25『告白』
25『告白』
夕方になると太陽は遠退いて、私の手のひらよりもずっと小さくなっている。
オレンジ色の優しい光は、雲一つない高い空を、淡い色合いに染め上げていた。
その景色がとても穏やかで。綺麗で。
無心になって、見惚れてしまうけど、十月の空模様は瞬きをする度に変わっていき、私の歩くスピードよりも早く、暗い夜空が夕焼けの色を上書きしていく。
足元を通り抜けていく風は冷たさを増して、私の身体を芯から冷やした。
早くお家に帰って、お風呂で温まりたい。
そう心から思うのに、どうして私は徒歩で帰ることにしたんだろう。
ううん。違うね。
そんなことは、たった今意識し始めただけで。
この道を歩いていることに特別な理由なんてない。
空っぽの頭で、人混みを避けて歩いていたら。
気付くと、大きな川を跨ぐ、長い長い道路橋の上にいた。
この先に進めば、ひっそりと建てられた、ファミリーレストランがある。
電車で帰るよりは断然時間が掛かってしまうけど、このまま真っ直ぐに歩いていたら、いつか家に着くし、引き返さなくてもいっか。ゆっくり。帰ろう。
自動車に乗った文化祭帰りの人達が、のろのろ歩く私を一瞬で追い越していく。
正面からすれ違ったトラックは、一人で歩く私のことを、目が眩むようなライトで照らしてから何処かに行って。真っ白になった視界を閉じると、車の排気音に紛れて、道路橋の足元で流れる川のせせらぎが聞こえたような気がした。
どの存在も、私より大きく感じる。
改めて目を開いたら、夜の色は一段と濃くなっていて。
道路橋を渡った先に見える背の高いマンションや、スーパーマーケットには、暗闇を照らし出すような灯りが灯っていた。
この光が、お家までの道標だ。
今更だけど、お家がある方向と反対に向かっていなくてよかった。
これが帰巣本能って呼ばれるものだったとしたら、少しだけくすぐったいな。
私は意識しなくても、誠太くんとお義父さんが暮らしてきたあの場所を、自分の帰るべき所だって、思えるようになったんだ。
それくらい。この七か月間は、私にとって大切な毎日だった。
本当の父親と縁を切って、母さんが仕事に追われるようになってから。
マンションの狭いリビングで、独りぼっちで過ごす日々を何日も繰り返して。
凄く凄く。長い時間が経ったと思う。
小学生の時に転校することになって。
新しい環境に慣れるのはとっても大変で。
元々引っ込み思案な性格だったから、友達なんて殆どできなくて。
休みの日も、アニメばかり見ていたっけ。
格好良いヒーローが、困っている人に手を差し伸べる。
そんなお話が大好きで。
私にもそんな人が現れないかなって期待して。
理想と現実の差が嫌になって、夢見ることを諦めて。
立ち止まった私を置き去りに、時間だけはどんどん進んで。
最低限に徹して生ようと思ってた。
周りの空気に合わせて、人の話ばかり聞いて。
嫌われないように、行儀よく振舞って。
傷付きたくないから、期待はしないように言い聞かせていた。
そうやって、自分に呪いをかけて、生きてきたのに。
それでよかった筈なのに。
たった一人の男の子のことで、こんなにも胸が苦しくなってしまう。
涙が溢れそうになってしまう。
心が滅茶苦茶に乱されて、閉じ込めていた感情が、私の全てを蝕んでいく。
ーー寂しい。
そんな気持ちを思い出してしまったのは、全部あなたのせいだ。
どんなお話でも会話が弾む人で。
誰かのため行動ができる人。
手先が器用だから何でもそつなく熟せて。ご飯は毎日美味しくて。
尊敬できる所ばかりなのに、何故か地図だけは読めなくて。
自信満々な表情で道を間違える姿が可愛くて。
料理の好みが子供っぽかったり。苦いコーヒーを飲めなかったり。
意外な一面に、彼らしさを感じて。
優しくて。真面目で。誠実で。
弱音も吐かずに、目標に向かってひたすら努力できる人。
だから、沢山の人に慕われるのは仕方ないというか。当然のことで。
そうじゃなきゃ、周りにいる人の感性を疑ってしまう。
彼に好意を持つ人が十人や二十人いたって全然驚いたりしない。
そんな人が私のお兄ちゃんになってくれて、妹の私としては凄く鼻が高い。
自慢のお兄ちゃんができてよかった。
なんて、出会った頃だったら、そんな風に思えたのかな。
今はもう、そんな風には考えられないや。
何度別の言葉に言い換えても、まったく嵌らない。
兄妹も。家族も。友達も違う。まして、親戚なんか候補にも出てこない。
そもそも親戚ってなに? そんな嘘吐くなら、せめて友達でいいじゃんか。
「……っ」
嘘なんて。そんな方法で誤魔化さなくてもいいじゃん……。
きっと、この想いは間違ってる。
あなたとの関係をはき違えた、私の勘違い。
だから、ずっと目を背けてきて、知らない振りをしてきたけど。
こんなにも想いが膨らんで、熱くなって。
爆発してしまいそうになっちゃうのは、あなたのことだけから。
嬉しいのに、恥ずかしくて。
悲しいのに、心が落ち着いて。
苦しいのに、一緒に居たいと思ってしまう。
そんな人は、あなたしかいないから。
この気持ちは“恋”なんだって、言ってもいいよね。
遠くに旅立つあなたに。
お兄ちゃんのあなたに。
「ぁ……、うぁ……ぃ。……っ」
私は、生まれて初めての恋をした。
どうして、こんな出会い方をしてしまったんだろう。
好きになっちゃダメなんて、誰からも教えてもらってない。
私はもっと、ありふれた出会い方をしたかった。
家が隣り同士の幼馴染でも。
成績を競い合うクラスメイトでも。
バイト先で一緒になった先輩でも。
大学で出会うかもしれない運命の人でも。
どれでもよかった。
アニメみたいにキラキラしてなくたっていい。
最悪な第一印象だったとしてもいい。
だって、どんな出会い方をしたとしても。
最後には絶対。あなたのことを好きになるから。
「うぅ……ぁぁ……。……ぁああ」
太陽は完全に沈み、道路橋の上に、私は一人。
ぽつりぽつりと灯った街灯は、立ち尽くす私を寂しげに見下ろしている。
このまま歩いて帰ったら、一時間くらいはかかるのかな。
それでもいっか。きっと、今日も。彼の帰りは遅いだろうから。
家に着いたら、目一杯喚いて、沢山泣こう。
貯まっていた涙が、ちゃんと枯れ果てるように。
報われないこの気持ちが、手の届かない遠くに流れていくように。
「……すんっ」
風が痛いくらいに冷たくて、手が寂しい。
もうすぐ冬がやってくる。
今年の冬は、あの人にとって忙しくて、大変なことばかりだと思うから。
去年よりも暖かかったら。いいなぁ。




