第93章: メサイアじゃない。ただの盗賊だ
アリラが待ち続けたデレクとの再会。
でも喜びは長く続かず、デレクが口にしたのは衝撃の一言でした。
彼女の信じてきた「メサイア像」が揺らぐ瞬間をお見逃しなく。
デレクは腕を組み、深いため息を吐いた。
――いつまで待たせる気だ。アリラに会わせるだけだろうが。
ノーヴィス学校の待合室は無駄に広い長方形。床は磨き上げられていて、ブーツがきしむほど滑らかだ。高いアーチの窓からは暖かな光が差し込み、壁のタペストリーを照らしていた。そこには、完璧な構えで立つ理想化された戦士と、後光を放つオルビサルの紋章が描かれている。
――兵士と狂信者を同時に育て上げるにはうってつけだ。効率はいい。
空気は香の煙と、油の染みた木の匂いで満たされている。建物の奥からは、拳や蹴りが叩き込まれる鈍い音が、一定のリズムで響いてきた。
部屋の中央には七つの同心円と曲線で繋がれた円形の敷物――チャクラを図式化したものが広がっていた。窓の反対側にはガラスケースが並び、訓練用の武器――杖、刃を潰した剣、強化手袋――が、聖遺物のように陳列されている。
修道院と兵舎を掛け合わせたような場所。静かで、規律正しく、ほんのわずかに霊的。……その『わずか』が、皮膚を這うほど不快だ。力と信仰がここまで絡み合っていると、どちらかを引き剥がせば、もう片方も一緒に裂ける。
前回は訓練の最中に押しかけて、こんな待ち時間は避けられたんだったな。……同じことをすればよかった。
光沢のある赤い扉がきしみを上げて開いた。
アリラがおずおずと広間へ入ってきた。彼の方を見まいと視線を逸らしている。
【アリラ】「デレク? 本当に……あなたなの?」
デレクは口角を上げた。
【デレク】「アリラ! ようやく顔を見られたな。」
次の瞬間、彼女は電流に触れたみたいに飛び上がり、構えを取った。エボンシェイドで見たあの姿勢――目を見開き、呼吸も荒い。
――くそ、弦みたいにぴんと張ってやがる。
【デレク】「アリラ、何を――」
【アリラ】「デレク!」
彼女は駆け出し、彼を押し倒しそうな勢いで抱きついた。
【デレク】「おい……どうしたんだ?」
思った以上に力がある。日に日に鍛えられてるのが分かる。容赦ない訓練を受けてるんだろう。とはいえ、抱きしめ合う趣味はない。両手を上げ、やり過ごす。
すぐに彼女は顔を赤くして手を放し、口元を押さえながら下がった。
【アリラ】「オルビサル、ごめんなさい……本当にあなたに会えるか分からなくて。急に呼ばれて、カルトの待ち伏せだと思って……」
【デレク】「カルトの待ち伏せ? 一体何を言ってる? まだエボンシェイドの悪夢を引きずってるのか? 落ち着け、深呼吸しろ。お前の言葉、何一つ入ってこないぞ。」
アリラはうなずき、二度深呼吸した。
【デレク】「もう大丈夫?」
【アリラ】「う、うん……たぶん。」
頬は赤いまま、胸はまだ上下しているが、息はだいぶ落ち着いた。
デレクは目を細めた。
【デレク】「よし。じゃあ聞くぞ。今『カルト・オブ・ザ・デッド』って言ったよな。最初から説明しろ。」
【アリラ】「……シエレリスよ。」
デレクの眉が跳ね上がる。
【デレク】「はあ? 異端のスパイだろ? コリガン・マルザールの娘にして、お前をさらった張本人。教会中に指名手配されてる女だ。……そのシエレリスがここに? この学校に?」
アリラは視線を広間のあちこちに走らせた。
【アリラ】「彼女、今もここにいるかもしれない。聞いてるかも。……彼女は姿を消せるの!」
デレクはわざとらしく天井を仰いだ。
【デレク】「子供か、神経が焼き切れてるな。地獄を見たんだ、仕方ない。でもな――」
【アリラ】「違う! 本当にここにいるの!」
デレクは瞬きをした。半分正気を失ってるように見える……いや、本当に見たのか?
【デレク】「つまり、どこかでチラッと見たってことか? 視界の端で?」
【アリラ】「違う。私の部屋に来た。話しかけてきたの。」
胸がひやりとした。
【デレク】「いつだ? なんて言った?」
【アリラ】「数日前。学校にカルトのスパイがいるって。そいつを暴くのを手伝ってほしいって。」
デレクは眉を寄せた。
【デレク】「なぜお前に?」
【アリラ】「彼らは私を狙ってる。だから私が一番そのスパイを見つけられるって。」
デレクは無精ひげを撫でた。――癪だが、筋は通ってる。アリラを狙うなら、遅かれ早かれ動いてくる。そのときを待てばいい。
【デレク】「じゃあ、なぜすぐに衛兵を呼ばなかった?」
アリラは喉を鳴らし、顔から血の気が失せた。
デレクは一歩踏み込む。……またあの壊れ物みたいな子供に戻ってやがる。
【デレク】「何を隠してる?」
【アリラ】「彼女は知ってるの。」
デレクの目が見開かれる。
【デレク】「確かか? ……お前のことを?」
彼女はうなずいた。
――くそ。スパイはアリラの手のチャクラにあるデスの《球体》の汚染を見抜いた。さらに俺の幻術の《球体》のトリックも。そしてアリラの秘密も。……これで二人まとめて縛られた。
黙っていてほしけりゃ、不当な要求を突きつけてくるだろう。……なら、一度脅してやる必要がある。甘く済むとは思えないが。
アリラは熱に浮かされたように額を押さえた。
【アリラ】「シエレリスはまだ知りたがってる。あなたが本当にカシュナールなのかって。それが私を誘拐した理由。でもエボンシェイドであなたの力を見ても、まだ納得してないの。」
【デレク】「で、カルト・オブ・ザ・デッドと俺に何の関係がある?」
アリラは肩をすくめた。
【アリラ】「お父さんが心配してるんだって。立ち向かいたいって。」
デレクは無精ひげを撫でた。――妙だな。コリガンの第一の敵はユリエラ。ユリエラを苦しめる連中なら、むしろ利用できるはずだ。敵じゃない。
【デレク】「本当にそう言ったのか?」
アリラはうなずいた。
――やっぱり、あの幻術使いの狐は独自の盤上で遊んでやがる。本音は隠したまま。
デレクは息を吐いた。
【デレク】「まあいい。認めたくはないが、シエレリスはお前を本気で傷つけようとしたことはない。少なくとも意図的にはな。危険に晒したのは事実だが、まず自分を危険に晒してからだ。」
アリラは顔を上げ、必死に彼の言葉を聞いていた。
【デレク】「だから助言だ。今は彼女の言う通りにしておけ。もしカルトがここに潜り込んでるなら、安全な場所なんてない。だが、彼女のおかげで動きがあると分かった。それは大きい。つまり、お前には奴らを暴くチャンスがある。」
アリラは背筋を伸ばし、決意の光を瞳に宿した。
【アリラ】「わかったわ。やってみる。任せて。」
【デレク】「カルトは、お前が自分から転がり込んでくると思ってる。だからまずは口で丸め込もうとするはずだ。」
アリラは小さく笑った。
【アリラ】「じゃあ、口で言っても無駄ね。」
【デレク】「舐めるな。言葉ってのは刃より厄介だ。気づいたときには心を捻じ曲げられてる。」
アリラは勢いよく首を振った。
【アリラ】「絶対に裏切らない!」
確かに強くなっている。だが学んでいないことも多い。
【デレク】「アリラ、それはお前の人生だ。好きにしろ。本気でフードを被った気味の悪い連中と一緒の方が幸せだと思うなら……俺は裁かない。俺だってお前くらいの頃は、もっとヤバいことしてた。」
彼女は口を尖らせたが、何も言い返さなかった。
デレクは肩に手を置いた。
【デレク】「俺は教会じゃない。覚醒の鎖でもない。もちろん死霊術師でもない。ただの俺だ。お前が何を選んでも、それで幸せなら――俺は支える。……その時が来たら、星に連れて行ってやる。まだ望むならな。」
アリラはためらいがちにうなずいた。まだ言葉を咀嚼しているようだった。
彼はその目を見つめた。迷いと恐怖が、少しずつ落ち着きと確信に変わっていく。
【アリラ】「デレク?」
【デレク】「ああ。」
【アリラ】「あなた、本当にカルト・オブ・ザ・デッドが邪悪だと思ってるの?」
【デレク】「邪悪なやつはいるさ。だが全員じゃない。ほとんどは誰かを失った人間だ。もう一度会いたくて、あのカルトに縋ってるだけだ。」
――もしユキに遺体が残ってたら、俺だってそうしてただろう。
だが宇宙はそれすら奪った。
【アリラ】「……わかったわ。じゃあ、あなたの言う通りにする。」
【デレク】「よし。ただしイザベルには絶対言うな。あいつは考える前に斬りかかる。あのデカい剣で、カルト信者もシエレリスもまとめてな。これは俺たちだけの秘密だ。」
アリラは視線を落とした。
【デレク】「今度はなんだ? まるで犬でも殺されたみたいな顔をしてるぞ。」
【アリラ】「シエレリスが言ってたの。あなたとイザベルが戦ったって。」
デレクは首をかしげた。――わざわざそんなことを? 何を狙ってやがる。
【デレク】「ああ、そうだ。イザベルはお前みたいな十三のガキにブロンズ級のデスの《球体》を渡した。権利なんてなかった。」
【アリラ】「もうすぐ十四歳よ。」
【デレク】「十四まで生き延びたらの話だ。あのエネルギーはお前を一瞬で殺しかねなかった。『死』の《球体》って名はダテじゃない。」
【アリラ】「私、地面に倒れてるイザベルを見たの。彼女は《球体》を持ってて、立ち上がろうとしたけどできなかった。」
デレクは天井を見上げ、わざとらしくため息をついた。
【デレク】「ああ、聞いたよ。自分で俺に持ってこようとしたが無理だったってな。……気の毒に。もうこの話はやめないか?」
だがアリラは無視した。
【アリラ】「イザベルは悪くない。私の夢は、あなたと彼女と一緒にエボンシェイドで戦ったような怪物を倒すこと。無実の人を守ること。その日、イザベルは私にそのチャンスをくれたの。責めるなんてできない!」
デレクの笑みは苦かった。
【デレク】「夢ね。怪物を殺すことが。……俺はてっきり、星を旅することだと思ってた。」
【アリラ】「私は十三歳。八歳の子供じゃない。もちろん、あなたが見てきた世界を見てみたい。でも、私の故郷はここ。私はここを守るために訓練してる。あなたやイザベルと同じように。村で起きたことを二度と繰り返さないために。」
デレクは息を吐いた。エラスマス・モルシャントの言葉が頭に響く――この世界はピラミッドが建てられた時代から魔物に脅かされてきた。世代を超えて続いた戦いを、宇宙旅行の夢ひとつで覆せるわけがない。
【デレク】「アリラ……いつまでもこうであり続ける必要はない。変えられる。」
【アリラ】「どういう意味?」
【デレク】「お前たちが崇める金属の《球体》――あれがどこから来たのか突き止める。そして終わらせる。もう《球体》はいらない。怪物もいらない。そしてオルビサルもいらない。」
アリラは呆然と口を開けたまま彼を見つめた。
彼は、その目にゆっくりと理解が広がっていくのを見た。
【アリラ】「……そんなこと、本当にできるの?」
【デレク】「できると思ってる。だが勘違いするな。これは慈善じゃない。俺には俺の目的がある。この技術を解き明かせば、銀河一の金持ちになれる。」彼の唇に薄い笑みが走った。
「……そしてその後、この惑星の人々を他の人類社会に編入させる。全員が星に手を伸ばせるようにする。中世なんて、とっくに終わってるんだ。」
アリラの目が大きく揺れた。
【アリラ】「あなた……この世界の《球体》を盗むつもりなの? ただ金持ちになるために?」
【デレク】「簡単に言えば、そうだ。」
アリラは扉に向かって数歩進み、途中で立ち止まった。振り返り、震える声で言った。
【アリラ】「デレク……あなたは……盗賊なの?」
ようやく気づいたか。デレクは口元をゆがめて笑った。
【デレク】「そうだ。俺は盗賊だ。古代技術を専門にする盗賊。昔は違ったが、今はそれが俺だ。そしてこの《球体》――見てきた中でも抜群に面白い代物だ。」
アリラは彼を見つめた。初めて会った人間を見るような目で。
【アリラ】「みんなはあなたをメサイアと呼んでる。信じてるの。私も信じてる。」
デレクは腕を組み、冷たく返す。
【デレク】「俺の知ったことじゃない。信じろなんて頼んでない。少なくとも、わざとじゃない。」
アリラは強く首を振った。
【アリラ】「違う。あなたは命を救ってばかり。ジャングルで助けてくれたし、エボンシェイドでも迎えに来てくれた。あそこには盗めるものなんてなかったはず。……あなたはただの盗賊じゃない!」
デレクは大げさに天井を見上げた。
【デレク】「おいおい、イザベルみたいな台詞を言い出したな。」
アリラは目を伏せ、小さく笑った。
【アリラ】「彼女と比べられるなんて光栄よ。あなた、彼女をずっと憎むつもり? 彼女はあなたを想ってるのに。」
デレクは鼻で笑った。
【デレク】「彼女が想ってるのはカシュナールだ。俺じゃない。俺がただの盗賊だと知ったら態度は変わる。お前も同じさ。」
アリラは口元を押さえ、視線をさまよわせた。
――言い過ぎたかもしれない。だが、真実を突きつけておく方がいい。彼女は孤独な子供だ。親切にしてくれる誰かに縋るのは当然だ。
だが今は居場所がある。教会でも、覚醒の鎖でも、カルトでもいい。
銀河の半分から追われている盗賊に付いていくなんて、どこよりも最悪だ。……それでも彼に付いていくと決めるなら、何に巻き込まれるか分かった上での選択になる。
【アリラ】「違う!」
デレクは眉を上げた。
【デレク】「違う?」
彼女の瞳が潤んでいた。
【アリラ】「あなたはイザベルを憎んでなんかいない。ただの盗賊でもない。盗みに来ただけじゃない。愛した人のためにここにいる。私を助けるために、イザベルを助けるためにここにいるの! ……あなたはカシュナール。世界を助けるためにここにいるの! なぜそんなことを言うのか分からないけど、もう聞きたくない。出て行って!」
彼女は身を翻し、扉へ駆け出した。
【デレク】「なんだと……アリラ!」
だがもう遅い。扉は勢いよく閉じ、静寂が残った。
デレクとアリラの再会、そして告白の回でした。
会話が中心のエピソードでしたが、今後の伏線がいくつも仕込まれています。
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