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ありふれた恋すら、あなたとは。  作者: よせなべ
第四章『祭りの始まり』
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19『思い合い。すれ違う』

19『思い合い。すれ違う』




 広報役の使命を全うし、三年四組の控室となっている実習室で制服に着替えてから、穂花ちゃんと待ち合わせの約束をした中庭に向かって出発する。

 着ぐるみから解放されて身体は軽くなったけれど、体内には未だ熱が籠っている感覚がして蒸し暑い。残暑も終わり、過ごし易い季節になってきたとはいえ、天気の良い日中は汗ばむし、学ランは置いてきて正解だったかもしれない。


 今は、何処もかしこも人でごった返していて、熱気は蓄積されていくばかりだ。


「大丈夫だよな……」


 制汗剤は充分に吹き付けてきたけど、汗臭くはないだろうか。

 ワイシャツの襟を近付けて嗅いでみても、自分ではいまいち判断出来ない。

 普段と変わらない気はするが、自分のにおいは分かり辛いと言うし、心配だ。


 部活で毎日滝のように汗を流していた頃は気にならなかった体臭が、これから穂花ちゃんと合流すると思うと、嫌に気になって仕方ない。汗臭いにおいは嫌がられるだろうし、今は外部のお客さんも多いため、殊更に意識してしまう。


 そういう思考になってくると、身嗜みまで気になってきて、手のひらで上着の皺を伸ばしていたら、ワイシャツの胸ポケットにねじ込んでいた腕章に指先が当たった。

 

「そういや、これも付けなきゃか」


 変に目立ってしまうから必要ないんじゃないかと、やんわり反対したのだが、圧倒的賛成多数で採用された、文化祭の実行委員だけが付けれる赤い腕章。


 何処に発注したのかは知らないが、ご丁寧に【文化祭実行委員】の肩書まで書かれていて、非番になったばかりだというのに全く気持ちが休まらない。


 実際にトラブルが発生すれば、休憩中でも対応しないといけないのは分かっているけど、それ以外はゆるりと過ごしていたかった。

 これだと常に責任感を問われているような気がして、中々に胃が重たい。


「んん? どうなってるんだこれ?」


 そして、腕章の正しい付け方も分からない。

 腕章にマジックテープは付いているものの、それだけではぶかぶかで、見事に腕から滑り落ちていく。

 どうやら付属の安全ピンも使わないと、固定できないタイプみたいだ。


 今でも気乗りはしないんだけど、僕だけ付けないというのも反感を買ってしまいそうなので、今回ばかりは仕方ない。

 人間関係なんて波風を立てない方が良いに決まっているのである。


 歩きながら腕章を腕に巻いて、ポケットの底に沈んでいた安全ピンを取り出す。

 ただ、そうしている間にも人集りは一層混雑し始めていて、歩くだけでも周りに気を遣うようになってきた。人波を抜けた先には、中庭の様子も見えてきている。


 ロの字型の校舎に囲まれたその場所は、沢山の屋台と簡易的な飲食スペースが用意されていて、子供連れの家族客がとても多い。たった今も、僕の目の前を小学校低学年くらいの男の子が人混みを縫うように駆け抜けて行った。


 ここで歩きながら針を扱うのは危険だし、マナー違反だろう。


「誠太くん。こっち!」


 そう思って、立ち止まった僕の耳に、通りの良い澄んだ声が聞こえてくる。

 引き寄せられるみたいに顔を向けると、中庭の端に置かれた丸テーブルを、穂花ちゃんが確保してくれていて。

 僕を気付かせるために小さく飛び跳ねながら、大きく手を振っていた。


 その動きが完全に小動物のそれで……。いや、なんでもない。


 今日の彼女の服装は、学校指定の制服でもラフな部屋着姿とも違う。

 袖口の広いブラウスに、袖のない藍色のワンピースを重ね着したような格好は、普段に増してお淑やかで、華やかさが増している。

 所謂よそ行きの服装を見るのは新鮮で、彼女の纏う雰囲気とよく合っていた。


「席取っといたよ」

「ありがとう。待たせちゃってごめん」

「ううん。お仕事の方は大丈夫?」

「突発的なことが起きなければ、実行委員の方もしばらくは暇な筈」

「そっか。お疲れ様……。えっと、それは何を持ってるの?」


 僕の職務を気にしつつ、手で押さえていた腕章に興味を示す彼女。

 今なら手元も安定するし、さっさと取り付けてしまおう。


「実行委員の腕章なんだ。皆で付けようって話になってさ」

「へぇー。お揃いなの良いね」

「そうかな? ちょっと恥ずかしいんだけど」

「仲間って感じがして、凄く良いと思う」

「……そうだった。穂花ちゃんは少年漫画が大好きだもんな」

「最近は少女漫画も読んでるよ?」

「そうなんだ? それは知らなかったな」

「実はそうなんです。……ねぇ。それ。落ちそうになってない?」

「ちょっとサイズが大きくてさ。安全ピンで留めなきゃいけないらしい」

「ふーん……。やり辛そうだから。私が付けてあげるよ」


 安全ピンを掲げて見せると、穂花ちゃんがそう言って、立ち上がってくれる。

 僕の目の前にきて、手を差し出してくれるのは素直に有難いけれど、汗の件もあるから、近付かれるのは少し躊躇いが……。


「あー。いいよいいよ。自分で出来ると思うし」


 彼女の気遣いを断って、近付いた分だけ距離を取る。

 そんなことをすると、穂花ちゃんの眉がほんの僅かにぴくっと動いた。


「私もできるよ? 絶対誰かに手伝ってもらった方が早いと思う」 

「それは、その通りなんだけど……。針だし。危ないからさ」

「……私のこと小さな子供だと思ってるの?」

「い、いやっ」


 遠回しに断ろうとすればする程に、彼女の語気が強くなって、表情から柔らかさが消えていく。

 

 これだけ冷たい空気を纏う穂花ちゃんは初めて見たかもしれない。


「ほら。早く貸して」

「わ、分かった」


 ムスッとした圧に負かされて安全ピンを手渡すと、穂花ちゃんが僕の左手側に移動してきて、肩が触れそうな距離まで近付いた。

 そこで懲りずに後退すると、ワイシャツの袖口をガッチリ掴まえられてしまう。


「腕伸ばして」

「はい……」


 流石に観念して、言われるままに左腕を伸ばす。

 穂花ちゃんは丁寧に制服の皺を伸ばしてくれて、腕章の仮止めをしてくれる。

 ズレないように腕を握る力は弱弱しく。彼女の手のひらは小さく、か細い。


「……」

「危ないから動かないでね」

「……うん」


 肌に触れないように注意しながら針を沿わせて、掬うように腕章を繋ぐ。

 ものの数秒で作業は終わり、彼女はすぐに僕の腕から手を放した。

 

 そうして一歩後ろに下がると、今度は温かく笑ってくれる。


「これでよし」

「……ありがとう」

「それじゃ、お昼ご飯にしよっか。お腹空いてるでしょ?」

「実はさっきから腹の虫が暴れてて。穂花ちゃんは何かもう食べた?」

「私はみさき達と軽く食べたから。席取られないようにここにいるね」

「おっけー。適当に何か買ってくる」

「はーい」


 彼女を残し、横並びになっている屋台の方へ向かう。


 ラインナップは定番のたこ焼きや肉巻きおにぎりのがっつり系から、軽食に丁度いいフライドポテトにドーナツ。その隣りには、チョコレートソースや生クリームを自分の好みにトッピングできるパンケーキも販売されていた。


「たぶん、これだな」


 穂花ちゃんが選んだメニューを予想しながら、僕はたこ焼きの列に並ぶ。 

 回転率の高さでそれ程待つこともなく、六個入りのたこ焼きを購入し、これだけでは満腹にならない可能性を考えて、隣りの売店でフライドポテトも注文。


 先に食べたとは言っていたけど、穂花ちゃんもまだ食べられるだろうし、箸は二人分貰って踵を返すと、穂花ちゃんが手持無沙汰な様子でこっちを眺めていた。


 待たせてばかりになっているから、彼女のところまで早足で戻る。


「ソースの良い匂い」

「お祭りだし粉物にしてみた。肉巻きおにぎりも美味しそうだったけど」

「ね。色々あって、全部美味しそうだったから、私も何にするか迷っちゃった」

「え? 本当に迷った?」

「う、うん。……なに?」

「いやいや。何食べたのかなーって」

「……もう覚えてない」


 僕のわざとらしい質問に、穂花ちゃんがそっぽを向く。

 ついさっき食べている筈の物を、忘れているなんてことはないだろう。 


「あはは。これはパンケーキ食べてるなぁ」


 露骨な素振りが可笑しくって笑ってしまう。

 そんな僕を見て、彼女はムッと頬を膨らませていた。


「別にいいでしょっ」

「全然いいよ? 好きな物を食べるのが一番良いんだから」

「良いこと言って……。悪い顔してるように見えたけどなぁ」

「いーや? 全然そんなことはない。誤解です」

「嘘。いっつも同じもの食べてるなーって顔だったもん」

「好きな物が変わらないのは良いことだから。寧ろ褒めてるくらいだよ」

「……でも、絶対揶揄おうとしてる目だった」

「それはまぁまぁ……。気のせい気のせい」

「そんなんじゃ誤魔化されないからー!」


 僕が口を開く度、穂花ちゃんの目付きがどんどん荒んでいく。

 小学生のガキ大将よりかは怖い顔で威圧されて、それでも彼女ならジョークで済ませてくれる筈だと思い込んでいたら、


「誠太くんに意地悪されて悲しいし、みさきと優衣のとこに戻ろうかな」


 油断していた心の隙に、重量級の一撃が叩きこまれてしまった。


「えっ……」


 急旋回に驚いて、その表情を確認すると、彼女の両目から光彩が消えていて。

 退屈そうな、そこはかとない倦怠感までもが噴出していた。


 これは、流石に調子に乗り過ぎたかもしれない。


「ご、ごめん。ごめん! ほら。たこ焼きもフライドポテトも食べていいから」


 取り急ぎ食べ物を献上して許しを請うと、彼女はそれらを一瞥してから、僕が手に持つ割り箸を一つ回収していく。

 

 一先ずはここに残ってくれるみたいなので、一安心だ。


「私が誠太くんを置いて行ったら困る?」

「普通に文化祭どころじゃなくなる」

「私が怒ってると思うから?」

「……うん。そうだね。嫌われたくは、ないからな」

「そうなんだ。ふぅーん……」


 僕の本音を炙り出すような質問。少し低い声に、落ち着いた口調。

 それを茶化すことなど許されず、嘘のないように答えたら、穂花ちゃんが割り箸をバキッと割りながら、人形みたいな凍て付く笑顔を、仮面のように貼り付けた。


「怒ってないよ。全然」

「……こわぁ」

「なに?」

「何でもないです……」


 立つ瀬のない僕は平伏するしか術がない。

 フライドポテトをお行儀よく箸でつまむ穂花ちゃんは、若干柔らかい空気を取り戻しているけれど、冷たい瞳はそのままで、僕のことを見下ろしている。

 

「さっきも着ぐるみに隠れて、私のこと騙そうとしてたよね」

「だ、騙そうとはしてない。着ぐるみはただの仕事着だから」

「それも変だと思うよ?」

「それはほんとにそう思う」


 そのことに関しては特に何の言い訳も浮かばない。

 僕もおかしいと思っていたけど、用意されていたのがあれだったのだ。


「どうして、何も言ってくれなかったの?」

「仕事中だったから。着ぐるみで喋るのは御法度というか」

「でも、お仕事中に遊でたじゃん」

「手品は遊んでた訳じゃなくて、興味を持って貰うためのパフォーマンス」

「それなら、みさき達にも見て貰えばよかったのに」

「それはまぁ……。まぁ。うん……」

「なに?」

「あれって子供向けの仕掛けだからさ」

「え……?」


 僕が手品の対象年齢的な話を漏らすと、会話が止まって、空気が凍る。

 不服そうだった表情は一瞬引っ込んで、驚きの顔付きに変わっていて。


「二人にはタネがバレそうだなーって思ってね……」

「今。遠回しに私のことバカって言ったよね?」

「断じて言ってない。穂花ちゃんは素直な感性を持ってるなぁとは思ってた」

「誠太くんのバカ」

「おいこら。僕は言ってないって」

「ばかばかばか」

「んなっ!? さ、三回も……っ!?」

 

 今日の穂花ちゃんは、これまでで初めてと言っていいレベルで刺々しい。

 こんな姿は見たことがなくて、思考が追いつかず、戸惑ってしまう。

 彼女は、バカなんて軽々しく言うような子じゃなかったのに。

 一体誰の影響を受けているのか。


「誠太くんが誤魔化す限り、悪口を言い続けます」

「誤魔化してる訳ではないんだけどなぁ」

「何も言ってくれなかったことの答え。全然納得してないよ」


 僕を見据えて話を戻す彼女は、きっと、謝罪を求めている訳じゃない。

 もっと単純に、あの場で僕が考えていたことを。

 それを、嘘のない言葉で、詳らかに話せばいいだけだと思う。


「……」


 そう分かっているのに、言葉は出てこない。


「誠太くんはーー」

「え……?」

「……秘密主義だね」


 その乾いた言葉に、どんな想いが含まれているんだろう。

 視界が歪むような眩暈がして、自分がどういう人間なのかを思い知らされる。


 声を掛けなかった理由。

 それは、“あの日”と似ていたから。


 着ぐるみの大きさに対して小さ過ぎる椅子に何とか座り、ぼんやりと行き交う人達を眺めていた時に。人波の隙間に見えた君は、たった一人で俯いていて。


「……楽しくなさそうに見えた」

 

 その表情が、重なって見えたから。

  

 だから、笑って欲しかった。

 その笑顔を盗み見て、自分自身を安心させたかった。

 胸の奥で蟠った罪悪感を消したかった。


 全て。僕のためだ。


「だから、どう声を掛ければいいのか分からなくて。文化祭が面白くなかったなら、それは実行委員の僕の責任でもあるし」


 でも、そんな保身塗れの考えは、欠片も口に出したりしない。

 ペラペラの口を動かし、必死に嘯く。

 本音も嘘も混じり合って、僕の想いが何処に在るかも分からなくなってくる。


「あと、最初は一人だと思ってたから。変な輩に絡まれるんじゃないかなって」

「……過保護」

「そう、かな……。いや。そうなのかも」


 穂花ちゃんは幼い子供ではない。

 僕と一つしか変わらない学年で、直に将来の選択を迫られることになる。

 大人の一歩手前まで、彼女も来ているんだ。


 そう頭では分かっているけど。


「でも……、心配になるんだ」


 なんて、格好付けた台詞だろう。

 もっと大切なことを、何か月も伝えなかった癖に。


「……誠太くんは、どうしてーー」


 僕の薄っぺらい言葉を聞いて、穂花ちゃんが口を動かす。

   

 小さく開いた唇に、伏せられた瞼に。

 彼女の一挙手一投足に心が揺れて、視線を逸らそうとしたその時に、

 

「おぉー。いたいた」


 聞き慣れた声が、張り詰めた空気を霧散させた。

 やけに近くで聞こえた声の方向に顔を向けると、執事役のタキシードを着こなした司が、男子生徒を引き連れて近付いてくる。

 その子の腕には赤い腕章が巻かれているから、僕と同じ実行委員だ。


「休憩中に悪いな。誠太に用があるんだと」

「……ああ。わざわざ悪い」


 テーブルの傍らに立った彼らを見上げて、端的に返す。

 喉に引っ掛かるような違和感があって、声が歪むと、目敏い司が僕と穂花ちゃんの顔を交互に見比べて、首を傾げた。


「なんかあったのか?」

「いや……。僕らのことだから気にしなくていい」

「別れる前のカップルみたいなこと言ってんな」

「君は一年の朝倉君だったかな。何かトラブル?」


 司の例えは無視して、後ろに控えている一年生の後輩に声を掛ける。

 僕らのやり取りを不思議そうに見ていた彼は、戸惑う様子を見せながらも、我に返って、実行委員としての仕事を全うしてくれた。


「二年三組のアトラクションで怪我をしたと訴えがあったみたいで。応援を」

「怪我人は保健室に連れていってる?」

「いや、それが目に見えた外傷はないみたいで、言い掛かりかもしれないと」

「あー。クレーマーか……。先生にも来てもらおうか」

「はい。分かりました」

「よし……。取りあえず、現場に行こう」


 安全性の確認は各クラスの担任教師及び、文化祭実行委員が精査しているため、そう簡単に問題は起きない筈。そのため謂れのないクレームの可能性は高いけど、それを学生側が決めつけて口論及び、問題が大きくなると都合が悪い。


 感情的になって学校側の立場が悪くなれば、今後の文化祭が縮小。最悪の場合中止になる可能性もあり得るので、早めに駆け付けた方が良いだろう。


「話の途中にごめん……。仕事に行ってくる」

「……ううん。行ってらっしゃい」


 また待たせてしまうことも申し訳ない。

 彼女は頷いてくれたけど、その表情は作り笑いにもなっていなかった。


「司。僕が帰ってくるまでここにいてくれないか?」

「は? 俺も仕事中なんだけど?」

「分かってる。すぐ帰って来るから、たこ焼きでも食べて時間潰しててくれ」

「……まぁ。働きたい訳でもないしいいか。へいへい。早く戻って来いよー」

「穂花ちゃんに変な虫が寄り付かないように頼む」


 一口も食べていないたこ焼きを司に押し付けて、席を立つ。

 こんな頼みごとをしたら、また穂花ちゃんに過保護だと怒られるかもしれない。

 それでもやっぱり、傷ついてからでは後悔してしまうから。


 心にまで達した傷は、全てを歪めるモノだって。僕は知っているから。


「……行ってきます」


 ああ。そうか。

 それを口にしないから、秘密主義なんて言われるんだな。 





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