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ありふれた恋すら、あなたとは。  作者: よせなべ
第二章『甘いコーヒーと宇治抹茶入り緑茶』
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12『方便と口に出さない本心と』

12『方便と口に出さない本心と』




 勉強の息抜きにコーヒーを淹れようとリビングに向かい、電気ケトルでお湯を沸かす。お湯が沸くのを待つ間、キッチンに置かれている壁掛け時計を確認すると、時刻は十七時十五分。

 気付けばいつの間にか夕方で、窓から差し込む日差しも弱くなっている。

 集中していると時間が進むのも随分早い。

 一息ついた後には、夕飯の準備に取り掛かることにしよう。


「今日は和食にするかな」


 冷蔵庫に鮭の切り身と幾つかの野菜が残っているから、今日の献立は焼き鮭と具沢山の味噌汁。あとは卵焼きでも作ろうか。

 穂花ちゃんは出汁巻き卵が好きなので、そっちにしてもいいかもしれない。

 両親は外で夕飯を済ませるみたいだし、彼女の好みに合わせた方が喜んでくれる筈だ。最近は、穂花ちゃんの好物も知れてきて、料理が捗っている。

 

 みさきさんも日が暮れる前には家に帰るのだろうか。

 夕飯を一緒に食べるのであれば彼女の分も用意するけど、みさきさんの両親は厳しいみたいだから、門限なり何なり何かしらのルールが作られていそうだ。

 それでも一応声は掛けておいた方がいいかなと考えていると、タイミング良くリビングの扉が開かれた。


 先頭に立って、部屋に入ってきたのはみさきさんだ。

 そのすぐ後ろには穂花ちゃんの姿もあり、僕と目が合うと、一人はパッと目を見開き、一人はムッと目を細める。……既に気まずさが半端ない。 


「あ。お兄さん! 今日はありがとうございました!」

「もう帰る? 夕飯は食べてかない?」

「はい! ママに晩御飯までには帰ってくるよう言われてるので!」

「そっか。それじゃまた。いつでも遊びに来てね」

「はい! また来ます!」

「帰り道気を付けて」

 

 小さく手を振ってみさきさんを見送る。

 二人が玄関に向かうのを目で追っていたら、電気ケトルのポンッという音を鳴らして、お湯が沸いたことを教えてくれた。

 この間映画館で買ったAllOutのマグカップに、市販のドリップコーヒーをセットしてお湯を注ぎ、シュガースティック二本とミルク一個の配分で混ぜ合わせる。


 火傷しないように一口飲めば、コーヒーの仄かな苦みと糖度の高い甘さが口の中に広がって、リビングのソファに沈めた全身の力が見事に抜けていった。


「……」


 だらしなく伸びをする僕の前に、友達を見送った穂花ちゃんが戻ってくる。

 希薄な表情の彼女は一言も発さず、けれど、視線では何かを訴えていて。


「な、なに?」


 意図を尋ねてはみるけど、目ぼしい返事は返ってこない。


「お、おかえり?」

「……。うん」


 こちらから声を掛けてみても返ってくるのは生返事のような淡白なモノだけで、先程のみさきさんとの密会を引き摺っているといった雰囲気だ。


 彼女はどんな風に事情を説明してくれたんだろう。

 在らぬ誤解が生まれてなければいいのだが。


「ちょっと勉強の息抜きしてまして……」

「……そうなんだ」

「穂花ちゃん達も勉強できた……」

「……あんまり」 

「そ、そっか……」

「……」

「……」


 会話が全く弾まなくて、とてつもなく話し辛い。

 空気が重く感じるのは僕の気にしすぎではない筈だ。


「もう充分休めたし……。僕は一旦部屋に戻ろうかな」


 ここは一度撤退するのが吉。

 穂花ちゃんが機嫌を損ねているかは確定じゃないし、焦って下手なことを言う方が危ないと見た。なるだけ低姿勢でここから逃げ出そう。

 そんな及び腰で、ソファから立ち上がろうとして、この場で初めて彼女の方から声を掛けられた。

 

「勉強の続きするの?」

「え? あ、あぁー。まぁまぁ。そんなところだね」

「そっか。みさきとは楽しそうに話してたのに」

「……へ?」

「ん? 勉強頑張ってね」


 変わらぬ立ち姿勢で、変わらない虚無の表情で、小首を傾げる穂花ちゃん。

 含みがありありとあり過ぎて、額縁通りに言葉を受け取れない。

 このまま立ち去るのは危険だと、本能が警笛を鳴らしている。

 

「なんか穂花ちゃんとも話したくなってきたかも……っ!」


 どうにか声を絞り出し、リビングに残る意思を示す。

 そうしたら彼女の表情も目に見えて柔らかくなり、それが余計に怖くて震える。


「本当? なら、座って話そうよ」

「そ、そうね……。えっと、最近どう? あ、いや。その前に何か飲む?」

「うーん。温かい緑茶が飲みたいかなぁ」

「おけおけ。すぐ淹れてくるから! ソファに座って待っててくれ」


 自分のマグカップをガラステーブルに置いて、早足でキッチンへ。

 キャビネットから粉末緑茶の容器を取り出し、小さじ一杯分をお湯に溶かす。

 使っているマグカップは僕とお揃いで、そのことが少しだけ気恥ずかしかった。


「おまたせしました」

「ありがとう」


 リビングで待っていた穂花ちゃんはソファの真ん中に堂々と鎮座している。

 三人掛けのソファだから、左右に座る場所はあるんだけど、躊躇して目の前で立ち止まっていたら、一瞬の沈黙があって、身体一個分右側に避けてくれた。


「熱いから火傷しないようにね」

「はーい」


 手渡したマグカップを彼女は両手で受け取って、浅く口をつける。

 横顔からは僕の知らぬ間に結んだらしいお団子の髪型がよく見えた。

 穂花ちゃんが髪を結っている姿は初めて見たかもしれない。

 ちょこんと乗っかっている丸みは可愛らしく、いつもの印象とも少し違う。 

 少女らしさと大人っぽさが混じり合った雰囲気は、彼女の儚さを増していた。


「なに?」

「いや。何でもない」

「……こっち見てなかった?」

「お茶が美味しそうだなって」

「……」


 じろじろ見てるのがバレてしまって恥ずかしい。

 これ以上印象が悪くならないよう誤魔化して、話題を変える。


「勉強はあんまり捗らなかったんだ?」

「……うん。勉強より他のことしてた時間の方が長かったかも」

「ははは。家で集まるとそうなりがちかもね」

「誠太くんの友達も来ることある?」

「ん-。殆どないかな。来ないっていうか来させない」

「どうして?」

「手癖の悪い奴がいるから。……穂花ちゃんにちょっかいを出しかねない」


 とある付き合いの長い人物を思い浮かべ、辟易と溜息を漏らす。

 素直な穂花ちゃんとは対極の存在である人間とは、何が何でも会わせたくない。

 良くない影響を受けてしまったら大変だ。


「へぇー……。誠太くんがそういう人とも仲が良いって意外かも」

「中学からの付き合いでね。言っちゃえば、ただの腐れ縁かな」

「腐れ縁……! 何だかいいね。そういう関係性」

「……あいつと同じ系統の人間だとは思われたくはないんだけど」

「ふふっ。分かってるよ。誠太くんは紳士だもんね」

「えっ? そう、かな……」


 僕が何となく自分に課していることを、事もな気に言い当てられて目を見開く。

 密かに抱いていた目標を見透かされたのは、彼女が初めてかもしれない。


「……本当にできてると思う?」

「私はそう思うよ?」

「そっか……」

 

 それは。つまり、あの頃よりは成長できたと思ってもいいのだろうか。

 父さんのようになるなんて、到底不可能だと思っていた僕が、少しはあの背中に追いつけたと。そう思ってもいいのだろうか。

 

「みさきとあなたの話をしてたの。お兄さんが誠太くんでよかったって」

「お、おぉ……。それは流石に嬉しくてにやける」

「私を大事に想ってくれてること。ちゃんと伝わってるよ」

「そ、そう……。なんか。ちょっと。照れくさいな」

「ふふっ。私のことなんてこれっぽちも女の子として見てないもんね?」

「う、うん? え……?」

「異性として見る方が難しいんだもんね? 魅力がなさ過ぎるから」

「ひえっ」


 感情の感じない張り付けられただけの笑顔が恐い。

 口元は笑っているのに、目が真っ黒で、頭が混乱しそうになる。

 こんな表情をする穂花ちゃんは見たことがない。

 みさきさんは一体どんな伝え方をしたんだ。誤解しか生まれていないぞ。


「そんな言い方はしてないかもです……」

「みさきはそう言ってたけどなぁ。違うんだ?」

「違う違う! 誤解だよ。誤解」

「じゃ。みさきが嘘吐いてるってこと? 私の友達が悪いんだ」

「ぐ、ぐぬっ……」


 そう言われると、返す言葉が出てこなくて口籠ってしまう。

 みさきさんを悪者にしたい訳ではないから、立ち振る舞いが難しい。

 もっと角の立たない弁明の仕方はないものか。

 

「……嘘とまでは言わない。ただ! そんな言い方はしてません!」

「嘘じゃないならどちらにしても意味は一緒だよね?」

「いーや? 全然一緒ではないな」

「一緒です」

「僕らは家族だからそういう言い方をしただけで、魅力がないとは言ってない!」

「……あんまり響いてこないかも。証拠ないし」

「しょ、証拠……?」


 穂花ちゃんが滅茶苦茶な難題を押し付けてくる。

 どうにかして証明したい気持ちはあるけど、彼女の瞳は疑いの色で満ちていた。

 そんな視線を向けないで欲しい。だって、これが一番誠実な向き合い方だろ。


 証拠なんてモノは提示のしようがなくて。

 言葉は形に残らないから、おいそれと取り出す術もない。

 だったら、改めて言葉を綴ろう。

 今なら、みさきさんには言えなかった言葉も少しは伝えられる気がした。


「……女の子として見てるなんて言えないって。僕は君の兄貴なんだから」


 そんな意思を見せれば、穂花ちゃんを恐がらせてしまう。

 決定的な溝が生まれて、今の関係が壊れるのは嫌だ。


「失いたくないから。……方便くらいは許して欲しい」 

「……それじゃ、あるの?」

「うっ」

「もし私達が兄妹じゃなかったら。あるの?」

「なにを……」


 穂花ちゃんがマグカップを置いて、じっとこちらを見つめてくる。

 真剣で。だけど、少し怯えたような表情で。


 それは女の子にしかできない狡い顔付きだと思う。

 誤魔化そうと取り繕うことが不誠実だって思わされるから。

 

「穂花ちゃんは……、共学だったら普通に告白とかされてると思うよ」

「あんまり嬉しくない」

「……なんで?」

「誠太くんが逃げたから」

「逃げてないって。客観的な意見の方が良いじゃんか」

「よくないです」

「よくないのか……。それはどうして?」

「それは……。誠太くんが男の人で一番仲の良い人だから。知らない人を例に出されても、あんまりイメージできないし」

「……なるほど?」

「うん……。だから、そういうこと」


 もしもの話だと、真実味がないということだろうか。


「くっ……」

 

 羞恥心がせり上がってきて、顔に熱が籠っていくのが分かる。

 面と向かって口にするには勇気も経験も足りないけれど、曖昧に誤魔化しているだけで収まる空気感でもない。僕は、腹を括るしかなかった。


「穂花ちゃんは……。素敵な女の子だよ」

「誰でも言えそう」

「くっそ……」


 覚悟を決めて振り絞った言葉が、あっけなく一蹴される。

 これでは何かが足りなかったらしい。

 

「くっそ?」

「違う違う。そんな汚い言葉使っちゃだめだよ」

「言ったのは誠太くんだけどね」


 確かに具体性はなかったかもしれない。

 それを何故か反省させられて、三回目のトライ。


「穂花ちゃんは……」

「うん」


 本気で何を言ったらいいのか分からん。

 ええい。もういい。どうにでもなってしまえ。


「穂花ちゃんは優しいし、気遣い屋さんだよな」

「……ん」

「穏やかで、しっかりしてる性格だから。一緒にいて安心感も得られます……」


 恥ずかしさに耐えられなくて、喋り方が商品説明のようになる。

 努力を褒めることは自然と出来るのに、異性の女の子の人柄を褒めるのは異常に気恥ずかしい。他人と比べた時の相対的な評価という体裁を取れば、澄ました顔でいられるのだが、気付くと視線は穂花ちゃんから逸れていて、ほとんど中身の減ってないマグカップの中を覗き込んでいた。


 こういう面を自覚すると、自分はまだまだ未熟なんだと思わされる。


「……あ、ありがとう」


 閉じかけた意識が穂花ちゃんの言葉に引っ張られて、その表情を確認すると、彼女は俯き加減に視線を彷徨わせながら、唇をもにょもにょと動かしていた。


「自分で言わせといて照れるなよ……」

「な、なにがっ?」

「勢いじゃ誤魔化せないくらい顔赤くなってる」

「これは……。誠太くんが照れるから! それが移ったのっ!」


 僕の指摘を殊更に恥ずかしがって、マグカップで顔を隠そうとする穂花ちゃん。

 でも、それでは全然隠し切れていなくって。

 泳いでる瞳や真っ赤に染まった耳たぶが、僕にははっきりと見えていた。


「満足ですか?」

「満足とか、ないですけど」

「納得は?」

「……まぁ」

「ほんとかな」


 取り乱した彼女を見て、徐々に気持ちが落ち着いてきた。

 会話の主導権もこちらに傾いてきたような気がする。

 形容し難い空気に充てられ、何が何だかよく分からなくなってきたけど、これならいつも通りに振る舞えそうだ。


「じゃ、この髪型は?」

「え?」

「お団子。みさきがやってくれたの。どう、思う?」


 調子を取り戻してきたと思った矢先に出鼻を挫かれる。

 容姿を褒めるのが何よりも一番難しいのに。


「むぅ……」

「ぐぬぬ」


 最早、お互いに視線を合わせられなくなっている僕達。

 こうなったら訳も分からずに辱め合っているだけではないかと思うけど、ここで逃げたら男として情けないという本能だけが先行して、縺れた口が勝手に動いた。


「……よく似合ってると思うよ」


 咄嗟に選べた一言。

 それが、今の僕には限界だった。


 これ以上の言葉を軽々しく口にすることはできそうにない。

 意識すると、僕の中にある線引きが揺らいでしまいそうになる。

 

 はぁ。色んな思考が混線して、勉強の後よりも脳が疲れてきた。

 これ以上はパンクして爆発するから、甘いコーヒーを一気に煽って、一息吐く。

 とっくに温度は冷めていて、口一杯に含んでも火傷の心配はなさそうだ。でも、一度に含み過ぎて、飲み込もうにも飲み込めない。


「ありがと……。その……」


 お隣りでは再び穂花ちゃんが恥ずかしそうに身体を小さくしている。

 その真っ赤な顔色のまま、彼女が僕らの間にあったスペースを詰めてきた。


 手をソファについて、上目遣いに僕を見上げた彼女は、


「ーーお兄ちゃん」


 囁くように声を出す。

 僕は一瞬。何と言われたのか分からなくて。

 それを認識した瞬間。


「ゴホッ!? ゲホッ! ゲホッ!」


 鼻が詰まったような感覚に、口の中に残っていたコーヒーを吹き出しかけた。

 その拍子に液体が器官に入って、咳が止まらなくなる。


「だ、大丈夫?」 

「かはっ。死ぬぅ……」

「えぇ!? お、落ち着いて。ゆっくりゆっくり」


 真横に並んだ穂花ちゃんに背を擦られ、必死の思いで深呼吸を繰り返す。

 

「はぁはぁ……」


 数分掛けてどうにかこうにか呼吸が整い、手の甲を使って口元を拭う。

 苦痛で閉じていた目を開くと、穂花ちゃんが本気で不安そうな顔をして、僕のことを覗き込んでいた。心配してくれるのは有難いけど、こうなってしまったのはどう考えたって彼女のせいだ。


「今のは、どういう……?」


 初めて“そう”呼ばれたことに平常心を取り繕えない。

 恐る恐る意図を問えば、穂花ちゃんはようやく、誰が見てもはっきりと分かる不満気な表情を見せてくれた。

 

「……だって、みさきに呼ばれて嬉しそうだったじゃん」 


 頬を小さく膨らませ、唇を尖らせる姿は年相応の女の子で。

 

「あ、あれは別に喜んでた訳では……。体験したことのない衝撃を受けただけで」

「……誠太くんはお兄ちゃんって呼ばれたいの?」

「そんなことはないけど、呼んでくれるのが穂花ちゃんなら……。感動するかも」

「私だったら感動するの?」

「勝手だけど。認められたというか、ちゃんと兄妹になれた気がするから」


 僕達の関係が書類上のモノではないんだと。

 一緒に居て、お互いのことを知って、目には見えない繋がりが芽生えたんだと。

 

 そう思えるから。

 

「誠太くんは。私のお兄ちゃんだよ。私の。私だけのお兄ちゃん」

「お、おぉ……」


 感慨深さが勝って、間の抜けた声しか出てきてくれない。

 彼女がそんな風に思ってくれていたという事実が、何よりも嬉しい。


「だから。他の子に浮気しちゃだめだよ?」

「う、浮気って表現はなんか違くない?」

「違いません。みさきのお兄ちゃんになろうとしてたでしょ」

「してないしてない。じゃなくて。そもそもなれないから」

「うーん。ほんとかなぁー?」

「妹は一人でいいかな。兄想いの子がいてくれれば。それでいい」

「……うん」


 誰かの兄貴になりたい願望なんてない。

 妹になったのが彼女だったから、この役割を格好良く全うしたいと思うんだ。


「ねぇ」

「ん?」

「誠太くんのこと。お兄ちゃんって呼んだ方がいいの?」

「……呼び方は別に何でもいいよ。何でもね……」

「なんだか心苦しそう」

「いやいや。全然全然。本心だから」

「……それじゃ、これからも誠太くんって呼ぶよ?」

「うん……。まぁ、そうなるよな……」

「露骨っ! いいでしょ? 誠太くんじゃないとしっくりこないんだもん」


 揶揄うような、拗ねるような微笑みを浮かべて、穂花ちゃんが緑茶を飲み干す。

 それから息を吐き出した彼女の雰囲気は、普段よりも柔らかくて、そのふとした何気ない仕草に僕の心は満たされるのだった。





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