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ありふれた恋すら、あなたとは。  作者: よせなべ
第五章『知らないことがまだ沢山あって』
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33『体調を崩すと幼児化するタイプ』

33『体調を崩すと幼児化するタイプ』




「けほっ。けほっ。……誠太くん。お水取って欲しい」

「ほら。今は汗も掻いてるから。こっちにしときな」

「ありがとう……。美味しい」


 スポーツドリンクが入ったマグカップを傾け、穂花ちゃんがか細い息を吐く。

 額に冷却シートを張り付けた彼女は、誰がどう見ても病人のそれで。


 体温は三十七、七度。

 微熱というには少し高めの熱があり、咳と鼻詰まりの症状も出ていた。

 少しボーっとしているように見えるのは、倦怠感もあるからだろう。


「今。母さんがおかゆ作ってくれてるから」

「あんまり食欲ない……」

「でも、薬は飲まないと。多少は胃に何か入れといた方がいいよ」

「うん……。分かった」

「薬飲めば。きっと楽になる。だから、頑張ろう」


 色々な症状が重なっているせいか、傍目にも辛そうなのが伝わってくる。

 ただの風邪だと診断されたみたいなので、安静にして、薬を飲んでいれば、すぐに体調も回復してくると思うけど、普段彼女の弱弱しい姿を目にすることがないのもあって、目を離した隙に悪化してしまうのではないかと。そんな不安が消えてくれない。


「……誠太くん?」

「ん? どーした?」

「迷惑かけてごめんなさい」


 しおらしく、いつにも増して殊勝な穂花ちゃん。

 そこまで素直に謝られると、薄着で過ごしたツケだと揶揄うことも憚られ、努めて柔らかい表情を作ることしかできないが、これで彼女を少しでも励ませるのであれば、それでいい。辛そうな姿は、見ていて堪える。


「いいよ。僕は、穂花ちゃんがしてくれたことのお返しをしてるだけだから」

「えへへ。よかった……」


 ふにゃっと力なく微笑む笑顔は、ずっと幼くて。

 久しぶりに彼女が年下の女の子であることを実感した。

 最近の穂花ちゃんは逞しく、頼り甲斐のあることの方が多かったから。

 ふと脳裏に浮かぶ、出会ったばかりのたどたどしかった彼女が懐かしく感じる。

   

「準備ができるまで少し寝る?」

「ううん。寝ない」

「病院行って疲れたでしょ?」

「車の中で寝てたから」

「そっか……。それじゃ、寝ろって言われても難しいな」


 今日は、期末試験を終えた直後の週末。土曜日。

 朝から体調を崩していた彼女は、父さんに連れられて病院に出掛けていたけど、帰って来るのには随分時間が掛かっていた。きっと、今日は休みの日だったので、診察してくれる病院が家の近くになかったんだろう。


 体力を消耗した状態で車に長時間揺られるのは、それだけでも充分に疲弊してしまいそうだが、彼女は眠りたくないらしい。

 

 その気持ちは、痛い程よく分かる。

 一人だと心細いんだ。


「なら……」


 自分が体調を崩した時のことを思い出して、寒気に身を捩った。

 それを穂花ちゃんが捉えて、どう解釈したのか悲し気に眉を下げる。


「何処か行っちゃう?」

「一人の方が落ち着けるならそうする」

「やぁーだ」

「……だったら。もう少しここにいようかな」


 初めから彼女を一人にするつもりなんてない。


「勉強はいいの?」

「穂花ちゃんが病院に行ってる間に今日の分は詰め込んどいた」

「ほんと?」

「本当。朝の段階で今日は穂花ちゃんの看病する日だって決めてたよ」

「……嬉しい。にへへ」


 な、なんだろう……。

 今日の穂花ちゃんは年齢よりも更に幼く感じて、うろたえてしまう。

 

 甘えたような喋り方も。

 素直に気持ちを伝えてくれる言葉も。


 どちらにもドキッとさせられて、心臓の音がうるさい。


「誠太くんは優しいね」

「さっきも言った。僕は、恩返しをしてるだけで。これくらい普通だ」

「でも、最近はいじわるされることの方が多かったもん」

「えぇ……? そうかな? それは流石にお互い様な気がするけど……」

「私は誠太くんにいじわるしたことなんてないよー」

「うーん。熱のせいで色んな記憶が飛んじゃってるかもなぁ」

「へへへ」


 風邪を引いていても、僕を揶揄う彼女は非常に楽しそうだ。

 いつもの様子とは違っていても、いつもと変わらない笑顔を見せてくれると安心する。このまま彼女が眠ってしまうまでは傍にいよう。


「その上着も自分の物みたいに着てるけど、後でちゃんと返してね?」

「え? 返さなくちゃいけないの?」

「なんで返さなくていいと思ってるんだ?」

「くれたのかと思ってた」

「……どう考えたって、サイズが合ってないだろ。デザインも男物だし」

「でも、この服一枚で済むんだよ?」

「何が?」

「ほら見て。おっきいから太腿の辺りまで隠れるの」


 唐突によく分からないことを言い出して、彼女が掛け布団を捲る。

 露わになった場所には穂花ちゃんの真っ直ぐに伸びた足があって、僕の座っている位置的な問題で、真正面から肉付きの良いムチッとした太腿を捉えてしまった。


「ワンピースみたいでしょ?」

「……わざわざ見せなくていい。口で説明してくれれば分かるから」

「えぇー? こうした方がちゃんと伝わるのに」

「あと丈が長かろうと下もちゃんと穿け」

「穿いてるよ? ほら」

 

 今見せなくていいと言ったばかりなのに、穂花ちゃんは平然とした顔で裾を掴んで、腰の辺りまでたくし上げる。

 僕のトレーナーで隠れていた場所には、きちんとホットパンツが穿かれていたけど、そういう問題じゃない。全然そうじゃない。

 

 そうじゃないんだ……。


「ね?」

「ね? じゃねぇよ……」


 呆気に取られて、自然と口も悪くなる。

 恥じらいという感情を何処にやってしまったんだ。

 薄着のことを指摘した時でも、目に見えて恥ずかしがっていたのに。


「なーにー。誠太くんが変」

「こっちのセリフだ。ばか」

「あ! ばかって言ったぁ! いーけないんだぁいけないんだぁー」

「……まずいかもしれん」


 間違いなくテンションがおかしい。

 熱のせいで頭の中が混沌としているのだとしても、言動が顕著に子供っぽい。

 疑いようもなく、小学生くらいまで精神年齢が退行していた。


 体調を崩すと心まで弱って、人恋しくなることは僕にもある。

 そんな時は、寂しくなったり、不安になったりするものだとは思うけど、これもそういう類の。深層心理の現れなのかな。


 構ってもらいたいとか。

 遊んで欲しいとか。

 そういう純粋な気持ちを前面に押し出しているのかも。


「ねぇ。誠太くん。暇だから面白いお話して」

「……やりたい放題だって」

「子守歌でもいいよ。誠太くんの歌声聞きたい。歌って歌って」


 平気で無茶振りまでするようになってきた。

 このままここにいると、僕の心がズタズタにされかねない。

 あまりにも危険な場所にいる。 


「そういえば……、えーっと、父さんに呼ばれてた気がする」

「だめ。ここにいて」

「い、いや。でもなぁ……」

「じゃなきゃ泣く」

「くっ。……泣かせるのはよくないか」


 そう言われたら逃げ出すことも許されなくて、微かに持ち上げた腰を渋々ながらに床へと下ろす。カーペットの上で胡坐の姿勢を作り直し、再び顔を持ち上げたら、ジト目をした穂花ちゃんと視線がぶつかった。


「……ど、どした?」

「看病してくれるって言ったのに」

「か、看病はしてるじゃんか」

「話し相手にはなってくれないんだね」

「いやっ。そういう訳じゃ……。ほんの少し離席しようとしただけで」

「うそ。絶対面倒だなって思ってたもん」

「違う違う。そんなことないって」


 どんな状態でも、目敏さは変わらない穂花ちゃん。

 軽い気持ちで口に出した自衛の言葉が波風を立てて、肩身が狭い。

 決して面倒を感じた訳ではないけど、彼女の眼差しは疑念の色で揺れていた。


「分かったよ。ずっとここにいるから。トイレにも行かない」

「お手洗いにはちゃんと行ってくれなきゃ私がやだ」

「なんだよ我儘だなぁ」

「我儘じゃないっ。誠太くん。手を出してください」

「へ? なんで?」

「いいから。早く」

「えぇー……。怖いなぁ」


 今の穂花ちゃんは何を考えているのか分からないから。不安しかない。

 急に叩かれたりしないだろうか。

 そんな風に怯えながら彼女と近い左手を差し出して、小指だけがぐっと引っ張られた。そのまま腰の辺りに持っていかれ、ベッドの上に押し付けられる。


「えっと、穂花ちゃん……?」

「いいよね。ずっとここにいるって言ったし」

「それはいいけど……。なんで小指だけ?」

「……うるさい」


 穂花ちゃんが右手の指全てを使って、僕の小指を掴んでいる。

 僕を逃げないように縛る拘束はあまりに限定的で。

 他の四本指の据わりが悪い違和感もあり、変にムズムズしてしまう。


 だけど、それは彼女も同じみたいで、何とも言えない表情を浮かべていた。


「これでいいの」

「これでいいのか。じゃ、まぁ……。いいや」

「誠太くんはこれで逃げられないからね」

「……はいはい。そうだね」


 小指ぐらいなら簡単に抜けられそうだけど、それを口にすれば、また怒られてしまいそうなので、胸の内に秘めて、この場を流す。

 ただ、子供をあやすかのような発言はお気に召さなかったようで、穂花ちゃんは物言いた気に顔を顰めた。

 

「子供扱いされてる気がする……」


 怨嗟のように呟かれる声に比例して、右手に込められる力も増す。

 下手なことを言ったら、このまま握り潰されてしまうかもしれない。


 なんて。大袈裟な冗談を頭に浮かべながら、言動には気を付けようと思った矢先に、穂花ちゃんがどうして僕を逃げられないようにしたのか。


 その理由を思い知らされる。


「じゃ、さっきの続き。面白いお話してくれる?」

「題目が雑だなぁ……。そんな話。レパートリーにないよ」

「だったら。誠太くんのこと。知りたい」

「……僕のこと、か。何か。語れるようなことあったかな」


 その要求に息苦しさを感じた。

 言葉の端から漏れた想いに、浅い好奇心なんてものは存在していなくて。

 彼女の声は重く、鋭い。


 問い質すような厳しさに思考は鈍り、怖気付いた喉は情けなく詰まる。


 部屋に満たされた静寂は、彼女に言葉に続きを許した。


「どうして。教えてくれなかったの?」


 それが、何をとは言われなくても。何のことかは分かってしまう。

 僕が彼女に伝えていないことは、きっと、まだ。沢山あると思うけど。


 言わなくちゃいけなかったことは、一つだけしか残ってないから。


「……タイミングがなかったんだ」

「一緒に暮らしてるのに?」

「……穂花ちゃんから聞かれたことはなかったし」


 逃げ道は塞がれて。

 それでも僕は嘯いた。


 これは、僕の明確な罪だと分かっているから。

 裁かれることを恐れて、罪を重ねる。


 そんなことをするから、また傷付けてしまうのに。


「そっか。聞かなかった私が悪いんだね」

「……そうは言ってない」

「言ってるよ。私のせいだって言ってる」

「違う。違うんだ……」


 穂花ちゃんは何も。何一つも悪くない。

 ずっと、逃げ続けていたのは僕の方だ。


「誠太くんは。ズルい人だね」


 その短い言葉を否定するのが、こんなにも難しい。

 どうして。こんなにも歪な関係になってしまったんだろう。


 ただ無くならない。変わらない関係が欲しかっただけなのに。


「……ばかせいた」

「ごめん……」

 

 どうか。涙なんて流さないでくれ。

 君には、いつだって笑っていて欲しいんだ。





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