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ありふれた恋すら、あなたとは。  作者: よせなべ
第二章『甘いコーヒーと宇治抹茶入り緑茶』
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06『知らなかったこと。一つ目』

06『知らなかったこと。一つ目』




「すぅー。はぁ~。……よし!」


 帰宅した私は、制服を着替えるよりも先に誠太くんの部屋に向かって、呼吸を整えてから扉を二回ノックする。時間が空くと、みさきに貰った勇気も薄れて、弱気な自分が顔を出してしまうから、勢い任せに彼のことを呼び出した。


 一瞬の間に、姿勢を正して、スカートに付いていた埃を払う。

 映画に誘う予行演習も電車の中で三回やったから、準備は万端。


 私から誠太くんに歩み寄る。

 緊張する必要なんて何処にもない。


「……あ、あれ?」


 そう自分を落ち着かせてから数十秒。

 お行儀よく待っていても誠太くんは出てきてくれなくて。


 勉強に集中しているからノックの音に気付かなかったのかなと、もう一度扉を叩いてみるけど、結果は変わらず、耳を澄ませてみても、お部屋の中から一切の物音が聞こえてこない。それは二階の廊下も、一階もそうで。

 意識して初めて、お家の中がしんと静まり返っていることに気が付いた。


「まだ帰って来てないのかな……?」


 いつも迎えられてばかりだったから留守にしていることは想定していなくて。

 出鼻を挫かれてしまった反動で、気持ちが勢いよく萎んでいくのが分かる。


 あれ。でも、一階のリビングには電気が点いていた気がするけど……。

 もしかして入れ違いになったのかもしれない。

 そう思って一階に戻ってみると、やっぱり、照明の灯りは点いているのに、誠太くんの姿は何処にもなかった。


「誠太くんだって友達と寄り道したい日もあるよね……」


 自分を納得させたくても、胸の奥はざわつき始めて。

 そこに芽生えた小さい焦燥感を自覚する。

 空回りした反動は私にとっては深刻で。早くも心が折れそう。

 ペラペラになっちゃった勇気は頼りないし、何だかお腹も痛い。


「……みさき。無理かもっ」


 じっとしていられずに、リビングをぐるぐる徘徊する私。

 壁掛け時計に目を向ければ、時刻は間もなく十八時を回る頃で。

 普段の誠太くんなら、今くらいの時間から晩御飯を作っている筈。

 帰りが遅くなるって連絡もないし、そろそろ帰ってくると思うんだけど。

 

「じ、実はもう家の前に居たりして」


 不安から早く解放されたくて、願望に近い妄想に期待してしまう。

 逸る気持ちは抑えられず、確認したところで彼の帰りが早まる訳ではないのに、明かりの点いていない廊下に顔を覗かせて。その瞬間。

 タイミングを見計らっていたかのように、玄関の扉が開かれた。


「ただいまー」


 暗闇の中。外灯に一瞬だけ照らされた輪郭は誠太くんのモノで。

 ふらっと帰ってきて彼は、珍しく気の抜けた声を漏らしている。

 

「お、おかえりなさい……」

「おわっ!? へっ。え? あ、あぁ、穂花ちゃんか。びっくりした……」


 無防備なところに声を掛けると、暗がりの中でもはっきりと分かるくらい誠太くんの身体が大きく跳ねた。まさか帰宅の瞬間を監視されているなんて夢には思わなかったと思う。私もいけないことをしているみたいで、凄く気まずい。


 俊敏な動きで顔を上げた彼は、右手で左胸を抑えている。


「驚かせてごめんなさい……」

「い、いや、大丈夫。お出迎えありがとう」

「改めて。おかえりなさい」

「ただいま。じゃなくて。穂花ちゃんは何してるの? ずっとそこにいた?」

「う、ううん。違うの。不審なことは何もしてなくてね」

「えっと。その言葉が結構不審かもしれないね……」


 偶然タイミングが重なってしまったせいで、真っ暗闇の玄関を見ていた私を、誠太くんが怖がっている。早々に誤解を解かないと変な子だって思われかねない。

 

「え? もしかして何かここにいた……? オバケとか見える人?」

「見えない見えない。霊感なんて一切ないから安心して?」

「おぉ。それならよかったけど。じゃ、なんで何もない闇を見てたんだ……?」

「あう。そ、それは……」


 何から説明すればいいのか分からなくて、一瞬言葉に詰まってしまう。

 でも、誠太くんから話を聞いてくれるのは、本題に繋げられるチャンスかも。

 

「誠太くんに話があってね? 待ってたの。そろそろ帰ってくる頃かなって」

「え? あぁ、僕に用事があったのか。ごめんごめん。待たせちゃったかな?」

「ううん。私もついさっき帰ってきたところだから。大丈夫だよ」


 実際は早く帰ってきてと念じていたくらいだけど、そんな本心は言えなくて。

 社交辞令みたいな言葉で誤魔化し、靴を脱いだ彼をリビングに迎えた。


 明るい照明に照らされて、はっきりとした彼の恰好は、オーバーサイズのパーカーを着たラフな私服姿で、右手には小さなビニール袋を提げている。

 

 夕飯の買い物にしては量が少ない。


「何処行ってたの?」

「近くのスーパーに行ってたんだ。一回学校終わりに寄ってたんだけど、醤油切れてるの忘れててさ。ひとっ走り二度手間してた」

「なるほど……。だから、灯りが点いてるのに何処にも姿がなかったんですね」

「あれ? 僕、電気消すの忘れてた? まっずい。電気代が嵩むな」

「短時間なら問題ないと思いますよ?」

「いや、小さな負債が後々膨れ上がるから。出来るだけ気を付けておかなきゃ」

「そ、それはそうかもしれないけど、誠太くんが気にすることじゃないような?」


 誠太くんの発言があまりに所帯染みていて、関心よりもちょっと怖い。

 何年もの間家事を任されてきた責任感は伊達じゃないみたい。

 

「父さん達よりも家にいる時間が長いのは僕だからね。無駄遣いは減らさないと」

「そっか……。じゃ、私も。誠太くんと同じくらい気を付けなくちゃダメだね」

「あ。いや、穂花ちゃんは」

「いや。じゃないよ。私だって一緒に暮らしてるんだもん」

「そう、だね……。うん。ありがとう。助かるよ」


 私だけ特別扱いなんて、嫌。

 お手伝いできることは協力したい。 

 

「それじゃ。穂花ちゃんにお願いがあるんだけど。いいかな?」

「お願い? なんでしょう?」

「僕のことを叱って欲しいんだ」

「……へっ?」


 尊敬できる考え方に触れて、その次に続く彼の言葉が頭の中に入ってこない。

 私は今、何て言われたんだろう。


「やっぱり、不甲斐なさがあるし、気を引き締めるには説教が必要かなって」

「叱って? 説教? ……へっ?」

「思い切りで頼む。遠慮はしなくていいから」

「わ、私が叱るなんてできないよ。お世話になってることの方が多いのに」

「また同じことがあった時も穂花ちゃんは怒ってくれないってこと?」

「そ、それは……。その」

「不味いな。僕の人としての成長が見込めなくなる深刻な事態だ」

「絶対そんなことないよぉ……」


 大袈裟な言い方をして、私を誘導する誠太くん。

 間違いなく普段から節約に気を遣っているだろう彼に、私がお説教をするなんて役割として変だと思う。でも、仮に。誠太くんが今後失敗を続けたとしても、今の私が彼に注意することなんてできない。言えない。

 

 私は特別扱いを嫌がったのに、誠太くんに対する想いは全く同じ形をしていた。

 

「友達が間違ったことをしたら。注意するでしょ?」

「……そうだね。そうしなきゃいけないと思う」


 誠太くんが示す関係は、正に今日。みさきと交わしたやり取りのことで。

 私は、自分の進路に頓着がない彼女を叱って。

 みさきは、ネガティブな私のことを怒ってくれた。


「僕には、それが出来ないって言われたら。こんなにも悲しいことはないな」


 そういう相手を想うからこそ踏み出せる一歩を、今ここで。


 それを許し合える関係こそ。

 友達や親友。そして、家族だと呼べるって思うから。


 誠太くんが間違いを起こした時に見ない振りをするなら、それは他人であることと変わらない。私は、もう少しだけでもいいから。この人と仲良くなりたいんだ。


「うん……。誠太くんにも遠慮しないようにします!」

「敬語は?」

「なくす!」

「よし。それじゃ、今日は一発頼んだ」

「分かった。……行くよ?」

「よしこい」


 怒られる側の人に催促されるのは何だか変な感じだけど、そのおかげで要らない心配もしなくていい。私は大きく空気を吸い込んで、それを一息に吐き出した。

 

「めっ!」

 

 我ながら渾身の一喝。

 こんなに大きな声を出したのは久しぶりで。

 吐き出した声と一緒に、胸の奥に詰まっていた物も一緒になって飛んでいく。


「ふぅ。ちょっと気持ちよかった」

「……え? 今のが?」


 ちょっとしたストレス発散みたいになって、口元を綻ばせる私とは対照的に、何故か誠太くんは口を小さく開いて、唖然としている。


「な、なんで物足りなさそうなの……?」

「いや。そういう訳ではないけど、随分可愛いお説教だなと思って」

「だって、本気で怒ってる訳じゃないもん」

「まぁ。それもそうか。本気で怒った時はどうなるの?」

「え。どうなるんだろう……。怒ることがあんまりないから分かんない」

「歳を取ると腹立つことも少なくなってくるよね」

「えっと。私達ってまだ十代だよね……?」


 度々、誠太くんの発言が達観しているのはなんでなの?

 

「学校の友達には怒ったことあるの?」

「今日。あったかな」

「えっ!? そんなタイムリーなことが」

「その子がテストで赤点取ってね。ちゃんと勉強しなよっていう……」

「あぁー、そういうことか。思ってたのと違ったな」

「……どういうのを想像してたの?」

「もっと感情的で堪忍袋の緒が切れた。みたいな?」

「そんな怒り方……。今までの人生を振り返っても見つからないよ」

「そうかー。普通はそうだよなぁー」


 怒るのは疲れるし、それならもうういいやって諦めてしまう。

 私は何をされたら怒るんだろう。自分でもあんまり分からないや。


「……でも、感情的な理由も少しはあったかも」

「それはどんな?」

「赤点取った人には補習があってね。約束してた予定が駄目になっちゃったの」

「ふんふん。それも怒ってもいいやつだね」

「怒っていいんだ?」

「うん。約束は破った方が悪いって百万年前から決まってる」

「すごい大きな数字出てきた……。でも、そういう考え方。誠太くんらしい」


 責任を押し付けたいんじゃなくて、相手のことを大切にしたいって気持ちがちゃんと伝わってくるから安心する。

 誠太くんが持っている実直さや誠実さは眩しいけれど、とっても温かい。


「因みにその友達とは何の約束してたの?」

「え? 一緒に映画観に行く約束……」

「映画かぁ。それはその子も楽しみだったろうに。残念だね」

「う、うん……。凄く楽しみにしてたみたい。それで。あの……」

「うん?」


 普通に話をしていたら、いつの間にか本題に繋がってる。

 そんなつもりなかったから咄嗟に言葉が出てこないし、忘れていた緊張が戻ってきてしまって、全然呂律が回らない。


「誠太くんを待ってた理由なんですけど……」

「あぁ、そういえばまだ聞いてなかったね。晩ご飯の準備しながらでいい?」

「はい。勿論です」

「あれ。なんか。敬語が戻ってきてるな……?」


 椅子に掛けていたエプロンを腰に巻きながら、首を傾げる誠太くん。

 彼にはなるべく気付かれないように呼吸を整えて、今しかないと切り出した。

 

「……誠太くん。明後日の放課後って予定ありますか?」

「金曜日の放課後? いや。今のところは特にないかな」

「実は映画のチケットが一枚余ってて。よければ、一緒に観に行きませんか?」

「え。……映画のお誘い?」

「は、はい。……私達。まだ一度も遊びに行ったりしたことないし。折角だから」


 私の言葉に誠太くんの瞳が大きく見開かれる。

 その仕草には、どんな感情が込められているんだろう。


「……」

「……」


 彼は、瞬きだけを何度か繰り返していて、沈黙が続く。

 その間、返事の催促も、お誘いの取り消しもできない私は、じっと固まっていることしかできなくて。気まずさに視線を逸らそうとした時。

 

 ふっと。誠太くんが柔らかい笑顔を浮かべて、首を縦に振ってくれた。


「勿論行くよ」

「……勉強の邪魔にならない?」

「全然問題ない。誘ってくれたことが嬉しいし、是非とも一緒に行きたいな」

「そ、そっか。迷惑じゃないならよかった……」

「迷惑な訳ないでしょ。あ、でも。ホラーではない?」

「ホラー映画じゃない。アニメの映画なの。だから、誠太くん知らないかも」

「へぇ。なんてタイトル?」

「えっと……。AllOutって言います」

「AllOutって。水泳の?」

「え? 知ってるの……!?」

「漫画版だったら集めてるよ」

「そ、そうだったんだ……」


 私のあれこれ考えていた不安を、誠太くんが一言で一蹴してしまう。

 そこまで事も無げに言われると、杞憂していた自分がただただ恥ずかしい。

 

「……誠太くんも漫画読むんだね」

「読まなさそうかな? 中学校の時は滅茶苦茶読み漁っててさ」

「ちょっと意外……」

「僕の部屋にある本棚の中身。二百冊くらいは漫画本だよ?」

「えっ!? 今度見てみたいっ!」

「う、うん。いつでもどうぞ」


 自分と同じ趣味に舞い上がって、羞恥心を彼方に身を乗り出す。すると、今まで見せたことない私の振舞いに誠太くんが吃驚して口をポカンと開いていた。


「ご、ごめんなさい。いきなり大きな声出して」


 その表情で我に返り、慌てて身を引いて、恥ずかしさに顔を伏せる。


「いや……。新鮮で。テンションの高い穂花ちゃん初めて見た」

「できれば忘れて欲しいです……」

「それは無理だね。絶対忘れない」

「そ、そんなぁ!?」

「ははは。良い反応するなぁ」


 私の断末魔を聞いて誠太くんが楽しそうに笑う。

 恥ずかしくて仕方ないけど、無邪気な笑顔を向けられると別のむず痒さみたいな物も湧いてきて、酸っぱい物を食べた時みたいに顔が萎んだ。


 ただ、誠太くんは優しいから。それ以上揶揄われることはなくて。

 相手がみさきだったら彼女が満足するまで揶揄われ続けていたに違いない。

 

「それにしても穂花ちゃんが男子向けのアニメを見てるとは思わなかったや。男兄弟がいなかったらあんまり縁がなさそうなのに」

「私子供の時から人付き合いが苦手だったから。家でテレビを見てることが多くて。小さい頃からアニメが好きで。たぶん、その時の影響かな」


 漫画の世界が現実にもあると疑わなかった頃に、そんな理想を描いていたのが懐かしい。実際の人間関係は擦れ合うばかりで、漫画のような熱い展開はなかった。

 当時のことを思い出すと、自然と自虐的な笑みが漏れてしまう。

  

「なるほど……。僕も。中学の時に取っつき辛いって言われてたっけな」


 夢のない私の昔話に気を遣ってくれたのか、誠太くんも思い出すようにしながら自身の話を語ってくれる。その評価は、今の彼の雰囲気とはかけ離れていて、刺々している誠太くんをイメージすることはできなかった。

 

「いや。思い出すのはやめよ」

「誠太くんも荒れてた時があるんだ」

「う、うーん。荒れてたというか……。口だけ悪かったというか」

「今は、全然そんな感じしないのに」

「昔のことだからね。今でも、当時から付き合いのある奴には出るんだけど」

「口の悪い誠太くん……。ちょっと見てみたいかも」

「な、なんで?」

「……ギャップかなって」

「印象が悪くなる一面見せても仕方ないでしょ。穂花ちゃんは知らなくていい」

「えー」


 珍しく嫌がっている様子の誠太くんが話を断ち切るように背中を向ける。

 時間も時間だし、そろそろ夕飯作りに取り掛かるつもりみたい。


「とにかく明後日の放課後だね。集合場所は映画館でいい?」

「……誠太くんが逃げた」

「んー? 今何か言った?」

「な、何でもないですっ。映画館集合で大丈夫!」

「よろしい。晩御飯の決定権は僕にあることをお忘れなく」

「は、はいっ。あ、危なぁ……」


 危なく晩御飯がなくなってしまうところだった。

 不用意な発言は充分注意しなくちゃいけない。


「ふっ」


 そんな教訓を胸に刻んでいると、誠太くんがいつもの安心感を与えてくれる笑顔とは違う、耐えようとしたけど我慢できなかったみたいな様子で吹き出した。


「本当に良い反応するなぁ」


 軽く握った拳を口元にあて、肩を揺らして彼が笑う。

 その表情が優しくて、楽しそうで。私の口元も釣られて綻ぶ。

 リビングに溢れた空気はとても澄んでいて、ここにいたいと心が言った。

 

 まだ私は彼のことを全然知らない。

 それを、もっともっと知っていけたらいいな。


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