24『あなたの狡いところ』
24『あなたの狡いところ』
「はぁ……」
体育館の前にできた人だかりを見下ろしながら、小さな小さな溜息を吐く。
誠太くんに嘘を吐いて、あの場所から離れ、お手洗いも通り越し、目的もなく歩いた先は、吹き抜けになっている渡り廊下で。ここには、私以外に誰もいない。
通路を渡り切れば、寂れた校舎と繋がっているけど、幾つかの教室を覗いてみても、人のいる気配は全くしなくて。机や教卓にも沢山の埃が積み上がっている。
こっちの校舎は、もうずっと長い時間使われていないみたい。
静けさに包まれた雰囲気はほんの少し不気味で、文化祭の楽しそうな空気から切り離されたこの場所に、目を向ける人なんて誰もいない。
ここからだと文化祭で盛り上がっている声も遠く。
私だけが一人。違う世界に迷い込んだみたいだった。
私はどうして。こんな所にいるんだろう。
こんな所で立ち止まって、一体何がしたいんだろう。
お話の邪魔したくなかった。
会話に入れない私に、気を遣って欲しくなかった。
そんな優しい理由じゃない。
嘘まで吐いて逃げ出したのは、疎外感に耐えられなかったから。
ただ、それだけ。
学校での誠太くんの話なんて知りたくない。
真面目で優しい彼が、後輩の子達から慕われていることも。
その中に、彼を好きな女の子がいるかもしれないということも。
要らない。
もう充分だから。
「……」
お話はそろそろ終わったのかな。
すぐに戻ると言ってから、どれくらい時間が経ったんだろう。
早く戻らなきゃ心配を掛けてしまう。
それを分かっていても、ここを離れたくない。彼の元に戻りたくない。
あーあ。また嘘を吐いちゃった。
誠太くんといると、自分がどんどん悪い子になっていくのが分かる。
心の中では、もっと良いところを見せたいって。そう思っているのに。
「さむ」
風が冷たい。渡り廊下を通り抜けていく秋風は、じんわりと体温を奪って、私の前髪を攫おうとする。髪型が乱れないように右手で抑えて、僅かに俯かせた視界の中に、体育館の入り口に向かって歩いていく、一組の家族を見つけた。
「あの人達は……」
顔も知らない。名前も知らない。
話したことも一度だってない。
そんな赤の他人であるその人達から、私は目が離せない。
若いお父さんとお母さん。そして、男女の兄妹。
私より幼い雰囲気のある女の子と、眼鏡をかけた真面目そうな男の子。
一目見ただけじゃ、どっちが年上なのかは分からないけど、女の子の方は、文化祭を目一杯に楽しんでいる様子で笑いながら、両親を手を引いていて。
その少し離れた後ろを、男の子が退屈そうに携帯を見ながら追いかけている。
嫌々付き合わされていると言いたげな態度の男の子に、お父さんが振り返って、何か声を掛けているけど、反応は薄く、女の子は顔を向けることさえしない。
話しかけているのは両親ばかりで、お互いのことに無関心を貫き通す。
その距離感は、友達よりも。クラスメイトよりも。ずっと遠くて。
まるで、他人みたい。
血の繋がった。かけがえのない兄妹なのに。
取り替えることのできない長い時間を、一緒に過ごしてきた筈なのに。
その関係は、凄く特別なモノなのに。
いつから。どうして。
何をきっかけに。そうなってしまったんだろう。
相手のことを嫌いになった理由はあるの?
どうでもよくなった理由はあるの?
「どうしよう……」
そんな、特別な原因なんてなかったら。
いつか。そうなることが“普通”だったら。
どうしよう。
私達もいつか、あの子達のようになるのかな。
彼の思い描く未来に、私は初めからいなかったのかな。
誠太くんは確かに言っていた。
何処に行く時も一緒にいる兄妹なんていないって。
それが、きっと、正しい答え。
私達は、何処かで離れるのが自然で。当たり前。
正解を目指していた私達は。
偽物の私達は、そうして、初めて本当の兄妹になれるんだ。
だから、そんな未来を想像していなかった私が悪い。
離れたくないと思う気持ちも。
もっと早く話して欲しかったと思う我儘も。
嘘吐きだって思う身勝手さも。
全部。全部。私の見当違い。
私が彼に求めていたのは、兄妹じゃなかった。
私は、誠太くんに。もっと、特別な関係を選んで欲しかったんだ。
「穂花ちゃん!」
声が聞こえる。
私の名前を呼ぶ焦ったように荒くて。でも、一杯の優しさが詰まった声が。
振り返ると、渡り廊下の入り口に彼がいて、駆け足で私に近付く。
肩を揺らし、息を切らした彼は、きっと、必死に私を探してくれていて。
「……探したよ」
呼吸を整えた後に零れた言葉は、ちょっとだけぎこちない。
誠太くんは、私を叱ることはしなかった。
「待たせてごめん」
ここにいる理由も。
何をしていたのかという疑問も。
気にならない筈がないのに。何一つとして口にしない。
ただ優しく、諭すような柔らかい口調で、何もかも有耶無耶にしてしまう。
それが狡いくらい悲しそうだから、私は何も言えなくなってしまうんだ。
「戻ろう。そっちに行っても何もないから」
「……お話は終わったの?」
「あの後すぐに実行委員の知り合いが通りかかったから。全部任せてきた」
「それじゃ、私の方が待たせちゃってたんだ。ごめんね」
「……全然帰ってこないから焦ったけど、無事ならよかったよ」
「不安にさせたことも。ごめんなさい」
何回もごめんを言い合って、お互いのことを思い合う。
気持ちは繋がっている筈なのに、言葉がすり抜けていく感覚が苦しい。
色んな気持ちが混ざり合って、汚く濁って。言葉はまっすぐに届かない。
「僕みたいに迷子になってるのかと思ったよ」
そう冗談めかして、彼が言う。
「迷子になんてなりません」
私は口元だけで笑って、空っぽの返事を返した。
「まだ閉会式まで時間はあるから。最後に何処か見に行こうか」
「うん。何がいいかな……。あ。そういえば、体育館にはまだ行ってないよね」
「体育館か。今の時間帯なら、確か演劇をしてたのかな」
「行ってみる?」
「覗いてみようか。演劇の後は軽音部のライブもあるって」
ぎこちなさを誤魔化すように、最後の目的を決めて。
渡り廊下の手摺りから身体を離す。
そうしたら、誠太くんの手が私に向かって伸びてきた。
「……え? なに?」
自分でも吃驚するくらいくぐもった声に、彼がはっと目を見開く。
「あ、あれ……? なんでだろう。逸れそうな気がして。つい……」
誠太くん自身無意識だったみたいで、中途半端に開かれた手のひらは、すぐに引っ込められていった。また、彼の表情が沈んでしまう。
不安にさせちゃったなら、今度はちゃんと笑顔に見えるように笑わないと。
「心配しなくても大丈夫だよ。私は……。子供じゃないから」
安心してもらえるように。
少し背が伸びて高くなった目線を、大人になったって勘違いしたまま。
「そうだね……。よし。行こうか」
身を翻した彼が、踵を引き摺るように歩いていく。
その寂しげな背中を、少し離れた距離で追いかけた。
あなたのことを考えながら。