30『体調を崩すと人恋しくなるタイプ』
30『体調を崩すと人恋しくなるタイプ』
「ごちそうさま」
ゆっくりとしたペースでおうどんを食べて、誠太くんが手を合わせる。
宮上さんから連絡が来た時は心配で仕方なかったけど、今は熱も下がっていて、ご飯も喉を通るみたいだから、今日一日安静にしていたら、明日には元気になれそう。
安静にしていたら……。
うーん。出来るかなぁ。
この人はジッとしていることが何よりも苦手だから気が抜けない。
さっきも目を離した隙に、起き上がって勉強しようとしていたくらいなので、私が時々見に来なくちゃ、いつの間にか悪化している可能性だってありそう。
「凄く美味しかった。ありがとう」
「おうどん茹でて、市販品のつゆを薄めただけだよ?」
「それはつまり。茹で加減も。出汁の配分も完璧だったってことだ」
彼が毎日作ってくれる料理の手間とは比べ物にもならないから、無意識に卑屈な言い方をしちゃう私に、彼がにこっと笑顔を作る。
その表情がお世辞を言っているようには見えなくて、本当に大したことはしていないけど、心が飛び跳ねた。
「……誠太くんは褒めるのが上手だね」
美味しいって言って貰えるのは凄く嬉しい。
その一言だけで、また何か作りたいって思わせてくれる。
「お腹が満たされたら、少し眠くなってきたかも」
「じゃ、もう一回寝る?」
「どうしようかな。今寝たら夜眠れなくなりそうだけど」
「明日は土曜日なんだし、朝起きれなくても大丈夫だよ」
「それもそうか……。穂花ちゃんは明日も学校だっけ?」
「うん。工芸展の準備がまだ終わってないから」
「今日早退させた分も遅らせちゃってるよな……。ごめん」
「早退するって決めたのは私の意思だもん。誠太くんは謝らなくていいの」
今日のことがなくたって元々遅れていたし、学校に残って作業を進めていたとしても、みさきの言う通り誠太くんのことが心配で集中できなかったから。
今日は、自分のためになる一番良い選択が出来たと思う。
「ありがとう……。でも、流石にこれ以上迷惑かけられないし。回復に努めるよ」
「迷惑だなんて思わない。私が心配になっちゃうだけ」
罪悪感を抱いて、ぎこちなく笑顔を作る彼に柔らかく微笑む。
いつも私を安心させようとしてくれる。
あなたの笑顔を真似したつもりなんだけど、上手に出来てるかな。
「一旦食器片付けてくるね。他に何かして欲しいことある?」
いつまでもここに居座っていたら、落ち着きたくても気が休まらないかもしれないし、一度退室しようと思って声を掛ける。
食べたい物でも、用意して欲しい物でも。
何でも言ってくれればいいのに、誠太くんの反応は今までで一番鈍かった。
「うーん……。してもらいたいことかー」
「言ってくれたら買ってくるよ」
「今すぐには思い付かないかなぁ」
我儘を求めても、彼の返事は変わらない。
体調を崩している時でも遠慮している素振りが見えて、身体に染みついた気遣い屋さんの面が目一杯発揮されちゃっている。
だから、このまま何もなく、「大丈夫」って口にするのが簡単に想像できて。
「今のところはーー」
弱っている時くらい頼って欲しい。
そんな言葉に出来ない寂しさを感じていたら。
誠太くんが言葉を止めて。
「……いや。して欲しいことある」
凄くたどたどしく。そう言った。
息を吹きかけただけで、遠くに飛んでいきそうなか細い声。
遠慮がちに零れた言葉は、すぐに引っ込められてしまいそうで。
彼の気持ちが変わってしまう前に、その我儘を捕まえたくて、手を伸ばす。
「な、なに? 今は何でも言っていいんだよ?」
私から言い出したことだけど、予想外の返事にドキドキしてきた。
何を頼まれるのか考えながら、思い付いた言葉を言って催促すると、誠太くんはベッドに身体を倒し、恥ずかしそうに顰めた表情を掛け布団で隠そうとする。
「……僕が寝るまでの間。話し相手になってくれないかな」
「え? 話し相手……?」
「一人だと頭の中がぐるぐる回って。落ち着かないんだ」
そのお願いは、全然私が思い付きもしなかったことで。
こんな誠太くん。初めて見た。
彼が、一人でいることを嫌がるなんて。
「駄目?」
「へっ」
萎れた声は、普段のしゃんとした彼からは考えられないくらい弱弱しくて。
頼りなく垂れた瞳が、不安そうに私のことを見上げていた。
そんならしくない姿……。ずるい。
「だ、だめじゃないよ。沢山お話ししよっ」
言い難そうにしていた我儘が、あまりにも可愛過ぎて吃驚する。
いつもの頼りになる面影は、繊細な線の細さの中に隠されていて。
これが、狙っていないギャップ萌えなんだって痛感する。
それが思い切り刺さって、いつも通りではいられなくなった私は、無意識の内に声が上擦ってしまっていた。
「な、何のお話がいいかな」
「そりゃもう。楽しくて、面白い話を所望します」
「もー。無茶振りはやめて」
「あははは。ごめんごめん」
ベッドに寝転がって、子供っぽい笑顔を浮かべる誠太くん。
そんな彼に頬を膨らませて見せたら、楽しそうに声を弾ませていたけど、すぐに目線を天井に向けて、懐かしむように言葉を紡いだ。
「穂花ちゃんとこうして話すのは凄く久しぶりな気がするから。何でも嬉しいや」
「……そうだね。いつ振りになるんだろう」
こうして誠太くんの部屋で、何でもない話を交わすのは。
十月には青山高校の文化祭。
十一月には私の高校の工芸展。
忙しい時期が続いて、私達はすれ違ってばっかりで。
何でもないこの時間が、とても特別なことのように感じる。
「工芸展が終わったら、次は期末試験があるんだよなぁ」
「テストかぁー。いぃやー」
「ふふっ。学期末のテストは大事だぞ~」
「うぅー。プレッシャーだよー」
テスト勉強は大変だからしたくないけど、この道を進みたいって思い描いた時に、諦めたくはないから、逃げ出さずに頑張らなきゃいけないなって思う。
みさきの勉強を見てあげる約束もしてるし、できることは全部しないと。
「大丈夫。頑張った後には冬休みが待ってるから」
「うん……。でも、誠太くんは、冬休みも忙しいんだよね……?」
「一月の初めに共通テストが控えてるから。追い込みの期間ではあるかな」
「そっか……。そうだよね。当たり前のこと聞いちゃってごめんなさい」
「……父さんと大学の周辺を下見しとこうって話もしてて。当日困らないように」
「それは絶対にしておこう。絶対に」
「なんか……。急にはきはき喋り始めてない?」
「ううん。気のせい気のせい」
追及を避けて、意識して作った素知らぬ顔で首を振る。
そんな私の如何にもな「揶揄ってます!」という態度に、誠太くんがしょんぼりした様子で肩を落とし、小さく溜め息を漏らしていた。
「……確実に信用を失ってて辛い」
「試験当日って、誠太くん一人で現地に行くの?」
「うん。一応その予定ではある」
「そうなんだ……。本当に一人で大丈夫かなぁ。私の方が緊張しちゃいそう」
「地図もまともに読めない兄貴でごめんね……?」
これは意地悪とかではなくて、心の底からの心配で。
方向音痴の彼が、知らない土地で、トラブルなく目的地に辿り着けるとは、どうしても思えない。受験会場とは真逆の方向に向かって歩いていく姿の方が簡単に思い浮かんでしまう。
「ま、まぁ。僕も不安はあるけど、そうならないために下見に行くから」
「時間があるなら。最寄駅から大学までの道を十往復くらいした方が良いと思う」
「それだけで一日が終わっちゃうって……」
私の提案に、誠太くんがツッコむ。
今の発言も、冗談のつもりはないんだけど……。
「一月に共通テスト。二月には本試験。年を越した後の話にはなるから。まだもう少し先な気がしてるけど……、バタバタしてる間に当日を迎えてるんだろうなぁ」
噛み締めるように、そう呟く誠太くん。
私も、まだまだ時間があるとは思えなかった。
そして、その結果が分かる頃には、
「……三月には卒業なんだね」
誠太くんは高校を卒業していて、大学生活の準備をしているのかな。
「あっという間の三年間でした」
「まだ気が早いよ」
「そうだった。まだここから留年する可能性もなくはない……」
「だーめ。それだけはちゃんとゼロにしておいて」
不吉なことを言う彼を注意しながら、ほんの少しだけそんな未来も考えてみる。
誠太くんが留年すると、もう一年一緒にこのお家で……。
いやいやいや。だめだめだめ。
そんな未来は、訪れてくれなくていい。
「ふわぁー」
私の良くない考えの裏で、欠伸をする間延びした声が聞こえてきた。
顔を上げてみたら、誠太くんが固く目を瞑って、大きく口を開いている。
「眠たくなってきた?」
「うん……。今なら寝れそう」
「どうしよう。晩御飯の時くらいに起こしにこようか?」
「うーん……」
「誠太くん?」
私の呼びかけに対する誠太くんが返事がどんどんふんわりしていく。
目を開ける雰囲気はもうなくて、意識はほとんど夢の中に行っちゃったのかも。
これ以上は、お休みの邪魔をしてしまいそうだから、迂闊に声を掛けない方がいいかな。
そう思って、空になったどんぶりを片付けようと手を伸ばして、
「……穂花ちゃんの声は落ち着く」
独り言みたいな言葉に、全身が固まった。
「へ……?」
まだ寝ていなかったんだと思って振り返るけど、聞こえてくるのは微かな寝息の音だけで。誠太くんは身動ぎ一つせずに眠っている。
「い、今のなに……?」
それが分かっても、まだ続きがあるんだったら聞きたくて。
たった今考えていた。起こさないようにって気持ちが一瞬にして消えてしまう。
「ねぇってばー」
耳元に近付いて強請る。それでも、やっぱり返事はこない。
言い逃げなんてズルいけど、改めて追及する勇気なんてないし……。
「もぅ」
今のは、お世辞じゃないって思ってもいいのかな。
無意識の時に、本心じゃないことは言えないよね。
「誠太くんが……。一番ズルいよ」
普段全然そんなことない癖に、体調を崩したら人恋しくなるところも。
一人を嫌がって、甘えるような一面も。
何でもなさそうに言ってしまう。私を舞い上がらせる一言だって。
全部全部。ズルくて。あざとい。
私との時間を大切に思っているみたいな素振りもなんなの……?
「片付け行ってくるからねっ!」
そう口を尖らせて、もやもやした気持ちを思い切り吐き出す。
それだけで冷静になれたから。反応は期待していなかったけど、私が立ち上がるよりも早く誠太くんが寝返りを打って、私の手元に彼の左手が伸びてくる。
「え……?」
その人差し指が制服のブラウスに触れると、親指と一緒に弱弱しく袖を掴んだ。
「うぅ~~~~~」
まるで、ここにいて欲しいって言っているみたいな。
そんな一撃必殺級の仕草に、私の顔が沸騰する。
どうして。私だけこんなに恥ずかしい想いをしなくちゃいけないの。
「……もうちょっとだけ」
振り解くのは簡単だけど、そうしようとはこれっぽちも思わなかった。
まだここに居てもいいのなら。もっともっと傍に居たい。
今だけは。誰にも見られてない今だけは。もう少し我儘になってもいいかな。
「……せーた」
そう小さな声で口にすると、心地良い安心感とは別に心臓の鼓動が早くなって。
「うぅっ」
ドクドクっていう音が、私の中で反響していることを自覚してしまう。
こんな状態で誠太くんの寝顔を見つめていたら、ドキドキが止まらなくなって、死んじゃいそうになるから、心臓の音を紛らわせるために視線を移動させ、勉強机に置かれた一冊の参考書が目に入った。
さっき、誠太くんが病人なのにも関わらず、手に取っていた参考書。
それが机からはみ出して、床に落ちちゃいそうになっている。
「誠太くんが、いつも使ってる参考書だ……」
その本が何だか気になって、誠太くんの指が離れないように、ゆっくりと手を伸ばす。参考書には、数え切れないくらい沢山の付箋が貼られていて、元々の倍以上の分厚さに膨らんじゃっていた。
頁を捲ると、色んな所に赤ペンで書き込まれた勉強の跡が残っていて。
誠太くんの努力の結晶が何十個。何百個って見つかっていく。
「……」
ずっと、近くで感じてきた彼の積み重ねてきたモノ。
それを私は、一番近い所で見てきた筈なのに。
今になって、ようやく気付いた。
身を削って。時間を削って。
ひたむきに。ただ誠実に。
一つの目標に向かって歩き続ける。
その後ろ姿は、世界で一番格好良くて。
だから。私がしなくちゃいけないことは。やっぱり。この一つだけ。
もう進路を考え直して欲しいだなんて思わない。
留年なんて絶対にしないで。
あなたの背中は、私が支える。
「大好きな人の。努力を認められない自分にはなりたくないから」
こんなにも止めどなく溢れる思いを忘れることなんてできないから。
この気持ちが尽きるまで。私は、あなたを好きでいたい。
誰にも望まれていなくたって。これが、私の。上書きできない想いだから。
自分の気持ちに嘘は吐かない。
大切に向き合って。ちゃんと関わって。
誰にも負けないくらいに強くなれたら。
そしたら。いつかーー。
あなたに、この想いを伝えていいかな。




