17『途上』
17『途上』
誠太くんが過去に働いていたバイト先は、青山高校から住宅地を西に進み、大きな川を跨いだ道路橋の先。県道沿いの開けた場所にひっそりと建てられていた。
全国的に展開されているファミリーレストラン。
チェーン店なのでお店の外観は見慣れているけど、私自身は利用したことがなくて、お店の前に立つことすらも新鮮に感じる。
元々、外で食事をする機会は少なく、今も誠太くんが毎日美味しいご飯を作ってくれるから、友達と喫茶店に行ったりすることを除くと、凄く久しぶりの外食になるかもしれない。
「普通の喫茶店だけど、ゆっくりしてってね」
「は、はい。お邪魔させてもらいます」
「穂花ちゃん。そんなに畏まらなくても……」
私達が一緒にいるからか、宮上さんは裏口の方には回らずに、正面入り口から堂々とお店の中に入っていく。誠太くんに先を譲られて、宮上さんの後ろを追いかけたら、店内は想像していたよりも静かで、レトロなBGMが流れていた。
ファミリーレストランと言うくらいだから、もっと賑やかな所なのかと思っていたけど、とてもリラックスできそうな雰囲気で安心する。
夕飯には少し早い時間ということもあって、今はお客さんの入りも落ち着いているみたい。
「おお! 誠太くん。久しぶりだなぁ。元気だったか?」
その証拠じゃないけど、店員さん達も時間を持て余している様子で、誠太くんを見つけた人からぞろぞろと集まってきてしまう。
すぐに私達の周りは人の壁に包囲されて、身動きが取れなくなってしまった。
「誠太くんが辞めてもう半年かぁ」
「受験勉強は順調なの?」
「司がこの前賄い三杯も食べてー」
そうして、一斉に浴びせられる言葉の数々。
色んな方の声がみぞれみたいに迫ってきて、ちょっと怖い。
知らない人に囲まれているだけでも不安感があって、身動ぎ一つできずにいると、私の目の前にワイシャツを着た白色の背中が滑り込んできた。
「あっ……」
「お久しぶりです。みんなも元気そうですね」
涼しい顔をした誠太くんが一人一人と挨拶を交わす。
私にとっては圧倒される光景だったけど、彼はこんな時でも平然としている。
「年上にモテまくる童顔のお客さま。テーブルまでご案内しましょうか?」
「おまえはさっさとタイムカードを押してこい」
揶揄い口調の宮上さんをぞんざいに追い払って、誠太くんが私に手招き。
そのまま店員さんじゃないのに、彼が四人掛けのテーブル席まで案内してくれて、向き合う形で席に座ると、一人の店員さんがお冷を運んできてくれた。
「誠太くんはいつからここで働いてたの?」
「高校入ってすぐだね。入学する前からバイトすることは決めてたから」
「へぇー。そうなんだ。バイトしようなんて思ったことないや」
「金がたんまり欲しくてさ」
「えぇ。イヤな言い方だなぁー」
わざとらしくほくそ笑むような悪い顔を作る誠太くん。
お道化た調子で言っているけど、彼ならそれだけが理由じゃないって思える。
「他にもちゃんとした理由があるんでしょ?」
「いやいや。僕を買い被り過ぎだって。そんな立派な人間じゃないよ」
「……ほんとに?」
「何でもかんでも親に強請れる年齢じゃなくなったってだけ」
「そういう考え方が、お義父さんの支えになってたと思うけどな」
「まぁ……。多少は家計の手助けになったかもしれないね。知らないけど」
「ほらー」
「こじつけだし……。なんで穂花ちゃんが嬉しそうなんだい?」
私がしたり顔をすると誠太くんが苦笑いを浮かべている。
その表情が呆れているように見えても、口元が固く結ばれていることに、彼なりの照れ隠しを感じるから。ぎこちない素振りが余計に可愛く思えてしまう。
「僕はもっと……」
そんな風に楽しい解釈していると、そっぽを向いた誠太くんが薄く目を細めた。
羞恥心とかむず痒さとは、縁を切ったような顔付きで。
「どうかしたの?」
「いや。何でもない。お腹も減ったし、早く注文しようか」
「……何か誤魔化してる」
言葉の続きがあった筈なのに、私と目が合うと明らかに話題が変えられて。
中途半端に区切られるともやもやするから、口を尖らせて見せるけど、メニュー表に視線を落とした彼は取り合ってもくれない。
「その内、ね」
聞き取るのがやっとの声で言い残した、その瞬間の表情は、俯いているから確認することができなくて、鼓膜に届いた消え入りそうな声だけが、確かなモノとして頭の中に反響する。
「はい。何にするか決めた! 穂花ちゃん待ちー」
曇った顔色を想像した直後に、白い歯を見せて誠太くんは笑った。
その表情に、暗い影なんて一切見つけられない。
晴れやかな表情は、私の想像を勘違いだって思わせてくれて。
弾んだ口調は、微かに芽生えた胸騒ぎを打ち消してくれる。
「は、早いよ! 私にも見せて」
足元を縫い付けられそうな不安から脱して、彼の持つメニュー表に手を伸ばす。
最初の頁にはハンバーグの色んなメニューが掲載されていて、次の頁にはパスタや定食。その次の頁には洋食とピザ。サイドメニューにデザートと、あらゆる種類の料理が網羅されている。
「ど、どれにしよう……」
どれを見ても美味しそうで。
色んな料理に目移りしてしまうから中々一つに絞れない。
「好きな物を食べなさい」
「誠太くんは何にしたの?」
「とり~りたまごのふわふわオムライス」
「……ふふっ」
「え? 今鼻で笑った?」
「ううん? 馬鹿になんかしてないよ?」
「その注釈で墓穴掘っちゃってるんだよね」
「違うよ。本当にオムライスが好きなんだなぁーって思っただけ」
「晩飯食べに来て、パンケーキの頁ばっか見てる人に揶揄われたくないです」
「なっ!? 見ないでっ!」
た、確かにデザートのところばっかり見てたけど!
フルーツがふんだんに乗せられて、キャラメルソースがかかってる期間限定のパンケーキから目が離せなかったけど!
「食べたいなら食後に頼めば?」
「そ、そんなに食べられないよ」
「甘いものは別腹派閥の人じゃないんだ」
「別腹だけど……。食べ過ぎたら普通に太るので」
「え?」
私が当たり前のことを言うと、誠太くんが何度か瞬きをして、視線を下げる。
「気にしなくても、穂花ちゃんは随分華奢だと思うよ?」
視線を元に戻した彼は、何の悪気もなさそうにそう言った。
テーブルのおかげで身体の殆どは隠れている筈だけど、誠太くんは何処を見てそんな風に思ったんだろう。すーっごく気になるなぁ……。
「お肉が足りてないってこと?」
「どういう言い方……? まぁ、でも、そういうことになるのかな?」
「もういい。今日は限界まで食べる」
「お、おぉ。いいと思う。なんで不服そうなのかは分からないけど」
首を傾げて不思議がっている誠太くんは無視をして、呼び出しベルを鳴らす。
いっぱい食べて栄養をつけよう。
私の成長期が終わっていないことを信じて。
きっと、まだまだ発展途上の筈なんだから。
「ご注文はお決まりでしょうか?」
私が心の中で強く念じていると、すぐに店員さんが注文を取りに来てくれた。
テーブルの傍らに立ったのは私と同年代くらいの女の子で、切れ長の瞳と、鼻筋がまっすぐに通った美人さん。長い黒髪を耳の高さでポニーテールにしている髪型が印象的で、背筋を伸ばした姿勢がとっても凛々しい。
「僕はオムライス。穂花ちゃんは?」
「私は和風ハンバーグのセットにする」
「……以上でよろしいでしょうか?」
「一旦いいかな……。あ。あとドリンクバーも付けよう。司の奢りだし」
「え? そうなの?」
「あぁ、そう言えばさっきタイムカード押す時に何か言ってましたね」
「えっ……!?」
突然、美人な店員さんが会話に込ってきて、肩がびくっと跳ねる。
知り合いのような温度感で喋り始めるから吃驚したけど、すぐに彼女も誠太くんと面識があったんだって気が付く。この人も以前一緒に働いていたんだろう。
「お久しぶりです。誠太先輩」
「今日シフトだったんだ。久しぶりだね。……すーちゃん」
「宮上さんが先輩が来たって言うので、またここでバイトするのかと思ったのに」
「そんな訳ないでしょ。これからが大変な時期なんだから」
「そうですよね……。残念です」
え? すーちゃん?
すーちゃん……?
誠太くんが女の子を愛称で呼んでる……。
「相変わらず、司は先輩呼びじゃないんだ」
「はい。あの人は年齢こそ歳上ですが、先輩だとは認めていないので」
「そ、そうか……。僕が辞めてから何かあった?」
「……何かとじゃないです。いつ何時も遊んでます」
「いつの間にか、すーちゃんがあいつの尻拭い役になっちゃったんだな」
「その役割非常に不快なんですが。私以外に誰も注意しないし」
「違うぞ。すーちゃんよ。君が注意するから誰も注意しないんだ」
「じゃ、無視してもいいですか?」
「うーん。それはなぁ……。まぁまぁ。僕からもあいつに言っとくから」
宮上さんにとても不満がある様子のすーちゃんさん。
目付きの鋭さがどんどん増していくので、本当に嫌なのが伝わってくるけど、それとは対照的に会話の節々からは誠太くんへの信頼を感じた。
それが、きっと、名前の呼び方に表れている。
「あの人のことは諦めてるのでもういいです。それよりも、この方は?」
会話に入ることができなくて、帳の外になっていた私に突然話が振られる。
「あっ……」
「はい?」
「……うぅ」
口を固く閉じていたせいで反応が遅れて、美人さんの顔立ちから放たれる無言の圧力に怯えていると、誠太くんが苦笑しながら助け舟を出してくれた。
「この子は、僕の妹の穂花ちゃん」
「は、初めまして。私は誠太くんの妹の……。あれ?」
彼の声で落ち着きを取り戻し、同じ言葉を繰り返そうとして、言葉に詰まる。
今、誠太くんが何の躊躇いもなく、私達の関係を打ち明けていた。
それに動揺して顔を向けると、彼は問題ないと言うように小さく頷く。
「この子には話してることだから」
「……そうなんだ」
「あなたが先輩の妹さん?」
「え? えっ……!?」
一瞬伏せかけた視界の中に、すーちゃんさんの顔が入り込んでくる。
顔を顰めてじわじわ近付いてくる彼女が怖くて、上半身を反らして逃げるけど、距離が全く遠退かない。私が退く分だけ彼女が距離を詰めてきて、とにかく顔がとっても近いし、柑橘系の良い匂いもする。怖い。
「ど、どうされましたか……?」
「私は柊純恋と言います。初めまして」
「あ、はいっ。え、えーっと。兄がいつもお世話になっていて……」
「もしやと思って聞くんですけど」
「えぇ? なんでしょう……?」
「今は放課後デート中だったりしませんか?」
「い、いえっ。違いますっ。普通にご飯を食べに来ただけですっ!」
「はぁ……。まぁ、そうですよね。実は知ってました」
「へ……?」
会話の掴みどころが全然ない純恋さん。
端的に言葉を話す彼女は、謎に納得した様子で頷いて、最終的には普通のお客さんみたいな感じで私の隣りに腰を下ろした。
この状況を他のスタッフさんに見られたら叱られてしまいそうだけど、大丈夫なのかな。
「先輩の無駄に分厚い辞書の中には、デートなんて言葉は載っていないので」
「そんなことない。普通に載ってるから」
「そういうのいいんで。背伸びしないで下さい」
「先輩への扱いが雑……」
さっきまでの信頼が嘘のように、突き放されている誠太くん。
純恋さんは凄く真面目な人に見えるけど、自由奔放な人なのかもしれない。
心なしか生き生きとした雰囲気の彼女は、誠太くんを揶揄ってから私の方に顔を向けて、今度は神妙な表情を浮かべた。
「先輩はちゃんとお兄ちゃんしてくれてますか?」
「は、はいっ。誠太くんは凄くお兄ちゃんですっ」
「凄くお兄ちゃん……? 我儘も聞いてくれてます?」
「我儘は……。私もしっかりしなくちゃいけないから」
「誠太先輩? どうして我慢させてるんですか?」
私が返答に悩んで、たどたどしく答えてしまうと、誠太くんが怒られてしまう。
我儘を言いたくないのは私の意思だから、彼が悪い訳じゃないのに。
「見損ないました。先輩が家族の我儘も聞けない狭量な人だったなんて!」
「お、落ち着いて……。誠太くんは私のこと気に掛けてくれてますから」
「本当に? 言わされてないですよね?」
「そんなことされません。だから、心配しないで下さい」
「うーん。中々に信用し難いですね」
信用するにが難しい……。
どうして。そんな風に思うんだろう。
誠太くんと付き合いの長い人達は、私と違った彼を見ている。
その認識に触れる度。私が今まで見てきた姿や聞いた言葉。感じた気持ちが否定されているような気がして、心がざわつく。
不安になってしまうから、私の知らない彼のことを話すのは止めて欲しい。
「すーちゃん。そろそろ仕事に戻りな」
純恋さんの発言を、誠太くんは否定も肯定もしなかった。
怒ったり、取り乱したりすることもしない。
ただ、ほんの僅かに目尻を下げて、彼女を仕事へと促していた。
「……ご注文を承りました。少々お待ちください」
顔を向けなくても、隣りから小さな溜息を吐く気配を感じる。
純恋さんは立ち上がり、マニュアル通りの言葉を残すと、厨房の方へ立ち去ってしまった。一瞬見えた彼女の背中は寂しそうだったけど、その理由は分からない。
「あの子は高校も一緒なんだ。バイトでは僕が教育係でさ」
二人になると、誠太くんが普段通りの口調で話し始めた。
目線を合わせても、彼の表情はいつもと何も変わらない。
「高校も一緒……。後輩?」
「穂花ちゃんと同じ学年だよ」
「そうだったんだ……。その、すごく慕われてる感じだったね」
「……そうかな? 司よりは先輩扱いしてくれてるとは思うけど」
おどけた調子で、力なく笑う誠太くん。
誰かと比べなくたって、二人が打ち解けているのは明らかで。
そうじゃなきゃおかしい。
「誠太くんも。純恋さんのこと信頼してるんでしょ?」
「え? なんで?」
「だって、私のことを話してたから」
「それは、すーちゃんにーー」
「それも!」
「ど、どした?」
少し雑な扱いも。特別な呼び方も。私にはないから。
だから、宮上さんと純恋さんが特別なんだって分かってしまう。
「すーちゃんって。あだ名で呼んでるもん」
「名前の呼び方は別に……。僕発信で呼び始めた訳じゃないんだけど……」
「じゃ、どうしてすーちゃんなの?」
「どうしてって。周りがそうやって呼んでるから」
「でも、母さんと義父さんが私を穂花って呼んでも誠太くんは呼ばないじゃん」
「……それとこれとは話が違くない?」
「そうかなぁっ」
私はそんなことないと思うけど……。
「確かに信頼はしてるよ。真面目だし、口も固いし、凄く素直な子だから」
意地になって認めさせようとしていたのに、頷かれると言葉が出てこなくなる。
私は口を噤んだままでいて、誠太くんが言葉を続けた。
「でも、穂花ちゃんの事を話した一番の理由は、あの子に兄貴がいたからだよ」
「……自分もお兄ちゃんになるから?」
「そう。その前に色々聞いておきたくて。嫌われない兄貴の立ち回り方って奴を」
「わっ。カンニングだ」
「言い方よ。これでも妹ができるって聞いた時にかなり緊張してたんだぞ?」
「そんなの……。私だってそうだよ」
顔も知らない。趣味も知らない。
優しさも。真面目さも。何も知らなかったから。
こんなに仲良くなれるなんて、思ってなかった。
そして、今日。
また新しい彼を知っていく。
「純恋さんは何を教えてくれたの?」
「干渉し過ぎない。同じ話を二回しない。外では他人の振りをする」
「……すっごく偏ったアドバイスが多い気がするんだけど、参考になった?」
「聞かなくてよかったかなって思ったよ。兄妹仲があんまりよくないらしい」
「普通の兄妹だと、そういう感じになるのかな」
「家庭によると思うけど、何処へでも一緒に。ってことはないだろうね」
「……そっか。それが“普通”なんだ」
普通。当たり前。
違和感のない自然な形。
そう在るように、私達も望まれている筈で。
私達自身がそう望んだ筈で。
「誠太くんも。いつか。何処かに行っちゃう?」
目標にしていた形が今は、歪んで見えてしまうのはどうしてだろう。
「それは……」
ただ一言。否定して欲しくて、誠太くんに尋ねる。
それなのにーー。
「やっぱり、まだ話してなかったんですね」
現実は優しくなくて。
背後から聞こえてきた純恋さんの声は、氷のように冷たく感じた。
「お待たせいたしました」
テキパキと配膳を済まし、純恋さんが誠太くんを見下ろす。
それを受け止めて、彼はとうとう嫌だって感情を、表情に滲ませていた。
「先輩がここに来ることは、今後ないと思うので。今言っておきますね」
「すーちゃん……」
「大学受験頑張って下さい。会えなくなるとしても。応援していますから」
「……あぁ。ありがとう」
それだけの言葉を、きっと、彼女はわざと口にして。
颯爽と私達に背中を向ける。
残された私達は、湯気の立つご飯に目も向けず、言葉を探し合っていた。
「今の……。どういうこと?」
私達は知らないことがまだ沢山あって。
言葉にしない想いを、理解することなんてできない。
「……僕は。東京の大学を受けようと思ってるんだ」
「え……?」
どれだけ近付いても、私達の関係は義理のまま。
決して本物にはなれず。ううん。本物に近付いたからこそ。
いつか離れてしまう未来も、こんな風に決まっていたんだ。
「だから。もし合格できたら。……ここを出て行く」
目の前がちかちかと明滅して、誠太くんの表情は、もう見えなかった。




