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第5話 乳眼、捜査に使うにはあまりにも最低すぎる

 翌朝。


 異世界貴族の客間で目を覚ました俺は、天蓋つきのベッドの中でしばらく天井を見つめたまま動けなかった。


「……夢じゃないのか」


 ぼそりと呟く。


 見上げる先には、白く塗られた高い天井。縁には細かな金の装飾。壁には上品な模様の壁紙。窓からは柔らかな朝日が差し込み、薄いレースのカーテンを透かして部屋を淡く照らしている。


 どこをどう見ても日本の高校生男子の部屋ではない。

 俺はまだ異世界にいて、しかも悪役令嬢の屋敷に軟禁同然で泊められている。


 ついでに、昨夜庭であった会話も夢ではなかったらしい。


 高飛車で強情で面倒くさい公爵令嬢が、月の下で少しだけ弱音を吐いたこと。

 そして俺が、それを聞いてしまったこと。


「……朝から思い出すと変に緊張するな」


 顔を洗おうとして上体を起こした瞬間、ドアがノックされた。


「起きていらっしゃいますね」


 マルグリットの声だった。

 どうしてこの人は、ノックの段階で中の状態を断定するのだろう。


「起きてる」


「では入ります」


「確認の意味!」


 言う間もなく扉が開き、侍女長マルグリットが若い侍女を二人引き連れて入ってきた。片方は洗面用の水差しとタオル、もう片方は服を持っている。


「朝食は三十分後。お嬢様が応接室でお待ちです」


「朝から?」


「昨日の続きが残っておりますので」


「そうだよな……」


 俺は目をこすった。


 そりゃそうだ。昨夜は少しだけ心の距離が縮まった気がするが、事件は何も終わっていない。むしろここから本番だ。


 マルグリットが侍女に目配せし、服を持った子が一歩前に出る。

 簡素だが清潔なシャツとズボン、上着まであった。


「お客様用に急ぎご用意しました」


「え、これ俺の?」


「正確には、ひとまずあなたに着せるためのものです」


「言い方!」


「お嬢様の屋敷で、いつまでも寝間着姿を許すわけにはまいりません」


 正論だった。


 俺は礼を言って服を受け取り、つい尋ねる。


「これって、サイズ測ったのか?」


 すると若い侍女が一瞬だけ気まずそうに視線を泳がせた。

 マルグリットが無表情で答える。


「昨夜、客間へ案内する前に目測で」


「すげえな侍女長」


「あなたが感心すべき点ではありません」


 そのまま追い出されるように着替えと身支度を済ませ、俺はマルグリットに連れられて応接室へ向かった。廊下を歩いている間も、屋敷の空気は昨日と少し違う。


 張り詰めている。

 使用人たちは皆、動きは静かだが、目の奥が忙しい。あちこちで伝令らしき従者が行き来し、侍女たちも足を止めずに働いている。


 当然だ。

 王家との婚約破棄騒動は、公爵家全体の問題になっている。主家の娘ひとりの恋愛沙汰では済まない。


 応接室の扉が開く。


 中には、すでにリリアーヌがいた。


 今日は舞踏会のような豪奢なドレスではなく、淡い灰青色の昼用ドレスだ。装飾は抑えめなのに、かえって育ちの良さが目立つ。髪もきっちり整えられていて、昨夜庭で見た素顔の余韻はほとんどない。いつもの“公爵令嬢モード”に戻っていた。


 ソファに座る姿は相変わらず絵になるが、表情は朝から険しい。

 その隣にはバルトロ、壁際にはレオン。マルグリットは俺を部屋へ入れると扉の近くへ下がった。


「おはよう」


 俺が言うと、リリアーヌは一拍置いてから返す。


「ええ、おはようございます。不審者改め、ひとまず屋敷内拘束中の拓真」


「長いな」


「立場を正確に表現しましたの」


 ひどいが、昨日よりは少し前進している。

 少なくとも“名前を呼ぶ価値もない不審者”から、“名前は呼ぶが信用していない男”くらいには昇格したらしい。


「座りなさい」


 言われるまま向かいに座る。

 すぐに朝食が運ばれてきた。焼きたてのパン、白いスープ、薄切りのハム、果物。前世の俺なら写真を撮っていたレベルだが、もちろんスマホはない。


 食事中は基本的に静かだった。

 バルトロが必要最低限の報告をし、リリアーヌが短く指示を返す。


「ルシェルの弟は?」


「無事に保護いたしました。脅した者らの手がかりはまだございません」


「ルシェル本人には、しばらく屋敷の外へ出ないよう伝えて」


「承知いたしました」


「王家への返答草案は午前中に」


「準備しております」


 朝食の席で飛び交う会話が重い。

 そしてその端々から、この家がちゃんと機能する大貴族の家だと分かる。


 リリアーヌもただ座っているだけではない。食事の手を止めずに、必要なことを判断し、指示を出し、余計な感情は挟まない。昨夜あれだけ傷ついていた人間とは思えないほど、朝にはもう“家の娘”として立っている。


 ……いや、立たざるを得ないのだろう。


 朝食が終わると、リリアーヌは紅茶を一口飲んでから、ようやく本題を切り出した。


「では、始めますわよ」


「何を」


「あなたの役立ち方の確認を」


「言い方」


「気分の問題です」


 彼女はカップを置き、まっすぐ俺を見る。


「昨日のルシェルの件。あれは偶然では済ませられませんわ」


「俺もそう思う」


「ですが、あなたの言う“見れば分かる”という感覚は、現状、証拠として使えません」


「それもそうだな」


「だから、検証します」


 そこまで聞いて、俺は嫌な予感を覚えた。


「……どうやって?」


「決まっておりますでしょう。あなたが本当に“人の揺れ”に気づけるのか、屋敷内で確認するのです」


 なるほど。

 合理的だ。

 合理的だが、問題は確認方法である。


 俺が少し身構えると、リリアーヌは冷たく言った。


「変な想像はなさらないで」


「してない」


「その間がもう怪しいのですわ」


 レオンが露骨にため息をつき、マルグリットは無言で頭痛をこらえる顔をした。ひどい信頼度である。


 リリアーヌはバルトロへ視線を向ける。


「まずは簡単なところから。協力していただけますわね」


「もちろんでございます」


 執事は一礼する。


「お前」


 レオンが低い声で釘を刺してくる。


「妙なことをすればすぐ叩き出す」


「いや、捜査だろこれ」


「捜査に見えないのが問題だ」


 それは否定できない。


 こうして始まった《乳眼》能力の朝から嫌すぎる検証会は、最初から俺の精神を削りにきた。


 最初の協力者は、若い侍女だった。


 名前はミナ。茶色の髪を後ろでまとめた、少し緊張しやすそうな子だ。応接室に呼ばれるなり、俺を見る目が露骨に複雑だった。そりゃそうだ。屋敷に連れ込まれた怪しい男に、何をされるのか分かったものではない。


 リリアーヌが説明する。


「安心しなさい。妙なことはさせません」


「お嬢様、そのお言葉、安心材料として弱い気がいたします……」


 ミナが正直に言った。

 分かる。俺も同感だ。


 リリアーヌは気にせず続ける。


「今から拓真に、あなたが隠していることがあるかどうか当てさせます」


「隠していること、ですか?」


「ええ。誰でも一つや二つあるでしょう」


 侍女ミナは一瞬だけぎくりとした。

 その時点で、もう何かあるんだなと分かる。だがそれを《乳眼》に頼らずに正確に当てるのは難しい。


 問題はここからだ。


 俺は正面の椅子に座ったミナを見て、どうしても内心で呻いた。


 これ、状況だけ切り取ると最悪だな。


 屋敷の主と侍女長と執事と護衛騎士が見守る中、俺が若い侍女を“観察”する。

 うん、文字にするとひどい。

 ひどいが、やるしかない。


 リリアーヌが厳しい顔で言う。


「何を固まっていますの」


「いや、改めて最低な構図だなって」


「今さらですわ」


「そうだけど!」


 俺は深く息を吐き、目を閉じてから開いた。

 《乳眼》を意識する。昨日より少しだけ、発動のコツが分かる気がする。視線を一点に集めるのではなく、“相手の表面の奥にある揺れ”を見る感じだ。


 ミナの胸元に、細かな熱の揺らぎが見えた。


 緊張。羞恥。困惑。

 そして、その奥にある軽い焦り。

 嘘というほど大きくないが、隠し事は確実にある。


「……何か、昨日失敗しただろ」


 俺がそう言うと、ミナがぱちぱちと瞬きをした。


「え?」


「しかも人には言いにくいやつ。仕事関係で」


「な、ななななっ……!」


 一気に反応が大きくなる。

 分かりやすすぎる。


 マルグリットが目を細めた。


「ミナ」


「ひっ」


「何を失敗したの」


「そ、それは、その……」


 ミナは顔を真っ赤にして俯いた。

 《乳眼》で見ると羞恥の色が濃い。

 罪悪感は軽い。つまり重大な失敗ではなく、でも恥ずかしい。


 俺は恐る恐る続ける。


「茶器……とか?」


「……っ!!」


 ビンゴらしい。

 ミナが両手で顔を覆った。


「き、昨日、洗浄中にティーカップを一客……割ってしまいました……!」


「でしょうね」


 思わず言うと、ミナが涙目でこっちを見た。


「どうして分かったんですか!?」


「何となく」


「何となくで当てないでください怖いです!」


 それはそう。


 だが応接室の空気は確実に変わっていた。

 レオンですら一瞬だけ眉を上げている。バルトロはほぼ表情を動かさないが、視線が鋭くなった。マルグリットは侍女長としてまずそちらが問題なのかと思ったのか、ミナへ向かって静かに告げる。


「あとで詳しく聞きます」


「はいぃ……」


 ミナは沈没した。


 リリアーヌはカップを持つ手を止め、俺を見る。


「偶然、ではなさそうですわね」


「だろ」


「まだ一回です」


「厳しいな」


「当然ですわ」


 二人目は庭師見習いの少年だった。

 名前はトーマス。十代半ばくらいで、日に焼けた顔のまじめそうな子だ。彼もまた、応接室に呼ばれた理由が分からず相当緊張していた。


「お、俺、何かしましたか?」


「大丈夫だ」


 俺が言うと、リリアーヌがすぐ補足する。


「大丈夫かどうかを今から確かめるのです」


「全然大丈夫じゃなさそうです!」


 もっともだ。


 トーマスを観察する。

 さすがに少し慣れてきた。

 《乳眼》で見ると、彼の感情の揺れはミナより単純だ。緊張が強い。あと後ろめたさが少し。だがそれは悪意ではなく、隠して叱られたくない系の揺れ。


「……お前、庭のどこかで近道してるだろ」


「は!?」


「芝か花壇か分からないけど、本来通っちゃいけないところ、何度か横切ってる」


 トーマスの顔が見る見る白くなった。


「な、なんで」


「え、当たり?」


「昨日も北側の植え込みを……!」


「トーマス」


 今度はレオンではなく、バルトロの声が静かに刺さった。

 少年は完全に凍りつく。


「ら、楽をしようと思ったわけじゃないんです! ただ、朝の水やりの時間が押していて――」


「あとで庭師長に報告なさい」


「はい……」


 少年も沈んだ。


 俺はソファに深く座り直し、額を押さえた。

 能力の実証は進んでいる。進んでいるが、完全に“屋敷内の小さな不正を暴く嫌なやつ”になっている。


「何だこの地味な地獄」


「能力の有効性を確認しているだけでしょう」


 リリアーヌは涼しい顔だ。

 楽しんでないか、この人。


「いや、もっとこう、大きなことに使えよ!」


「いきなり大きなことへ使って外したら大問題ですわ」


「それはそうだけど」


「実用前の試験です」


「嫌な試験だなあ」


 だが、彼女の言っていることは正しい。

 《乳眼》が本当に使えるなら、まずはこういう“小さいが確実に答え合わせできる事柄”で精度を確かめるべきだ。


 そうして屋敷内の使用人や見習いたちを数人試した結果、分かったことがあった。


 ひとつ。

 《乳眼》は、相手の感情が関わる事柄ほどよく見える。


 単純な事実の記憶より、


恥ずかしい失敗

隠したい本音

怖くて言えないこと

好意や苦手意識


そういう“感情の熱量が強いもの”の方がはっきり見える。


 ふたつ。

 大嘘や強い悪意は色が濃い。

 逆に、善意からの隠し事や小さな見栄は、淡くて見分けが難しい。


 みっつ。

 疲れてくると精度が落ちる。

 朝から何人も続けて見ると、目の奥がじわじわ熱くなり、頭もぼんやりしてくる。万能ではない。


「……便利だけど、めちゃくちゃ使い勝手いいってほどでもないな」


 昼前になり、俺は応接室のソファに沈みながら呟いた。


 リリアーヌはメモを取りながら頷く。


「完璧な読心ではない、ということですわね」


「だな。気持ちの強さに引っ張られる感じだ」


「ですが、十分に異常です」


「異常って言うな」


「称賛ですわよ」


「この人、たまに褒め方が分からなくなるな」


「あなた相手に通常の褒め方がしづらいのです」


 それもひどい。


 しかし、午前の検証で屋敷内の空気はさらに変わっていた。

 最初は俺を完全な変質者扱いしていた使用人たちも、今では“危険な変質者”から“妙に人の揺れを見抜く気味の悪い男”くらいに評価を修正している。


 改善したのか悪化したのか微妙なところだ。


 休憩のため、応接室にはリリアーヌと俺だけが残された。

 バルトロは王城への書面確認、マルグリットはルシェルの保護体制の調整、レオンは警備の見直しに回ったらしい。


 少し静かになった部屋で、リリアーヌは紅茶を飲みながら言った。


「ひとまず、あなたの妙な感覚が現実的に使えそうだとは分かりました」


「妙な感覚で片づけるんだな」


「他に何と呼べばよろしいの」


 《乳眼》と言いたい。

 言いたいが、死んでも言えない。

 さすがに公爵令嬢の前で「胸を見ると分かる能力です」と言ったら、今度こそ庭の池では済まない気がする。


「観察眼、とか?」


「眼の部分は合ってますわね」


「まあ」


 そこでリリアーヌはカップを置き、ふっと真顔になった。


「では次です」


「次?」


「あなたの力を、本件にどう繋げるかを考えます」


 その声音に、俺も自然と姿勢を正した。


 ここからが本番だ。


「昨日までに分かっていることを整理しましょう」


 リリアーヌはテーブル上に紙を置き、細い指で順に示していく。


「一つ。舞踏会前、衣装室にセシル付きの女官が入っていた」


「ルシェルの証言だな」


「ええ。二つ。ルシェルの弟が脅されていた。つまり、証言を潰す動きが実際にある」


「うん」


「三つ。王子の側近が、侍女の発言を止めた」


「かなり怪しい」


「四つ。あなたの“観察眼”によれば、殿下も側近も、舞踏会で妙な揺れを見せていた」


「あとセシルも」


「……ええ」


 彼女は少しだけ言葉を選ぶようにした。


「ただし、セシル本人については、まだ断定したくありません」


「俺もだ」


「そこは一致していますわね」


 リリアーヌは紙の余白に何か書き込みながら続ける。


「問題は、ここからどう証拠へ繋ぐかです。違和感だけでは足りない。わたくしが無実だと公に示すには、相手の手が入った明確な痕跡が必要」


「脅迫文の筆跡とか、ドレスの細工とか」


「ええ。ただ、王家側が押さえているものに今すぐ手を出すのは難しい」


 そこまで言って、彼女はふと俺を見る。


「一方で、あなたは“話を聞く相手が何か隠しているかどうか”を見るのに向いている」


「まあ、たぶん」


「つまり、聞き込みですわ」


 その一言で、話が繋がった。


「屋敷の使用人からか」


「まずはそこから。昨日のルシェルのように、“怪しいと思っていても怖くて言えない”者が、まだいるかもしれない」


「なるほど」


「もちろん、全員を疑うわけではありません」


「でも、確認は必要」


「ええ」


 リリアーヌは静かに頷いた。


「わたくしは、おそらくこれまで“自分で全部見て、自分で判断して、自分で背負う”やり方をしすぎました」


 昨夜と同じだ。

 彼女は少しずつ、自分のやり方を外へ開こうとしている。


「だから今度は、人を使います。頼れるところは頼る。そうでなければ、同じことの繰り返しですもの」


「いいと思う」


 俺が即答すると、彼女は一瞬だけ目を瞬いた。


「随分あっさりですわね」


「だって、その方がいいだろ」


「……そうですわね」


 彼女はほんの少しだけ口元を緩め、それからすぐ仕事の顔に戻った。


「では午後から、屋敷内で昨日舞踏会の準備に関わった者たちへ順に話を聞きます」


「俺も同席?」


「当然でしょう。何のための検証でしたの」


「まあそうか」


「ただし」


 そこで彼女は冷えた目を向けた。


「必要以上にじろじろ見ないこと」


「いや、その“必要”のラインが難しいんだけど」


「あなたの中の“必要”は信用なりません」


「そこまで言う!?」


「言います」


 あまりに真顔で断言されて、俺は肩を落とした。


 だが実際、これは難題だった。

 《乳眼》を使うには相手を見る必要がある。

 見る場所の問題はまあ……ある。大いにある。

 だが能力の仕様がそうなのだから、どうしようもない。


 俺が真剣に悩んでいると、リリアーヌが怪訝そうに言う。


「何ですの、その深刻な顔は」


「いや、仕事と倫理のバランスについて」


「急に立派そうなことを言わないでくださる?」


「本気で悩んでるんだよ!」


「……まあ、その」


 彼女は少し視線を逸らし、言いにくそうに続けた。


「本件に必要な範囲であれば、今は目をつぶりますわ」


「え」


「その代わり、少しでも下心が混ざっていると感じたら、即刻池です」


「基準が怖いな!?」


「わたくしが基準ですもの」


「独裁だ!」


「公爵令嬢ですので」


 そこで、俺たちは少しだけ顔を見合わせた。


 緊張続きの午前だったせいか、そのやり取りが妙に可笑しく感じられて、俺は小さく笑った。

 リリアーヌも、呆れたようにしながらほんの少しだけ肩の力を抜く。


 その瞬間、ドアがノックされた。


「お嬢様」


 バルトロの声だ。


「入りなさい」


 執事が室内へ入ってくる。

 表情はいつも通り穏やかだが、目の奥に情報を持ってきた気配がある。


「報告がございます」


「何かしら」


「昨日の舞踏会準備に関わった外部の衣装係見習いについて、所在を確認しようとしたところ――本日朝から行方が知れません」


 部屋の空気が一気に張り詰めた。


「……逃げた?」


 俺が言うと、バルトロは静かに首を振る。


「まだ断定はできません。ですが、住み込み先の寮にも戻っておらず、連絡も取れないとのこと」


 リリアーヌの目が鋭くなる。


「昨夜のうちに動かれたのですわね」


「その可能性が高いかと」


 俺は思わず舌打ちしそうになった。

 こっちがようやく検証して手がかりを探り始めた途端、向こうは証人候補を消しに動いている。


 つまり、当たりだ。

 この件は本当に仕組まれている。


 リリアーヌはゆっくりと立ち上がった。


「午後の予定を変更します」


「お嬢様?」


「屋敷内の聞き取りも必要ですが、それ以上に急ぐべき先ができましたわ」


 彼女の視線が俺へ向く。


「拓真」


「何だ」


「あなた、働く覚悟はおあり?」


「昨日から結構働いてる気がするけど」


「足りませんわね」


 その目には、冷たさの奥に確かな闘志があった。


「このまま証言者を潰され続ければ、こちらの負けです。ですから先に動きます」


「衣装係を探す?」


「ええ。そして、舞踏会当日の流れを知る者を一人でも多く押さえる」


 俺も立ち上がる。


 ようやく、捜査らしい捜査になってきた。


 《乳眼》は最低だ。

 発動条件も名前もあまりに最低だ。

 だが、少なくとも役に立たないわけじゃない。


 なら、使うしかない。


 リリアーヌは一歩踏み出し、静かに言った。


「参りますわよ。わたくしを悪役に仕立てた連中へ、こちらから少しずつ食い込んでいきます」


 その言葉に、俺は自然と頷いていた。


「了解。――ただし、見るのは必要最小限でな」


「そこを最初に言うあたりが本当に不安ですわね」


「努力する!」


「努力で済ませないでくださいまし!」


 張り詰めた空気の中、そんなやり取りがひとつ落ちる。


 だが、その軽口の下で、確かなものが動き始めていた。


 舞踏会の裏にあった違和感は、もうただの感覚じゃない。

 証人が脅され、関係者が消え、王家が圧をかける。

 それだけ揃えば、誰がどう見ても“何かある”。


 そして俺たちは、ようやくその“何か”を追うための最初の武器を手にし始めていた。


 最低な名前の能力と、面倒くさい悪役令嬢との、妙に噛み合った共闘という形で。

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