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ありふれた恋すら、あなたとは。  作者: よせなべ
第六章『願いは髪留めに』
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39『駆け引き』

39『駆け引き』




 半ば強制的に手を引かれて、僕達はエレベーターで五階へ上がる。

 それから、廊下の一番奥にある三〇五号室に入室すると、新品の寝具を開けた時のようなにおいが鼻の奥を刺激した。恐らくは、何らかの消臭剤の香りだろう。

 においの詳細は分からないが、不快感はないので、特別気にはならない。


 パッと部屋の中を見渡してみても、掃除は行き届いているようだ。

 こういったホテルを利用する機会は学校の修学旅行くらいなので、基準はよく分からないけど、少なくとも僕の部屋よりは綺麗に整頓されていた。


 ただ、少し窮屈で、六畳ほどのスペースは、セミダブルのベッドで殆ど占領されている。通り道を挟んだ反対側には、申し訳程度の細長い机が置かれていて、机の上にはテレビや、卓上鏡。その足元には小さな冷蔵庫が用意されていた。


 所謂、一般的なビジネスホテルと変わらない造りだと思う。

 必要な物が最低限しか置かれていない空間は、少し寂し気ではあるけれど、今日と明日の二日間。ゆっくり眠ることができるなら、それ以上は望まない。


 予約を取った時は、そんなことしか考えていなかったが……。


 このお世辞にも広いとは言えない空間で、穂花と二泊。

 そうするしか手段はなかったとは言えども、本当にこれでよかったのか。


 考え込んでしまうばかりの僕と、至っていつも通りの穂花。


「わぁ! ベッドふかふかだよ」


 ……いや。幾ら何でも、落ち着き過ぎてはいないだろうか。

 

 こんなにも警戒されていないと、ぐぬぬとなってしまう。

 信頼されているのは嬉しいけど、これは非常にぐぬぬな案件だ。


 認識を改めて欲しいとは思いつつ。これで本当に何もしないから、そう思われてしまうのも無理はないのかもしれない。


「……風呂溜めるけど。穂花が先入る?」

「ううん。誠太が先でいいよ。私は明日の朝ご飯とか買ってくるから」

「え? 朝ご飯?」

「準備してないよね?」

「た、確かに……。何も考えてなかったや」

「朝時間あるか分からないし、今の内に買ってくる」


 今日はもう寝るだけだと思っていたので、完全に気が弛んでいた。

 明日の朝方はバタバタしてしまうだろうし、交通面の混雑も予想できる。

 余裕を持たせるためには、今の内に用意していた方が賢いと思う。

 

「よし。僕も一緒に行くよ」


 道中にコンビニがあったから、そこに向かうのが手っ取り早い。

 二度手間のようにはなったけど、十分もあれば済ませられることなので、さっさと終わらせて、順番に風呂へ入ろう。

 そう思って、いそいそと財布を取り出したら、

  

「私だけで大丈夫だよ。財布だけ貸してもらえる?」


 ベッドから立ち上がった穂花に、どうどうと止められてしまった。

 彼女は何処か、ぎこちない表情をしている。

 

「一人で行かせられる訳ないだろ。こんな遅い時間に」

「心配し過ぎ。ちょっとそこまでの距離なんだから」

「いーや駄目だ。どうせ風呂溜めてる間は暇なんだし。ついていく」

「……その間に制服出したり、明日の準備しててよ」

「それは、穂花がお風呂に入ってる間にできるから」

「もぉー。強情だなぁー」


 意地でも同行する姿勢を貫くと、穂花が困ったように溜息を吐く。

 どうして、そこまで嫌がっているのやら。

 効率的ではないかもしれないけど、そこまで時間がロスする訳でもないと思うのだが。


「気を遣われちゃったら。寧ろ。心配で落ち着かなくなるんだよ」


 もしかすると、まだこの旅に同行したことへの罪悪感を感じているのだろうか。

 ついさっきも力になれていないって嘆いていたし、そのことが尾を引いて、意固地になっている可能性も考えられる。

 なにせ、彼女は生粋の気遣い屋さんだからな。


 そんなことは何も気にしなくていいんだ。

 傍にいてくれるだけで心強いんだから。


「……はぁ」


 そう都合の良い解釈をしてみたものの、彼女の表情は明らかに白けている。

 つまらない説教を聞いているみたいな表情で、むーっとむくれていた。


「と、とにかく。一緒に行こう。何だったらお菓子とかも買っていいし」


 彼女が放つ圧に負けそうになりながら、どうにか甘食で気を引いてみる。

 財布の中身はまだまだ潤沢だ。それが、今日のために父さんが預けてくれたお金だったとしても、これくらいの贅沢なら許してくれると思う。 


「……から」

「え? いまなんて……?」


 仏頂面を作っていた穂花は、意見を変えない僕に観念した様子で俯き、小さな声で何かを呟いた。その言葉が、はっきりと聞こえなかったので、すぐに問い返してみるけれど、俯いたきり顔を上げようとしてくれない。


 よくよく目を凝らしてみたら、彼女の耳は真っ赤な色に染まっていた。


 部屋にあるエアコンは動かしていないけど、肌が赤らむ程寒くはなくて。

 ころころ変わる彼女の情緒に、どうしたんだと表情を覗き込もうと屈み。


「下着も買ってくるから誠太はついてこないでっ!!」


 近付けた耳元に容赦なく絶叫された。

 直接頭を殴られたような衝撃に怯んで、後退る。

  

 その隙に僕の手元から財布だけを奪い取って、軽快な動きで踵を返した穂花は、慌ただしい足音をたてながら、逃げるように部屋から出て行ってしまった。 


「ほ、ほのかー……?」


 最早、僕の声は届かず、追いかけることも許されない。

 一瞬で静まり返った部屋の中には、立ち尽くす僕と、何とも言えない気まずさだけが取り残されていた。


「今のは、僕は悪くないだろ……」


 着替えがないのなら初めからそう言ってくれればよかったのに……。

 こんなところで、僕が察しの悪さが露見していて、胸が苦しい。

 

 穂花が携帯しか持っていないのは分かっていた訳だし、ここでスマートに着替えのことを気遣ってあげられるのが、モテる男の条件なんだろうか。


 僕には、まだ当分身に付けられそうにないスキルである。


「……風呂溜めるか」


 このまま突っ立っていても仕方がないので、彼女に言われた通り風呂を済ませておこうと、浴室に繋がる扉を開く。浴室はユニットバスの形式になっていて、浴槽とトイレ、洗面台が一つの部屋に纏められていた。


 洗面台の上にはボディソープやシャンプーなどのアメニティも並べられており、ボトルタイプのそれらは非常に高級感漂う見た目をしているけど、蜂蜜石鹸が常備されていないのは非常に残念だ。


 穂花もいるなら普段使いの物を持ってくれば良かったと思うが、そんなのは結果論で、荷物は最小限にしておかないと移動が辛い。

 どの道持参することはなかっただろう。


 明日の朝は早起きを強いられるが、冷え切った身体は温めておきたいので、浴槽にお湯を張り始めてから、受験の準備に取り掛かる。

 まぁ、準備と言っても、制服を出しておいたり、受験で必要な持ち物を手提げ鞄に移すだけだ。そのついでに、寝巻きも取り出して。


 そこでまた。穂花が何を着て寝るつもりなのかという疑問が湧いた。


 下着の代えすらない彼女は、当然寝間着も持っていない。

 今着ている服では寝苦しいだろうし、皺も付いてしまうから避けたいだろう。

 

「なにか……。寝間着として使えそうな物あるかな」


 アメニティで簡易的な寝間着が置かれていないかを探して、部屋中の引き出しや戸棚をひっくり返していくと、浴室の洗面台の棚にそれらしき物を発見した。

 保護しているビニール袋から取り出して確認すれば、それはワイシャツのような形状をしたロングシャツのパジャマで、僕が使用したとしても膝下くらいまでは隠れそうな丈の長さがある。穂花の場合だったら、足首まで包んでくれそうだ。


「……少し大きいのは仕方ないか」


 男女どちらでも着られるように大き目のサイズが用意されているみたいだから、華奢な彼女は生地を余らせて、お腹を冷やしてしまいそうだけど、あとは僕の着替え用に持ってきたスウェットで我慢してもらおう。


 恐らく、嫌がられることはないと思う。

 今でも、僕の部屋着を勝手に着て、平然とリビングに居たりするし……。


 二日間の宿泊中に服が足りなくなっても、別階にあるコインランドリーを利用すれば、どうとでもできそうだな。やはり、一番ないと困るのが下着か。


 しかし、コンビニで女性用のインナーなんて売っていたっけ。

 普段気にすることがないから記憶にないけど、男性用のシャツやパンツは、シンプルなデザインの物が多い気がするので、きっと、女性用の商品も同じような感じなんだろう。


「……いやいや。何を考えてるんだ」


 これから二日間同室する異性の下着に、思考を巡らせるのは絶対によくない。

 好奇心は猫をも殺してしまうと言うし、煩悩は律しないと、身を滅ぼす。


 丁度お風呂も貯まったから、体を清めるついでに思考もリセットしておこう。


「穂花ももうすぐ帰ってくるかな」


 裸でいる時に対面するのは不味いので、着替えを持って浴室に向かい、浴室で服を脱いでから浴槽に入る。普段なら頭や身体を洗った後に湯船に入るが、ユニットバスでは洗い場のスペースがないので、そこは不便だ。


 トイレや床をびしゃびしゃにする訳にはいかないし、一度身体を温めてからお湯を抜いて、シャワーで身体を洗い、浴槽の汚れを流した後で、今度は穂花が入浴するためのお湯を張らなければいけない。


 家で同じお風呂に入るのとは違った心労があって困ってしまうが、冷え切った身体を解してくれるお湯は、格別に心地良く、心から安心することができる。

 その効能だけでも、お湯を溜めてよかったと思えた。


「ふぅ……」


 気が抜けると、無意識に溜まっていたモノが漏れ出してしまう。

 まだ一日目の学科試験すら、始まっていないと言うのに。


「……」


 やはり、少し緊張している。

 それでも、穂花が一歩踏み出してくれたあの時に。

 

 弱音を吐いている場合ではないと、気付かせてくれた。

 しっかりしなければいけないって、思わせてくれた。

 彼女のおかげで、不安な時でも冷静でいられたと思う。


 本当に感謝するだけでは足りないくらいだ。


「……一緒にきてくれるんだな」

 

 改めて、そう思う。

 穂花には関係のない受験のことで。

 折角の休日を潰してしまうことになるのに。


 それでも、彼女は僕のことを心配して、支えようとして、ここまで同行してくれた。そのことに酷く舞い上がってしまいそうな自分がいる。


 こんなのは、抑えたくても抑えられない。


「尽くされ過ぎてる」


 思い違いでも、過剰な自意識でもなく。

 はっきりとそう口にすることができた。


 後は、彼女の想いに応えるために全力を尽くすだけだ。

 

 受験のことも。その後のことも。


「……ふん。取りあえず目の前のことに集中集中」


 勝手ににやけそうになる口角をどうにか抑えて、平常心を取り繕う。

 浮かれるには、まだ何も成し遂げられていない。 


 しっかりと爪の先まで温めて、頭からつま先まで清潔に洗い、生地の厚い寝間着に着替えてから浴室を出る。バスタオルに髪の毛の水分を吸わせつつ、ベッドの方に向かうと、いつの間にか帰って来ていた穂花が通路の真ん中に立っていて。


 僕がお風呂を上がったことに気付くと、少し恥ずかしそうに振り返った。


「おかえり」

「……ただいま」

「今お湯溜めてるから」

「うん。ありがとう」


 大絶叫して部屋から飛び出して行った彼女だったが、買い物の間に落ち着きを取り戻してくれたみたいだ。どうにか怒られずに済んで、一安心である。


「お財布。手提げ鞄の方に返したからね」

「了解。助かるよ」


 丁度今帰ってきたところなのか、彼女の右手にはコンビニのビニール袋が握られていた。予想より時間が掛かったみたいだが、何かあったのだろうか。


「コンビニ混んでた?」

「ううん。全然人いなかったよ」

「へぇ。そうか……」

「あ、でも、受験生っぽい親子がいた。もしかしたら誠太のライバルだったかも」

「なんだって? 受験前にまだ起きてるだなんて悪い子だなぁ」

「……うーん」


 変な輩に絡まれていないのならよかった。

 リアクションは冷奴くらい薄かったけど、雰囲気は溌溂としている。


「あ。椅子の上に置いてるスウェット寝間着として使ってくれていいから」

「えっ。いいの?」

「風呂場にあるホテルのパジャマと合わせてくれたら多少温かくなると思う」

「ありがとう。大事に使わせてもらうね。これでまた部屋着が増えちゃうなっ」

「あげるなんて一言も言ってねぇ……」


 一回着たら自分の物になっちゃうのは何故なのか。

 どうしたって男物の服だから、穂花が着るとオーバーサイズになって、袖やら襟首やらを余らせてしまうのだが、彼女からすると、その恰好でいる方が居心地が良いらしい。

 

 まぁ、大きくて、ゆったりとした服が過ごし易いというのは共感できる。

 これで不思議と似合ってもいるから、唯一困っているのは、着々と僕の部屋着が減っていっているという現実だけだった。

 

 あと一週間くらいで三月になるとは言っても、まだまだ寒い日は続くだろうし、春日和を迎えるまでに冬服がなくならないよう気を付けないと。


「まぁまぁ。ご飯買ってきたから許してよ」

「……服一式とイコールになるかなぁ」


 朝食を買ってきてくれたのは本当に有難いけど、僕の損失も中々に大きい気がしてならない。そして何より、彼女が僕の私物を身に付けていると、無性にムズムズしてしまうのだ。 

 

「紙パックのコーヒー牛乳もちゃんと買ってきたから。ほら」


 そう言って、コンビニ袋を差し出してくる穂花。


「そういう問題じゃ……」


 それを渡されるままに受け取って、中身を覗く。

 袋の中には、彼女の言う通り五百ミリパックのコーヒー牛乳と、その他におにぎりや菓子パンなどが入っていた。これだけの量があれば、二人で朝ご飯を食べて、残りを昼食に回すこともできる。そこまで彼女は考えてくれたんだろう。


 だとしたら、部屋着のセットなんて割のいい対価なのかなぁ。


「……あれ?」


 そんな冗談めいたことを考えて、何処にも“それ”がないことに気が付く。

 穂花が僕の同行を拒んでまで買いに行った物は、袋の中の隅々を探しても見つかず、おかしいなと思っていると、


「……誠太」


 不意に名前を呼ばれた。


 ハッとして顔を上げると、彼女はジトッとした瞳で僕のことを見上げていて。

 左右の手のひらを口元に沿わせると、聞き逃してしまいそうな程小さく言った。


「えっち」


 たった一言。


 でも、僕を圧倒するには充分で。

 彼女はあまりにも容易く、僕の思考を看破してしまう。


「んなっ……!?」


 その揶揄うような言葉に。甘い声に。

 女の子らしい艶やかな仕草に。

 脳がショートして、まともに言葉が出てこない。


 そのまま目を見開いて硬直する僕の脇を、彼女は逃げるようにすり抜けて、弁明する間もなく、浴室の扉がバタンと閉まる無情な音が、鼓膜の奥に響き渡った。 


 その時に、僕は視界の端で捉えてしまう。

 穂花が後ろ手に、コンビニのビニール袋とは異なる、別の紙袋を隠し持っていたところを。彼女に一切の抜かりなんてなく、僕の目には決して入らないように対策が施されていて、僕はまんまと彼女の罠に嵌ってしまったのだ。


「くっ。くくく、くくぅ……」


 なんて、欲望に忠実な生き物なんだろう。

 彼女の前でさえ、平静を取り繕うことができないなんて。


 だけどさ、そんなのはズルじゃんかぁ……。





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