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【証拠はいらない】前向きになれない自分を責めてしまう

作者: Wataru
掲載日:2026/02/13

相談者は、三十代半ばの女性だった。


服装は整っている。

受け答えも丁寧だ。

ただ――最初から最後まで、どこか申し訳なさそうだった。


「……前向きになれなくて」


それが、最初の言葉だった。


「どういう意味だ」


「落ち込んでるわけでもないんです」

「何かあったわけでもない」


「でも?」


「前向きに考えなきゃ、って思うのに」

「できない自分を」

「ずっと責めてしまって」


俺は、メモを取らなかった。


「誰に、責められてる」


「……自分です」


「周りは?」


「周りは」

「そんなに無理しなくていいって」

「言ってくれます」


「でも?」


「それでも」

「前向きじゃない私は」

「ダメなんじゃないかって」


少し間があった。


「世の中」

「前向きな人の方が」

「正しい気がして」


来たな、と思った。


「聞くぞ」


彼女は、小さくうなずく。


「前向きじゃないと」

「何が起きる」


「……何も起きません」


「仕事は?」


「してます」


「生活は?」


「できてます」


「じゃあ」

「困ってるのは」


「……評価です」


「誰の?」


「自分の」


俺は、椅子にもたれた。


「前向きってのはな」

「状態だ」


彼女が、顔を上げる。


「性格でも」

「価値でもない」


「……状態?」


「今日は雨だ」

「それと同じ」


「晴れの日も」

「曇りの日もある」


「人間も」

「それだけだ」


彼女は、言葉を探している顔をしていた。


「でも」

「立ち止まってる気がして」


「立ち止まってるな」


即答だった。


彼女が、驚く。


「でもな」


少しだけ、間を置く。


「立ち止まることに」

「いいも」

「悪いもない」


「進んでいる時も」

「止まってる時も」


「人間は」

「ただ」

「生きてるだけだ」


彼女の肩が、わずかに下がった。


「前向きじゃない自分を」

「責めてた理由は?」


「……置いていかれる気がして」


「誰に?」


「……分かりません」


「分からない相手の基準で」

「自分を裁くな」


彼女は、目を伏せた。


「なあ」


俺は、静かに続ける。


「前向きでも」

「後ろ向きでも」


「存在としての価値は」

「一切、変わらない」


「人間は」

「そこにいるだけで」

「もう完成してる」


長い沈黙。


「……証拠」

「いりませんでした」


「ああ」


「前向きじゃなくても」

「生きてていいって」

「もう、分かってたみたいです」


立ち上がるとき、彼女は少しだけ姿勢を正した。


ドアが閉まる。


しばらくして、相棒が言う。


「前向きじゃなくても、いいんだね」


「ああ」


「生きてるだけで」

「人は、もう足りてる」


静かになる。


前を向いてもいい。

後ろを向いてもいい。


止まっていても、

迷っていても、

人間は――


ただ存在しているだけで、

もう十分だ。


それが分かっているなら――

もう、証拠はいらない。


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