21『想いの視点』
21『想いの視点』
トラブル対応を終えて、携帯で時間を確認すると、いつの間にか午後一時を過ぎており、穂花ちゃんと別れてからは既に三十分近い時間が経過していた。
トラブルはやはり言い掛かりに等しいもので、他クラスでも同様の迷惑行為が発覚したため、クレーマーには早々に文化祭から退場して頂いたけれど、クレームを受けた生徒への対応や他の実行委員への周知を行っていたら、かなりの時間を要してしまった。
中庭で待ってくれている穂花ちゃんにも、仕事中の司にも多大な迷惑を掛けている。可能な限り急ぎ足で戻ろうと、三階の会議室から外に出たタイミングで、スラックスのポケットに入れていたスマホが小さく振動した。
画面を見てみると、穂花ちゃんから連絡が入っている。
『電話できますか?』
端的で、丁寧な言葉使い。
その短い文章を見たら、出会った頃の彼女のことを思い出した。
どうして敬語なのかと、頭に浮かんだ疑問は振り払い、僕の方から電話を繋ぐ。
呼び出し音が一回、二回と鳴って、三回目で通話が繋がった。
「……もしもし」
「ごめん。今解放された。えっと……、すぐそっちに行くよ」
伝えることははっきりしているのに、何か違和感を感じて、言葉に詰まる。
彼女の元気がないように感じるのは、きっと、気のせいじゃないんだろう。
電話では表情が分からなくて、会話のテンポが掴み辛い。
「あ……、私が誠太くんの方に行くから。そこで待ってて」
「え? 今中庭?」
「うん。誠太くんはどこ?」
中庭にいる筈の穂花ちゃんの声は、かなりクリアに聞こえていた。
周囲の喧騒は、ほとんど聞こえてこない。
「僕? 僕は……、一年一組の前にいるけど」
「一年一組……。三階かな?」
「え。なんで分かるの?」
「教室の場所はパンフレットに書いてあるから」
「書いてあっても普通は分からないだろ」
「それはあなたが方向音痴だからです。今から行くから。絶対に動かないでね」
そう僕に釘を刺して、彼女が電話を切ろうとする。
彼女がこっちに来るのであれば、司にも一度声を掛けておきたい。
「待って。司は? まだそこいる?」
そうしないと流石に不誠実だと考えて声を掛けたのだが、一瞬の沈黙を置いた後に、穂花ちゃんはこう答えた。
「……宮上さんには、お仕事に戻ってもらったの」
「え?」
「いつまでも拘束できないでしょ。大丈夫。何もなかったから」
「そ、そっか……。うん。そうだな。司にはまた後でお礼を言っとく」
「うん。それじゃ、切るね」
それだけ言って、通話が切れる。
どうしてか彼女の方から、僕の所まで来てくれるらしい。
自分の学校で、中庭まで辿り着けない程の方向音痴だとは思われていない筈だけど、信用は得られていないだろうから辛い。
「はぁ……」
最近は情けないところを見せてばかりだ。
そう思うと無意識に溜息が漏れてしまって、肩を落とす僕の目の前を、
「誠太先輩?」
見知った後輩が通り掛かった。
「……すーちゃんか」
手にダンボールを抱えている彼女は、何かの仕事中らしい。
制服ではなく、クラスで自主制作したTシャツを着た格好は、普段のかっちりとしたイメージとは違っていて、少し浮かれた雰囲気のラフさを感じる。
「こんなところで何してるんですか? 楽しい文化祭中に。たった一人で」
「棘のある言い方だな……。挑発したって乗らないぞ?」
「知ってます。先輩は一人でも何とも思わないですもんね」
「いや、そうじゃなくて。これから二人になるから」
「えっ……? ああ。同性の友達ですか」
「男ではない。女の子だ」
「は?」
意気揚々と煽ってきた癖に、僕の返答を聞いて目を丸くするすーちゃん。
身体の動きが止まって、瞬きを何度も繰り返す彼女は、一拍の後、力が抜けたみたいに、持っていたダンボールを盛大に落とした。
「お、おい。大丈夫か……?」
床にぶつかった衝撃で飛び出した補習テープを拾い、ダンボールの中に戻す。
すーちゃんが全く微動だにしないので、僕がダンボールを持ち上げて、体勢を整えると、彼女にしては珍しく目に見えて動揺を表していた。
「先輩が女性と文化祭……!?」
有り得ないことだと言いた気なすーちゃんの反応。
それを失礼だろと叱りたいところではあるけれど、僕自身が同じことを思っているから、文句を言うことはできそうになかった。
「い、いったい誰と回るつもりですか?」
「穂花ちゃんだよ。この前紹介した僕の妹」
「あ、あぁ……。あの人とですか。よく愛想を尽かされませんでしたね」
「尽かされてないのかどうかは……。あんまり自信がないかな」
中庭で話していた時も、今までの空気感とは違っていたし。
何も変わらずにいられた訳ではないと思う。
「余程の稀有な人でもない限り、先輩の相手は面倒臭くて出来ないですから」
「止めてくれ……。今は、ちゃんと心にくるから」
どうして、僕が面倒な奴だなんて言われているんだろう。
これでも自分なりに考えて、問題を起こさないように生きてきたのに。
思うように、上手くいってはくれない。
「こんな風になるなんて思わなかったな……」
いつかの、目の前にいる少女とのやり取りを思い出して、溜息が漏れる。
僕の心を見透かすように目を細めたすーちゃんは、僕の手からダンボールを受け取ると、僅かに視線を俯かせて、肩を小さく狭めていた。
「私のこと怒らないんですか?」
「別に……。すーちゃんが悪い訳じゃない」
「……」
「いつか言わなきゃいけないことだったから」
僕が、東京の大学を受験すること。
進学が決まれば、地元を離れること。
それは、いつか伝えなくちゃいけなかったことで。
一緒に暮らしている僕は、いつでも伝えられると思っていた。
それが、いつからだっただろう。
遠く離れる将来のことを、気軽に話せなくなったのは。
穂花ちゃんと仲良くなればなる程に、そこには勇気が必要になって。
すーちゃんは、足踏みしてしまった僕に、きっかけを与えてくれただけだ。
「それにしても……。やっぱり、確信犯だったんだな」
「勿論です。これ以上先輩に泣かされる女の子がいたら可哀想なので」
「……」
「冗談ですよ」
「あの子は……、そういうのじゃない。家族なんだ」
「言い訳が出てくるのが随分遅かったですね」
「……揚げ足を取るな」
彼女に振り回されて、まともに言い合うことも出来ない。
こんな風に詰められると、背中に嫌な汗が滲んでくる。
「考え直したりはしないんですか?」
「もう十月だぞ?」
「……そうですね。遅過ぎたみたいです。お手上げです。何もかもお終いです」
「言い過ぎだバカ。さっさと仕事に戻りなさい」
「はいはい。それでは。先輩。さようなら」
「ああ……。また今度」
「顔を合わせることは、もうないと思いますけど」
「受験が上手くいったら、報告しに行く」
「……必要ありません」
淡白に言い切って、二度と振り返ることはなく、廊下の先に進んでいく。
次第に人波に埋もれていく小さな背中は、以前にも見たことがあって。
角を曲がって、その姿が見えなくなる瞬間まで見届ける。
「誠太くん……?」
呆けたように立ち尽くす僕の背中に、待ち人から声を掛けられた。
振り返ってみれば、パンフレットを持った穂花ちゃんがすぐ後ろに立っていて。
僕と一度目を合わせてから、不安気な表情で廊下の奥に視線を移動させる。
「穂花ちゃんーー」
「本当にお仕事してたんだよね……?」
「え?」
「女の人と話してるのが見えたから」
「あ、ああ……。すーちゃんとね。偶然通りかかってさ」
「何の話をしてたの?」
「大した話はしてないよ。世間話……、みたいなものかな」
「……そう」
僕のはぐらかした返答に、瞳を細める穂花ちゃん。
納得の行ってない様子はひしひしと伝わってきて、つんとした気配を感じるけれど、今は止めよう。今日は、同じ思い出を作れる最後の文化祭なんだから。
「時間もないし。早速何処か見に行こうか」
何もかも気付かなかった振りをして、自分勝手な提案を告げる。
その言葉に穂花ちゃんは、はっきりと顔を顰めて見せた。
「……誠太くん」
彼女の低い声に、胸中にある罪悪感が大きく脈打つ。
そんな都合のいい願いが受け入れられる訳がないと。
そう思い知る僕の顔を、穂花ちゃんは入念に覗き込んできて、言った。
「お昼ご飯食べた?」
「え……? あ、あぁ。そういえば食べ損ねてたっけ」
「何か食べないと。この後にもお仕事が残ってるんでしょ?」
「そう、だね……」
どうして第一声で、僕の体調を心配することが出来るんだろう。
もっと、言いたいことがある筈なのに。
「動き回ってる間に限界超えてて。今はあんまり空腹感がないんだよね」
「でも、食べれる時に食べておかなきゃ。さっきみたいに、いきなり呼び出されるかもしれないよ?」
「うーん。でも、また中庭に戻るのもなぁ」
それこそ先程の繰り返しになったら目も当てられないし、中庭に戻るのであれば、ここまで迎えに来てくれた穂花ちゃんの労力が無駄になってしまう。
「何かご飯系の出し物してる所って他にないの?」
「どうだろう。飲食系は、全部中庭に纏めてた気がするけど」
「そっか。パンフレットにも載ってないかな」
手に持っていた冊子を持ち直して、頁を捲る穂花ちゃん。
隣りから引き目に内容を覗いて見ても、目ぼしい物は見つかりそうにない。
そう思った矢先に、各学年の紹介文が終わって、続きは文化部の演目紹介に切り替わる。そこで、穂花ちゃんの視線がとある部活の位置で止まった。
「あっ」
「ん?」
どうしたのか思って目線を下ろしていくと、頁の最後。
茶道部の項目に『作法室にてお茶会開催中!』という文章が書かれている。
「おぉー。いいかもね」
「な、なにが?」
「お茶会。ここなら。お茶菓子とかも出してくれそう」
「あるとは思うけど……、誠太くんって抹茶飲める?」
「これまでの人生では、一度も飲んだことがないなぁ」
「そうだよね……。大丈夫かなぁ」
お茶会という聞き馴染みのない言葉に好奇心が湧いて、元茶道部の彼女よりも前のめりに興味を示したが、何故か穂花ちゃんは不安そうに唸っている。
もっと喜んでくれると思ったのに、僕を見る彼女の視線は猜疑心で満ちていた。
「え? そんなに飲み辛い?」
「美味しい抹茶は甘みもあるし、飲み易いと思うけど……」
「うんうん」
「それでも誠太くんには甘さが足りてないかも」
「いやいや。そんなことは……、あるか。あるなぁ」
「いつもすっごく甘いコーヒー飲んでるのは何処の誰ですか?」
「ま、まぁまぁ。コーヒーは甘いのが好きだけど、抹茶はまだ未知数だから」
どちらかと言うと僕の味覚は甘党寄りだし、子供舌でもあるらしい。
そんな僕が抹茶を美味しいと思えるかどうかは不安要素ではあるけれど、自分から飲もうと思うことは中々ないから、折角の機会に経験したい。
以前、穂花ちゃんは抹茶を飲みたくて、茶道部に入ったとも言っていたし、その魅力がどういうモノなのかも単純に気になる。
「そう思うと。やっぱり、大丈夫な気がしてきたな」
「……誠太くんって、たまに根拠のない自信を持ってる時あるよね」
「ははは。自信があるのはいいことさ」
「迷子になる時の顔してる」
「どんな顔なんだ、それ」
何の理屈も根拠もない無責任な僕に、呆れた様子で肩を落とす穂花ちゃん。
いざ、お茶会に行って抹茶が飲めなかったらとんでもなく格好悪いな。
彼女に情けない恰好は見せたくないけど、知らない一面は見てみたい。
「今日。僕一人だったら挑戦してみようって思わなかった」
僕と一緒に文化祭を回る選択をしてくれた君と。
僕達ならではのことをしよう。
「穂花ちゃんと一緒に行ってみたいな」
「……分かった。いいよ」
何年後かに。笑って語り合える。
色褪せない思い出を作るために。




