20『理想像』
20『理想像』
人波を掻き分けて、誠太くんが校舎の中に消えていく。
その後姿が完全に見えなくなっても、知らない人が行き交う廊下の方を眺めていたら、椅子を引くガタっという音が聞こえてきた。
「おいおい。このたこ焼きとっくに冷めてんじゃねーか」
正面に向き直ったら、誠太くんが座っていた場所に宮上さんが座っていて、いつの間にか冷めちゃってたたこ焼きを、物足りなさそうな表情で頬張っている。
燕尾服に清潔感のある白い手袋を嵌めた執事さんが、豪快にたこ焼きを食べている光景は、服装とのバランスが全然取れていなくて、ちぐはぐな感じが凄い。
そのまま残りのたこ焼きも全て完食した彼は、私の手元に視線を落とすと、しなしなになったフライドポテトを指差して、口元を拭う。
たこ焼きのソースで手袋が汚れちゃっているけど、大丈夫なのかな。
「それ食べないの?」
「あ、えっと……。よかったらどうぞ」
「おぉー。ありがてぇー」
自分のお金で買った物ではないから私に決定権なんてないけど、誠太くんが帰ってくる頃には塩気も飛んで、美味しく食べることはできないと思うから。
ここに残らせちゃった申し訳なさもあるし、フライドポテトも宮上さんに食べてもらおう。
「やっぱり、これも冷めてるなぁ。ったく。こんなになるまで放っておいて」
「ご、ごめんなさい……?」
「飯が手につかなくなるくらい楽しい話をしてたのか?」
「……いえ。そういう訳ではないです」
宮上さんの疑問に、曖昧な返事を返す。
心が弾むような会話は、もう何日も出来てない。
「ほーん。違うのかぁ」
口がもごもご動いて、喉からゴクンと音が鳴る。
その間も視線はまっすぐ私を捉えていて。
観察されているみたいな気配には、居心地の悪さを感じた。
「あの……。ここにいて大丈夫なんですか?」
「まぁ、大丈夫なんじゃねーかな。多少バタついてたとしても何とかなるさ」
私の心配に、あくまでも楽観的な様子で答える宮上さん。
後でクラスの人に怒られてしまわないか不安だけど、当事者の彼はあまりに堂々としていて、フライドポテトを手掴みに口に運んでいた。
「私は一人でも問題ないので、気にせずに戻ってくださいね」
「うんー。勝手に戻ると、後で誠太にどやされそうだな」
「迷惑はかけたくないです。誠太くんには私から伝えるので」
中庭に宮上さんが残っているのは誠太くんの指示で、私の意思じゃない。
私は、そんなお願いしていない。
それなのに傍から見たら、私の我儘で迷惑を掛けているみたいだから、凄く嫌。
実行委員の仕事の方に、私も連れて行ってくれたらよかったのに……。
「……むぅ」
そんな誰よりも自分勝手な考えを浮かべて、唸る。
それを見た宮上さんは、白い歯を見せてにかっと笑った。
「怒られたとしても誠太の名前出せばどうにかなるから。へーき。へーき」
「で、でも……」
「妹ちゃんは気にすんな。これは正当なサボりなのだよ。はっはっはっ」
「……」
宮上さんにまで、気を遣わせている。
その優しさの配慮が、今は、私の心にさざ波を立てた。
誠太くんも。宮上さんも。
みさきも。優衣も。
みんなみんな。私のことを心配してくれる。
……私は、そんなに頼りないのかな。
「私って……。危なっかしく見えますか?」
過剰な優しさに、不安が掻き立てられる。
一人では何にもできないと思われているみたいで。
いつか知らない間に置いていかれそうで。
「さぁ? 俺にはあんまり分かんないけど、あいつはそう感じてんじゃない?」
口を衝いて零れた言葉に、素っ気なく答える宮上さん。
頭の中に浮かんでいるのは同じ人で。
その人は、私のことを誰よりも子ども扱いしてくる人。
頭の中に彼の顔が思い浮かんだら、本人の前では言えなかった気持ちが、喉の奥の方に引っ掛かっていたことを自覚してしまう。
「……私は、子供じゃないです」
「あれは確かに、親バカみたいな感じではあるよな」
「それに。同年代の中では落ち着いてる方だと思いますっ」
ただ、年相応に扱って欲しい。
そんな子供っぽい主張に、宮上さんは困った表情を浮かべていた。
「うーん。俺も過保護馬鹿だとは思うけど、今日は特に色んな奴が来てるからさ。そういう目的で来てる連中も中にはいるだろうし」
「私は一人でも撃退できますから」
「ええぇー? その言葉は流石に信用できないなぁ」
「な、なんでですかっ!」
私が強い気持ちで答えたのに、くすくすと笑われてしまう。
その反応に納得がいかなくて私が不満を訴えたら、宮上さんは私達が初めて出会った時の話を持ち出した。
「だって。あの時は声も上げられてなかったじゃん」
「あ、あの時は、突然だったから吃驚して……」
「なんだそりゃ。言い訳にもなってねぇ」
「ううっ……」
根拠の伴ってない主張は簡単に覆されて。
誠太くんを論破する仲間が欲しいのに、宮上さんは正論ばかり言ってくる。
「とにかく! 私はもっと信用して欲しいんです」
「女の子なんだし、妹でもあるんだから存分に守ってもらえば?」
「嫌です。耐えられません」
「おお。言い切った。あいつは頼りになる奴だぞ?」
「分かってます。でも、頼ってばかりじゃ駄目だって思うから」
そうじゃなきゃおかしい。
私は誠太くんの家族なのに、
進路のことも。
将来のことも。
過去のことも。
何一つ知らなかった。
もっと対等な関係にならなきゃ、大切なことを教えてもらえない。
「宮上さんは……、誠太くんが東京の大学に行くことを知ってたんですよね」
「……ああ。知ってたよ。“あいつとは長い付き合いだから”」
「そう、ですか……」
「あいつが君と知り合う、何か月も前の話さ」
だったらーー。
私と出会う前に決まっていたなら、いつでも私に話すことは出来た筈で。
「どうして……。私には教えてくれなかったんですかね……」
本当だったら直接そう聞きたいけど、答えを想像すると怖くて。
誠太くんを前にしたら、何も言えなくなってしまう。
「なんでだと思う?」
その質問に、すぐ答えを用意することはできなかった。
家族って関係性じゃ足りなかった。
妹でも、友達でも足りなかった。
それってもう、私だから?
「誠太くんは……。私に心配かけないようにーー」
苦し紛れに、そんなことを言った私の希望は、
「あいつは、そんな聖人染みた人間じゃないよ」
バッサリと切り捨てられてしまう。
「誠太は。もっと冷たくて、ちゃんと狡い奴だ」
私よりもあの人に近い人が、口を揃えて吐き出す言葉。
そんな人じゃないって、否定したかった。
だけど、今ならほんの少しだけ分かるような気がする。
そう思えることが、彼に近付けたのか、遠退いたのかは分からないけど。
今もやっぱり、信じたくない想いの方が強くて。
「誠太くんは……、優しくて、真面目で。沢山の人から慕われてて。将来のことをちゃんと見据えてる。……凄い人なんです」
サンタさんの存在を信じるみたいに、意固地になって、淡い願望を溢した。
身勝手な理想像は、誰にも受け取って貰えずに、地面に向かって落ちていく。
「あいつは見たくないモノには目を背けるし、都合が悪けりゃ嘘も吐く」
「そんなことない。私はこの目で、誠実なあの人のことを見てきたんです」
「俺も見てきたよ。君よりもずっと長い時間。何処の誰よりも臆病な姿を」
私も同じだけの時間を過ごしていたら、同じ気持ちを持てたのかな。
もっと違う出会い方が出来てたら、何でも代弁できる関係になれたのかな。
「私の見てきた今までを。嘘みたいに言わないで下さい……」
だって、主人公みたいだった。
人付き合いが苦手で、戸惑ってばかりの私に優しく手を差し伸べてくれて。
期待しないように、夢を見ないように生きてきた私を変えようとしてくれた。
どんな時だって、私のことを優先して考えてくれた。
「長所ばかり見て、美化して、理想を押し付ける。それはもう虚と変わらない」
素敵な人。尊敬できる人。
それを疑わない。そう在って欲しい。
「どんなに文句を言ったって。君もあいつのことを理解してないのさ。だから、あいつは言い出せなかった。どうやっても理想を壊してしまうから」
私が押し付けた。
私のせいで。
私が。
「あいつが口にした言葉も。行動も。嘘じゃない。君が見てきたあいつの一面は嘘じゃない。……でもな、人の想いに一貫性があるだなんて思わない方がいい」
理想が違った時に、私は何を思うんだろう。
あの日。私はなんて思っただろう。
ーー嘘吐き。
「あいつの心はかさぶただらけで。失うことを何よりも怖がってる弱い奴なんだ」
嘘吐きは、私だった。
「……何処に行くつもりかな?」
ここにいたくなくて、椅子から立ち上がる。
「誠太くんの所に行きます」
何処にいるのかも知らない癖に、そんな言葉を言い訳に使って。
「まだ仕事中だと思うけど」
「近くで、待ちます」
この場に残ってくれた宮上さんに対して、あまりにも失礼な態度。
だけど、もう耐えられそうにないから。
「まぁ、良しとしようか……。このまま帰ったりは」
「しません。誠太くんに心配をかけたくはないので」
「そうかい……。それじゃ、またね」
私を引き留めることはせず、ひらひらと手を振る宮上さん。
そんな彼に頭を下げて、背中を向ける。
「あ。そうだ。最後に一つ」
そのまま数歩進んだところで呼び止められて、肩越しに振り返ったら、宮上さんは困ったような、何かを求めるような、複雑な表情を浮かべていた。
「その内誠太が体調崩すと思うから。見ててやってね」
その言葉が示す意味は、私にはやっぱり分からない。
曖昧に頷き返し、重たい足を動かして、前に。前に。
きっと、この先が前進に繋がっていると信じて。
これから。どうしようかな。




