がそれだった。


「今の台詞、完全に最低ですわ」


「分かってる! 言った瞬間に分かった!」


「“黙って。見つかる”って何ですの! どういう場面ですのそれ!」


「いやほんとごめん! テンパってた!」


 暗がりで囁き合っている内容としてはだいぶひどい。

 だが幸い、今度は彼女の怒りの奥に、少しだけ可笑しさが混じっていた。

 本気で嫌だったら、たぶん膝蹴りが飛んできている。


「……後で覚えていなさい」


「怖いこと言うな」


「当然です」


 ようやく隙間から出ると、俺たちは急いで尾行を再開した。


 女官は南区画の細い道をいくつか曲がり、やがて小さな民家が立ち並ぶ一角で立ち止まった。

 王都の中心から少し外れた場所で、派手さはないが人の生活の匂いがある。洗濯物の残る軒先、閉まった窓、夜でも灯りの漏れる家。


 女官はそのうちの一軒の前で、素早く二度、少し間を置いて一度、扉を叩いた。


「合図だな」


「ええ」


 扉が細く開き、中から誰かが女官を招き入れる。

 顔までは見えない。


 俺たちは少し離れた路地の影に身を潜めた。


「どうする」


「近すぎますわね。迂闊に寄れば気づかれます」


「でも、ここで待ってても誰と会ってるか分からない」


 リリアーヌは唇に指を当て、家の周辺を素早く観察する。

 こういうときの判断が早い。やっぱり場数が違うのだろう。


「裏に回れるかもしれませんわ」


「行くか」


「ただし静かに」


 俺たちは家の脇をぐるりと回り込んだ。

 裏手には狭い通路と、小さな勝手口、それに半開きの窓がある。灯りは漏れているが、カーテンが引かれていて中は見えない。


 だが、声は聞こえた。


「……だから、これ以上は危険です」

「危険なのは分かっている」

「ヴァルモン公爵家が動き始めたのなら、なおさら……」

「黙りなさい。こちらはもう後戻りできません」


 女官の声だ。

 相手は男。低い。年齢は分かりにくいが、若くはない。


 リリアーヌと俺は顔を見合わせた。


 確定だ。

 舞踏会の件に絡んでいる。


 窓の下にしゃがみ込み、俺は少しだけ耳を寄せる。


「見習いの件は?」

「もう消えています」

「では次は?」

「侍女の口も、そのうち閉じるでしょう」

「王子殿下には余計な動きをさせないように――」


 その瞬間、リリアーヌの表情が一気に硬くなった。


 王子の名が出た。

 やはり、あの婚約破棄は王子個人の感情だけで動いたわけではない。


 だが、その先を聞く前に――


 ごと。


 俺の肘が、勝手口脇に積まれていた空き瓶に触れた。


「っ」


 小さな音。

 だが、こういう場面では致命的だ。


 家の中の気配が止まる。


「……誰かいるのか?」


 男の声が鋭くなる。


「まずい!」


 リリアーヌが俺の腕を掴み、半ば引っ張るように通路の先へ走る。

 俺も慌ててついていく。背後で扉が開く音。足音。追ってきた。


「そっちです!」


 女官の声まで聞こえる。

 完璧に見つかった。


「お前、何でそこで瓶に!」


「言うな! 分かってる!」


 狭い裏路地を駆け抜ける。

 夜の民家の間を、息を切らしながら走る。

 貴族令嬢がやる動きではないのに、リリアーヌは驚くほど速かった。ドレスの裾をさばくのも上手い。普段からこんな逃走訓練してるのか?


「左!」


「はいよ!」


 曲がった先はさらに細い。

 行き止まりかと思ったが、壁の隙間を抜けて次の路地へ出られるらしい。


 だが、その途中でリリアーヌの足が石畳の段差に引っかかった。


「きゃ――」


 短い悲鳴。


 俺は反射的に振り返り、彼女の腕を掴んで引き寄せた。

 勢い余って、彼女の体が俺の胸へぶつかる。


 近い。

 今日二回目だ。

 しかも今度は動揺している暇もない。


「走れるか!?」


「え、ええ……!」


 リリアーヌは顔を赤くしつつも、すぐに姿勢を立て直した。

 俺たちはそのまま路地を抜け、表通り近くまで一気に駆ける。


 そこまで来てようやく、背後の足音が遠のいた。


 王都の夜の人通りに紛れ込めば、向こうもそう簡単には追えない。

 俺たちは人混みの少ない広場の片隅まで来て、ようやく立ち止まった。


「はっ……は……」


 息が荒い。

 俺より先に、リリアーヌが壁に手をついて呼吸を整えている。


 外套の下で肩が上下しているのを見て、俺はとっさに声をかけた。


「大丈夫か」


「……だ、誰のせいだと……!」


 息が切れていて、いつもの鋭さが半分くらいになっている。

 だが怒りはちゃんとあるらしい。安心した。


「ごめん、瓶は完全に俺のミスだ」


「ええ、完全にミスですわ」


「反省してる」


「反省で済めば苦労しません!」


 だが、その怒鳴り方の奥に、本気の安堵が混ざっている。

 追手を振り切れたこと、俺も彼女も無事なこと。その両方だろう。


 少しして呼吸が落ち着くと、リリアーヌは壁から背を離した。


「……ですが」


「ん?」


「収穫がなかったわけではありません」


 そうだ。


 女官が誰かと会っていた。

 見習いが“消えている”ことを把握していた。

 侍女ルシェルへの圧力を続けるつもりでいる。

 そして、王子へ“余計な動きをさせない”という会話。


 充分すぎるほど怪しい。


「男の声、聞き覚えは?」


「ありませんわ。少なくとも、王城で日常的に近くにいた者の声ではない」


「じゃあ外部協力者か」


「あるいは、王家に深く関わる別の誰か」


 リリアーヌは唇を引き結ぶ。


「それに、女官が単独で動いているわけではないことも分かりました」


「そうだな」


「舞踏会の件は、やはり感情論ではなく、誰かが組んだ筋書きです」


 広場の噴水が、夜気の中で静かに水を上げている。

 俺たちはその音を聞きながら、しばし無言で立っていた。


 やがて、リリアーヌがぽつりと言う。


「……先ほど」


「先ほど?」


「転びかけたとき」


「ああ」


「ありがとう、ございました」


 意外なほど素直だった。


 俺は少しだけ目を見開く。


「普通に助けただけだ」


「分かっていますわ」


「礼を言われるほどでもない」


「それでもです」


 彼女は俺を見ないまま続けた。


「……本当に、変な人」


「またそれか」


「ええ。ですが今夜は、少しだけ助かりましたわ」


 その言い方が、昨夜の庭の空気を少し思い出させた。


 俺は頭をかく。


「お互い様だ。あんたも引っ張ってくれたし」


「当然です。あのまま捕まっていれば、あなたが先にいろいろ喋っていたでしょう」


「俺への信頼が一貫して低いな」


「あなたの行動が一貫して危ういのです」


「否定はしない」


 すると彼女が、くすりと笑った。


 さっきまで走っていたせいで頬が少し赤い。

 変装用に簡素にまとめた髪が少し乱れ、それを指先で整える仕草が妙に年相応だった。


「……戻りましょう」


「そうだな」


「これ以上遅くなると、マルグリットに本気で叱られます」


「それは怖い」


「ええ、とても」


 二人で小さく笑う。


 笑ってから、俺は少し真面目な声で言った。


「でも、これで確実になったな」


「ええ」


「向こうはまだ動いてる。しかも、かなり本気で」


「ならこちらも、もっと急がなくては」


 リリアーヌの目に、夜の光が映る。


 婚約破棄された悪役令嬢。

 だが今の彼女は、断罪されてうずくまる女ではなく、はっきりと反撃を考えている顔をしていた。


「拓真」


「何だ」


「次からは、瓶にだけは気をつけなさい」


「そこかよ」


「重要ですわ」


「はいはい」


「返事が軽いです」


「分かったよ。次はもっとちゃんとやる」


「……次も来る気ですのね」


「そりゃ、ここまで来たらな」


 俺がそう言うと、リリアーヌは少しだけ目を細めた。


「なら、最後まで付き合いなさい」


「命令か」


「ええ、半分は」


「残り半分は?」


「……知りませんわ」


 そう言って彼女は先に歩き出す。

 俺は少し遅れて、その背を追った。


 今夜の尾行は完璧ではなかった。

 むしろ失敗寄りだ。見つかったし、逃げる羽目にもなった。

 だが、見えたものは大きかった。


 舞踏会の裏で動く女官。

 その背後にいる男。

 王子をも“動かさないようにする”何者かの意志。


 婚約破棄は終わった出来事じゃない。

 今もなお、誰かがその後始末をし、証拠を消し、口を封じようとしている。


 なら、こっちも止まれない。


 王都の夜を歩きながら、俺は静かに息を吐いた。


 隣を行くリリアーヌの歩幅は、最初に比べて少しだけ自然だった。

 警戒はまだある。信頼だって途中だ。

 でも少なくとも、今夜一緒に走った距離のぶんだけ、昨日よりは確実に同じ側に立っている気がした。

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