50『PM 3:13』
50『PM 3:13』
「それで。誠太は何を買ったの?」
渋谷から新宿方面に移動し、次の目的地を目指して歩く道すがら。
買い物を終えて、それなりの時間が経過した時分になってから、アクセサリーショップでの一件を掘り返されてしまった。
すぐには追求されなかったので、彼女の詮索しない優しさに感謝を覚えていたところだったのだが、別にそんな配慮はなかったらしい。
「……今それを答えるなら、店の前で待っててくれなんて言わないと思わない?」
痺れを切らして零れた問いかけは、至極自然に生まれてくる疑問ではあって。
それが当然の主張だということは、僕にだって分かっている。
本来なら、今すぐにでも彼女に全てを伝えなくちゃいけないだろう。
その覚悟も、準備も用意してきたけれど。
今いる場所は、人で混み合う繁華街の只中で。
次の予定に遅刻してしまいそうな状況で。
腰を落ち着かせて話し合いをするような余裕はなさそうだった。
凄く大事な話だから、掻い摘んで伝えるなんてこともしたくはない。
いや。そうしようとしても、そんなに器用な人間ではないから無理だと思う。
「……何か買ったことは否定しないんだね?」
「んー? いやぁー、どうだろうね? それはまだ分かんなくない?」
「ごめん。誠太がレジの前に立ってるの見ちゃった」
「おいおいおーい。こっちは絶対に見ないでくれって言っただろ」
「見られたくないなら、お店の前じゃなくて別の場所を指定すればよかったのに」
「別行動をして。それきり合流出来なくなる可能性がどれくらいあったと思う?」
「あぁー……」
僕の危機管理が徹底された主張に、穂花が溜息にも似た声を漏らしている。
あれだけ人の多い迷宮みたいなビルで逸れたら一貫の終わりだ。
この歳で迷子センターのお世話にはなりたくない。
「自分用に買ったの?」
「うん?」
「それとも、誰かに渡すの?」
「うーん?」
「……誠太の悪いところ出てる」
「ち、違う。穂花に知られたくない訳ではないんだ」
彼女の拗ねた気配を察知し、慌てて言い訳を口にする。
誤解を招いて、険悪な空気になってしまったら悪者になるのは完全に僕で。
折角の楽しい旅行に、水を差すのは本意じゃない。
いつだって見ていたいのは、笑っている顔で。
交わしていたいのは、弾むような会話で。
この旅行を終える時に、楽しかったと言って欲しいだけなんだ。
「……腰を据えて話したいことだからさ」
「腰を据えてって……。私と?」
「そう。きっと、話し始めたら長くなると思うんだ」
「……そのお話に、さっきのお買い物も関係あるの?」
「ま、まぁ。あるかな。一応の形というか、なんとうか……」
「分かんない……」
歯切れの悪い言葉の羅列では、疑念の芽を摘み取ることはできていない。
穂花の瞳は真剣なまま。
探るようなたどたどしさをして、晴れない心模様を吐き出している。
「東京に着いて直ぐに。誠太は父さんと何処かに行ってたでしょ? 私に秘密で」
「そ、そうだね。どうしてもやらなきゃいけないことがあって」
「それも、私には教えてくれない?」
「ううん。ちゃんと説明するよ。……穂花には、全部話す」
「秘密主義の誠太になってない?」
「……不安にさせてごめん。でも、今は楽しい思い出を沢山作って欲しいから」
「辛いお話に……、なるの?」
「違う……、と思う。自信満々には言ないけど」
「そっか……。うん。分かった」
嘘のない言葉を連ねても、その中には真実が呆れる程足りていなくて。
彼女は無理やりに納得するしかできず、頷くこともできていなかった。
「……」
僕の選択は自分のため。
秘めた“それ”を話すことで、彼女を笑顔にできるかは分からない。
きっと、重荷を背負わせることになってしまう。
だから、この旅行中は話さないつもりでいたのに。
僕が突飛な行動をしてしまったせいで、穂花が肩を落としてしまった。
空気は重く、俯いた彼女の表情は窺えない。
まるで暗い感情を具現化したみたいに、空にもどんよりした雲が現れていて、僕らの上に影を落とす。天気予報の報せでは、雲のない快晴だった筈だけど、雨は今にも降り出しそうで、昼時を過ぎてからは気温も増々冷え込んでいた。
吐き出す息は白く立ち上り、瞬きの間に消えていく。
寒さに悴んだ手も思うように動いてはくれない。
鉛色の雲に覆われた街並みは、灰がかったように霞んで見えて。
彼女の心が、そんな風に色褪せているんじゃないかと不安になった。
「穂花」
「……なに?」
思わず声を掛けたけれど、穂花は顔を上げてくれない。
その様子が、僕の喉も、心も締め付けてくる。
「えーっとさ……」
「分かってるよ。今から私の不安を吹き飛ばしてくれるんだよね」
「う、うーん。思ってた以上に期待されてるなぁ……」
そんな僕に、もたらされたのは期待過剰なお言葉で。
そうしたかったのは山々なのだが、何も浮かんではきてくれない。
しかも、それが冷やかしとも取れないくらいに穂花の声は落ち込んでいるから、胃が縮小するのをひしひしと感じ、この寒さで全身に脂汗を掻いてしまう。
「穂花を不安にさせた分。この後。それ以上に笑ってもらいたい」
「うん」
「……が、頑張るよ」
どうにか絞り出した言葉に、穂花の返事は淡白で。
やはり、表情は見せてくれない。
そうなると最早この身で証明していくしか信じて貰う方法はなくて。
何をすればいいかと悩みながら。葛藤しながら。
寂しそうに揺れる彼女の左手に、僕の右手を重ねた。
「……誠太?」
「逸れると、危ないから」
指先を絡め、彼女を引き寄せるように腕を引く。
そうして、ようやく顔を上げてくれたその表情は柔らかく。
不敵な笑顔が浮かべられていてーー、
「正解」
僕の行動が間違っていなかったことを教えてくれた。
「穂花が笑ってくれるなら。何でもするからさ」
「え。今、何でもするって言った?」
「ううん。そんなこと言ってない」
「言ってた!」
不穏な空気を散らし、一瞬で目を輝かせる反応があまりに怖い。
何でもは流石に盛り過ぎたけど、そんな理由で見逃してくれそうな気配はなく。
訂正することに意味はなさそうだ。
「……因みになんだけど、今は何処に向かってるの?」
未だ行き先を知らないので、この後の波乱に備えるために御伺いを立ててみる。
そうすると、一歩大きく踏み出して彼女が、僕を肩越しに振り返った。
喫茶店でパンケーキを頬張り。
ショップでアクセサリーを買って。
続いてはーー、
「映画館だよ」
「へぇー。映画館か……。え? 東京旅行で映画観るの?」
その響きは、何だか僕らに馴染み深くて。
ふっと小さく破顔してしまった。