28『想いの在り方』
28『想いの在り方』
十一月に入って、工芸展の本番が近付いてきても、学校の雰囲気は普段と何も変わらない。私達が行うのは、日頃の授業の成果を発表する展示会なので、校舎を華やかに飾り付けしたり、模擬店を自分で用意したりすることはなくって。
皆で同じデザインのTシャツを着て写真撮影なんて勿論できない。
人生で一度くらいは、そういうことをしてみたかったけど、私には縁がないまま高校生活が終わりそう。それが無理なら、工芸展を裏で操る謎の組織が出てきて、生徒会と戦うパワフルな展開にならないかな。
悪い人が現れて、工芸展を中止にしてくれたら。
遅れている私の作業も、気にしなくてよくなるのに。
工芸展までは、あと二週間。
この時期にはもう殆どの人達が、工芸展で展示する漆芸品の箸や御椀を完成させていて。私だけが予定よりも少し工程が遅れてしまっている。だから、毎日放課後に居残って、本番に間に合うように作業を進めてはいるんだけど……。
寝不足でもないのに、気が付くとぼーっとしちゃってて。
ここ数日は、何にもならない。意味のない時間ばっかりを過ごしていた。
このままのペースだったら。きっと、間に合わない。
「……ごちそうさまでした」
今は、四限目の授業を終えた後の休みの時間で。
中庭のベンチに座ってお昼ご飯を食べていた私は、空っぽになったお弁当箱の蓋を閉じて、学生鞄の中から青色の水筒を取り出す。
まだ温かい状態で保たれてる緑茶を飲んで喉を潤すと、外の風に当たって冷えた身体が、じんわりと温まっていくのを感じた。
「むぅ……」
人心地着くと、言葉にもなってないような小さい溜息が漏れる。
そうしたら、私の隣りに座っていたみさきが、ぽんと背中を叩いてくれた。
もう片方の手には、小さなフォークが握られていて、先端にミートボールがくっついている。
「そんなに気を落とさなくても大丈夫だよ。まだ時間はあるんだし」
「……うん。でも、早く終わらせなきゃ」
「焦ってもいいことないっ。私も手伝うから安心して」
「休みの日にごめんね?」
「だいじょーぶ! その代わり。期末テストの勉強には付き合って貰うからね!」
私を励ますように、みさきが元気いっぱいの声を出す。
よく通る声は校舎に囲まれた中庭で反響するけど、ここでご飯を食べているのは私達しかいないから、人の目を気にすることはなかった。
外は寒くて、大体の人は食堂や教室で昼食を食べているみたい。
中庭に植えられていた植物も、今は葉っぱを地面に落としてしおらしく。
冷たい空気と合わさると、時計に寂しそうに見えた。
「うん! 絶対に手伝う……! 絶対!」
静かに佇む景色から視線を外して、みさきの方へと向き直る。
ありがとうの気持ちがちゃんと伝わるように、手のひらを強く握って見せると、私の気持ちに反して、彼女の表情は何故か引き攣っていた。
「そ、そんなに気合い入れなくていいよ……?」
「ううん。全教科平均点以上取れるって確信できるまで付き合うから」
「ひ、ひぇっ。私は楽しくお勉強会ができるだけでよかったんだけど……」
私の意気込みに、みさきがカタカタ震えながら目を逸らす。
明らかに嫌がっている様子だから、求められていないのは分かってしまうけど、私のせいで迷惑をかけちゃう分のお返しはきちんとしたい。
「だって……、申し訳ないもん」
そう呟くと、私の声は重たく、枯れ葉みたいに落ちていく。
ミートボールを頬張っていたみさきは、慌てた様子で口の中の物を呑み込むと、凄い力で私の手を握り返してくれた。
「私達は親友なんだからっ。そんなこと気にしなくていーの」
手に持っていたフォークを振りながら、ニコッと笑ってくれるみさき。
その表情は、触れていなくても陽だまりのような温もりがあって。
狡い隠し事も。やせ我慢の見栄も。彼女の中には何処にもなかった。
「……うん。ごめんね」
私とは正反対のみさき。
そんな彼女と目を合わせるのは何だか後ろめたくて。
ほとんど反射的に顔を背けてしまったら、
「ごめんじゃなぁーい!」
耳を塞ぐくらいの大声が、貸し切り中の中庭に響き渡った。
「な、なに……?」
咄嗟に何を言われたのか分からなくて、吃驚しながら顔を上げると、みさきが頬っぺたを風船みたいに膨らませて、私の顔に人差し指を立てている。
ついさっきまで満点の笑顔だったのに、今は全身で怒りを表していた。
「最近の穂花。謝ってばっかり」
彼女が許せないのは、私が無意識に溢した一言で。
指摘されてなかったら、私自身も気付かなかったと思う。
それくらい自然に、そう言っちゃっていた。
「ごめんなんて言われても。私は、嬉しくないんだよ?」
笑ったり、怒ったりして、自分自身を曝け出しながら、みさきが優しく声で話し掛けてくれる。寄り添うように、もたれ掛かかられると、温かな体温が伝わってきて、少しだけ落ち着けた。
「……そんなに。謝ってばっかりだったのかなぁ」
自覚できていなかった私の言動。
その時々の、気持ちの動き方を思い出そうとしても、全然しっくり来ないのは、私自身が、本音と嘘の区別が出来ていないからで。
私は、いつ本当の気持ちを口にして。
どれだけの嘘で誤魔化してきたんだろう。
私は、何回。みさきに嘘を吐いたんだろう。
「何かあったの?」
「……ううん。ないよ」
ほら。また当たり前のように嘘を吐いてる。
こんな意地っ張りの強がりが、みさきに通用する筈ないのに。
「ウソだぁ。髪型も元に戻っちゃってるし」
「別に髪型は……、関係ないじゃん」
「折角可愛かったのになぁー」
「いいの。私が着飾ったって仕方ないから」
「仕方なくないよ? 好きな人には可愛いって思われたいでしょ?」
「私に、好きな人なんて……」
「いるよね? 穂花は好きな人」
私のことを見守ってくれていた彼女は、言葉にしていない想いまで知っていて。
でも、それは、もう違うってことを、ちゃんと口にしなくちゃいけない。
夕闇色の空の下で、冷たい風に背を押されながら決めた。
私の決断はーー。
「いないよ」
普通の家族として生きていく。
そういう道を選んだから。
「好きな人なんていない。そんな気持ちは持ってちゃダメなの」
「ふぅーん。そっかそっか。穂花。お兄さんにフラれちゃったんだ?」
「……………………なに?」
凄く真剣に話しているのに、話の腰を折られてムッとする。
八つ当たりなんかじゃないけど、グッと身体を跳ね返したら、押し倒されることを察知したみさきが、そそくさとベンチの端の方に逃げていった。
「こ、声が怖いよぉー」
「怖くないっ」
「ずーっとよく分かんないこと言ってるし」
「な、なんで……。よく分かんなくないでしょ? 私とあの人は兄妹なんだよ?」
「兄妹だったら何か変わるの?」
「……え?」
「“普通の恋愛”と何が違うの?」
諭そうとする言葉を、みさきはどうしても受け入れてくれない。
私の方が間違っていると、透き通った大きな瞳が、まっすぐに主張している。
「誰かを好きになることにルールなんてないのに」
誰からの妨害も許さない。社会の常識にも屈しない。
強い心で。彼女は、あまりにも簡単に言い切ってしまう。
冬の空気みたいに澄み切った。透明な想いの在り方を。
「この人は好きになっちゃいけないなんて。そんなの……、私の心が可哀想!!」
私には、手を伸ばすことができなかったモノ。
それを、みさきは何よりも大事にしていて。
我儘にならなきゃ手に入れられない物が、この世界には沢山あって。
傷付かないための嘘も。本音を隠すための建前も必要としない。
生まれたままの純真無垢な心模様が、私の真っ暗な視界に明るい光を灯してくれる。
「私が誰を好きになるかは、私にだって分からないのに。好きになってから、その気持ちを我慢するなんてムリ! 諦められるくらいなら、初めから好きになったりしないもん!!」
彼女の想いは、私がずっと昔に手放していた気持ちで。
もしかすると、子供っぽいって笑われる身勝手な考え方なのかもしれない。
辛い現実を知らないから思い描ける。小さな子供の夢物語なのかもしれない。
それでも、私の目にはーー。
何にも威張られずに生きているみさきが、誰よりも素敵に映った。
「誰かを好きになることに間違えなんかない。私にいつか。好きな人ができたら。その人のことをずーっと好きであり続けるよ。いつまでも。何処までも。気持ちが消えちゃわない限り」
自分の大切にしているモノを貫き通すみさきは、格好良くて。
そんな姿を見せられたら揺らいでしまう。
私も、自分の気持ちを認めてあげていいのかな。
なかったことにしなくてもいいのかな。
「……その人が遠くに行っちゃうとしても?」
「それは、頑張っても追いかけられないくらい遠い所?」
「……」
私は、想像もできないくらい遠い距離だって思う。
でも、みさきにとっては悩む余地もないくらいのことかもしれなくて。
否定されたくないから、言葉に詰まる。
私は、そんなに素直に生きられないよ。
この想いを何よりも大切にしたいなら。
私がしなくちゃいけないことはなんだろう。
寂しいって一言で。
あの人が全部考え直してくれたらいいのに。
そんな都合の良い妄想を思い描いてみるけど、私が「ここにいて」なんて我儘を言える筈なかった。彼にだけは、重い女だなんて思われたくない。
そうやって、お利口な自分を演じ続けて。
いつか全部失ってしまう私に、警報を鳴らすように、鞄に入っていた携帯が着信音を鳴らした。
「電話だ。穂花の携帯が鳴ってるね」
「え……? 」
学校内ではマナーモードにしている携帯が、着信音を鳴らす相手は家族だけだから、すぐに緊急性のある連絡だって気付く。
学校のあるお昼の時間に、何の用件もなく電話してくることなんてあり得ない。
ーー誰かに何か起きた。
そんな考えが頭の中を過ると、心臓がギューっと小さく縮んで、痛い。
「誰から?」
すぐにスマホを取り出して、目に入った通話先の相手は、
「……誠太くんだ」
「えっ。な、なにかあったのかな」
みさきも、おかしいってことに気付いている。
彼女の動揺は私にまで伝わってきて、息が苦しい。
「分かんない……。出るね」
焦る気持ちを落ち着けて、通話ボタンを押す。
「……もしもし」
「妹ちゃん?」
消え入るような声で尋ねると、電話先にいたのは誠太くんではなくて。
彼のことを一番よく知っている“らしい”宮上さんの声が返ってきた。
「え? なんで……」
誠太くんの携帯から違う人の声が聞こえてきて、物凄く不安を掻き立てられる。
どうしても嫌な想像が浮かんで、声が詰まる私に、宮上さんは短く言った。
「突然ごめん。誠太が学校で倒れたんだ」
「え」
その言葉に、身体中の体温が引いていく。
喉が閉まって掠れた音は、明確な声にすらなっていなくて。
硬直してしまう私を、隣りにいるみさきが、不安そうに覗き込んでいた。
「た、倒れたって、大丈夫なんですか……っ!?」
心配してくれている彼女に、何も反応はできないまま。
呼吸を無理やり整えて、早口で宮上さんに捲し立てる。
そうすると、電話越しの彼は、少し困った様子で続きを聞かせてくれた。
「たぶん風邪だと思うけど、微熱もあって。今は保健室で寝かせてる」
「風邪……」
「これから家に帰らせるんだけど、親父さん達は仕事で帰りが遅くなるだろうから。妹ちゃんがこいつの面倒見てやってくれるかい?」
「は、はい。分かりました……」
驚かせてごめんねと言って、宮上さんが微かに笑う。
大事じゃないってことは分かったけど、誠太くんの様子が分からないから落ち着けない。授業を続行できないくらいだから、相当辛い状態なんじゃ……。
「あ、あの……。誠太くんとは話せないですか?」
「意識が朦朧としてるみたいでさ。さっきも階段から転げ落ちて」
「えっ!? 大丈夫だったんですかっ!?」
「でこを擦りむいたくらいかな。今朝はどんな様子だったか分かる?」
「……ごめんなさい。朝は会ってないんです」
「あー。そっか。家出る時間が違うんだな。だから、誰にも止められずに登校して来やがったのか。ったく。こいつは、大人しく休んでりゃいいのに」
苛立ったような声で、溜息を吐いている宮上さん。
その雰囲気で、誠太くんの無茶に呆れているのが分かるけど。
彼が体調を悪そうにしていたことを、私は知っていて。
たった今、文化祭の時に言われた宮上さんの言葉を思い出した。
この人はこうなるって分かっていたのかな。
「昨日も風邪っぽい症状が出てた癖に、布団に入ったの夜中の三時だなんてぬかしてたから。妹ちゃんが後でしっかり叱ってやってね」
……私がもっと強く注意していれば、怪我もしなくて済んだのかな。
昨日だけじゃなくて、もっと前から気に掛けてあげられていたら、体調を崩す前に気付くことも出来たのかもしれない。
だけど、そんなの無理だよ。
そんなに沢山彼のことを考えていたら。
蓋をした気持ちが、溢れ出してしまいそうになる。
「妹ちゃん……?」
「聞こえてます。誠太くんにはきつく言っておくつもりです」
「よーし。任せた。この馬鹿をきっちり躾けといてくれ」
私は、普通の兄妹になろうとしてたんだもん。
「おい……。馬鹿って言うな」
罪悪感に胸が絞めつけられて、視野が狭くなる私の耳に、聞き取るのもやっとの大きさで誠太くんの声が聞こえてきた。
「連絡しなくていいって……、言っただろ」
「うるせぇー。病人に決定権なんかねぇーよ」
途切れ途切れの枯れた声は、誠太くんの様子を正確に教えてくれて。
熱っぽく、辛そうな喋り方が、私の心を焦らせる。
「穂花ちゃんに、心配かけないでくれ」
「そんなの知らん。体調管理を怠った自分のことを責めるんだな」
「くそ……」
言い合いをする言葉にも覇気がなくて、たどたどしい彼の口調。
お家にも階段はあるし、今の時間は誰もいない。
そもそも誠太くん一人で学校から帰れるのかな。
「あの……」
そんな不安を口に出そうとして、
「あ、ごめん。誠太の荷物取ってくるから。後のことはよろしくね!」
「えっ?」
私が最後まで話すよりも早く通話が切られてしまう。
不意に戻された中庭の空気はとても静かで。
正面に向き直ると、不安そうな表情のみさきと目が合った。
「大丈夫そう?」
「……熱があるみたい。今から早退するって」
「そうなんだ。風邪ならそこまで心配しなくて大丈夫かな?」
「うん……」
ただの風邪。それだけのことで、大騒ぎする必要はないのかもしれないけど、モヤモヤした気持ちは今も頭から離れてくれなくて。
息苦しそうな誠太くんの声が、頭の中で何度も何度も繰り返される。
短い返事にも不安が乗って、目を伏せてしまう私にみさきが柔らかく微笑んだ。
「そんなに心配なんだ?」
「今は。家に誰もいないから」
「それじゃー、穂花も早退しちゃう?」
「え……? いや。でも。私は、昨日の続きやらないと。もっと遅れちゃうから」
「ふーん。どうせ気になって集中できないのに?」
「うぅっ」
「穂花の作業が遅れてるの。明らかに集中力が続いてないからだと思うけど?」
冷静なみさきに図星を突かれて、何の言い訳も出てこない。
私が工芸展の準備に集中できていないのは、誰が見ても分かることだから。
「私が先生にもちゃんと言っといてあげるから。帰ってもいいよ?」
私の返事を聞く前に、みさきが不敵な笑みを浮かべる。
うじうじ悩むことは許されなくて。
追いついていない気持ちのまま、スタート地点に立とうとしている。
私が、どうしたいのか。
それは、まだ分かっていないけど。
こんな風に背中を押してくれる人がいるから。
その力を借りて歩いていこう。
自分の気持ちに正直に。
この想いが、何よりも大切なモノだって。
私自身に証明したいから。