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ありふれた恋すら、あなたとは。  作者: よせなべ
最終章『あなたとサヨナラするまでの日々を』
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52『PM 5:20』

52『PM 5:20』




「わぁ」

「雪だ」


 エンドロールを最後まで見届けてから映画館を後にすると、外はすっかり暗くなっていて、等間隔に並べられた街灯が蒼白い光を放っていた。

 日が暮れようとも人の息吹を感じられる繁華街は、静寂に沈むこともなく、眩く光る光彩が、日中とは違った色合いに地上の世界を染め上げている。


 星をも霞ませる過剰な光源。

 滲み、混ざり、暗闇が深くなる程にそのえぐみは増していて。

 けれど、それを不快に思うことはない。


 怪しげな照明は、街行く人達を活気付け、空から降り注ぐ白い結晶に反射する。

 

 瞬きをする度に変化する光景は、とても鮮やかで、心が躍った。


「綺麗だね」


 季節外れに振り出した気まぐれのような牡丹雪。

 それらは、流石に積もることはなさそうで。

 地面に触れると、いとも容易く透明な水滴へと姿を変えてしまう。


 そんな儚い一瞬が、寂しくも美しい。

 決して形に残ることはないけれど、僕達の心に、しんしんと降り積もっていく。


「行こうか」

「うん」


 合図すると、穂花が胸の高さに左手を持ち上げた。

 それは丁度、僕が伸ばした右手と同じ高さにあって、ふっと小さく破顔する。


 手を取ることに迷いはなくて。

 身を寄せ合うのは寒さ以外の理由があって。

 小さな歩幅で、一歩一歩を噛み締めるように足を繰り出す。


 恋を謳う物語を観た後では、そうすることに躊躇いは生まれなかった。

 寧ろ、それが自然なことにすら思えてきて、浮足立つ自分自身を自覚する。


 この時間は、何よりも特別な儚い一瞬で。

 彼女がいるからかけがえがなくて。


 どうか終わることがないように、惜しむように足取りを遅らせてみても、空から消えた太陽は、今日という日の刻限を俄かに語ってくれていて、僕等の抵抗が虚しいものだと教えてくれた。

 

 この一瞬に留まることは不可能で、そもそもそんな妥協は望んでいない。

 僕達は確かに前へと進みながら、次の場所を目指していく。


 両親と待ち合わせをしていた公園には、十分ほどで到着した。

 ただ、二人の姿はまだ見えない。

 合流の目処は十八時で、どうやら僕達が早く着き過ぎてしまったみたいだ。


「折角だから。公園の中で待つ?」

「そうだね。二人には連絡しておくよ」

 

 大きな公園を前に入り口で待っているだけというのも味気なく、じっとしていたら徐々に体温が奪わてしまう。僕達は園内を歩きつつ、二人を待つことに決めて、入場料を支払ってから公園の敷地に足を踏み入れた。


 時間帯のせいか。雪が降って寒さが一層際立つせいか。

 庭園も備えた公園内に観覧客の姿は見えず、殆ど貸し切りのような状態で。

 丁寧に舗装された通路を歩いているのは僕達のみ。


 満開の花弁を咲かせた街路樹を前に、オーディエンスが二人だけというのは物寂しく、気温のせいかも草木も少し萎れているように見えるけれど、足元を照らす景観照明は温かみを持って、僕達のことを歓迎してくれていた。


 都心の中心に作られた公園であっても、ネオンの光はここからだと離れていて。

 月明りもない空模様では、遠くの景色を見渡すことすら叶わない。


 これが天気の良い時であれば、カラフルな庭園に心を弾ませていたかもしれないが、そんな日には、穂花と二人きりになることはできなかった筈だから。


 そう考えると、このシチュエーションも悪くはないかなって思える。


 それに、風景に物足りなさを感じるのは時期尚早で。

 ライトアップされた風景を前に、僕達は全く同時に足を止めた。


「うわぁ……! 綺麗!」

「すげぇ。桜のトンネルみたいだ」


 照らし出されたのは、通路を挟んで咲き誇る満開の桜並木。

 その枝の一本一本がアーチのように手を繋ぎ、足元に一本の道を作っている。

 

 暗がりの中でも、見る人を圧倒する風景は華やかで。

 煌びやかなランウェイに急かされて、穂花が衝動のままに駆け出した。


「わぁー!」


 桃色の桜と純白の雪が、ステップを踏む少女を鮮やかに彩る。

 その姿を誰かに冷やかされることも、咎められることもなくて。

 今この瞬間。彼女を独り占めに出来るのは世界中で僕だけだった。

  

「転ぶなよー? 危ないぞー」


 整備された通路であるとは言え、雪で濡れた路面は歩き易いとは言い難い。

 溌溂と走る穂花は、女の子らしくも危うげで、若干の焦燥感に駆られてしまう。

 それを過保護なんだって言い聞かせながら、彼女を真似して歩調を早めて。

 

「誠太もはやくはやく!」

「はいはい。今行くから」


 そうして追いついた僕の方に、穂花は勢い良く翻り、


「きゃっ!?」


 ものの見事に足を滑らせた。


「おっと」


 傾く身体を受け止め、か細い身体を力強く引き寄せる。

 何が起きたか理解できていない彼女は、きょとんとした表情で僕を見上げ、何度かパチパチ瞬きを繰り返した後に、真っ赤になって俯いた。


「ご、ごめんっ」

「ほら見たことか」

「うぅ。ごめんなさい」

「いや、僕の方こそごめん」

「え? 誠太は全然悪くないよ」

「ううん。申し訳ないんだけど、君への過保護は直せそうにないや」


 こんな風に助けられることがあるのなら、これからも僕は変われない。

 鬱陶しいと思われようとも、僕は穂花を心配していく。

 

「足痛めたりはしてない? 大丈夫?」

「だ、大丈夫じゃない……」

「あれ? 怪我した?」

「そういう訳じゃない、けど……。今は顔見ないで欲しい……」

「……そう言われると気になるなぁ。心配だから顔上げてくれないかい?」

「いや」

「おでこに葉っぱも付いちゃってるし」

「えっ!?」


 悪い思考が働いて、嫌がる彼女を唆す。

 その言葉を真に受けた穂花は、大慌てで顔を上げて、指先で額を払っている。

 折角のお洒落が、台無しになってしまわないように。

 

「とれた?」

「うーん。まだかなぁ」

「えー。変になってないよね?」

「大丈夫。凄く可愛いよ」

「へぇ!? か、かわいい……?」


 僕の一言に、酷く動揺している穂花。

 鳩が豆鉄砲を食らったような反応が可笑しくて、可愛らしくて。

 ついつい意地悪をしたくなってしまう。


「それに、初めから葉っぱなんて付いてなかったから」

「もおー! だまされたぁー!」

「ははは。ごめんごめん。そう怒らないでくれ」


 頬を膨らませた穂花を宥めるために、右手を彼女の頭に置く。

 そうすると、不貞腐れていた表情も鳴りを潜め、不満そうに僕を遠ざけようとしていた動きもピタリと止まった。それから、表情まで固まり、そこに緊張の色が加わったように見えたのは、僕がらしくないことをしているからなのかな。

 

 うん。そうだね。

 こんなこと今まで怖くて出来なかった。

 でも、それは関係を止めてしまうことだと気付いたから。

 

「髪触ってもいい?」

「もう触れてるじゃん」

「いいってこと?」

「……乱暴にするのはダメだよ」


 許可を貰ったので、彼女の髪を優しく撫でる。

 後ろ髪に指を通すと、サラサラの感触が僕の手のひらを包んでくれた。


「……ん」


 髪の毛を梳くように指を動かして、柔らかい感触に身を委ねる。

 それを何度繰り返しても、穂花が嫌がる様子はなくて。

 手持無沙汰だった左手も使い、彼女の綺麗なおでこを指の腹でなぞった。


「んっ」


 目を閉じて、僅かに顎を上げる穂花。

 その行動は、僕を受け入れてくれている何よりの証で。


「……穂花」


 眠るように閉じた瞼も。

 嬉しそうに弛んだ口元も。

 控えめに僕の胸元を掴む仕草も。


 その全てがーー、

 

「好きだ」


 これまでの何よりも。

 他の誰よりも。

 

「穂花のことが好きだ」


 心の底から溢れ出す。


「ずっと一緒にいたい」

「……ばか。誠太から離れて行っちゃう癖に」

「ううん。僕は君の傍にいるよ」

「嘘。……でも、嬉しい」


 強く強く華奢な身体を抱きしめる。

 彼女も僕の背中に手を回して、泣き笑いのようになってしまった顔を、平たい胸に押し付けていた。  


「私も、あなたのことが大好きです」


 切れ切れとした声音は、鼓膜の奥に反響し、次第に鼻を啜る音へ変わる。

 嗚咽の混じる切々とした息遣いは、僕の胸を痛いくらいに締め付けて、頬に伸ばした手のひらには温かい涙が伝わった。

 

 想いを交わすことができたのに、彼女は涙を流してしまう。

 とめどなく溢れる雫は、色んな感情を映し出し、それが僕の目には、悲しみの色ばかり滲んでいるように見えた。


「穂花。泣かないで。君にはまだ伝えたいことがあるんだ」


 彼女が落ち着くのを待ってから、話を切り出す。

 僕の選択は、まだ全然伝わり切ってなんかいない。


「……嫌だ。聞きたくない」


 けれど、穂花はいやいやと首を振った。

 幸せな時間を守るように。

 望まない未来を拒むように。


「今悲しいことを言われたら、涙止まらなくなるもん」

「……酷いことは、言うかもしれないな」

「やだやだやだ。お願いだから……。今は話さないで」


 先の言葉を、穂花は頑なになって拒絶する。

 酷い話をすると言って、聞きたがる人なんて何処にもいない。

 それが、自分の望む未来ではないと知ってしまっていたら猶更に。


 でも、そうじゃないって。言えるようになったから。

 こうやって向き合って、話し合わなくちゃいけない。


 僕達の、これからについてを。


「一旦落ち着いて。一緒にいたいって言っただろ?」

「でも、酷いこと言うって言った」

「それは……、うん。僕の身勝手で、我儘な話になると思う」

「……誠太の我儘?」

「色んなことをひっくり返しちゃってさ。沢山の人に迷惑をかけたよ」


 それでも、許されて、ここに居る。

 だから、苦しみから逃げ出すことも、幸せを遠ざけることも、辞めにしたんだ。


「穂花」

「なーに?」

「好きだ」

「さっき聞いたよ」

「何度だって言う。君の隣りに立って。何度でも」


 例え、容易く手繰り寄せられる未来ではなかっとしても。

 幸せな“現在”を繰り返して、その地点に辿り着こう。

 

 君となら。それができるって信じてる。信じられる。


「穂花の人生。その一年。五年。いや、もっと長い時間を僕にください」


 穂花の肩に手を置いて、遠ざける。

 大きく見開かれた瞳と見つめ合うと、赤く腫れた瞼がよく確認できた。

 これからは、悲しい涙なんて流させないって誓うよ。


「……」

「……」 


 そのまま数秒、数十秒と視線を結び、僕達の間に冷たい風が吹き抜けていく。

 それは地面に落ちた花びらを拾い上げて、花びらの噴水のように宙を舞った。

 

「……大学はどうするの?」

「休学する。手続きはもうしてきたんだ」

「そんな話聞いてないっ!」

「ごめん。承認されるかどうかが実際に手続きしないと分からなくて」

「どれくらい。そうするつもりなの?」

「一先ず一年かな。休学する期間も限界があるみたいだから」

「一年……。そっか」


 好きな人と離れたくないってだけの我儘。

 それを少し、彼女は気に掛けているようだったけど、瞬きを一つしたあとには、凛とした顔付きに変わって、目の端に浮かぶ涙を拭い去った。


「それじゃ、私は。その間に誠太に追いついたらいいんだね」


 そう口にし、腕を伸ばす。

 僕の肩に乗った一枚の花弁を掴んだ穂花は、穏やかな笑顔で笑っていて。

 その表情に驚いた様子は見られない。


 そんな簡単に納得していい話ではない筈なのに。


 彼女は、僕の同じ大学に進んで欲しいという傲慢な押しつけを理解した上で、一切の翳りもない、凛々しく、真っ直ぐな顔付きで首を振る。


「なら。私のすることは変わらない」

「……え?」

「だって、ずっと前から。そうしようって決めてたもん」

「ほの、か……?」

「お願いされなくたって。あなたの背中。追いかけていくつもりだったよ?」


 そう言って、手のひらに桃色の花びらを乗せる穂花。

 彼女はそれを自分の胸に当てて、祈りを捧げるように目を閉じた。 


「私だって。誠太と離れるのは嫌なんだから」

「……そっか。そうだったんだ、なぁ」


 こんなにもお互いを想い合っているのに、大事なことは明かさない。

 言葉足らずなところが、実に僕達らしくって。思わず、声が上擦ってしまう。


「もっと……。早くに教えてくれたらよかったのに」

「その言葉。そっくりそのままお返しします」

「はははっ。本当にその通りだよ」

「誠太? 笑いごとじゃないからね?」

「ごめんって。反省してる」


 不確定なことは言いたくない。

 期待を持たせて、裏切るようなことはしたくない。

 そんな想いで、僕達はまた間違いかけた。


 彼女の選択を愛しいと思う反面。

 まだまだ変わっていかなくちゃいけないことがあるんだって痛感する。


「変わる努力はしてるつもりなんだけどなぁ」

「ふぅーん。例えばどういうところを?」

「例えば? それは……、ほら。穂花のこと。今日は沢山褒められたかなって」

「へぇー。あれ。義務感で言ってたんだ。聞きたくなかったなー」

「違う違う!? 義務なんかじゃないって。今日の髪型めちゃくちゃ好きだよ」

「……お、煽ててるようにしか聞こえません」

「そ、そんなぁ……」


 義務感なんて欠片もなくて、今まで隠してきた本音を、ようやく口に出せるようになっただけなのに、穂花に誤解されてしまった。


 だけど、それにしては彼女の口元はもにょもにょと弛んでいて。

 耳まで赤くなっているのは、寒さだけのせいではなさそうで。

 

「もっと具体的に言ってよ。私の好きなところ」

「よーし分かった。それじゃ、まず一つ目は……」

「今はいい。後で」

「えぇ? なんで……? 今じゃ駄目なの?」

「どうせもうすぐ母さん達が来て。有耶無耶にされちゃうから」

「……言い方悪過ぎないか?」


 大きく肩を回してアップを始める僕を、穂花が何とも言えない理由で止める。

 そこまで逃げ足が速い奴だと思われているとは心外だ。

  

 それに、浮足立っている今でないと言えないこともあるんだけど……。

 

「だから、この後。ね?」

「こ、この後……?」


 父さん達と合流した後にそんな時間があるのかと、穂花の言葉に理解が及ばない僕は、ゆっくりと首を傾げてみせる。けれど、彼女はそれ以上の説明はしてくれなくて、再び僕の胸に顔を埋めると、とても幸せそうに喉を鳴らしていた。


「……」


 その表情を見られるなら。何でもいいか。

 

 僕達は長い道のりを終えて、ようやく好きを伝え合えたんだから。

 身構える必要なんてない。


 幾らでも。声が枯れても。

 君を好きだって叫んでやる。 





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