42『こんな朝が。あとどれだけ』
42『こんな朝が。あとどれだけ』
目覚ましのアラームよりも先に意識が冴えて、瞑っていた瞼をゆっくり開く。
カーテンの隙間から差し込む薄明りは、暗い部屋の中をぼんやりと照らしてくれていて。目が覚めて一番最初に、微かな寝息をたてて眠っている大好きな人の寝顔と、寝ている間も繋がっていた、ぎこちなく重なる手のひらを見せてくれた。
「……ふふっ」
長い睫毛に柔らかい表情。
赤ちゃんみたいに指を握って自分の胸元に引き寄せている姿。
その全部が可愛くて、愛おしくて。
一日の始まりに、受け止めきれない幸福感を感じてしまう。
いつもなら目覚ましをセットした時間までは寝られたらなぁなんて思うけど、今日だけは早起きした自分を褒めてあげたい。部屋の時計を確認すると、もう少し誠太を寝かせてあげられるから。私もあとちょっとだけ幸せな時間を満喫しよ。
「もぅー。ズルいくらい可愛いなぁ……」
頬をそっとつついても、ぐっすり眠っている彼は、むにゃむにゃと寝言を溢すだけで。ちょっとした刺激を嫌がって顔を顰める仕草も凄くいい。
普段だったら、鉄の要塞みたいに堅いガードが、眠っている今だけはペラペラになっていて。この無防備な彼になら、もっと色んなことができる気がするけど、今日は止めておいてあげよう。
寝顔を見れただけでも充分胸一杯になっちゃったから。
「ふんふんふふーん」
もう五分だけ誠太の寝顔を眺めて、彼を起こす前に自分の身嗜みを整える。
名残惜しいけどベッドから立ち上がって洗面台で顔を洗い、ホテルに置かれている歯ブラシで歯磨きをしてから、いつも通りもふもふになった寝癖を直す。
寝癖は特に入念に直して、着替えは……。昨日着てた服を着るしかないかな。
替えの服は持ってないので、貸してもらったスウェットは一度脱いで、ハンガーに掛けてから、ニットのカーディガンとロングスカートに着替えを済ませる。
それから、もう一度鏡に映る自分の恰好を確認して、前髪を整えてからベッドの方に戻っても、誠太はまださっきと同じ体勢で、すやすやと眠ってる。
着換え中に目を覚まさないのが、如何にも彼らしい。
……別にそれでいいんだけど。
「誠太ー。朝だよ。そろそろ起きて?」
「んん……」
「一緒に朝ごはん食べよ」
肩を揺すって掛け布団を捲る。そうすると彼は「さむい……」と不満を漏らしながら上半身を捩じって、温もりを求めるように潜って行こうとするから、うつ伏せの状態になった顔に近付いて、大きな耳にふぅーっと息を吹きかけた。
「うぅーん」
……反応が薄くてつまんない。
もっとびっくりして。飛び起きて欲しかったのに。
「はやくおきろー」
さっきは優しく触れた頬を、今度は容赦なくごりごり抉る。
「……ん」
そこまでしてようやく薄く目を開いた誠太は、胡乱気な表情で顔を上げ、天井を見て、ベッドを見て。その後に私の顔を見つけると、柔らかくふにゃっと笑った。
「おはよ。穂花」
「……おはよう」
ううぅ~。そんなの。そんなの……。
「も、もうちょっとだけ寝る? じゃなくてっ、早く顔洗ってきてくださいっ!」
危なく絆されそうになる心を何とか抑えて、強引に彼の腕を引っ張り、起き上がらせる。脱力している彼の身体は重たくて、私の腕力じゃ全然足りなかったけど、必死に持ち上げようとしていたら、誠太の方から立ち上がってくれた。
「ふわぁー」
「もう。しゃきっとしなきゃ」
「まだ寝てたい……」
「のんびりしてたら遅れちゃうよ?」
朝が弱い彼は、まだまだ本調子じゃなさそうだ。
「ほらこれ。お風呂場で着替えてきてね」
「ありがとう。……よいしょ」
だから、彼をサポートしなきゃと思って、テーブルの上に準備されていた制服を手渡すと、彼はその流れのまま上着に手を掛け、ここで着替えを始めようとする。
「な、何してるのっ!?」
「え? 着替えろって言わなかった……?」
「ここでじゃない! 誠太が見せるのはダメ!」
寝惚けている誠太の手を引き、無理やりお風呂場に閉じ込めてから部屋に戻る。
カーテンを開いて確認した空模様は、太陽も上り始めたばかりなので、少し薄暗く見えるけど、雲一つない快晴で、天気の心配をする必要はないみたい。
「よかった」
ほっと一息吐いて、誠太が帰ってくる前に、試験用の手提げ鞄の中身を覗き、忘れ物がないか確認する。今夜もこのホテルに泊まる予定だから、受験のための荷物と貴重品以外なら、ここに置き放しにしててもいいよね。
この二日間の日程は、今日が筆記試験で。明日が面接。
明日の面接は、誠太の順番次第で、早く終わると思うけど、今日の筆記試験は夕方まで続くみたい。その間私は、何をして時間を潰していよう。
「うーん」
ホテルで大人しく帰りを待つのが無難かな。
でも、持ち物は携帯しか持っていなくて。
すぐに時間を持て余すことになっちゃいそう……。
「一人で散策してるって言ったら。すっごく心配するだろうなぁ」
ホテルのすぐ近くにあるコンビニに行くのも止めるような人なので、簡単に頷いてくれたりはしないと思う。ここまで付いてくるくらいの勇気を見せたんだから、過剰な心配はほどほどにして欲しいけど。
彼の中での私は、危なっかしいままなのかな。
「おはよう」
そんなことを考えていたら、制服に着替えた誠太が浴室から戻ってきた。
顔を洗った彼は、眠気から解放されたみたいで、私の隣りに立つと二回目のおはようを言ってくれる。さっきのゆるゆるだった表情は、やっぱり寝惚けていたからだったみたい。
「……おはよう」
「あれ? どうかした?」
「う、ううん。何でもない」
「うん……?」
彼と面と向かっていたら、盗み見ていた寝顔とか、ふにゃっとした笑顔を思い出してしまって、私の方が恥ずかしくなってくる。
その羞恥心に耐えられなくて目を逸らすと、彼は不思議そうに首を傾げて、逃げる私の表情を覗き込んできた。
「何もないならいいけど……?」
全然腑に落ちてはなさそうだったけど、私はどうにか弛みそうになる口角を誤魔化して、彼と一緒に朝ご飯を食べてから、ホテルを出発する。
誠太が受験する大学までは、電車で二駅分移動しなくちゃいけなくて。
同じ車両に乗っている人達の中にも、制服を着た高校生が沢山見受けられた。
皆。誠太と同じ大学を受験するんだろうか。
電車の中でも参考書を開いて、ギリギリまで勉強している彼らは、きっと、今日のために努力を怠らなかった人達で。でも、それは誠太だって負けてない。
だから、大丈夫。
心の中で宣戦布告して、隣りに座る誠太の方に視線を向ける。
彼もまた、ピリッとした空気に触発され、大きく膨らんだ参考書を開いていた。
目的の駅には十分足らずで到着し、人波に沿って駅から北側の出口を目指す。
大学はここから徒歩五分圏内の場所にあるからか、何処を見ても制服姿の受験生で混雑していて。付き添いで同行している家族や友達が、最後のエールを送っている。
その間を縫って進み、建物の外に出てから、誠太が私に振り返った。
「ん?」
視線でどうしたのかと問うと、彼は苦笑いを浮かべながら鼻を掻く。
人差し指が触れる鼻先は、寒さのせいかちょっとだけ赤い。
「いや。当たり前のように大学まで付き添ってもらっちゃったなと思ってさ」
「……当たり前だからね」
「当たり前ではない。ありがとうだよ」
「うん。どういたしまして」
そのまましばらくゆっくりと歩き続けて。
間もなく進行方向に大きな校舎が見えてきた。
目の前の横断歩道を渡ったら、誠太とは暫くの間お別れになってしまう。
「穂花はこの後どうするの?」
「一回ホテルに戻って、洗濯とかしようかなとは思ってるけど、その後は……」
続く“お願い”を口にするかは、ちょっとだけ迷う。
でも、試験中の誠太に心配を掛けるのはよくないよね……。
そんな答えを導き出して、それを言葉にするよりも早く。
「……あんまり遠くには行っちゃだめだからな?」
誠太が仕方ないと言うように、小さく微笑んでくれた。
「いいの?」
「僕が帰るまで。ホテルに閉じ籠っててくれとは言えないしね」
「それで誠太が受験に集中できるなら……。私は、そうするよ?」
彼を不安にしてまで行きたい場所がある訳じゃない。
だから、そう望まれるなら、きちんと応えるつもりだったけど。
「……大丈夫」
誠太は目を瞑り、はっきりと首を横に振った。
「穂花なら大丈夫って信じるよ」
「……」
「君が僕を信じてくれるように」
信頼して。信頼されて。
私達は、お互いのことを知っていく。
「いい加減に僕も。君への過保護は卒業しないといけないしな」
でも、それは。すぐそこに迫ったお別れを暗示してるみたいだった。




