27『祭りの痕』
第五章『知らないことがまだ沢山あって』
27『祭りの痕』
「ただいまー」
明かりの点いたリビングには、私よりも先に帰宅していた誠太くんがキッチンの前に立っていて、てきぱきと晩御飯の準備を始めてくれていた。
大きな鍋をコンロの火に掛けて、ぐつぐつと何かを煮込んでいるエプロンを付けた後姿は、ほんの少しの間見ていなかっただけなのに、ちょっとだけ懐かしい。
来年の一月に共通テストを控えている誠太くんは、十一月に入った今、受験勉強も佳境になってきている筈で。夕飯当番から外れてしまうのかなって思っていたけど、文化祭が終わって以降は、毎日彼が晩御飯を作ってくれている。
キッチンからは、ほのかにミルクの甘い香りが漂っていて、お昼から何も食べてないお腹の虫がくぅと鳴いた。匂いをヒントに今日の献立を予想していると、私の帰りに気付いた誠太くんが全身で振り返り、笑顔で出迎えてくれる。
「お。穂花ちゃん。おかえり。今日は一段と冷え込んだね」
そう口にする彼は、厚手のトレーナーを着込んでいて、凄く温かそう。
私は夏よりも冬の方が好きだから、今くらいの気温だったら、そこまで寒くは感じないけど、寒さが苦手らしい誠太くんは、家の中でももこもこした服をよく着ている。まだまだ冬の入り口なのに、これからの季節大丈夫なのかな。
「夕飯もう少しで出来るけど、先にお風呂入っとく?」
「ううん。お腹空いてるから先にご飯がいい」
「りょーかい。着替えてから一緒に食べようか」
「はーい。今日の晩御飯は?」
「寒かったからホワイトシチューにしました」
「やったぁ。早く着替えてくるね!」
「急いで転ぶなよー」
柔らかく笑うコックさんに見送られながらリビングを抜けて、早足で二階へと続く階段を上る。その途中で、誠太くんの部屋から薄暗い廊下に光が漏れているのが目に入った。彼にしては珍しく部屋の灯りを消し忘れているみたい。
「……誰もいないよね?」
まさかと思って、少し開いていた扉の隙間から中を覗いてみるけど、心配する必要は全然なくて、見渡してみても誰もいない。
きっと、うっかりしていただけだと思うから、私が消しといてあげよう。
扉をもう少しだけ開き、スイッチのある場所に手を伸ばす。
その前に、ふと視界に入った物に惹かれて、ベッドの方に視線を向けると、枕の上に何かの雑誌が置かれていることに気が付いた。
大学受験の参考書でも、漫画でもないその本は、コンビニの雑誌コーナーでよく見かけるタウン誌で、表紙の部分に美味しそうなパフェが掲載されている。
誠太くんが、そういう本を読んでいるところは今まで見たことがなくて。
地元で流行っているお店の話なんて聞いたことないけど、どうしたんだろう。
やっぱり、今は受験で忙しいし、お出掛けすることを我慢していて、そのストレスを発散するために、雑誌を読んだりしているのかな。
それとも、来月の十二月に。何か予定があったりするのかな……。
「……よくない」
どんな理由があったとしても、私が推測するようなことじゃない。
私の持ち物でもないのに、じろじろ見るのはお行儀が悪いから。すぐに照明のスイッチを消して、今度こそ廊下の突き当りにある自分の部屋につま先を向けた。
私の部屋には灯りを点け、学生鞄を勉強机に立てかける。
紺色のブレザーとスカートはハンガーラックに仕舞って、部屋着に着替えから、ブラウスと靴下を一階の洗面所に持っていく。
そこで洗濯機を動かしてからリビングに戻ると、ピッタリなタイミングで、誠太くんがダイニングテーブルにスープボウルを並べていた。
器の中には野菜たっぷりのホワイトシチューが注がれていて、隣りの平たいお皿の上には、丸い形のフランスパンが添えられている。
「牛乳余ったんだけど、穂花ちゃん飲む?」
エプロンの結び目を解きながら、誠太くんが紙パックの牛乳を冷蔵庫から取り出して、私に差し出す。その昔から変わってないパッケージに、高校生になったすぐの頃、よくお世話になっていたことを思い出してしまった。
……誰にも話せない。悲しい過去の記憶なのに。
「私はいいかな。……もう沢山飲んだし」
「え? 今日牛乳飲んでたの?」
「今日は飲んでないけど……。二年くらい前は毎日飲んでたよ」
「……う、うん? えっと、二年前の話?」
「誠太くん。牛乳ってね。毎日飲んでも意味ないの」
「えぇ……? そんなことはないんじゃない? 牛乳と昔何かあった?」
私の偏見満載の主張に、誠太くんが困惑している。
賢い彼はカルシウムがどうとか、ビタミンがどうとか教えてくれるけど、それは私でも知ってることで。残酷な現実を知らないのは、男の人である彼の方だ。
「まぁ。要らないのであれば、後でコーヒー飲む時に使おうかな」
最終的にはそうなって、私達はいつも通りの席に座り、手のひらを合わせた。
「「いただきます」」
木製の軽いスプーンを持って、最初の一口はシチューに決める。
たっぷり具材が入っているから、スープと一緒にほくほくの人参も一緒に掬って、溢さないように口の中へ運ぶと、トロッとしたホワイトシチューの優しい味付けの中に、人参のしっとりとした甘さを感じることができた。
ホワイトシチューの味がしっかりしているおかげで、他の具材とのバランスが丁度良くて。付け合わせのフランスパンもシチューに浸すとしなしなになって食べ易い。シチューの味が染み込むと、より一層美味しくなっていた。
「美味しい!」
「よかった。これからは鍋料理も増やそうと思ってるんだけど。何がいい?」
「えぇー。何が良いかなぁ。普通の水炊き鍋とか……、あとはおでんとか?」
「おぉ。おでんいいね。今度久しぶりに作ろうかな。父さんが好きなんだよ」
「そうなんだ。……えへへ。楽しみ」
心躍る約束ができて、つに小さくはにかんでしまう。
忙しい生活が続いたら、誠太くんのご飯は食べられなくなると思っていたから、これからも彼の作るご飯が食べられることが、こんなにも嬉しい。
「皆がちゃんと揃う時に作りたいな。最近はまた父さん達も忙しそうだし」
「そうだね。……四人でゆっくりできる時間が作れたらいいんだけど」
それも今は、難しい願いなのかな。
特に目の前にいる彼自身が、一番忙しいだろうから。
「みんな揃って旅行とかさ」
「……家族旅行?」
「そ。実現したら楽しそうだけど、流石に厳しいか」
何気ない口振りで、魅力的な提案をしてくれる誠太くん。
でも、それはすぐに冗談っぽく引っ込められてしまって。
私も上手く想像できなかったから。何も言えなかった。
自然に視線が俯いて、口を噤む私。
「あー。……旅行は無理でも、近場に出掛けることはできないかな」
そんな弱い心を、彼はまた。悪戯に惹き付けようとする。
「次の土曜日に……」
「……え?」
不自然に言葉が区切られたから、その続きが気になって、顔を上げる。
目の前にあった誠太くんの表情は、目を閉じて、口を小さく開いた状態で固まっていて、
「……ど、どうしたの?」
そう声を掛けた瞬間。
「はっくしゅん!!」
「えぇっ!?」
不安になった一瞬の隙に、盛大なくしゃみが放たれた。
咄嗟に手で抑えてくれたから私に被害はなかったけど、誠太くんのお鼻はずるずると濁った音を鳴らしている。
「だ、大丈夫……?」
テーブルの上にあるウェットティッシュの蓋を開けて、一枚手渡す。
くしゃみの反動で、目が回ったみたいゆらゆら揺れる誠太くんの顔は、心なしかいつもよりも火照っているような気がした。
「ごめんごめん。朝から鼻水が止まんなくてさ」
「花粉症?」
「いやー、去年まではそんなことなかったけどなぁ」
「それじゃ……、風邪? 季節の変わり目だし引きやすいかも」
「うーん。どうだろ。体調崩したかな」
盛大に鼻をかむ誠太くんは、体調不良の自覚はない様子で首を傾けている。
文化祭のお仕事も落ち着いて、忙しい日々が一段落したから、その反動で身体の疲れが出ちゃったのかもしれない。
「まぁ。そんなに辛い症状ではないから。平気平気」
「風邪は引き始めが肝心だって聞くよ?」
「それなら。今日は出来るだけ大人しく過ごそうかな」
「ほんと? 受験勉強もしない?」
「受験勉強はまぁまぁ……、どうだろうね?」
「……絶対するつもりじゃんか」
目を逸らされて、誠太くんの声がどんどん遠ざかっていく。
こんなに信用できない言い方ないけど、本当に大丈夫なのかな。
時々根拠のない自信を持ってる人だから、不安の方が大きくなってしまう。
自分の体調のことだし、誠太くん本人が一番分かっていることだとは思うけど。
だからこそ、楽観的になってしまいそうでちょっと心配。
「ほどほどにはやらないと。落ち着かないからさ」
「んー」
「そんなことよりも! さっきの話の続き」
「さっきの続き? あ。今週の土曜日?」
そういえば、何か言いかけてた途中だった。
家族旅行は厳しそうだけど……。その後の言葉を聞いてない。
「その日がどうかしたの?」
「……何も決めてはないんだけど。勉強の息抜きに出掛けようと思ってて」
「うん。息抜きするのは大事だと思う」
「そう。それで、穂花ちゃんも予定がなければ。一緒にどうかな?」
「え……? 私も?」
「ご飯食べたり、映画観たりとかになると思うんだけど。急だし、厳しい?」
「その日は。えっと……」
誠太くんの言葉が頭の中で直接響いている感じがして、会話に集中できない。
私は今、お出掛けのお誘いを受けている。
そんなこと、誠太くんからは一度もなかったから吃驚した。
突然どうしたんだろう。
彼だったら、一人でも意気揚々と出掛けていきそうなのに。
私を誘ってくれた理由は……。
「……なんで?」
「穂花ちゃん?」
「な、なんでもない」
なんで。なんて、どうしてそんなに自意識過剰なんだろう。
理由なんか。彼の言った言葉を、そのまま受け取ればいいだけなのに。
出掛けること一つで、こんなにも難しく考えてしまう自分が馬鹿みたい。
恥ずかしさと、息苦しさが混ざって、笑顔が上手く作れないよ。
「土曜日は……、工芸展の準備があるから。難しいかな」
それでも、答えは決まっていて。
私は、誠太くんのお誘いを自分の意思で断る。
もう間違えたくない。その一心で。
「……休日も学校で作業?」
「私だけ工程が遅れてて。休みの日も進めなきゃ間に合わなくなりそうなの」
「なるほど……。そうなのか」
「みさき達も手伝うって言ってくれてて。だから、ごめんなさい……」
「いやいや。謝ることじゃないよ。そっちの方が大事なことだし。しゃーない」
私に気を遣わせないように、誠太くんが明るい口調で空気を和ませてくれる。
その優しさに抗うこともしないで、自分のために身を委ねた。
「本番は再来週の土、日の二日間だっけ?」
「そうだね。気付いたらもうすぐ」
「招待制だって知ってたら、僕の枠も用意して貰ったんだけどなぁ」
「それも……。興味ないと思って。何も聞かずに決めちゃって。ごめんね」
「僕も文化祭で忙しなかったからね。すれ違っちゃうこともあるさ」
嘘と本当が半分ずつで。私は本当に狡い人間だなって思う。
誠太くんも、きっと、私の言葉を疑わない。
だから、言葉の奥に隠した想いが、気付かれることは絶対にないんだ。
「穂花ちゃんはまた来年があるし。その時にお邪魔させてもらうよ」
「……うん。来年、だね」
本当に叶えられるのか分からない約束をして、私達は食事に戻る。
その後も工芸展で何を展示するのかを説明したり、みさきの突拍子もない行動を話して笑い合ったりして。何の変哲もない、“普通”で、温かい時間を過ごす。
改めて、誠太くんの料理は美味しくて、あっという間に完食した。
「ごちそうさま。僕は先にお風呂もらうね」
「うん。後片付けは私の仕事だから」
「よーし。任せた」
空になった食器をシンクに持っていく誠太くん。
振り返ってお風呂を溜めに行こうとする彼は、私の後ろを通り掛かった途中で、また鼻がムズムズしてきたのか、ティッシュを掴んで鼻をかんでいる。
「今日は、本当に寒いなぁ」
「ちゃんとお風呂に浸かって温まらないとダメだからね?」
「分かってるって。しっかり百まで数えるから」
「受験勉強も今日はほどほどにして、早めに寝ること」
「あはは。心配性だなぁ」
鼻声で呟く誠太くんに釘を刺す。
小言みたいな注意を受けても、彼は嬉しそうに笑っていた。
「……そうだよ? だって、私は。誠太くんの妹だもん」
大袈裟なんて言わせない。
今のは全部。私が言われてきたことなんだから。
「納得したでしょ?」
「……ああ。不思議とね」
拗ねた子供みたいな私の言い訳。
それを聞いた誠太くんは、リビングを出ていく間際にぽつりと溢す。
「いつの間にか。似てきちゃったのかもしれないな」
その言葉は噛み締めたようにくぐもっていて。
振り返らなかった彼の背中は、何処か寂しそうで。
一枚の扉は静かに、私達の間に線を引く。
「……おかしくなかったよね」
リビングで一人きりになると、一気に不安が溢れ出した。
胸がきつく締まって、何かが軋む、不快な音が聞こえてくる。
「大丈夫。これでいいの」
私は、誠太くんが望む理想に寄り添えているよね。
あなたとの適切な距離感を間違えていないよね。
近付き過ぎたら、きっと、奥に仕舞った想いが零れ落ちてしまうから。
どうかこのまま。あなたと穏やかな何もない日々を。
最後までーー。




