15『知りたいこと。知りたくないこと』
15『知りたいこと。知りたくないこと』
夏休みが明けて、一週間。
八月が終わっても暑い日は続いていて、休み明け間もない教室は気怠気な空気感で満たされている。六限目にもなると、クラスメイトの半分はお昼寝をしていて、後ろの席に座っているのに黒板に書かれた数式がとっても見やすい。
そんな状態を見かねたのか、先生も授業を早めに切り上げて、残り時間が自習になったら、教室内はより一層静かになった。
「はぁ……」
集中するモノがなくなってしまって、一気に全身の力が抜けていく。
今は、真面目に自習する気持ちにはなれなくて。
何となく窓の外の景色を見ていたら、後ろから肩をとんとんと叩かれた。
一つ後ろの席にはみさきが座っているので、授業で何か分からない所があったのかなって振り返ると、彼女の机の上には何一つとして乗ってない。
教科書も、筆箱も一瞬で片付けられていて、自習するつもりは欠片もなさそう。
私も人のことは言えないけど、その清々しさにはびっくりしてしまう。
「どうしたの?」
みさきは勉強以外に話したいことがある様子だったから、小声で用件を尋ねてみると、もっと近づいてきてって手招きをされた。
「……?」
教卓で書類整理をしている先生には気付かれないように椅子を引き、半身でみさきに片耳を寄せる。眉をひそめた私に対して、彼女は分かり易く口角を上げると、机に上半身を預けながら、私の顔に人差し指を向けてきた。
「ため息ばかりしてたら幸せが逃げちゃうぞっ」
「……え?」
「はぁーぁ。って。後ろからでも分かったよ」
「そ、そんなため息してたかな……」
指摘されても思い当たる自覚がなくて首を傾げてみせたら、みさきがぎこちない微笑みを浮かべて困ったように笑う。そんな顔で見られると落ち着かない。
「最近ずっとそんな感じじゃん」
「そうかな……」
「そんなに気になるんだったら直接聞けばいいのに」
「……な、なにを?」
「何をじゃないでしょー。お兄さんに愛の告白をしてきた人の話」
「うっ。またそれ……」
夏休みの最終日に目にした『愛してる』のメッセージ。
その短い言葉のインパクトは心臓にまで届いて。
自分でも吃驚するくらいに頭が混乱してしまって。
一人では状況を整理できずに、みさきに打ち明けてからほぼ毎日。
何かにつけて話は掘り返されて、言い表せないモヤモヤばかりが増えていく。
私はもうその話をしたくなかった。
「今は、もう気にしてないから……」
「嘘言わないの。すぐ連絡してきた癖に」
「……うん」
気にしていない。なんて、そんなのは嘘。
“ツカサ”という女性がどんな人なのか。
今は、何をしている時でも、そのことしか考えられない。
みさきは全てお見通しだった。
「穂花が聞き辛いなら私が聞いてあげようか?」
「いいよ……。きっと、彼女なんだと思うし」
凄く知りたい癖に、口から出ていく言葉は強がりばっかりで。
本心とは違う行動をしてしまう自分自身に戸惑ってしまう。
知りたい気持ちと、知りたくない想い。
矛盾した考えが交互に入れ替わって、頭の中がうるさい。
みさきに聞いて欲しくて話したのは私なのに、今は目を逸らしたくなるくらい居心地が悪かった。
「彼女いないって。お兄さんが自分で言ってたじゃん。あれを嘘だって思うの?」
「……分かんない。でも、誰にも言いたくないことだってあると思うし……」
「うわぁー。そうやって狡い言い方して。確かめる前に嘘って決めつけるんだ」
「ち、違うよっ」
この話題から逃げ出したくて投げやりに言葉を紡ぐ私を、みさきが非難する。
誠太くんを悪者扱いなんてしたくないけど、彼の発言を嘘だったと決めつけたがる私も確かに存在していて。彼女の突き刺すような口調に胸の奥が痛んだ。
「そんなつもりじゃないの……。ごめんなさい」
答えを決めてしまいたいのは、これ以上心が振れないようにしたいから。
そんな自分勝手。
「私は友達がふざけて送っただけだと思うけどなぁー」
「……ぶちゅって?」
「それが如何にも冗談っぽくない?」
「そうなのかな……。ぶちゅだよ?」
「え? 穂花は恋人ができたらぶちゅって送るの?」
「お、送らないっ。変なこと言わないで!」
みさきの不意な発言に声が上擦りそうになる。
好きな人が出来たとしても、そんなはしたない文章は絶対に送らない。
送らないけど、もしもを想像してしまって顔が熱い。
「だって、納得してないから」
「凄く大胆に気持ちを表現できる人なのかなって思っただけっ」
「うーん。どうなんだろうねぇー」
私は、ツカサさんのことを何も知らない。
どういう人で。誠太くんとどんな関係を築いてきたのかも分からない。
靄の掛かったその人は、素敵な人なのかな。
「知りたい? ツカサさんのこと」
想像だけはどんどん膨らんで、目を伏せてしまう私を、みさきだけは許してくれない。
「……誠太くんに聞くのは無理だから」
拗ねるように拒んでみても、彼女は穏やかに微笑むだけ。
「それじゃ。見に行ってみようよ」
「え……?」
「お兄さんの高校に行けば、会えるかもしれないでしょ?」
そうして提案されたアイデアは、色んなモノからはみ出している気がする。
「……ストーカーみたいなこと言ってない?」
「そんなことないって。ただ確認するだけ。お兄さんを傷付けたりはしないし」
「そ、そうかなぁ……」
「ツカサって人が彼女なら。一緒に下校してる現場が抑えられるかも」
「そんなタイミングで遭遇しちゃったら気まずい所の騒ぎじゃないよ」
「その時は挨拶して、一緒に帰ろ」
「む、むり……。そんなに心強くないかも……」
まるで冗談みたいな話だけど、みさきの表情は真剣で。
瞳に宿る意思が、グッと強調されたように見えた。
「お兄さんの彼女とは、仲良くなれないの?」
「……え」
その言葉で、頭の中が真っ白になる。
喉が掠れてしまって、どんな言葉も出てきてくれない。
「それは、なんでか分かってる?」
私はどうして、こんなにも誠太くんのことが気になるんだろう。
「穂花はねーー」
「私はっ」
みさきの言葉を遮るように、声を振り絞る。
考えは全然纏まっていなくて、当てずっぽうで答えを探す。
胸の辺りにあるずしんと重たい感覚が凄く邪魔で。
息苦しさを感じながら見つけたのは、
「誠太くんは大事な友達で、お兄ちゃんで……。だから、えっと……」
私達が目指していた。本当の家族。本物の兄妹。そんな言葉。
その願いに日々近付けているって、私は思ってる。
だから、これ以上求めるモノは何もない筈なのに。
「……」
今以上の“なにか”が欲しくて。
「難しいのかなぁ」
言葉を失って口を閉ざす私に、みさきが慰めるような、柔らかい声を漏らす。
その優しい口調に引き寄せられて顔を上げたら、彼女は時々見せてくれるお姉さんの顔付きになっていた。
「でも、これは穂花が。自分で見つけなくちゃいけないことなのかも」
テストの解答を考えるみたいに、みさきが小さく首を傾げる。
答えを導き出すことを、彼女は私に委ねてくれた。
それは、立ち止まることだけはしちゃいけないってことで。
「そのためにもまずは、愛してるの正体を確かめなきゃ」
そう言って、私を前方に急かす。
「……みさきもついてきてよ」
「えー。私はどうしようかなぁ」
一人は怖くて、助けを求める私に、彼女は揶揄うように笑う。
はっきりしない言葉を聞き終えたタイミングで、授業の終わりのチャイムが鳴り響いた。その音で目を覚ましたクラスの子達はのそのそと起き上がり、帰りの支度を始める。私達と離れた位置には優衣がいて、目が合うとこっちに歩いてきた。
「放課後どっか寄ってかない?」
帰りのホームルームが始まる前に、遊びのお誘いをしてくれる優衣。
普段なら悩むことなく頷いているところだけど、頭の中がみさきの話に占領されていて、咄嗟に返事が返せない。
今日作戦を実行するなら断らなくちゃいけないし、どうするのかとみさきの表情を確認したら、彼女は優衣の提案に平然と頷いていた。
「いいねー。甘いもの食べたいなぁ」
「あ、あれ? みさき?」
「なに? どうしたん?」
そんな筈ないと思って、二人の会話に割り込むと優衣がきょとんと首を傾げる。
隣りではみさきが、悪びれた様子もなく、満面の笑みを浮かべていた。
「穂花はこの後予定があるから無理なんだって。ね?」
「え? そうなん?」
「……みさきの薄情者」
あまりにも躊躇なく突き放されて辛い。
私の心がもう少し幼かったら、泣いちゃっていたかも。
「何の用があんの?」
「お兄さんが通ってる学校に行くんだって」
「あぁ。そういうことね」
「……ねぇ。どうして、優衣も納得してるのかな?」
全然腑に落ちないけど、その一言で私の不参加が強制的に決まってしまう。
流石に頬を膨らませたら、それすらもみさきは面白がって何度も笑う。
「それじゃ、一緒にパンケーキでも食べに行く?」
「……いい。今日は」
「ふふっ。頑張ってね。穂花」
伸びてきた細い指が、私の右頬を掴んで弄ぶ。
「素直になった方が楽しいんだから」
最後までは彼女の意思は変わらない。
弾んだ口調にどんな考えがあるのかは分からなかったけど、その言葉は間違っていないと思うから。
誤魔化してばかりの私が、否定することはできそうになかった。




