横恋慕する 君も可愛いね
ヒューピア伯爵家の嫡男イルッカと、プットネン子爵家の長女エルサは婚約者同士である。
見目麗しい二人は憧れの的で、二人連れ立って歩けば、あちこちからため息が漏れるほど。
鑑賞されるだけならば害はないが、どちらかに横恋慕して、仲を引き裂こうと考える者もいる。
渡る世間は実に油断ならないものである。
婚姻間近の二人が、馴染みのカフェの馴染みの席で週に一度のデートを楽しんでいることは、知る人ぞ知る事実。
その習慣が始まって以来、その日のその時間帯は、彼らに憧れる者、横恋慕する者たちで店内は満員になる。
店員は目が回るほどに大忙しだが、店長はホクホクな日というわけだ。
様々な思いが交差するカフェの店内であったが、その日はいつもと違っていた。
「申し訳ございません」
待ち合わせのカフェに先に着いたエルサの前に現れたのは、ヒューピア家の従僕。
「イルッカ様は急用が入りまして、本日の約束はキャンセルしたいと……」
「そう。わかりましたわ」
紅茶のおかわりを頼もうかと考えていたエルサは、従僕の話を受け入れた。
「理由をうかがえますか?」
可愛そうなほど恐縮している従僕に責任はないが、エルサとて黙って帰るわけにもいかない。
「……実は、リリヤ様が熱を出されまして」
「あら、それは大変ね」
それを聞いていた周囲の人物たちは、リリヤという人物に興味を持った。
後日、とある筋から情報を得た者から、その人物がヒューピア伯爵家の遠縁の娘で、最近伯爵家に引き取られたという噂が広がったのである。
さて、ここにカップルの片割れ、イルッカ・ヒューピア伯爵家令息に横恋慕している女性がいた。
彼女の名はウルネマ・ムトゥカ、男爵家の令嬢である。
エルサ嬢の美しさが百合のごとくだとすれば、ウルネマ嬢はひな菊のごとし。その可愛らしい容姿は多くの若い男子を魅了し、夜会に出れば大人気である。
しかし、いかんせん横恋慕真っ最中。
冷たくあしらわれた令息たちは引いて行ったが、そんなところも素敵だよ、とささやける程に彼女を溺愛する令息が一人だけ残った。
しかも、この令息はなかなか紳士。
エスコート以外の不必要な手を出すこともなく、用があれば気軽に呼びつけるウルネマの外出のお供を喜んで務めている。
誉めるべきか呆れるべきか判断の難しい彼の名前はクスタヴィ・ライスキ。
ライスキ子爵家は代々商売に長けているが、その血筋をしっかり継いだと評判の将来有望な跡取り息子である。
「ねえねえ、聞いた? イルッカ様の噂」
とある日のこと。
件のカフェとは別の、旬のフルーツパイが評判の店で、ウルネマとクスタヴィはお茶をしていた。
「聞いたとも。
翌週は、エルサ嬢もイルッカ様も、カフェに現れなかったらしいよ」
「本当? あの店、イルッカ様の予約日は全然、席が取れなくて」
「僕の伝手によれば、来週はイルッカ様が遠縁の娘を連れてくるらしいよ」
「え? それって、いよいよ婚約破棄!?」
「他人の婚約破棄を望むなんて、悪い子だね」
「だって、エルサ様って美しくて賢くて、どう考えても勝てないもの。
イルッカ様の家に入り込んで略奪するような令嬢なら、わたしにも勝てるチャンスがあるかもしれないじゃない?」
「君は、そんなことを考えていたの?」
「軽蔑していいわよ」
「しないよ」
そういって優しく微笑んだクスタヴィが内心で『子猫の威嚇(しかも妄想)みたいで可愛いなあ』と思っていたことなど、ウルネマは知る由もない。
そして決戦の日は訪れる。
現場を見たくて気をもんでいたウルネマに、クスタヴィから連絡があったのは前日のこと。
『カフェのキャンセルが出て席が取れたから、君の予定が空いていれば一緒に行かないかい?』
二つ返事のウルネマに、クスタヴィの使者はほっとして、主人からの花束とチョコレートの箱を渡したのである。
翌日のこと。
いつものカフェ、いつもの席でエルサは婚約者を待っていた。
そこへ、件の従僕が現れる。
「お待たせいたしました」
「ええ、待っていたわ」
エルサの満面の笑みに、下世話な者の頭には、もしかして待ちぼうけを食わされているうちに従僕と好い仲に? などという妄想がよぎる。
だが。
「待たせて済まない」
「今来たところですわ」
続いて婚約者のイルッカが現れた。
そして、イルッカがエスコートしてきたのは……
「お姉さま、本日はお招きいただきありがとうございます」
「まあ、リリヤ。カーテシーが上手になったこと」
「お姉さまがいつも丁寧に教えてくださるおかげです」
顔を上げたのは、八歳くらいに見える可愛らしいご令嬢。
「お見舞いをたくさん、ありがとうございました」
「お屋敷に伺うとき、ついついあれもこれも、と欲張って買い込んでしまって。
むしろ、付き合わせて悪かったわ」
「いいえ。どれも素敵なものばかりで、部屋に飾ってあります。
特に、お姉さまが枕もとで読んでくださった詩の本は、一番の宝物です。
あの詩を読めば、いつでもお姉さまを思い出せますわ」
「あらあら、わたしがヒューピア家に入ったら、いつでも読んであげられるわ。
貴女が行儀見習いを終えて嫁ぐときには確かにお別れですけど、まだまだ先の話よ。
それに、その後も会うことは出来るわ。
困ったことがあったら、できる限り力になってよ」
「はい。お姉さまにそう言っていただけると、百人力ですわ」
「まあ、リリヤったら。そんなに頼られたら、わたし、今から鍛えておかなければ間に合わなそうね」
エルサが軽く腕を曲げて力こぶを作る真似をすると、リリヤが声をあげて笑った。
「それでエルサが困ったときは、僕を頼ってくれればいい。
そろそろ僕も、仲間に入れてもらえるかな?」
そこへ、やんわりとイルッカが割り込んだ。
「あ、お兄さま、ごめんなさい」
「ふふふ、イルッカ様ったらやきもちですの?」
「君とはほとんど毎日会っているのに、それでもまだ足りないみたいだ」
「あら、困った方ね」
彼らのテーブルはウフフ、アハハと明るい雰囲気が絶えない。
「話が違うわ!」
近いテーブルで耳をそばだてていたウルネマがいきり立つ。
「聞いた話だけどね、エルサ嬢はしばらく前から、ヒューピア夫人に教えを乞うため毎日のように屋敷に通ってるそうだよ。
週一のカフェは、息抜きみたいなものなんだろうね」
向かい合うクスタヴィがのんびりした口調で応えた。
「ええええ!?
お屋敷で同居する令嬢が仲を引き裂いて、婚約破棄になるはずなのに!」
「ウルネマ、恋愛小説の読みすぎだよ」
ウルネマの頬っぺたがぷくーっと膨らむ。
この日も、店内にいたお客は皆、エルサかイルッカに興味津々な者ばかり。
横恋慕する気持ちがある者たちは、こりゃ駄目だとばかりに次々と席を立つ。
帰り際、クスタヴィの偏差値の高い顔面と、流行のファッションをさりげなく着こなしている姿に気づいた令嬢が数人、足を止めた。
同じく、小柄で華奢で、その体格に見合う可愛らしさのウルネマに目を止めた令息も数人。
しかし、とろけそうな笑顔でウルネマを見つめ、つんつんと膨らんだ頬っぺたをつつくクスタヴィと、それを許しているウルネマの様子に、こりゃ駄目だ再びとばかり、次の有望株を探しにカフェのドアを開けて出て行ったのである。