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ありふれた恋すら、あなたとは。  作者: よせなべ
第五章『知らないことがまだ沢山あって』
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35『手にしたい未来』

35『手にしたい未来』




 母さんが出来上がったお粥を持ってきてくれたのは、僕があんまりにチープなことを恥ずかしげもなく宣言した直後のことだった。

 図られたようなタイミングに、僕の声が廊下にまで聞こえていたんじゃないかと不安になったが、部屋に入ってきた母さんに変わった様子はなく、穂花ちゃんの容態を確認したら、そそくさと部屋から出て行った。


 そのそそくさの部分に何かしらの意図を感じずにはいられなかったけど、下手に詮索して藪蛇になると、恥の上塗りになりそうなので自重する。

 

 真相が語られないのであれば、気にし過ぎても仕方がない。

 ここは気持ちを切り替えるために、ひっそりと深呼吸を試みて。

  

ーー僕は、恋をしてみたい


「げほっ。げほっ……」


 咽返ってきた羞恥心に、僕は堪らず、せき込んでしまった。


 そんな台詞を口にするのは、少女漫画の主人公くらいだ。

 それを何の迷いもなく、人に宣誓したという行為が本気で恥ずかしい。

 ずっとしこりになっていた物を吐き出すことが出来て、完全に気が弛んでいた。

 

 仮にも僕は、彼女にこれまでの謝罪をしていたのだから。

 恋愛をしてみたいだなんて、どう考えても腑抜け過ぎている。


 少なくとも僕だったら、そう考えてしまってもおかしくはないと思うのだが、


「ねぇ。早くして?」

「ほ、ほんとに言ってる?」

「だって。せーたが持ってるんだもん」


 穂花ちゃんの機嫌は寧ろ良くなったような気がした。

 今は、卵粥の入った汁椀を僕に持たせて、食べさせろとせがんでいる。


「いやいや。全然渡すから」

「ううん。疲れたから持ってて」

「そんなこと言われてもな……」

「泣いた後って。どうしてこんなに疲れるんだろうなぁー」

「……分かったよ。ちゃんと言われた通りにするから」

「分かればよろしい」


 そんなことを言われたら反論のしようもない。

 恥ずかしいなどと甘えたことは言っていられないのだ。


「あ。ちゃんとふーってしてね」

「……へ?」

「口の中火傷したくないもん」


 さらっと要求のレベルを上げてくる穂花ちゃん。

 どう考えてもお互いに照れくさくなると思うのだが、彼女は至って平然としている。最早、お姫様のような貫禄があって、僕が召使いみたいになっていた。


「……」

 

 いや。穂花ちゃんは、それでよしとしてくれたんだ。 

 そうでなければ、きっと、僕はここに居させてもらえない。

 

 弱く、不甲斐ない僕のことを、彼女は受け入れてくれた。

 それなのに、僕が拒絶するというのはおかしな話で。

 その寛大さに報いることができるように力を尽くそう。

 

 これは看病なんだ。難しく考える必要なんてない。


「よし……。ちょっと待ってね」


 いつの間にか自由になっていた左手で御椀を持ち上げ、レンゲで中身をよく混ぜる。それから一口分を掬い取って、適温に冷ますために息を吹きかけた。


「ふーふー」


 出来立てだからか、お椀越しに持っていても確かな熱量が伝わってくる。

 このまま口に運べば、彼女の言う通り、火傷してしまうことだろう。

 それは本当によくないので、可能な限り熱を散らしてから、彼女の口元にレンゲを持っていく。

 

「ほら。口開けて」

「あーん」

「量多かったかな……」

「らいじょーぶ」


 僕の合図で口を開き、レンゲにパクっとかぶり付く穂花ちゃん。

 そのまま顎を引いて、お粥だけを口に含み、もぐもぐしている。

 鶏がらスープが香る汁だくの卵粥は、食欲を誘う匂いを発していて、病人の彼女でも食べ易いように工夫されていた。


「もう一口」

「はいはい」


 要望に従って、もう一回お粥を食べさせる。

 何だか小動物に餌付けしてるみたいで、思っていたより楽しいな。


「美味しい?」

「うん」

「そっか。味が分かるならよかった」


 これで、体調の回復も早まる筈だ。 


「せーたも食べる?」

「僕は大丈夫。穂花ちゃんが全部食べな」

「そっか……。でも、全部は食べられないかも」

「大丈夫。食べられるだけでいいから」

「……うん」


 僕の返答に、彼女は何故か不承不承と言った様子で頷いている。

 何かおかしかなことを言っただろうか。

 無理はしなくていいと伝えたかっただけなのだが。

 

「……うつしちゃいけないから。別にいいけど」

「え?」

「なんでもない。にぶせーた」

「に、にぶ……?」


 やはり、何かが駄目だったらしく、また新しいあだ名が増えてしまった。

 でも、にぶってなんだ?

 まさかとは思うけど……、鈍いってことかな。


「……ふむ」


 なるほど。穂花ちゃんは僕が気付いていないと思っているのか。

 自分のことを察しが良いとは思わないが、幾ら何でもそこまで鈍感じゃない。


「穂花ちゃん。流石の僕も気付いてるさ」

「……え?」

「ふふん」


 僕の言及に目を見開く穂花ちゃん。

 その反応が可笑しくて、調子に乗って鼻まで鳴らすと、彼女は目に見えて動揺し始めた。“今回のこと”ばっかりは、気が付かない方が難しいと思うのだが、衝撃映像を見た後のような表情をしているのはどうしてだろう。


 呼び方くらい。何と呼んでもらっても構わないけど。


「ほ、本当に……?」 

「ああ。穂花ちゃんが、僕のことを呼び捨てにしてるって話でしょ?」

「……」

「どう呼んでくれても構わないからさ。突っ込むのも野暮かなと思って」

「にぶせいた」

「えぇっ……!?」

 

 僕の冷静な推理に、冷徹な声が返ってくる。

 一回目よりも明らかにドスの効いたにぶせいただった。


「ち、違うのか……」

「違うよ。“今日だけ”のことじゃないから」

「じゃ、もう分かんない」

「開き直らない!」

「ご、ごめん」

「もうっ」


 う、うーん……。

 僕達の関係も、出会った頃に比べたら随分と変わったなぁ。


 彼女と出会った頃に、こんな叱られ方をするとは、思いもしなかったことで。

 僕と同じ時間を過ごす穂花ちゃんの心労は、増え続けていくばかりなのかもしれない。だけど、こうしている時間が僕には何より心地良くて。


 だから、手放したくはないと強く思う。

 

 彼女も同じ気持ちであれば、この上なく嬉しい。

 そして、まだまだ変わり続けていきたい。

 決して、千切れない繋がりを目指して。


「でも、いいんだ。せーたって呼んでも」


 その一歩目に相応しいのは、きっとーー。


「誠太ね」

「そこは気になるの?」

「発音は大事でしょ」

「……。せぇた?」

「なんか違うなぁ。誠太だよ。セイタ」

「せった?」

「のーのー。せーいーたっ」

「ふふっ」 


 僕が大袈裟に口を動かして発音すると、穂花ちゃんが小さく噴き出した。

 やらせておいて失笑は酷い。


「誠太」

「そうそう」

「誠太っ」

「な、なに?」

「呼んでみただけ」

「……ん」


 何だ今の。

 ……可愛いな。


「それじゃ、誠太は私のことなんて呼ぶの?」

「え……? 僕は今まで通り。穂花ちゃんって呼ぶけど……」

「つまんない人」

「ぐはぁっ……!? 今のがこれまでの言葉で一番効いたかもしれない」

「今のは誠太が悪いです」

「それは……、そうかもしれないけど」


 だからって、間髪入れずに責め立ててこないで欲しい。


「もう染み付いちゃってるからさ。口に馴染まないというか」

「でも、矯正することはできるよね。少し意識するだけで」

「そ、そうは言われましても……」


 ほのか。ホノカ。穂花かぁ……。

 良い響きだなぁ。


「……甲斐性がないままで彼女なんてできないからね?」

「な、なんだと……。やっぱり、男として致命的なのか……」


 頭の中で反芻して噛み締めていると、穂花ちゃんが怖いことを言ってくる。

 経済力や意気地のない男が異性の対象にはならないというのは耳にする話で。

 今まではあまりに真に受けていなかったけど、やはり重要な要素らしい。

 女の子である彼女の意見だからこそ、余計に現実味が増していて、肝が冷えた。

 

 そうなると、改善しなくちゃいけないな。

 彼女に異性として見られないと思われないのは、嫌だから。 


「それなら……、呼び方変える」

「そんな不純な理由で穂花って呼ばれたくない」

「……どっちなんだよ」


 さっきまでの主張は何処に行ってしまったんだ。


「大学でモテようとしてるもん」

「いやいやっ。そんなことは思ってないから」

「私と仲良くなりたいって。言ってくれてた筈なのに」

「うっ。い、息が苦しい……」


 的確に僕の急所を突いてくる穂花ちゃん。

 掘り返されると羞恥心と、乙女心の難解さに頭が混乱しそうになるけど、口にした言葉に嘘はない。それでもまだ信用するには足りないというのであれば、必要になるのは言葉だろう。


「僕は別に……、色んな女性に言い寄られたい訳じゃない」


 そういう人生は波乱万丈で、退屈しないのかもしれないが、僕が欲しいのは安らぎのある日常で、胃や心臓に穴が開きかねない人生は御免被る。

  

「たった一人の。特別に思える人と好き合えたら。それだけで満足だよ」

「ふぅーん……」

「嘘くさいかな?」

「……あなたはモテるから」

「甲斐性がないからモテないよ」

「そっか……。じゃいいや」

「それで納得されるのも複雑な心境ではある」


 頷かれると男心が傷つくんだけど、仕方ないか。


「……誠太は、どんな人を好きになるの?」

「ど、どんな人を好きになる?」

「好きなタイプ知りたい」

「好きなタイプ……。どうだろう。あるのかな」

「髪型の好みとか。ショートとロングだったらどっちが好き?」

「似合ってればどっちでもいいかなぁ」

「……身長は?」

「高くても。低くても。別に困らないなぁ」

「つまんない人」

「その言葉。一日で二回言われることあるんだ……」


 そこまで面白みに欠ける人間だったとは、僕自身も初めての気付きである。

 

「恋バナしてるのに全然楽しくない」

「それは僕が悪いのか? いや、悪いか。でも、本当に拘りないんだよな」

「誰でもいいんだ」

「語弊を招くような言い方やめて?」

「今のところそうだよ?」


 確かにその通りではあるかもしれない。

 これじゃ、僕が見境のない奴みたいだ。

 決して。そんなことはないのに。


「……弁明したい」

「聞いてあげます」

「えっとですね……」


 僕はいったい。何を持って人を好きになるんだろう。

 いいや。何処を好きになったんだろう。


 それは、たぶん。

 性格とか。会話とか。

 話し方とか。考え方とか。


 色んな部分に惹かれて。そうなって。

 一つに絞ることはできないけれど、何か一つ挙げないといけないのであれば、

 

「……笑顔かな」

「笑顔?」

「よく笑ってくれる。笑顔の可愛い人がいい」

「もぉー。また難しいこと言う!」


 恥ずかしさを我慢して言葉にしたのに、結局穂花ちゃんは顔を顰める。

 難しいなんて言っているけど、そうなのかな。

 自然なそれが、僕は一番愛らしいと思うんだけど。


「まぁ。今回は許してあげる」

「許してあげるって……。なにが?」

「穂花って呼ぶこと」

「あ、ああ……。そこに戻ったんだね」


 好みの話をしていたら、呼び捨ての許可が下りてしまった。

 このまま有耶無耶になってもよかったのだが、絶対に口に出してはいけない。


「どうぞ」

「どうぞって……。え? 今ってこと?」

「口に馴染まないって言ってたから。練習した方がいいかなって」

「あ、ありがとう。でも、お気遣いなく。ゆっくり慣れていこうと思ってるから」

「あれ? 私のこと泣かせたのって誰だったのかな?」

「……くそう。今日はどうやっても勝てん」


 恨むのであれば、彼女の優しさに甘え続けた僕自身。

 因果応報とはこのことだ。


「誠太の弱点は涙っと」


 またよくない知識をインプットしている穂花ちゃん。じゃなくて、穂花。か。

 これも、何度も呼び続けていたらいつか当たり前になるのかな。


 そんな未来は凄く楽しそうで。夢を見ると手繰り寄せたくなってしまう。


「ま、まぁ……。名前を呼ぶくらいなんてことないしな」

「穂花。今日は朝まで一緒にいてやるからな」

「台詞を付け足すんじゃない。なんだそのキザな言い方は」

「最近読んでる少女漫画の、主人公が風邪を引いちゃったヒロインに優しく声をかけてあげるシーンから抜粋してみました」

「丁寧な説明をありがとう。でも、言わないからね?」

「ケチー」


 ぷくっと頬を膨らませて、駄々を捏ねる姿は愛らしい。

 ただ、コンスタントに僕を辱めるのは、今日までにしてもらいたいところだ。

 

 その代わりになるかどうかは分からないけど、可愛い我儘も受け入れるから。


「ほら。話してる間にお粥が冷めちゃってる」

「誠太のせい」

「これも僕のせいだよな。それでいいから。食べられるだけ食べな。……穂花」

「……ふふっ」

「なんだよ」

「なんでもなーい」

「まったく」


 途端ご機嫌になって、穂花が弛み切った笑顔を浮かべる。

 たったそれだけのことで気持ちが上向きになるから。可愛い笑顔は最重要だ。


 長い問答を繰り返し、お粥が入った容器も程よい温度になっていた。

 これなら僕が冷ます必要もないだろう。


「あーん」

 

 それでも、僕が食べさせてあげないといけないみたいだけれど。

 

「冷めてても美味しい」

「母さんの愛情が込められてるからね」

「誠太も込めてる?」

「ああ。食べてくれる人には、美味しいと思って欲しいから」

「……私も。そうなの」

「え?」


 口の中の物を呑み込んで、自信なさそうに言葉を溢す穂花。

 その真意が分からず、首を傾げてしまう僕に彼女はこう付け足した。


「最近ね。母さんに教わって。お料理の勉強をしてるの」


 それは、今日初めて聞くことで。

 一気に思考が覚醒する。

 

「そ、そうだったのか……。いつの間に」

「朝早起きして。お弁当作りのお手伝い」

「え。全然知らなかった」

「私はまだ、簡単なことしかさせてもらえてないんだけどね」

「仕方ないよ。怪我しちゃったら怖くなるかもしれないし」

「包丁で野菜の皮剥くの難しい」

「怖い怖い怖い。初心者がすることじゃないから。大人しくピーラーを使おうね」

「母さんにもそう言われちゃった」


 ぞっとすることを言い出すから、吃驚して背筋が凍りかけた。

 もしかすると彼女は、料理に対して憧れのようなものがあるのかもしれない。 

 

「指切ったりしてないよな?」

「今のところ大丈夫。ほら」


 そう言って、両手を目の前に差し出してくれるので、お粥やレンゲは一度お盆の上に置いて、日に焼けていない白い手のひらに触れる。


「さ、触るんだ……」

「あ、ごめん。マメとかできてないか気になって」

「……実は、人差し指のところにちょっとだけ」

「本当だ。潰さないように気を付けないといけないね」

「うん。包丁の持ち方が間違ってたみたい」

「なるほど。僕も料理始めた頃はよくできてたな」


 人差し指の第一関節にできた水膨れ。

 それは、懐かしい記憶を思い出させる。


「触ると痛い?」

「ううん。大丈夫……。ちょっとくすぐったいけど」

「くすぐったい?」

「なんか。誠太の触り方が……」

「な、なんだよ」

「……やらしい」

「指先に触れてるだけです!」


 何もおかしなことはしていない。

 ただ感触を確かめているだけだ。


 なんて言うとまた誤解を招きそうだな……。


「ま、まぁ。とにかく風邪と同様に、お大事にしなね」

「う、うん。ありがとう……」

 

 余罪が増えてしまう前に手を離す。

 僕が手を離した後も、穂花の右手がしばらく手近な場所に残されていたけど、そのことについては強い意志で気付かない振りを貫いた。 

 

「穂花は、何か作りたい料理があるの?」


 何となく気まずい空気が流れ始めたので、お茶を濁そうと言葉を紡ぐ。

 彼女はその質問に対して、間髪入れずに即答した。


「オムライスが作れるようになりたいの」

「……っ」


 無限にある料理の中から、その名前が選ばれた理由を考えずにはいられない。

 何とも思わずに流して。相槌だけで済ませることはできそうになかった。


「いつか。すっごく美味しいオムライスを作るから。誠太が一番に食べてね」


 僕の未来は、大学に合格して終わりじゃない。

 まだまだ沢山。手に入れたいモノが残っているから。

 

 



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