31『少女と少年』
31『少女と少年』
十二月初旬に行われる二学期期末試験は、卒業を数か月後に控えた三年生にはそう熱の入るものでもなく、調査書の判定にも影響がないため、テスト週間中であっても真面目に勉強している生徒は殆どいない。
既に進路が決まった面々は、溜め込んだストレスを発散させるかのように、こぞって近場の商店街へと繰り出しており、欠点さえ取らなければ御の字といった面構えをしている。その晴れ晴れとした背中がほんの少し羨ましかった。
僕も期末試験の勉強は程々で済ますつもりだけど、受験勉強に関してはそういう訳にもいかず、今日も今日とて風呂を済ませたら、勉強机と向かい合う。
大量の付箋で形が崩れた参考書を手に取って、苦手な範囲を復習。
その後に過去問を解く流れが、最近の勉強方法になっていて、きちんと本番の試験時間を想定して、一から問題を解いていく。
初めは全く足りなかった制限時間も、今では答案を一通り見直すことができるくらいには余裕が生まれてきており、正答率も上々。
行き詰まらずに問題が解ける感覚は自信にも繋がってくれるから、中々良い循環が出来ているような気がする。この調子のまま本番の日を迎えたい限りだ。
せっせと積み重ねてきた小さなモノが、ようやく大きく育ってきた。
ここまで来ると、どうしたって報われたいと思ってしまうが、それは当然、他の受験生達も同じことだろう。譲れない理由は、誰もがきっと持っている。
僕も。負けるわけにはいかない。
この道に進んだことを後悔しないために。
「ふぅー……」
国語と数学の過去問を終え、時間を確認すると、既に二十二時を過ぎていた。
明日も学校があるため朝は早いけれど、受験生の夜は長い。
あとニ教科は過去問を解き、採点まで終わらせてからベッドに入る算段だ。
「さて。もう一踏ん張りしようかな」
自分自身を煽るように声出しをして、背筋を伸ばす。
ぐっすり寝たい。漫画を読みたい。
そんな甘えは律して、呑み込む。
今日の辛抱が、いつかの実りに。
そういう考え方は割と得意な方だった。
ただ、持久走に挑むのならば、ペース配分が重要で、小まめな休憩が望まれる。
集中力は一度途切れてしまったなら、潔く休憩を挟むのが鉄則だ。
眠気覚ましにも丁度いいので、コーヒーでも用意しよう。
疲れた脳味噌に、カフェインと糖分をこれでもかと注ぎ込みたい。
そんなことを考えながら立ち上がり、踵を返す。
そのタイミングと丁度重なって、部屋の扉がコンコンと叩かれた。
「ん……? こんな時間に。父さんかな?」
こんな遅い時間に部屋を訪ねられることはあまりない。
今日も今日とて両親は残業だった訳だが、もう家には帰ってきている筈。
最近は、冬休みに大学近辺を下見しに行こうという話をしているから、その件についての話だろうか。なんにせよ、ドアノブは手に届く距離にあるので、適当に返事を返しながら扉を開け、薄暗い廊下に顔を覗かせる。
「あ。誠太くん……。えっと。お勉強中だった?」
すると、そこに立っていたのは父さんではなく、穂花ちゃんで。
予想が外れて一瞬面を食らうけど、彼女とも一緒に暮らしているのだから、別におかしなことではない。
至って日常的な光景だと言えると思うが、夕飯を食べ、お風呂を済ませた後にこうして対面するのは、十二月にして初めてのことかもしれなかった。
「今は休憩しようと思ってて。リビングに行こうとしてたとこ」
「そ、そうなんだ……。なら。よかった……」
「こんな時間にどうかした? あれ……?」
何処となく穂花ちゃんの雰囲気が固い。
まるで緊張しているみたいに、頬を赤くしている彼女を不思議に思っていると、視界の下の方で、お盆に乗せられた愛用のマグカップが目に入った。
カップの中には見慣れた色の液体が入っていて。
それは彼女が好んで飲む物ではないから。
僕のために淹れてくれたモノなんだと。すぐに気が付く。
「それ……。僕に?」
何も頼んでいないのに、持ってきてくれたコーヒーの差し入れ。
それだけでも充分過ぎるほど有難くて。嬉しいのに。
その隣りにはラップに包まれたサンドイッチまで並べられていて、心の奥底に温かい空気が満たされていく感覚がした。
「あの……。夜食作ってみたの。よかったら食べて?」
「あ、ありがとう。……穂花ちゃんが作ってくれたんだ」
「簡単に作れるモノしかないんだけど……」
強張った表情で、穂花ちゃんが自分を卑下する。
その言葉は受け入れられないから。僕はゆっくり首を振った。
「勉強しながらでも食べ易いものを作ってくれたんでしょ? 分かってるよ」
「う、うん。えへへ……」
照れたように彼女がはにかむ。
それを見ていたら、僕の表情筋まで弛んできて、少し恥ずかしい。
「いただくよ。こんな時間にありがと」
彼女の細やかな気遣いにも感謝を示し、お盆に向かって手を伸ばす
そうして穂花ちゃんに近付くと、ほんのり甘い蜂蜜の香りが鼻腔をくすぐった。
「あ……」
押し付けるような嫌味のない優しい芳香。
その正体は、新生活が始まってから加地家に常備されるようになった必需品で。
蜂蜜が混ぜ込まれた固形石鹸の香りだった。
僕も肖って同じ物を使っているけど、効能についてはよく知らない。
蜂蜜には殺菌効果があったりして、健康にも良いとされるものだから、女性にとって嬉しい美容効果が色々とあるのだろう。
程よく香る甘い匂いは、個人的にリラックス効果もある気がする。
同じ石鹸を使用している僕も同じ匂いが香っている筈なのだが、自分自身の首元に鼻を近づけてみても、特に匂いは感じない。
穂花ちゃんからは確かに良い香りがしているのに、一体何が違うのか。
凄く好きな香りなので、自給できればと思ったけど、それと同時にふと思う。
石鹸の香りがしているということはつまり。
彼女は今し方。お風呂から上がったということで。
お盆を手元に引き寄せつつ、視線をゆっくり上に移す。
暗がりでも分かる穂花ちゃんの素肌は、しっとりと潤いを帯びていて。
……素肌?
遅れて認識した情報に、一瞬で思考が止まった。
今、穂花ちゃんはノースリーブの部屋着を着ていて、膝丈よりも短いショートパンツを穿いているのだが、それ以外の衣服は、何一つとして身に付けていない。
そうすると、折れそうなくらいに細い二の腕や、すらっと伸びた太腿が露わになっていて。極めつけには綺麗な形の鎖骨までもが、暗がりの下に晒されていた。
「……」
そんな所をまじまじ見るべきじゃないって分かってる。
分かってはいるけど、校則通りに着こなした制服姿や、丈の長いワンピースの私服を見慣れてきていた僕にすると、普段のかっちりとした印象と違い過ぎていて、変に意識が引っ張られてしまう。
決して際ど過ぎる服装ではないし、ましてここは家の中だから。
どんな格好をしていようと、彼女の自由なんだけど……。
不意に目の当たりにした、彼女の女性らしさに心がざわつく。
簡潔に言えば、目のやり所を何処に向ければいいのか全く持って分からない。
「……誠太くん?」
「な、なに?」
「え? 私は何もないけど……。急に黙ってどうしたの?」
穂花ちゃんの声で正気を取り戻し、慌てて視線を背ける僕。
そんな不自然な行動をして、彼女が違和感を覚えない筈もなく。でも、そうなる理由までは分からないという無垢な表情で、純粋な疑問が声に乗せられていた。
「いやっ……。大丈夫。何も気にしないで」
心の声を肉声にできる訳がない。
変態の烙印なんて押された日には、今後一切何もかも諦めてしまいそう。
こんな煩悩を抱えるのはよろしくない。早々に頭を冷やして、戒めよう。
そんな風に冷静さを取り繕い、俯き加減のまま後ろ歩きで部屋の中に引っ込む。
「差し入れありがとう。全部食べるから」
左手でドアノブに手を伸ばし、過剰なくらいに意識して、視線は穂花ちゃんのおでこぐらいを維持する。そうやって、どうにか平静を装っていたつもりだったが、一瞬目が合った彼女の表情は、いつの間にか不満気に顰められていて、
「待って」
僕が扉を閉めるよりも早く、穂花ちゃんが一声を放つ。
凛とした鈴の音のような声には、有無を言わせぬ鋭さがあり、言われるままに手の動きを止めてしまった。
「ど、どした……?」
なけなしの平常心では、なんでもない風を装う演技も下手くそで。
その程度じゃ誤魔化されてくれない少女は、じーっと目を細め、まじまじと僕の表情を窺うと、何かを感じ取った様子で、躊躇いもなく部屋の敷居を跨いできた。
離れた分の距離を詰めて、僕を逃がしまいとする意志は固い。
部屋の証明に照らされた白練色の衣装は、儚げな印象をより一層際立てて、いよいよ僕の視線は部屋の天井に逃げてしまった。
「誠太くん。もしかして風邪ぶり返した?」
「か、風邪? 風邪ならおかげさまで完治したけど」
「ほんとに? なんだか。雰囲気がいつもと違う気がする」
「いやいや……。そんなまさか。気のせい気のせい。何もない何もない」
「そこまで否定するの逆に怪しいからね?」
ぶんぶん首を振って誤魔化す僕を、穂花ちゃんが訝しむ。
信用を得られないのは、これも日頃の身勝手な行いの弊害だろうか。
「体調はマジで問題なし。ちゃんと休んで。英気を蓄えたから」
それでも、こんなことで心配をかけるのは本意じゃない。
だから、安心してもらえるように出来るだけ声高らかに宣言すると、顔を見ていなくても、彼女が呆れた表情を作ったことが察せられた。
「誠太くんの大丈夫は信用できません!」
「ぐぬぅ……」
僕の紛れもない本心が、清々しいレベルで信じられていない。
「またすぐに無理しちゃうって。分かってるもん」
「うっ……。そう、だね。君の言う通りだ」
その言葉で、穂花ちゃんが僕の様子に目を凝らしてくれていたんだって気付く。
彼女の真剣な心配に、薄着だなんだと騒いでいる自分自身が恥ずかしい。
自己管理を怠って体調を崩したのは、つい先日のことで。
彼女の言い分は至極尤な主張だった。
ただ、本当に迷惑をかけた件については反省していて、
「もういっそ。先に謝っておこうかな」
その上で、まだもう少しだけ無茶を貫くって決めている。
自分の選択に、後悔を残さないように。
「また迷惑をかけると思うから。その時も助けてくれたら嬉しいな」
「うわー。開き直ってるー」
僕の我儘に、抑揚のない声を発する穂花ちゃん。
口調には呆れた雰囲気が強調されていて、顔を見れば、瞳も完全に白けている。
そうなって当然だ。
他人の不始末に付き合わされるなんて、馬鹿馬鹿しいことこの上ない。
面倒と思われるのが普通で、愛想を尽かされても不思議ではないのに。
「仕方ないなぁ」
短く息を吐いた後には、優しくて。慈愛に満ちた笑顔を浮かべてくれた。
「私が。あなたのことを支えてあげる」
そんな勿体ない言葉を、僕なんかが貰っていいんだろうか。
あまりにも眩しくて、真正面からでは受け止められそうにない。
我儘を口にした僕の方が言葉を詰まらせてしまう。
「言っておくけど、私は厳しいからね」
「……それは、えっと。どんな風に?」
「誠太くんには取りあえず。これから毎日一時に寝てもらいます」
「な、なるほど。そういう感じか……。ふふっ。厳しさなんて何処にもないな」
厳しいなんて名ばかりの。心遣いしか詰まっていない優しい提案。
僕以上に僕のことを気に掛けてくれる彼女は、陽だまりみたいに温かくて、力んだ心を解してくれる。ただ、そのルールを守れるかどうかは、ちょっと怪しい。
今日だって当たり前に、二時を超えるコースを想定していたんだから。
「早く寝られそうな時は極力そうするよ」
「誠太くん? 極力とかじゃなくて。絶対に」
「ぜ、絶対はどうだろうなぁ……。その辺は僕の匙加減になるというか」
僕が自己管理を徹底して、受験勉強と体調管理を両立する。
そうすれば、誰に迷惑を掛けることもないし、結果的に学習効率も良くなりそうではあるけど、そんなクレバーな立ち回りは求められてもできそうにない。
道に迷っても構わず突き進むような奴は、簡単に足を止めたりしないのである。
「まずは内蔵されてるブレーキを取り替えないと……」
「大丈夫。誠太くんの意思は必要ないから。私が無理やりにでも止めるもん」
「……ん? え?」
穂花ちゃんの提案に異を唱えたら、彼女の語気に重みが増す。
瞬時には意味が理解できなくて、首を浅く傾げてみせると、彼女はゆっくりと部屋の中を進んで、ベッドの淵に腰を下ろした。
「ここで見てるね。誠太くんの頑張ってるところ」
正面にある勉強机を見据え、断言する。
迷いなく紡がれる言葉は、予め決められていたみたいで。
決意の宣誓みたいだった。
「それは……、僕の受験に穂花ちゃんが協力してくれるってこと?」
「そうだよ。……いけない?」
「いやっ。いけないなんてことない。……応援してくれるのは凄く嬉しい」
僕が選んだ進路を、彼女が言葉で肯定してくれたのは初めてだと思う。
ずっと触れられることがなくて。
だから、胸の奥でしこりになって残っていたモノ。
それが、すとんと落ちていく。
「誠太くんには絶対志望した大学に合格してもらうから」
「お、おぉ……。なんか。そこはかとなく圧を感じるけど」
「誠太くんなら難関大学にも合格出来るって。私信じてるよ?」
「……怖いなぁ」
何だか雲行きが変わってきた。
もしかすると応援してくれていると感じたのは僕の勘違いかもしれない。
とてつもない重圧に晒され、胃がキリキリする。
「そこで任せろって言える自信が大事なのに」
「今は、落ちた時になんて言われるのかってことの方が気になってる」
「その時は、沢山慰めてあげるよ」
「それは……、ちゃんと心に沁みるんだろうなぁ」
優しくされたら、普通に泣いてしまうかもしれない。
「とにかくっ。今日からは無茶は禁止。勉強は夜中の一時まで!」
「質問です! 採点は勉強の内に入りますか?」
「入らない訳ないよね?」
「うっす……。ですよね。すいません」
「何か不満があるんですかっ?」
「いやいや。不満はないけど……」
可能な限り勉強したいという気持ちはあるけど、彼女が提起してくれた条件にもちゃんとメリットはあって、一言で無下にするのは軽薄が過ぎる。
ただ、それとは別に単純な心配が一つあった。
「そもそも穂花ちゃんって一時まで起きてられるのかい?」
「……ここでも子供扱いするんだね。はぁ……」
「ち、違う違う。穂花ちゃんはいつも早起きしてるイメージがあるからさ」
「眠りが浅くて起きちゃうだけ。夜更かしなんて毎日してるしっ」
「それはするな。穂花ちゃんは女の子だろ」
初めて聞いた彼女の睡眠事情と、何と張り合っているのか分からない謎の見栄。
後半の主張は明らかにおかしかったので指摘したら、穂花ちゃんが一瞬固まって、それから露骨に眉を顰め、不満気な顔を作っていた。
何も間違ったことは言っていないと思うけど、何かが気に入らないらしい。
「……急に女の子扱いする」
「え? 急にかな。いつもしてるつもりだったけど」
「ばーか」
「えっ……」
唐突に会話が投げ出されて、悪戯な悪口に見舞われる。
あんまりにもナチュラル過ぎて言葉を失ってしまったが、穂花ちゃんは何事もなかったかのようなすまし顔で、平然と話を元に戻した。
「最近はね。私も勉強してるんだよ」
「そうなんだ……。それは知らなかったな」
「私も来年は受験生だからね」
「……そっか。穂花ちゃんも進学希望だったね。頑張ってるのは素直に偉い」
「えへへ。ありがとう」
褒められたことを嬉しそうに噛み締めて、ベッドの上で身を捩る。
そんな彼女は、溌溂とした笑顔を浮かべて。言った。
「私も誠太くんと勉強したいな」
「……」
「頑張ってるあなたを見てたら。私も沢山頑張れると思うから」
至近距離でそれを喰らうと、照れくさくて背中が痒い。
僕のために作られた提案は本当に魅力的で。
答えに悩む必要なんてなかった。
彼女と過ごす時間が増えるなら。それでいいと。そう思える。
「……分かった。でも、一個だけ。穂花ちゃんにお願いしたいことがあるんだ」
ただし、それを実践するのであれば、話しておかなきゃいけないことがある。
同じ空間で、一緒に居る時間が増えるならば、有耶無耶にはできないことだ。
「お願い? なんだろう……」
僕が意味深に切り出したせいで、彼女にも神妙な空気が伝わってしまう。
そんな顔をされると余計に言い辛さが増して、尻込みしそうになるけれど、やっぱりよくはないって思うから。僕は努めて馬鹿になり、明け透けに指摘した。
「僕の部屋にいる時は。ちゃんとした服を着て欲しい」
「え? 服ならちゃんと着てるけど?」
「そんな薄着じゃなくて、もっと生地の厚いやつ」
「な、なんで? どういうこと……?」
「なんでもなにも。ここが男の部屋だからに決まってるだろ!」
「へっ? ……へ?」
僕の発言に瞬きを繰り返す穂花ちゃん。
何を言われているのか分からないという顔をしているけど、僕も何を言っているのか分かってない。ただ大切なのは一つだけ。
胸の内の動揺を、決して表に出してはいけない。
あたかも常識を口にしているかのような口ぶりで言葉を続ける。
「自分の家だからって。女の子が薄着でうろつくもんじゃない」
「いつも着てる服と変わらないんだけど……。いきなりどうして?」
「そんなのは、お風呂上がりの穂花ちゃんを見たことないから知らん!」
「え? そうだったっけ……? 一緒に暮らし始めてもうすぐ一年なのに……」
「まぁ。そういうこともあるだろう。時にはね」
「ないよっ。……何で」
「ん?」
「なんで! そんなことも知らないのっ!」
「え、えぇっ……!?」
発覚した事実に、何故か穂花ちゃんが頬を膨らませる。
今の発言の何処に不満な部分があったんだ。
怒るタイミングがあるとしたら、僕が服装について言及した時だろう。
「それくらい知っておいてよ」
「ご、ごめん?」
理解が全く及ばなくて、訳も分からずに謝罪する。
予期せぬ話の流れに頭が追いつかなくて、思考が纏まってくれない。
彼女の恰好を指摘したのは、僕が男だからだ。
何も感じなければ、そもそも注意なんてしない。
だから、口にすることで、穂花ちゃんが僕の“男性”としての面に怯えて、恐怖心を抱いてしまうかもしれないと思っていた。
身近な存在の僕が性に関わる思考を持っていたら、警戒するのも仕方がない。
それを予期して、言葉にするのは勇気が必要だったのだが、彼女の主張はどうして知らないのかの一点で。
その意図を、説明もなしに理解するのはできそうになかった。
「やっぱり、誠太くんは私に全く興味がないんだね」
「は? な、なんでそうなるんだ……」
「だって、こんなことも知らないんだもん」
不貞腐れたように、尖らせた口先。
口調は本気で気分を害した時の言い方で。
だけど、その感情は徐々に怒りから鬱々とした雰囲気にシフトしていく。
「僕は今。どういう怒られ方をしてるんだ……?」
理解できない状況に、何と言えばいいのか決められない。
見切り発車では空回りしてしまいそうで、どうすればいいのか悩む。
その間に、彼女の瞳の端にキラキラ輝く雫を見つけた。
「……君がお風呂に入ってる間は近付かないようにしてたんだよ」
そんなのは、一番堪える。
僕ができることは、包み隠さない正直な話をするだけだ。
「そうなの……?」
「だって、不安だろ。無防備な時によく知りもしない男が近くに居たら」
「……全然。そんなこと考えてなかったや」
「そうかい……。じゃ。もっと警戒してくれ」
「う、うん……」
四月に始まった生活で、一番気に掛けていたことなのに、無性に恥ずかしい。
そこまで意識されていないのは何だか不服だけど、それは今はいいとして、あまりにも警戒心が備わっていない彼女が少し心配になった。
兄になったのが、僕でよかったな。
「僕も一応男なんだからな?」
「……誠太くんって男の子なんだ」
「おい。もしかして知らなかった?」
「お兄ちゃんなのに……。男の子なんだね」
「……え?」
僕の主張は矛盾すると、そう言いたげなその言葉。
どちらも嘘ではなくて。やましさなんて全くないのに。
嘘が見つかった時のように焦ってしまったのはどうしてだろう。
「ふーん……」
「ふーんはなんなの?」
特に意味はなさそうな適当な相槌。
だけど、どうしたって気付かない振りは出来なかった。
彼女の肌がほんのり赤く色付いていることを。
「そんなことはさ……。もっと早く教えてよ」
いじけたように口を尖らせて、毛布を掴む。
それを何重にも自分の体に巻きつけ、肌を完全に隠してしまった彼女は、とてもとても小さく丸くなって、僕のベッドに横たわった。
そうして、それきりピクリとも動かない。
「いや。ちょっと。……え?」
恥ずかしがられるのが、一番どうしていいか分からなくなるから。
いきなりそんな反応をするのは、本当に勘弁して欲しい。
勉強に集中できなくなるだろ……。




