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45『卒業式』

間章

45『卒業式』




 三年間往復した通学路にも、これまでに気付かなかった発見があるもので。

 ガタゴト揺れる電車の窓から覗く景色に目を向けてみれば、最近完成したらしいショッピングモールの看板や、高層マンションの工事現場が見えてくる。


 変化がないと思っていた街並みも、少しずつだが表情を変えていて、随分と賑やかになった。昔はもっと遠くの方まで見渡せた気がするけど、どうだったろう。

 

 比較している記憶もかなり曖昧なモノで。

 薄れていく記憶を思うと何だか物寂しく感じる。


 過去の景色も鮮明に思い出せる記憶力があればなんて、思い付きで考えてはみたけれど、ここにいることを嫌っていた僕が、そんなことを望む訳がない。

 今、こんな郷愁を抱いていること自体、少し不思議な感覚だった。


 せめて、写真の一枚でも撮っていたらよかったかな。

 何気ないことでも、色褪せない形にして残せていたら。

 未来も過去も。色鮮やかなモノに変わっていく気がする。


 誰かと思い出を語り合う時に、話を弾ませてくれることもあるだろう。


 そういう日が、僕にもいつか訪れる。


 今までの僕は、それをずっと、見逃してきてしまったみたいだ。


 それに今更気付いても、携帯を取り出した僕のことを、時間に追われる通勤電車が待ってくれる筈もなく。落としていた電源を立ち上げている間に、家からほど近い最寄りの駅に停車してしまった。


 モタモタして降り遅れたら困るので、慌てて車内から退散すると、停止した電車は先を急ぐように出発の駆動音を鳴らして、瞬きの間に走り去っていく。


 その後姿を、建物の陰に隠れる寸前に撮影することはできたけど、


「……なんだこれ」


 多分、後で見返しても何が何だか分からない。

 なんでこんな写真撮ったんだって、頭を傾げることになるだろう。

 でも、そんな写真でも、謎解きのようだって笑えてくると思うから。

 

 だから、きっと。これでいい。


「あれ。穂花から連絡来てるな」


 黄色くて四角い角ばったお尻を見て苦笑していたら、携帯の画面に通話アプリの通知欄が表示された。連絡をくれた相手は穂花であり、メッセージを確認してみると、『まだ帰ってこれないの?』と急かすような内容が送られてきている。


 今日は、彼女の学校でも卒業式が行われており、昼前には下校している筈で。

 文面を見る限りでは、もう家に帰っていて、僕のことを待っているらしい。

 特に早く帰って来いと言われた記憶はないが、『もうすぐ着くよ』とだけ返信して、駅のホームを下る。


 今日を持って青山高等学校を卒業した僕は、級友達と別れの挨拶を済ませ、しばらく話し込んでいたので、帰ってくるのに時間が掛かってしまった。


 気付けば時刻は十一時五十七分。

 あと少しで十二時丁度を迎え、そうすると、僕の受験結果も判明する。


 アナウンスされた予定では、結果発表が行われる日時は三月九日の正午。

 大学サイトの掲示板にて、合格者の受験番号が公開されることになっていた。

 予告された十二時までは、最早三分とない。

 

 家に帰っている間に、僕の命運が分かれるのだと思うと、否が応にもそわそわしてしまうけれど、今から焦ったところでどうしようもない。

 いつも通りの平常心で、ゆったりとしたペースで帰宅しよう。


 珍しい穂花の催促は、一緒に合格発表を見るつもりだからだろうな。

 昨日の夜も、頻りに僕の様子を気にしていたし。

 彼女が、この日を待っていてくれたことは疑いようもない事実だ。


「うーん……」


 ただ、そうなるとちょっとだけ気まずい。

 仮に受かっていなかった場合は、どう振舞うのが正しいのか。

 しんみりとした空気に付き合わせるのは忍びないけど、空元気すら絞り出せる自信はないし、穂花に滅茶苦茶優しく慰められたら、恐らく泣いてしまうと思う。


「頼む。受かっててくれ……」


 そんな情けない姿は見せたくない。

 叶うなら、二人で一緒にお祝いしたい。


 そうじゃないと、もう一歩踏み出すことができそうにないから。


「……大丈夫。僕は変わる」


 駅から徒歩五分で着く家に、倍以上の時間をかけて到着し、覚悟は決めて、ドアノブを回す。


「ただいーー」

「おかえりなさい」

「お、おぉ……」


 玄関に身体を滑らせ、ただいまと言い終わるよりも先に、穂花の声が聞こえてくる。顔を上げると、穂花がリビングから顔を覗かせていて、僕を出迎えてくれた。


「遅いよー」

「ごめんごめん」

「ほらっ! はやくはやく!」


 待ちわびていた様子の穂花は、駆け足で僕の方に近付いてきて、右腕をぐいぐいと引っ張ってくる。その様子で、どれだけ待ちくたびれていたのかが伝わってくるけど、僕を急かす彼女は心なしか機嫌が良くて、表情も柔らかい。


 弾むような足取りで、リビングまで案内してくれる。


「……ん?」


 すぐに視界に入ったダイニングテーブルの上には、父さんのノートパソコンが開かれていて、ディスプレイに目をやると既に大学の公式サイトが開かれていた。


 これはもしや、先に結果を見たのではなかろうか……。


「穂花?」

「ん?」

「もしかして。もう見た?」

「な、なにを?」

「結果を」

「う、ううん? まだだよ?」

「ほんとに?」

「誠太より先に見たりしないって」

「ほんとかぁ……?」


 明らかにテンションが高いけど、別件で嬉しいことがあったのだろうか?

 そんな都合の良い別件はないと思うのだが。


「こういうのはちゃんと、自分で確認しないといけないからね」

「それは、まぁ……。同感だけど」


 その口振りは明らかに何かを知っている者の囁きだったが、彼女はどうしても誤魔化したいようなので、言及するのは止めてあげよう。

 実際、自分自身の目で確認するまでは、合格しているとは言えない。

 今の状態では、手放しで喜ぶこともできないのだ。


「よし。見るか」


 そう口にすると、一気に緊張感が増した。

 合格していると信じたい反面。もしかしたらという想いも湧き上がってきて。

 心臓の鼓動が早く、痛みを増していく。


「……えーっと」


 ノートパソコンの正面に座って、タッチパッドを操作する。

 サイト内に作られた掲示板には、受験番号だけが並んだ淡白なページが用意されていて、その中で僕の受験番号である2023番を探す。


 同じような番号が連立しているのと、僅かな焦燥感のせいで、中々番号を認識できず、ゆっくりゆっくり進めて行って。


 2001 2002 2007 2012 2016 2020 2021


 2023


「……あった」


 僕の受験番号は、数ある数字の羅列の間に、確かに並んでいる。


「あった」

「うん」

「受かってる」

「そうだよ」

「マジか……」

「もぉ。受かってないと思ってたの?」


 椅子に腰かけた僕の後ろに立って、肩に手を置く穂花。

 その声音は優しくて、楽しそうに弾んでいる。


「そういう訳じゃないけどさ……」


 合格を知って、今胸を占める感情は安心だった。

 力んだ肩から力が抜けると、ほとんど無意識にそっと胸を撫で下ろす。


「よかった」


 本当に、心の底からそう思う。


「おめでとうー!」

「うん。ありがと」

「……えっと、誠太?」

「ん? どした?」

「普通。もっと喜ぶところじゃない?」

「え……? これでもかなり喜んでるんだけど……」

「そ、そっか。ふーん」


 全てが報われたような。

 進むことを許されたような。

 万感の思いに、すぐには感情が追いつかない。


 ただ、それが穂花にとっては薄いリアクションだったらしく、浸るように背もたれにもたれた僕の背後で、不満気に鼻を鳴らしていた。

 どうしたのかと振り返ってみれば、さっきまでハイテンションだった彼女はなりを潜めて、唇の先を窄めながら小声でごにょごにょと何か言っている。


「私はあんなに……」


 みたいなことを漏らしているところから、穂花がどんな反応をしていたのかを想像することができた。


「……ははっ」


 彼女も喜んでくれたのであれば、それ以上に嬉しいことは何もない。

 そう思わせてくれると、余計に安心してしまって。

 相当に気持ちが緩み、腑抜けた笑顔を浮かべてしまう。


 そうして、顔を合わせた僕らは、似た表情で笑い合い。


「合格おめでとう。あと、卒業も」


 改めて彼女は、僕の門出を労ってくれた。


「ありがとう。ここまで歩いてこられたのは、君のおかげだ」

「ふふっ。えっへん! もっと褒めてくれていいよ?」


 溌溂とした声に、あどけない笑顔。

 自信満々に胸を逸らす姿は、僕の心を満たしてくれる。

 そこに不安を感じる要素なんて何もない。


 その筈なのに。

 

 気付くと僕は、彼女の手を引いて、そっと胸の内に抱きしめていた。


「へ……?」


 僕のことを最後まで支えてくれて。

 こうして心から喜びを分かち合ってくれる。

 そんな彼女は、無理をしていないだろうか。


 いや。違うな。

 耐えられなくなったのは僕の方で。

 この寂しさをどうしようもなく埋めたいから。


 彼女に触れたくなったんだ。


「ごめん。しばらくこうしてていいかな」

「……うん。いいよ」


 穂花は、一瞬戸惑った声を漏らしたけれど、優しく受け入れてくれて。

 僕の頭に手のひらを添えると、優しく髪を梳いてくれる。


 もっと力強く彼女を抱き寄せれば、その華奢な身体は折れてしまいそうだった。


「大丈夫だよ。私もすぐに追いつくから」


 共有する体温と、甘い香りに包まれる中で。

 

 穂花が与えてくれる言葉を、僕は静かに刻み付ける。





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