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ありふれた恋すら、あなたとは。  作者: よせなべ
第四章『祭りの始まり』
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22『君の横顔』

22『君の横顔』




 茶道部のお茶会は、新校舎の四階。

 家庭科室や美術室といった特別教室が並ぶ、角部屋の一室で開催されていた。


 僕らが到着した頃には、既に午後の部の受付が始まっていて、浴衣を着た茶道部の生徒が、お茶会についての簡単な説明をしてくれる。


 不安だったマナーや作法については、文化祭という環境も考慮して、その殆どは度外視してくれているらしく、僕のような初心者にも優しい形式になっていた。


 ただ、それでも幾つかの約束事はあり、お茶会の大まかな流れを聞きながら、最低限の知識を頭の中に叩き込む。ここに来る道中で、穂花ちゃんに教えて貰った内容と重なる部分も非常に多く、何となくの雰囲気は掴めたような気がする。

 

 それでも間違いなく付け焼刃ではあるため、緊張はしてしまうけど、知らないモノに対しての興味は尽きず、知らない文化への好奇心が胸の内を占めていた。

 

 部員の方に案内されて、下駄箱に靴を預け、教室二個分の広さがある作法室へ。

 畳の敷かれた室内には、既に複数のお客さんが入っていて、用意されていた四つ葉模様の座布団は、残り二つしか余っていなかった。


 僕達はどうやら、定員ギリギリの滑り込みだったらしい。


 厚かましくはあるけれど、一番奥の席は穂花ちゃんに譲ってもらう。

 ここが『末客』と呼ばれる席で、一番最後にお点前をされるみたいなので、僕の所に『亭主』がやって来るまで、他の人の作法を見ておくことができる筈だ。


 とは言え、関りのない人をじろじろ見るのは失礼だから、穂花ちゃんの時だけしっかりと見ておこう。

 それを伝えようと思い、左隣りに座った彼女にアイコンタクトを送ろうとしたら、その更に奥に座っている、うちの制服を着た女子生徒と目が合った。


「……ん?」

 

 視線はすぐに逸らされてしまい、隣りにいる友達と何か話している。

 僕は彼女達に見覚えはなかったが、向こうは僕のことを知っている様子だ。

 この一か月は、実行委員の仕事で各クラスを訪ねることもあったので、もしかすると、そこで顔を覚えられたのかもしれない。

 

 まぁ、そうだとしても特に不便はないだろう。

 そう気を取り直し、目線を少しスライドすると、ジト目のお隣りさんが僕のことを睨んでいた。何か言おうとはしないものの、凄く不満気な顔付きではある。


「な、なに?」

「……別に。何でもない」

「そっか」

「うん」

「あー……。もうそろそろ始まるのかな?」

「そうだね。無事に始まるといいね」

「え? 何かのフラグ……?」


 そろそろお茶会が始まりそうなので、一度自分の姿勢を見直す。

 慣れない正座をしていることもあってか、座りが悪くて落ち着かない。

 そのせいなのか、緊張なのか。無性にそわそわしてしまう。


「目の前で実演してくれると思うと……。なんか凄いな」


 何だか語彙力も乏しくなってきて、他人事のような呟きを漏らすと、穂花ちゃんが正座のまま上体を倒し、俯き加減の僕を下から覗き込んでくる。


「あんまりじっーと見ちゃ駄目だよ?」

「駄目なの? 目に焼き付けるつもりだったけど」

「見られてると亭主の人も緊張しちゃうと思うから。誠太くんは我慢して」

「日頃の成果を披露する場なら、ちゃんと見ない方が失礼になるんじゃ……?」

「誠太くんの分まで私が見とくから大丈夫」

「穂花ちゃんが見るのはいいのか。何だか不公平だな」

「私は経験者だからね」

「……いやいや、関係ある?」


 分かるようで、分からない彼女の言い分に疑問を唱える。

 しかし、その問いかけは華麗にスルーされて、返答の代わりに、作法室の中から繋がっている隣室の扉がゆっくりと開かれた。

 あまりに静か過ぎて、顔を向けていなかったら、気付かなかったと思う。

 恐らく、奥の部屋が茶道部の物置部屋になっているんだろう。


 隣室から現れたのは、お茶の先生と思われる高齢の女性と茶道部の部員が数人。

 皆女性で、一様に色鮮やかな浴衣を着こなしていて、手には作法道具を一式拵えている。その絵がとても上品で、何処か安心する和の風情を感じた。


 ただ、様になっているのは立ち姿だけじゃない。

 埃をたてないように歩くすり足も美しく、自然と目で追いかけてしまう。

 とても同年代の身のこなしには思えず、感心して見入っていると、


「ん」


 隣人から、再び咎めるような視線を向けられてしまった。


 あれ……。もしかしてもう駄目なのか? 

 お茶会自体は、まだ始まってもいないんだけど……。


 静寂に包まれた空気の中では、声高々に不満を訴えることもできなくて。

 素知らぬ顔で気付かない振りをしていると、穂花ちゃんはそれが気に入らないと言うように眉を顰めて、慈悲などなく僕の膝を小突いてきた。


「……っ!?」


 おいこら。止めろ。

 慣れない正座でふくらはぎ辺りが痺れてきてるんだから。


「ふん」

 

 くだらない僕らの小競り合い。

 そんなモノには目もくれず、部屋の中央に立ったお茶の先生は、恭しく一礼すると、お礼を添えた簡潔な挨拶を口にして、お茶会の開幕を宣言した。

 

 宣言と共にお茶請けが上座から配られ始め、末客である僕は穂花ちゃんからそれを受け取る。紅葉の形にあしらわれた練り切りは、今の季節感にもよく馴染み、細部まで作り込まれているから、見ているだけでもかなり楽しい。


 一見食べ物には見えない真っ赤な紅葉を、形が崩れないように専用の箸で懐紙と呼ばれる和紙に乗せて、自身の膝元に引き寄せる。


 お客さんの人数が多いこともあり、一人の茶道部員が何人かを一纏めに担当する格好で、お点前が始まったが、ここで約束事が一つ。


 抹茶が準備される前にお茶菓子を完食しておく。というものがある。

 

 これを簡略したお茶会でも、最低限のマナーとして守らなければいけない。

 ただ、急いで食べなければいけない程時間が差し迫っている訳でもないので、楊枝を使って食べ易いように切り分けながら、上品な甘さの練り切りを堪能する。


 しつこくない白餡の甘さは控え目ではあるけど、それはそれでしつこさがなくて非常に美味しい。出来れば抹茶に苦戦を強いられた時のために、非常用として残しておきたかったが、こればかりはルールなので仕方がない。


「うまっ」


 お茶菓子を食べているだけで質の高い幸福感を得られて、気分が良い。

 これだけで既に満足しそうになるけど、一番の目的は抹茶を飲むことなので、楽しみはもう一つ残っている。練り切りを味わっている間にもお点前は進行しており、練り切りを完食する頃には、穂花ちゃんの順番がやって来ていた。


 意外と進行が早いので、一息吐く前に作法の確認をしておこう。

 なんて、軽い気持ちで彼女の様子を横目で盗み見て、


「ーーっ」


 それきり、目が離せなくなってしまう。


 その淑やかで、凛とした姿に全ての意識を奪われた。


 点てられた抹茶を、一礼してから受け取る何気ない動きの一つも。

 抹茶椀を左手に持って、時計回りに回す手のひらのしなやかさも。

 度を越して丁寧で、身体に沁み込ませた無駄のない所作の隅々が。


 ーー綺麗だ。


 ずっと、見ていたい。


「……」


 細長い指が頬に沿う黒髪を耳にかける。

 そうすると、彼女の横顔が見えやすくなって。

 背にしていた障子から差し込む太陽の光が、その表情を温かく照らした。


 それから彼女は、浅く抹茶椀に口を付け。

 抹茶を飲みこむ喉の動きすらも、僕は目で追って。


「……っ」


 その途中。穂花ちゃんがいきなり器から口を離した。

 慌てた様子で茶碗を畳の上に置いて、素早く口元を隠している。


 突然の乱暴な動きがあまりにも不自然で。

 どうしたのかとより彼女を注視して、気付く。

 短い髪の束を乗せた右耳が、真っ赤に染まっていることに。


 それが分かると、そうなった理由も何となく推察出来てしまって。


「……見過ぎ」

「んなっ……」

 

 決して目が合わないように寄せられた視線と、たった三文字の短い一言で。

 僕の羞恥心が真っ赤になって燃え上がる。


 “見過ぎ”。間違いなく。その一言に尽きた。


「ご、ごめん……」

「……そんなに見られると恥ずかしいから」

「いや、ちょっと、無意識で……」


 まじまじと顔を見られて、喜ぶ人なんてそういない。

 確実に現場を取り押さえられて誤魔化すこともできず、逃げるように視線を逸らすと、僕の目の前に移動してきていた茶道部の女の子と目が合った。

 その子も巻き込んで生まれる、耳鳴りがする程の静寂に頭が痛い。


「……コ、コホン」

「すいません……」


 恐らく後輩である少女の咳払い。

 それでどうにか平静を取り繕い、どうにか言葉を捻り出したが、後輩の女の子に気を遣われているという事実に、いよいよ心が堪えられなくなってきた。


「ねぇ。今のなに……?」


 なのにも拘わらず、追い打ちをかけてくるお隣りさん。

 

 今はそれどころじゃない。

 僕と後輩の間にある、地獄みたいな空気を察して欲しい。


「ねぇねぇ」


 意図して聞こえていない振りをしているのに、熱心な追及が止まらない。

 何故と聞かれても、答えられる理由なんてないから。

 どうか。本当に気にしないでくれないか。


「ねぇってば」


 気まずさが拭い切れない中で、お茶を点ててくれる茶道部員さん。

 できれば、隣りの人に私語厳禁ですと注意して欲しかったが、僕に出来ないことをお願いするのは忍びない。

 僕なんて、しばらくは目を合わせることすらできそうになかった。


 だから、腰を据えてお茶会に集中しようとしているのに、


「えい」


 業を煮やした暴君は、無視を続ける僕のふくらはぎを再びつつき始める。

 現状で一番弱っている箇所への的確で、致命的な攻撃。

 これは、慣れない正座が効いていると分かってやっている確信犯だ。

 そろそろ足の痺れも限界に達しているので、ほんの僅かな刺激で崩れかねない。


「ぐぅ……」


 情けない声を出しつつも、体勢だけは崩さないように耐え切る。

 そうして、どうにか切り抜けたと思った矢先。

 太腿に乗せていた左手の制服の袖を、穂花ちゃんが控えめに掴んだ。


「……答えてよ」


 その声は聞き流せないくらいに、弱弱しくて。

 彼女が表す表情を、見ておかなければいけない気がした。


 引き寄せられるみたいに顔を向ける。

 だけど、日差しの強さに邪魔されて。

 俯き加減の表情は、鮮明には見えなくて。


「……」


 確証のないものに、手を伸ばしたくはない。

 見えなかったからと甘えてしまいたい。

 そうしてきたことは、今までだってあったから。


「誠太くん……」


 穂花ちゃんが、悲しみに暮れた顔をする。

 その理由はなんだろう。


 そうさせてしまった責任は、僕にあるのか。


 突き付けられてしまえば、僕はもうーー。


 袖を引かれた。

 決して強い力ではなかったのに、僕の身体は誘われるように傾いて。

 麻痺した身体では抵抗することも叶わず、転げるように倒れ込む。


「あっ」


 一瞬にして。

 何もかもが吹き飛んだ。


「え?」


 気付けば、畳の上に手を突いていて。

 息が掛かりそうな程近くに、穂花ちゃんの顔がある。

 

 機械的な瞬きに、胸を抱く細い腕。

 びくっと震える華奢な肩。潤んだ瞳。


 何も状況が分からない。

 分からないから、分かるまで彼女と見つめ合ってーー。


 それからのことはあまり覚えていない。

 見て見ぬ振りとかではなく、頭に血が上って脳の処理が限界だった。





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