2 メル友大作戦
リアルで出会いがないのをどうしたもんかと悶々としてたある日、「メル友」という言葉を知った。これはEメールを通じて友達になる事である。当時はメールで個人的なやりとりをするのが全盛の時代であった。そして、見ず知らずの人が、メル友を探すウェブサイトも勃興していたのである。無論、当初は純粋に文通相手を探すのを目的として作られていたのだが、それが男女の出会いの場になるのには、そう時間がかからなかった様である。また、当時は業者やサクラといったものがほぼなくて、メールの使用料金も無料だった事もあって、メル友で出会いを求める人は、結構いたのである。
自分も早速、とあるメル友サイトに登録をした。そして、女性のプロフィールを片っ端から見て回った。当時は写メもまだ十分に普及はしてなくて、文字情報が全てである。自分と似たり寄ったりの歳恰好、住んでいる場所も比較的近いところの人を、探しまくった。そして、それに該当する人は、それはもう、実生活では絶対巡り合わないほどの数が居たのである。
そうしたプロフィールの中で、「これは!」と思う人、何人かにショートメッセージを送る。しかし、そうそう簡単には返事は来ない。それもそのはずなのである。女性には男から腐るほどメールが来てて、いちいち返事してられないのだ。その事には、比較的早い段階で気がついた。つまり、狙撃ではなく、絨毯爆撃でメールを出しまくらなければならないのである。大体100発くらい撃って1発返ってくる感じである。問題はここからだ。会話を続けなければ、その先にはたどり着かないのだ。
ところが、これが結構難しい。そりゃそうだ、働いている所も住んでる所も違うのだ。共通の話題など、そもそもないのである。しかし、こういう時は、古えの見合いの技術が役に立った。大体、ご趣味は、みたいな話しをするのだが、そこから切り込む様にしていた。そして一点突破して、そこから全面展開である。しかし、それも相手が話しに乗ってくれる子であれば良いが、そっけない人もいるし、どういう訳か、回線越しなのに何か波長が合わない感じがする事もある。そういう時は、さっさと見切りをつけて、次にチャレンジする。こういうスキルは、この時身に着けた。
重要なのは、あくまで「文字によるコミュニケーション」であるので、非常に国語能力が必要とされる事だ。この点は、20代の頃に読書ばっかりしていたのが役に立った。そのお陰で、メル友始め、文字を基調とするコミュニケーションで困った事は、一度もなかったのである。
最初の内は、なかなかメールが続かないという事も続いたが、そうこうしている内にメールで仲良くなって、今度お会いしませんか?という話しが出来るところまできた。女性の方も彼氏が欲しくてメル友やってる人は、虎穴に入ってくるのである。当時は、まだネット犯罪の少ない時代でもあった。
そして、いよいよ待ち合わせという事になるのだが、当時は写メなどまだなかったので、お互いがどんな顔やスタイルをしてるかは、当日会ってみて初めて分かる、という感じであった。そのため、すっぽかされる事も多かった。待ち合わせ場所のどこかで見ていて、好みでないと、
「ごめんねぇ、急に仕事入っちゃって」
と言われて、そのままメールの返事が来なくなるのである。
そういうのを何度も経験しながら、それでも会ってくれる女性もで始めた。必ずしも自分の好みのタイプばかりではなかったが、不思議なもので、30分もお話ししてると、その人の好きになれそうなところを探していたりするものである。何より、生身の女性と話しをする機会を得られたのは、これまでの人生で画期的な事である。
ただ、こちらは今後もお付き合い続けたい気持ちがあっても、どうした訳か、1回目の面接で、それ以降、連絡が来なくなるケースばかりが続いた。何かしら、こちらに気に入らない所があったには違いないが、それが何なのか、ご丁寧に教えてくれる女性はいないので、悶々とするしかない。しかし、そうした人に拘泥しても、先はないので、さっさと頭を切り替えて、新しいメル友獲得に力こぶを入れ続けた。
結論からいうと、メル友で彼女ができる事はなかった。毎回空振りである。毎回全力をかけて臨むから、その徒労感たるや並々ならぬものがあった。しかし、回数を重ねるごとに、女性と会ったり話ししたりする事への不安感とか減っていった。つまり、場数を踏んだのである。文章のコミュニケーションだけでなく、会話力も身につけれたという訳だ。ついでに言えば、単発であったとしても、これはデートである。エスコートの仕方とか、分からない事を素直に聞く姿勢とか、そういうのを実地で訓練できたのだ。
ちなみに、女性と会った時の飲食代は、全部自分もちである。付き合いたいと思う相手には、奢りたいという気持ちがあるし、それが男の甲斐性だと思う。その様に、子供のころから躾けられてきたのだ。




