第32章: 危険すぎる喧嘩
デレク VS ハンク、開幕です。
今回の戦いは、拳と皮肉とプラズマでできています。
笑っていいのか、緊張すべきか、判断はお任せします。
広場には、デレクと、彼にじわじわと近づく五人の若者たちしかいなかった。
五人の男――それに、トーマス。
数人の通行人はすぐに距離を取り、これから起きることには関わりたくなさそうだった。
背筋に、冷たいものが走る。
彼らは皆、上質な服を着ていた。トーマスも含め、彼は密告の合間にしっかり着替える時間があったらしい。手に持つ棍棒や杖は、手入れの行き届いたその手には不釣り合いだった。裏路地での殴り合いに慣れているようには見えない。
だがこの世界では、「見た目に惑わされるな」という言葉に、預言のような重みがあった。
それでも、顔つきだけは――どう見ても、本気で戦う覚悟があるようには見えなかった。
賭けるとしたら、殴る覚悟があるのは一人だけ。
その中で一番背の高い少年は、突き出た額、カエルのように飛び出た目、そして間の抜けた隙間だらけの歯で笑っていた。舌なめずりしながら、デレクをまるでご馳走のように見定めている。
しかも彼だけが武器を持っていなかった。だからこそ、一番危険だ。
【ヴァンダ】「デレク、心拍数が上昇しています。ご無事ですか?」
デレクは耳の後ろに指を当て、マイクを起動する。これでヴァンダも、状況をそのまま聞けるようになった。
【デレク】「やあ、みんな。どうした?その棍棒、いいセンスしてるな。これからどこかで、かわいそうな動物でも叩くつもりか?」
【ヴァンダ】「棍棒ですか?すぐに向かいます。少しだけ耐えてください!」
【トーマス】「気に入ったか?なら、もっと近くで見せてやろうか?」
デレクは両手を挙げて首を横に振る。
【デレク】「いや、ここからで十分見える。お前がいつも、自分より強い奴の後ろに隠れてるのも、よーく見える。」
【トーマス】「俺が頼んだわけじゃねぇ。お前のやったことを聞いて、こいつらが勝手に集まったんだ!」
長身の少年が一歩前に出た。カシュナールの像を顎で示しながら言う。
【???】「お前、自分が「本物のメサイア」だって言ってるって、本当か?」
【デレク】「それを言ったのは……トーマスだろ?」
【トーマス】「本当だ!この耳で聞いたんだ。『自分こそが、唯一にして真なるメサイアだ』ってな!」
デレクは首を傾げ、じっとトーマスを見つめる。
【デレク】「お前……何がしたいんだ?俺に何かされたか?――いや、待てよ。お前をあの化け物から救っただろ。それに、人喰い植物からも助けてやった。あと、お前の「愛しのワーデン様」も、盗賊から救ってやったよな?」
他の少年たちはざわめき、顔を見合わせる。
トーマスは歯を食いしばり、怒りに燃える目でデレクをにらみつけた。
【トーマス】「黙れ、偽預言者!」
……つまり、そのへんの話は仲間にしてなかったってことか。なるほど、驚きだな(棒読み)。
デレクは皮肉っぽく笑い、首を傾けた。
【デレク】「「偽メサイア」だったと思うけどな。でもまあ、あんだけ早口で嘘を並べてたら、そりゃ間違うか。」
―――
ドローンの羽音が頭上で大きくなった。ぴったりのタイミングだった。
【トーマス】「騙されるな!こいつは、銀の舌でイザベル様すら誑かしたんだ!」
デレクはオーバーリアクション気味に「おおー」と唸り、何かに気づいたふりをして頷く。
【デレク】「そうか……そういうことか。」
【トーマス】「何が「そういうこと」だよ?」
【デレク】「問題の正体だよ。お前は、最高級のバカだ。」
トーマスの体がカッと強ばる。
【トーマス】「……何の話をしてるんだよ?」
デレクはため息をつき、呆れたように首を振った。
【デレク】「お前さ、イザベルに惚れてるんだろ?で、俺がその壮大な恋物語の邪魔してるって思ってるわけだ。」
そして、芝居がかった動きで両手を胸の前で組んでみせる。
【デレク】「お前の「おとぎ話」を壊した犯人が俺だって、本気で信じてるんだな?」
少年のひとりがクスクスと笑う。トーマスの顔は真っ赤になり、赤みが耳の先まで広がっていった。
【トーマス】「この野郎ッ!」
トーマスが怒鳴り、棍棒を振りかざして飛びかかる――が、その足がピタリと止まる。
顔面から血の気が引いていく。
デレクは両腕を広げ、まるで「さあ、抱きついて来い」とでも言わんばかりに待ち構えた。
その背に、NOVAの適応ジェルのひんやりとした感触が走る。
磁気ロックが四肢を包み込むようにカチリ、カチリと固定され、視界は一瞬でHUDに切り替わった。
トーマスはよろけて後退し、棍棒がカランと音を立てて地面に転がった。
背後の長身の少年が、目を見開いてデレクを指差す。
【???】「……ま、まさか……こいつ、本当にメサイアなのか?」
他の少年たちは唖然としながら、デレクと像とを交互に見比べた。
周囲の建物の窓からは、次々と顔が覗き始める。事の成り行きを見ようとする、野次馬たちだ。
デレクは目を細めてため息をつく。
――襲われそうになってたときには誰も出てこなかったくせに。いざ見世物が始まったら、群がるのかよ。田舎者め。
彼は両手を軽く掲げる。
【デレク】「なあ、これは誤解だ。あの像を見た時、俺だって驚いたよ。でも断言する。俺は君たちの「メサイア」じゃない。きっと……何か、説明があるはずなんだ。」
……説明なんて、想像もできなかったし、多分今後もできないけどな。
トーマスが地面を踏み鳴らす。まるで駄々をこねる子供のようだった。
【トーマス】「見ただろ!?あいつ、「自分はメサイアじゃない」って言ったんだぞ!それこそが、まさに預言に書かれてた通りなんだよ!こいつは、お前らを操るために、わざとそう言ったんだ!」
他の少年たちは不安そうに顔を見合わせる。
信じたい気持ちはある。でも、あの像とそっくりな姿を前にして、心が揺れているのは明らかだった。
デレクには時間がなかった。
まもなく彼らは決断する。その判断がデレクに有利になるとは、とても思えなかった。
特に、あの長身の少年。彼が拳を握ったり開いたりする様子が、デレクの警戒心をかき立てる。
――あいつ、戦いたくてうずうずしてやがる。
どうせ、この整った街じゃ、喧嘩の機会も少ないんだろう。
デレクは小さく舌打ちした。
――撃てたら楽だったのにな。
【デレク】「ヴァンダ。この中に、めんどくさい能力を持ってるやつはいるか?あのチビ、トーマスとか。」
少なくとも、先に手を出す理由にはなる。
【ヴァンダ】「エネルギーのスパイクを検出しました。ただし、彼からではありません。」
デレクの背筋が固くなる。
【デレク】「じゃあ、誰だ?」
【ヴァンダ】「長身の者からです。発生源は……全身。」
胃の奥が冷たくなる。
――またか。あの森のやつみたいに、変異持ちか?
あの時は殺すしかなかった。今回も、そうなるのか?
まるでその思考に応えるように、長身の少年が一歩前へ出る。
足をしっかりと地に据え、デレクをまっすぐ見据える。
その目には、無言の挑戦が宿っていた。
【ヴァンダ】「エネルギー値、上昇中です。何かを始めようとしています。」
――やるしかない。
デレクはNOVAの脚部アクチュエーターを全開にした。
そして、暴走列車のごとく飛び出した。
相手の目が見開かれたが、反応する間もない。
デレクは彼に体当たりし、そのまま地面に叩きつける。NOVAの全重量が、相手の体にのしかかった。
【???】「な、何してんだよ!?正気か!?」
【デレク】「ヴァンダ、装甲重量を最大に。」
【ヴァンダ】「了解しました、デレク。」
【???】「降りろって、うぐっ――!」
少年の顔が紫色に変わり、胸の上にかかる重量に押しつぶされそうになっていた。
だが、デレクは一切手を緩めない。
――もし逃げられたら……どうなるかわかったもんじゃない。
【トーマス】「頑張れよ、ハンク!偽メサイアなんかに負けるな!お前の力、見せてやれ!」
他の少年たちは輪になり、拳を突き上げながら叫び始める。
【少年たち】「ハンク! ハンク! ハンク!」
――どうやら、こいつは仲間内じゃヒーロー扱いらしい。
デレクは内心で毒づいた。
――バカなガキどもが。押さえられなきゃ、攻撃に出るしかない。
――殴るか?でも効かねぇだろうな。
――となれば、次の手は……
プラズマブレード。
……クソ、相手はただの子供だぞ。
ハンクが激しくもがき始めた。デレクはさらに力を込める。
その瞬間、彼の指先に伝わる感触が変わった。
――皮膚が硬く、厚くなっていく。
【デレク】「……やばい。」
喉の奥から、獣のような低い唸り声が漏れる。
【デレク】「ヴァンダ、分析。」
【ヴァンダ】「異常な反応を確認……何かをしています。」
【デレク】「……それ、説明になってねぇから!」
NOVAを押さえ続けるのに、全身の筋肉が限界を迎えそうだ。
ハンクの体はさらに肥大化し、筋肉が膨張し、骨格すら変化していく。
モニターにはアクチュエーターのストレス警告が点滅していた。
――NOVAの最新改良でも、こいつを抑えきれない?
こいつ、一体何者だ――?
ゆっくりと、だが確実に。ハンクはNOVAを持ち上げ始める。
【デレク】「クソッ……」
四百キロのパワーアーマーを、素手で持ち上げやがった。
――そりゃ、崇めたくもなるわな。問題は、こっちはまったく笑えねぇってことだ。
早く何とかしないと。
次の瞬間、ハンクが体をねじり、デレクを跳ね飛ばす。
地面に転がりながらも、デレクは即座に起き上がり、構えを取った。
普段なら、ここでプラズマキャノンの出番だ。
だが……これは「学園ケンカ」だ。流石にそれはやりすぎだろう。
ハンクの体はもはや硬いだけではなかった。鎧のような厚い骨板が体を覆い、まるで侍の甲冑のように層を成していた。額には鋭い突起が伸び、両手首からはギザギザした骨のスパイクが生えていた。
彼の頭上に、白く輝くラベルと共に緑色のHPバーが現れた。
《レベル 鉄 3》
デレクの心臓が一瞬止まりそうになる。
――レベルが表示されたってことは、これは「本物」だ。
路地裏の喧嘩なんかじゃない。ハンクは――殺しに来てる。
唯一の希望は、デレク自身の「鉄レベル6」のオーラを見せて、やる気を削ぐこと。
……だったが、ハンクは一歩も引かなかった。
じっとデレクを睨みつけ、拳を握って前に出る。
【デレク】「クソ……なあ、坊や。ここで引け。俺はお前を傷つけたくねぇ。」
【トーマス】「聞くな、ハンク!」
トーマスが絶叫し、石を拾って投げた。それはNOVAのニュートロンスチール装甲にカンッという音を立てて跳ね返り、何のダメージも与えられなかった。
デレクは鋭く振り返り、プラズマキャノンを展開し、トーマスの顔面に向けて狙いを定めた。
【デレク】「これが最後の警告だ。もう一度でも口を開いたら、容赦しない。」
トーマスの顔から血の気が引き、目を見開いたまま、無言でうなずいた。
デレクはキャノンを格納した。
その瞬間を逃さず、ハンクが飛びかかってきた。好機を見逃さなかった。
彼は片方の骨スパイクをデレクに向けて突き出した。
デレクは回避しようとしたが、攻撃の途中でスパイクが延伸し、側面に擦れるようにしてNOVAの装甲を引っかいた。耳をつんざくような金属音が響いた。
《装甲がダメージを吸収しました。》
《受けたダメージ:0%》
《装甲の耐久度:97%》
もしデレクがまだハンクの殺意を疑っていたとしても、もう完全に吹き飛んだ。
デレクはプラズマブレードを起動させ、深く息を吸い込んだ。そして落ち着いた声で語りかけた。
【デレク】「こういう終わり方じゃなくてもいいんだ、ハンク。俺の方が強いって、もう分かってるだろ?」
【デレク】「このイカれた世界じゃ、そういうのはお前たちでも感じ取れるらしいしな。」
【デレク】「友達の前で強がってるのはわかるが……内心では怯えてるはずだ。そして、その恐怖は正しい。」
【デレク】「友達だって、お前が引くことを理解してくれるさ。」
【ヴァンダ】「デレク、どうするつもりですか?彼はただの子供です。」
【デレク】「ヴァンダ、装甲重量を最小にしてくれ。スピードが必要だ。」
【ヴァンダ】「完了しました。」
少年たちは凍りついたように沈黙した。トーマスさえ、顔を青ざめさせ、目を見開いたまま動けなかった。ようやく、戦況がまったく対等でないことに気づいたらしい。
ハンクは巨大な拳を上げ、ぎこちない笑みを浮かべながら舌なめずりをした。
デレクは黒金属の亡霊のように疾走した。オレンジ色に輝くプラズマブレードと、真紅に光る瞳を携えて。
ハンクの自信が崩れた。
目を固く閉じ、パニックの叫び声を上げながら、骨のスパイクを交差させて必死に防御しようとする。
だが――
デレクはその横を、風のようにすり抜けた。
狙いすました一閃。ブレードは正確に、致命傷を避けながら装甲だけを切り裂く。
次の瞬間には、デレクは背を向けて静止していた。
プラズマブレードは淡く光を残しながら、消えていく。
【デレク】「……終わりだ。」
ハンクは肩で息をし、汗を額から滴らせていた。
彼は腕、胸、手を見つめながら、切られた形跡を探す。何も見当たらない。
仲間たちは沈黙したまま、口を開けたまま動けない。
デレクは静かに振り返る。
そして――
ハンクの体から、焦げて煙を上げる骨装甲の大きな破片が、2枚、ガランと地面に落ちた。
その下から現れた肌は、汗で光っていた。
ハンクは目を見開き、足元を見下ろす。
……黄色い液体が、静かに彼の足元に広がっていた。
顔が真っ赤になる。
その瞬間、デレクの視界から、HPバーとレベル表示がふっと消えた。
ゲージは満タンのまま、自然に消えていった。
周囲の少年たちは一斉に笑い出す。
【少年たち】「うわっ、やばっ!」
【少年たち】「もらしやがった!」
【少年たち】「ハンク、やっべぇ!」
黄色い染みを指差しながら、広場に爆笑がこだまする。
……ただ一人、笑っていない男がいた。
トーマスだ。
その目は怒りに燃え、顎は固く、拳は白くなるほど握り締められていた。
デレクは彼を見つめ、ため息をついた。
【デレク】「この世界では、誰かの本当の強さを知るには――」
【デレク】「極限まで戦ってみるしかない。」
【デレク】「今、トーマスはその現実を思い知らされた。」
【デレク】「俺を倒したいなら、腰巾着を一人連れてきたくらいじゃ、話にならない。」
少しでも頭が回れば、今回はもう挑んでこないはずだ。
―――
そのとき、通りの先から、ブーツの乾いた足音が響いてきた。
デレクは反射的にそちらを振り向く。
――テンポからして、少なくとも三人はいる。
考える間もなく、四人の兵士が角を曲がって現れた。
槍を構え、真っ直ぐこちらを狙ってくる。
デレクは腰に手を当てて言った。
【デレク】「は? マジで俺か? どう見ても、被害者はこっちだろうが。」
ついさっきまで笑っていた少年たちは、凍りついたように黙り込んだ。
兵士たちは、冷静で整った声で命じた。
【兵士】「……同行してもらおう。」
彼らの頭上には、レベルもHPバーも表示されていない。
それが意味するのは――
まだ「殺す気はない」というだけだ。
デレクはゆっくりと息を吐き、両手を上げて降参の姿勢をとった。
【デレク】「はいはい。お縄っと。」
まさかのオチで、広場は笑いに包まれました(1名除く)。
でも、笑っていないその男の方が、よっぽど危険かもしれません。
次回――デレク、ついにお縄です。




