49『PM 2:00』
49『PM 2:00』
喫茶店で身体を休めて心労を削り、次いで穂花に連れられてやってきたのは、渋谷駅東口から程近い高層複合商業施設で、立体的なデザインをしたビルの中には、百貨店や事務所の他に、ミュージカル劇場なども入っているらしい。
そんななんでもござれのビルを訪れて、各フロアを見て回る。
ここでの用件は特別ないみたいで、この後に控える予定までの時間潰しとのこと。そのため目的も決めずにウィンドウショッピングをしているのだが、敷き詰められたように立ち並ぶ雑貨屋や、ブティックの誘惑は凄まじく、ついつい予定にない買い物が増えそうになってしまう。
低層階は、ファッション雑貨やライフスタイルに沿うショップが多く、穂花は特に目移りしている様子だった。目的はないと言っていたのに、店内を物色する彼女は「うーん……」と真剣に悩んでいて、忙しなくあっちこっちを歩き回っている。
この階層では女性向けの商品が多いため、僕は後を追いかけるばかりだけど、食後の腹ごなしには丁度良い。
朝に続いて、どうしてかまた満腹になってしまっているから。
「お洒落な物ばっかりだなぁ」
田舎者丸出しな感想を口にすれば、前を歩いていた穂花が振り返る。
その口元は少し上を向いていて、僕を揶揄うような笑顔が浮かんでいた。
「誠太もこの街で暮らしていくことになるんだよ?」
「うーん。全然イメージが湧いてこない」
「大学生になる訳だし、誠太もお洒落さんにならないと」
「お洒落かぁー。分かり易く髪とか染めてみようかな」
「えぇ……。ほんとに?」
「そ、それは、駄目なんだ……」
適当に挙げてみた提案が、ものの見事に拒まれて少し面食らう。
本気で実践するつもりはなかったけど、嫌がられてしまうと何だか複雑だ。
ただ、似合わないから止めておけっていう忠告ではなかったみたいで、
「髪はそのままがいいよ。折角綺麗な黒髪なんだから」
そう、正面から褒めてしまった。
「そ、そうかな……。なら、まぁ、今のままで」
照れくささにはにかんで、頬を掻く。
僕の返事に穂花も満足そうに頷いていた。
「誠太は自分に合う服装も分かってるでしょ?」
「え。どうだろう? 自信はあんまりないや」
「そうなの……? 今日の恰好。凄く格好良いと思うけど」
「……そ、そっか。それなら、よかった」
そんなまっすぐに言われてしまうと、どうしたって羞恥心が蓄積していく。
ただ、僕の理性は、僕が取り乱すことを許してくれはしないので、どうにか平静を装うとする。でも、心臓はドクドクと五月蠅い。
「ありがとう……。これでも最近は勉強してるからさ」
「ファッションのことを?」
「大学生になったら制服もないし、一応ね」
トレンドどうこうはよく分からないけど、服の合わせ方だったりは調べたりしている。それが正しいのか自分では分からないので、背伸びした内面が、情けなく滲んでいるかもしれないが、それでもお粗末で、不格好な姿は晒したくない。
好きな女の子が、可憐な恰好をしているんだから。
「取りあえず今日の服装は合格みたいで安心だ」
「だけど、もう一つ。アクセントが欲しいかも」
「ほう……? アクセントとな?」
今日の僕の恰好は、無地のトレーナーにグレーのデニムジャケット。
下はカーキのカーゴパンツを穿いて、少なくともシルエットだけは整っている方じゃないかと思う。色の合わせ方も雑誌を参考にしたし、纏まっている筈なのだが、それ故に大衆的で、無難過ぎたのかもしれない。
少なくとも冒険をしているとは言い難いかな。
今日、数時間渋谷を歩いただけでも、奇抜な服装をした人を多く見かけるし、僕にそういう意外性がないというのは同感だ。
やはり、常識を覆すような服を着こなせないと、お洒落さんとは言えないのか。
「よし。決めた」
「ん? なにを?」
「ついてきて」
僕がいつか見たヒョウ柄のタンクトップに想いを巡らせていると、何かを決心したように穂花が顔を上げ、せかせか僕を先導する。しかし、その後も、彼女はフロアを移動しただけで、初めと同じように悩まし気な吐息を漏らしながら、首を傾げる仕草を繰り返していた。
「……何か探してるのか?」
穂花の行動が、ただのウィンドウショッピングには見えず、そう問いかけてみるが、彼女は丁度通り掛かったアクセサリーショップに入ってしまい、返事はない。
「うーん……?」
仕方なく僕も敷居を跨いで、彼女の後を追いかける。
店内はそれほど広くはないけど、アクセサリーの種類は豊富で、イヤリングにブレスレット。ネックレスの他には指に嵌めるリング等も並べられていた。
シルバーやゴールドの色合いをしたそれらは、どれも高級そうに見えるが、値札を見る限りでは目を見張る程じゃない。それでも当然、学生が簡単に用意できる金額ではないんだけど、穂花は真剣な表情をして、ディスプレイを覗いている。
最早近寄りがたい空気すら放っているので、話しかけるのは止めておいて、僕もアクセサリーを眺めながら待っていよう。
こういう物は一つも持っていないから、眺めているだけでも新鮮だ。
「……プレゼントに込められた意味?」
その中で、ディスプレイの上にあった、小さなポップスタンドが目に留まる。
興味を惹かれるタイトルを読み上げて、下に続く文章に目を通すと、そこにはそれぞれのアクセサリーが持つ、贈り物としての意味が綴られていた。
それはアクセサリーが取る形によって変わり、身に付ける場所によっても違う。
例えば、左手の薬指に嵌める指輪には『愛の証』『絆を深める』といった意味があるけど、右手の薬指になると『直感力の向上』『創造力の向上』となるらしい。
それ以外にも、男性の左耳に付いたピアスは『守る』。
女性の右耳に付けられた場合は『守られる』と、中々に複雑で。
販売促進のために書かれている筈のポップが、寧ろ、アクセサリーをプレゼントに選ぶ難しさを物語っているような気がしてしまった。
これだけ様々な意味合いを持つんだと知ってしまったら、気軽にプレゼントなんてできないんだが。
「誠太!」
そんな風に腕組みをして、熱心にポップを読んでいると、すぐ隣りで穂花の声が聞こえてきた。ようやく彼女から声を掛けられたことに安心しつつ、顔をそっちに向けてみると、彼女の手には銀色のネックレスが握られていた。
照明の光を反射して鈍く輝くそれは、シンプルかつスマートな形状をしていて、クローバーを模した飾り物が可愛らしい。
「それが気に入ったの?」
「誠太に似合うと思って」
「え? 僕に……?」
「一日早いけど、お誕生日プレゼントにどうかな?」
目を見張る僕を前に、穂花が背伸びをして、首元にネックレスを嵌めてくれる。
「うん。やっぱり、似合ってる」
そうして、見立て通りだと言いたげに、柔らかい笑顔ではにかんだ。
指先で触れるシルバーのチェーンは固く、冷たい。
それでも、ほんの僅かに、彼女の体温を感じることができたような気がした。
「そっか……。このために」
目的なんてないと言っていたのに。
あんな真剣な顔で、僕の誕生日プレゼントを選んでくれていた。
そんなのは、嬉しくって仕方がない。
「……今は旅行中なんだから。君の欲しい物を買っていいんだよ?」
「このプレゼントであなたが喜んでくれるなら。私は凄く嬉しいの」
「穂花には、マフラーだって貰ってる」
「それはクリスマスプレゼント。これは誕生日プレゼント。全然別物だよ?」
「別の物だとは……、全然思えないんだけどな」
だって、あの時と同じ想いが詰まっていると思うから。
「それじゃ。受け取ってくれない?」
「い、いやっ……」
贈り物は、きっと、相手が受け取ってこそ意味が生まれる。
そうすることで成り立つ想いを、拒むことなんてできやしない。
「穂花が僕のために選んでくれた物だから。有難く頂くよ」
そして、一方的であることもまた不十分だ。
僕もお返しをしなければ、歪な形になってしまう。
穂花には、知って貰わなくちゃいけない。
ようやく語るまでに達した。
横暴な僕の選択を。
「ありがとう。穂花」
「ううん。大学にも付けていっていいからね」
「勿論付けるよ。でも、格好つけたいのは君の前だけなんだ」
「……へっ?」
「な、何でもない。結構時間経ったけど、次の予定は大丈夫そ?」
「え。あ。うんっ。もうそろそろ向かわなきゃかも」
わざとらしいとぼけ方をして、追及を避ける。
ただ、時間は本当にないみたいで、彼女は足早にレジの方へと向かっていった。
「……アクセサリーの意味、か」
贈り物には、誰かの想いが込められている。
手元に残る物を贈る行為は、その証明を続けていくという証明かもしれなくて。
そよ風では決して吹き飛ばせない重い想いが必要で。
その決心に、疑う余地など入り込まない。
「……」
精算を終えて帰ってくる穂花をじっと見据える。
胸元では、愛しい物を守るようにネックレスの入ったケースが抱えられていた。
「そのネックレス。まだ穂花が持っててくれないか?」
そんな彼女に、僕は言う。
証が欲しい。
僕の想いを象る、決して壊すことのできない証が。
「あとごめん。十分でいいから時間を貰えないかな」
そんな想いの交換会をしたくって。