【連載版始めました!】加護なし聖女は、身代わりの花嫁として冷酷公爵様のもとへ嫁ぎます〜優しさに触れて加護が開花するなんて聞いてません!〜
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「レイミア、聖女とは名ばかりの役立たずのあんたに一つ仕事をあげるわ。三日後、ヒュース・メクレンブルク公爵のところへ嫁ぎなさい」
「えっ……。私がですか……!?」
礼拝堂の清掃中、汚水をわざとかけられたのは数分前だっただろうか。床にぺったりとついたお尻と同じように、全身から滴る水が冷たい。何より臭い。
加害者であるアドリエンヌが見下ろしてくる表情と言えば酷く楽しそうで、周りの聖女たちの表情もまた嘲るものだ。
そんな中で、レイミアはアドリエンヌを見つめるのが精一杯だった。
「そうよ。聖女の紋章はあるくせに加護がいつまで経っても目覚めないあんたに、結婚なんて過ぎた話でしょう? いくら相手があの、冷酷だと言われている半魔公爵様だとしてもね」
ポルゴア王国一番の聖女と謳われるアドリエンヌは、ここポルゴア大神殿の女神のような存在だ。
ポルゴア王国にはレイミアを含めて約十人の聖女がいるが、加護を持っていることはもちろん、豊富な魔力量と、目を引く妖艶な容姿から、彼女は大聖女なんて呼ばれていた。
「アドリエンヌ様……公爵様が私を妻にと望んだのですか?」
比べて、加護に選ばれなかった加護なし聖女と呼ばれるレイミアは、使用人以下の扱いをされてきた。
加護とは、非常に希少な生まれ持った特殊な能力のことだ。
加護が発動する可能性のある者には幼少期に全身の何処かに十字架の痣のようなものが浮かび上がる。
女性にしかその紋章は現れず、結界を張る、土地を浄化する、回復するなど、一般的な魔法では扱えないものが加護の特徴である。
そして、レイミアは紋章はあるが、どんな些細な加護も発動しないことから、加護なし聖女と呼ばれているのだった。
レイミアの質問に、アドリエンヌは「あはははっ」と高らかに笑ってみせた。
「そんなわけ無いでしょう? あんたを神殿で引き取った手前、神殿の権威のために加護なしだってこと隠しているけれど、何の活躍もないあんたに縁談なんて来るはずないでしょう!」
「では、どうしてですか……?」
「陛下からの命令よ。聖女を公爵様の元へ嫁がせて、共に魔物の対応に当たるように、ってね。あの半魔公爵様の元に、加護に選ばれし私やこの子たちが行くのは、ねぇ?」
ヒュースに対する物言いにレイミアは一瞬ピクと身体が反応したが、何も口にすることはなかった。
──レイミアは以前から、メクレンブルク公爵領に魔物が大量発生していることは知っていた。聖女の派遣の頻度を増やしてほしいと進言していることも。
けれど聖女は日々多忙だ。
いくら公爵領が重要だとしても、要請の度に行けるわけではなかったし、何よりアドリエンヌたち聖女は自分の身可愛さに、過酷な土地に出向くのを嫌がり、要請を断ることが多かった。
だから今回、派遣という形ではなく半ば無理やり婚姻という形を取ったのだろう。だというのに。
(なんの力もない私が行っても、公爵領に蔓延る魔物をどうにかすることはできない……っ)
けれど、それを進言しても決定が覆らないことをレイミアは身を以て知っている。神殿に来てからずっと、アドリエンヌ率いる聖女たちに悪口や嫌がらせ行為を受ける度に止めてくださいと懇願しても、それが叶うことはなかったから。
(私が何を言っても、この様子だと決定事項なのよね)
「わかり、ました……」
レイミアがぽつりと呟くと、アドリエンヌは「ふんっ」と鼻を鳴らす。
そうして、バタンと力強く扉を閉めて部屋を出ていった、アドリエンヌとその取り巻きである聖女たちの背中を見つめるレイミアの瞳の奥がゆらりと揺れた。
──レイミアがポルゴア神殿に引き取られたのは今から十年前の八歳の頃だった。
レイミアは、パーシー子爵家の長女として生を受けた。典型的な政略結婚を交わした両親はあまり仲が良くなく、家族内は常にギスギスしていた。
そんな日々の中でも、レイミアは常に明るく振る舞い、どうにかして絵本にあるような幸せな家族を夢見ていたのだけれど。
『レイミア……貴方、その紋章』
『えっ?』
八歳の誕生日、形だけの誕生日会を開いたときのこと。
膝下のドレスを身に纏ったレイミアの変化に母が気付いたのは、本当に偶然だった。
『ふくらはぎのその紋章!! それは加護を持つものの証だわ! 凄いじゃないレイミア!!』
──それが、全ての始まりだった。
聖女の紋章がある者は、いわば未来の聖女だ。聖女といえば国の宝──貴族の娘ならば、その家はどれだけ栄えるだろう。
何より、ポルゴア神殿では貴重な未来の聖女を確保するため、能力が目覚める前の段階から神殿で引き取りたいという話が上がっていた。その際に、多額の金銭をその家に渡すことも。
「ハァ……親に売られ、今度は聖女を求める土地に嫁ぐことになるだなんて」
とはいえ、嘆いたところで状況は変わらない。
アドリエンヌたちが部屋から去ってから割と長い時間物思いに耽っていたレイミアは「あ……」と声を漏らすと、ぽつりと呟いた。
「待って……加護なしの私が公爵領に行っても役に立たないわけだから、突き返されるんじゃ……? えええ……ちょっと待ってよ……」
弱々しいその言葉は、あまりにも質素で小さなレイミアの部屋に響いた。
ヒュースの元へ嫁ぐ三日後は直ぐにやってきた。レイミアは公爵領へ向かうための馬車に乗りながら、二日前のアドリエンヌの言葉を思い出す。
──『加護なしだからってあんたが突き返されたらどうするかですって? 聖女の力については調子が悪いって言っておきなさいな。とにかく王命なんだから、しっかりと結婚までは漕ぎ着けなさいよね。もし失敗して戻ってきたりしたら──』
(理由はどうあれ王命に背いて戻ってきたら、牢屋行きだなんて……!)
両手で頭を抱え、レイミアは俯く。
それは嫌過ぎる。神殿で嫌がらせを受ける日々に戻るのも嫌だが、やはり罪人になるのと話は違う。つまり、レイミアはどうあっても聖女としてヒュースとの契を結ばなければならないのだ。
(公爵様側からの即離婚なら……罪にはならないのかな。どうだろう)
とはいえ、今はそれを考えても仕方が無い。というか、何をするにしてもレイミアには選択肢はないのだから、腹を括るしかないのだ。
「そういえば、メクレンブルク公爵様って、一体どんな方なんだろう……」
レイミアは、はたと、将来の旦那様になる……かもしれない男のことを思い浮かべた。
──ヒュース・メクレンブルク。
二十六歳にして爵位を継いだ、若き公爵である。
彼の別名は『半魔公爵』であり、その由来は文字通り彼が人間と魔族の混血だからだと言われているからに他ならない。
「確か、ここ百年ほどで魔族や半魔族との共生が叶ったのよね。でも……」
魔族とは知能が高い。その容貌はかなり人間に近く、穏やかな性格の者が殆どだ。
何より魔族は、一般的に知能のない獣型の魔物とは違い、理由もなく襲ってきたりはしない。この辺りをきちんと理解していない者は、魔族と魔物とを一緒だと思い込み、国から正式に共生が認められている魔族のことを嫌悪する者も少なくないのが実情だった。
(もしかしたら、私などよりずっと辛い人生を送っているのかもしれない)
公爵として領地や民を守らねばならないのに、救いの手である聖女に要請を断られるなんて。公爵領の魔物の数に怯んだこともそうだが、おそらく聖女たちが要請を拒んだ最たる理由は、ヒュースが半魔族だからなのだろう。冷酷と言われているのもまた、そのせいかもしれない。
魔族は魔物と同じ穢れた存在。尊く、清いとされている聖女とは相反する者だと考えているに違いなかった。
そうして、後は公爵領へ続く森林を抜けるだけになった頃。
「うう……それにしても、長時間、馬車に乗っているのはきつい……」
神殿での嫌がらせの一環で、残り物の食べ物しか与えられなかったレイミアの身体は酷く細い。肌もボロボロで、ウェーブの掛かった薄茶色の髪の毛には艶がなく、ローズクオーツを埋め込んだような瞳だけがキラリと光る。
──その時だった。
ガタン!! と大きく馬車が揺れたと思ったら、次の瞬間、馬がヒヒィン!! と甲高く啼いて足を止めた。
同時に「最悪だ……!!」という馭者の声に、レイミアは反射的に馬車の外に飛び出してしまったのだった。
「なっ……!! 魔物が辺りいっぱいに……!」
けれどこの判断は、レイミアを窮地に追い込むには十分すぎたのだ。
「こんな危険なところ進めるか!! おら!! 早く動け!! 引き返すぞ!!」
「……!? 待って……! 待ってください……!!」
素早く道を引き返した馭者は、レイミアの言葉など耳に入らないのか、その場にレイミアを残して去って行った。
「そ……んな……っ」
無意識に鞄だけは持っていたレイミアだったが、この状況ではそれは何の役にも立たなかった。
「いや……っ、死にたく、ない」
獣の姿に似ているが、一般的な獣とは明らかに違う魔物が、目の前に両手の数ほどいる。
馭者のように来た道を引き返そうかとも思ったが、一足遅かったようで、もう完全に囲まれてしまっていた。そもそも、人間の足で魔物に勝てるはずもないのだけれど。
(嫌だ、死にたくない、誰か助けて……こっちに来ないで……!!)
膝からカクンと崩れ落ちたレイミアは、迫る恐怖に唇を震わせながら、内心でそんなことを願った。
声に出さなかったのは──否、出せなかったのは、あまりの恐怖と、神殿で暮らした十年間、いかなる意見も、懇願も、叶わなかったからだった。
「…………っ」
魔物たちがレイミアに向かって一斉に襲いかかる。
レイミアはギュッと目を瞑り、どうせなら最期くらい苦しみたくないと願った、その瞬間だった。
「──大丈夫か」
ぶわりと、辺りに風が舞う。
頭上から聞こえる心地よい低い声に、レイミアはそろりと瞼を開けば、そこには頭に二本の漆黒の角を生やす、魔族と思われる眉目秀麗の男性が立っていたのだった。
さらりとした銀の長髪を斜め左で束ね、ゆっくりと振り向いたときに交わった男性の蒼眼。この世のものとは思えない美しい顔、やや憂いがあるような雰囲気にレイミアは目を奪われた。
(なんて綺麗な……って、そうじゃない!)
おそらく目を瞑っている間に助けに入ってくれたのだろう。魔物の一部が倒れているのを目にしたレイミアは、それを確信すると魔族の男性を見上げた。
しかし、上手く声が出ないでいると、顔だけ振り向いた男性がおもむろに口を開いた。
「……もしや、君が」
「……えっ、あの、まさか貴方様は……」
──魔族かと思ったが、もしかして。
「もしかして、ヒュース・メクレンブルク公爵様ですか……!?」
「ああ。君が私の妻となるレイミア・パーシーだな。……と、挨拶は後だ。先に魔物を殲滅する」
ヒュースはそう告げると、レイミアに向けていた視線を前方の魔物に向けた。
「……それにしても、今日も相変わらず多いものだ」
嘆くように呟いたヒュースの周りから、突然風が吹き荒れる。
至近距離にいるレイミアはその風の影響を受けず、むしろ風の盾に守られているようだ。
(これは……風魔法……!! さっきも風魔法で魔物を倒したのね……!)
「……出て来なければ、死なずに済んだものを」
その瞬間、刃のような風が魔物たちを切り裂いていく。
レイミアを守るようにして出来ている風の盾は、その様子を見せない役割も担っており、肉体的にも精神的にも守ってくれていることを察したレイミアは、キュッと唇を結んだ。
(ああ、なんて)
聖女なら自分でどうにかしろと言ってきてもおかしくない、魔物を倒す現場など見慣れているだろうと配慮しなくなって、魔物にだけ集中して守ることに意識を割かなくたって構わないはずだというのに。
(この短期間でも分かる。公爵様は、なんて優しい方なんだろう)
レイミアはギスギスとした両親の元に生まれ、そして売られた。神殿で待っていた日々も、地獄だった。
アドリエンヌに執拗に苛められ、周りの聖女からも悪態をつかれ、阻害され、神官たちには見て見ぬふりをされ──人から優しくされること、大事にされることを忘れていた。
だから、この感情が芽生えたのも、本当に久しぶりだった。
(……私、優しくしてもらって、嬉しいんだ)
レイミアがそんな感情を思い出したと同時に、盾となっていた風魔法が小さくなっていく。
すると視界には既に倒れた魔物の姿もなく、どうやらヒュースがレイミアの見えないところに飛ばしてくれたらしい。
「公爵様……なんとお礼を言ったら良いか……ありがとう、ございます」
恐怖で震えていた足に鞭をうち、レイミアはゆっくりと立ち上がると、深々と頭を下げた。
「気にするな。丁度さっきまで近くで魔物の討伐をしていたから、ついでだ。それより怪我はないか?」
「はい。私は大丈夫です。公爵様は──って、え!? 公爵様……!?」
ちょっと立ち話でもして移動をするのかなと思っていたレイミアだったが、突然その場に蹲ったヒュースの姿に目を見開いた。
僅かに呻るような声を上げるヒュースの状態を確認しなければ、とレイミアも地面に膝を突くと、彼の額に浮かぶ粒状の汗に、只事ではないことを再確認した。
「どうされたのですか……!? どこか痛みますか……!?」
「……っ、ここに来る前、魔物から掠り傷をつけられて、な……おそらく身体を痺れさせる効果が……っ、あったん、だろ」
(なんですって…………!? 公爵様は半魔族……身体は丈夫だし、回復力も普通の人間よりは高いはず……命に別条はないと思うけれど……これではここから動けない……っ)
先程まで魔物がわんさかといたのだ。いつ何時、再びここが魔物で溢れ返るかは分からなかった。
「公爵様……! 私の肩に掴まってください……っ! 辛いとは思いますが、立てますか……?」
「……っ、あ、ああ」
普通の人間ならば指一本を動かすのでさえきついと言われているのに、レイミアの力を借りて立ち上がるヒュースには凄いの一言だ。
「私が必ず、公爵様を安全なところまで連れていきます……!」
「……っ、無理、だろう。一歩も動けて、いないぞ」
「……こ、これからです! ふんぬっ!!!」
気合を入れて、まず一歩──。
しかし、レイミアの足は片足が前に踏み出しただけで、その後が続かなかった。産まれたての子鹿のように足をプルプルとさせて顔を真っ赤にしながら立っているのが精一杯だ。
「む、無念です……っ、もっと鍛えていれば……!!」
「私の体重を……君のような華奢な女性が、支えられるはず、ない、だろう」
ヒュースは一見細身に見えるが、鍛えているのかずっしりとしている。頭一つ分以上優に高い身長のせいもあって、レイミアにはどうともならなかった。
「……ここは危ない。私に構わなくとも……良いから、先にこの森林を、抜けるんだ」
「そんな……! そんなことをしたら公爵様は──」
魔法がまともに使えなさそうなのは一目瞭然だ。そんな状態のヒュースを、恩人である彼を見捨てるなんてこと、レイミアにはできなかった。
「そ、その、私でも、盾にはなれますから……!!」
「……変な、聖女、だな」
「申し訳ありません……お役に立てるのが、盾になれるだけなんて」
魔物を自身で処理できなかったこと。自身の身を結界を張って守ることもできず、ヒュースを回復してあげられないことからも、おそらく彼にはレイミアが求めていた聖女とは決定的に違うということがバレてしまっただろう。
結婚の話は無くなり、罪人として牢屋に入ることになるかもしれない。
(けれど今は、そんなことを考えても無意味。死んだら、終わりなんだから)
しかし悲しいかな、力を持たないレイミアには方法は思いついても、どれも実践することはできなかった。
(悔しい……っ、どうして私には紋章があるのに、何の加護も発動しないというの……! どうして……!!)
しかし、そんなレイミアの思考も嘆きも、魔物にはお構いなしだった。
茂みから聞こえるザザッという何かが動く音に反応したレイミアとヒュースは、先程と同様に現れた大量の魔物に目を見開いた。
「おい……! 良いから早く逃げろ……! 時間稼ぎぐらい、なら……なんとかする、から」
額に汗をかきながら弱々しい声で、そう告げるヒュース。
(公爵領の役に立たない名前だけの聖女だってもう分かってるはずなのに、責めるどころか、まだ守ってくれようとするなんて……)
神殿に入ってから徐々に言いたいことが言えなくなっていったレイミアだったけれど、ヒュースの優しさに触れたからか、このときは何故か、思いを口にすることができた。
「出来ません……! 公爵様は、当たり前のように私を助けてくださいました。惨いところを見せないよう、配慮までしてくださいました。そんなお優しい方を……放って逃げるなんて私にはできません……! 嫌です……!!」
「……っ、君は……」
そのとき、レイミアの胸辺りに、突然何か熱いものが込み上げた。
「……っ? なに、これ……魔力……?」
元から魔力は有していたものの、こんなふうに自然と込み上げて来たことはなかった。
それに、左のふくらはぎにある紋章からも同じような熱を感じ、レイミアは感覚的にそれを理解した。
(……加護が使える気がする……!)
それにもう一つ。まるでその使い方を知っていたかというように、レイミアにはその加護がどんなものなのかも理解できた。
「おい、どう、した……? 」
「……言葉……魔力を、言葉に乗せる……」
「……っ、本当に、どうし──」
──その瞬間、ヒュースの言葉を遮るように一斉に襲いかかってくる魔物の群れ。
ヒュースは痺れる体に鞭を打ってレイミアを庇うよう前に出ると同時に、レイミアは大きく息を吸い込んだ。
【こっちに来ないで!! 今すぐ立ち去りなさい!!】
胸に魔力が込み上げてくる中、明確な意志を持って魔物たちに吐き出されたレイミアの言葉は、魔物たちの動きをピタリと止めた。
そして次の瞬間、まるで操られているようにレイミアとヒュースの前から居なくなっていく魔物たちに、レイミアは心底安堵したのかほっと胸を撫で下ろした。
「良かった……出来た……っ」
とりあえず目の前の危機は去ったが、ここは魔物の巣窟だ。
驚き瞠目するヒュースに見つめられながら、レイミアは集中したまま気を張っていると、遠くから聞こえてくる声に耳を傾けた。
「ヒュース様……!! いらっしゃいますか、ヒュース様……!!」
「……! この声って……」
「ああ、私の部下、たちだ」
(良かった……助けが来てくれた……これでもう、大丈夫……)
そう思うと、プツン、と張り詰めていた糸が切れたのか、レイミアのヒュースを支えていた腕の力が抜け、ズルリと地面に倒れ込み、目を閉じた。
◇◇◇
「……ん……ここは……」
身体に気怠さを感じながらも、レイミアは重たい瞼をそろりと開いた。
見慣れない柄が刻まれた天井に、人生で味わったことがないような柔らかくて寝心地の良いベッド。
(あれ……? 私、自分で脱いだんだっけ? というか、ここ……どこだろう?)
ぼんやりとした状態でレイミアは上半身を起こすと、辺りを見渡す。
シンプルだが清掃の行き届いた清潔な部屋は、やはり見覚えがなかった。
「……ああ、起きたのか」
「えっ、公爵様……!」
──キィ、と扉が開き、ヒュースに声を掛けられたレイミアは姿勢を正す。
「楽にしてくれ」と言われても、立場上それを甘んじて受け入れることは些か困難だった。
レイミアが何やら動揺している姿に、ヒュースはあまり表情を変えずにベッドまで近づいていくと、じっと彼女を見下ろした。
「まずは楽にしてくれ。それと、ここは公爵領の私の屋敷だ。部下たちが救出に来てくれたため、君も屋敷に連れてきた。君が眠っていたのは二、三時間だろうか。医者にも見てもらったが、おそらく心身の過労だろうと」
「な、なるほど……詳しくありがとうございます……って、公爵様……! もう痺れは取れたのですか?」
「ああ。部下が持っていたものを飲んだから平気だ。と、今は私のことはどうでも良くてだな」
ヒュースはそう言うと、深く腰を折った。
いきなりのことにレイミアが「……へ!?」と素っ頓狂な声を上げると、ヒュースがそれに続くように聞き心地の良い低い声を漏らした。
「レイミア嬢、私のことを助けてくれて本当にありがとう」
「な、何を仰るのですか!! 私の方こそ助けていただいてありがとうございます……! どうか頭を上げてください……!!」
「……君は、優しい女性だな」
「普通です! どこにでもいるただの女です! お願いですから頭を上げてください〜……!!」
あまりにも必死な声色に、ヒュースは少しだけ笑みを零す。
それからスムーズな動きでベッドの近くの椅子に腰を下ろしたヒュースは、そろりと視線をレイミアへ向けた。
「……それなら、とりあえず自己紹介をしようか。先程はバタバタしていたからな。公爵家当主、ヒュース・メクレンブルクだ。歳は二十六になる。知っているとは思うが半分魔族の血が入っている。よろしく頼む」
「私はポルゴア神殿から参りました、レイミア・パーシーと申します。生家は子爵家で……一応、その、聖女と言っても良いのかあれなのですが……王命で公爵様のもとに嫁ぐためやって参りました。こちらこそよろしくお願いします……!」
レイミアの煮え切らない挨拶に、ヒュースは怪訝そうな顔を見せる。
先程力強い言葉で魔物を退かせたレイミアと、今のレイミアがまるで別人のようだったからだ。
「どうしてそんなに自信がないんだ。先程の君は凄かった。言葉だけで魔物を退かせるなど、まるで神の力だ。流石は『言霊聖女』だな」
「言霊……聖女……?」
聖女にはいくつか種類がある。いくら神殿では酷い扱いを受けていようと、レイミアもそれくらいのことは知っているのだけれど。
(言霊聖女なんて、聞いたことあったっけ……あっ)
そこでレイミアは、神殿長が神官たちと話していたときに聞いたことがあるものだということを思い出した。
「言霊って……確か、もう数百年は目覚めていないっていう加護では……」
「そうだ。結界や治癒などの加護は現時点でも複数確認出来ているはずだし、今までその数に変動はあれど途絶えたことはなかったが……おそらく言霊の加護は世界で唯一、レイミア嬢だけだ」
「…………!?」
感覚的に使えた言霊の能力。魔力を込めた言葉には力が宿るのだと本能的に分かり、これが加護の能力だということも確信していた。けれど。
(言霊の加護が世界で唯一……!? もしかしてこれは夢なんじゃ……!?)
加護が目覚めたことは素直に嬉しい。しかしあまりに突然のことだったし、世界で唯一無二だなんていくらなんでも……とレイミアは自身の頬を抓るが、当然痛かった。
「夢じゃない……」
「何をしている。痛いだろう、やめるんだ」
やや心配を帯びた声色でヒュースにそう言われたレイミアは、頬を摘んでいた手をゆっくりと下ろす。
夢ではないことを再認識すると、じいっと見つめてくるヒュースに「あの?」と問いかけた。
「森林での様子を見たときから思っていたんだが、君の加護が目覚めたのはさっきが初めてか?」
「…………。はい、そうなんです……」
「……ああ、なるほど。道理で」
納得したのか、ふむと顎に手をやって考え込むヒュース。
どこか儚げな美しい顔が考え込んでいるその姿は、まるでどこかの絵画のように絵になるなぁ、なんてレイミアは思っているが、そんなことを思っている場合ではなかった。
(もしかして私、神殿に帰れって言われる!?)
レイミアはたまらず、不安をそのまま口にした。
「あの……もしや私は神殿に帰されてしまうのでしょうか?」
「……何故その考えに至ったか、説明してもらっても良いだろうか。あまりにも脈絡が無さすぎて悪いが分からない」
怒っているわけではないのだろう。
顔が整いすぎているためやや威圧感は感じてしまうものの、こちらを落ち着かせようとしているヒュースの声色に、レイミアは一度胸に手を当てて冷静にと心がける。
「先ずは、私が公爵様を騙していたからです。……今日能力が発動したということは、今までは無能だったということ。……それなのに、聖女の力を求める公爵様の元に、私は来ました」
「………他にはあるか?」
「はい。他にも──」
そこでレイミアは、こんなにも心優しいヒュースには嘘を吐きたくないからと、言葉を紡いだ。
言霊の能力が目覚めたとはいえ、何がどこまで出来るかはっきりしていない以上、どこまで公爵領の役に立てるか分からないこと。突然目覚めた能力ならば、突然消えてしまうこともあるのではないかと危惧していること。
そのため、レイミアとの婚姻を結ぶよりも、現在神殿にいる聖女の誰かと婚姻を結ぶ方が、ヒュースや公爵領にとって良いかもしれないと。
それらを口にすると、ヒュースは少し前のめりになって、レイミアの俯いた顔を覗き込んだ。
「……私との婚姻が嫌なわけではないのか? もしくは神殿に帰りたい?」
「……!? それは全くありません!! 一切……一切そんなことはございません!!」
俯いた顔を上げ、レイミアは曇りのない瞳でヒュースを見つめる。
否定するためにやや声を大きくして言うと、ヒュースがふっと笑った。
「そうか。それなら何の問題もない」
「ですが……」
「先ず君を寄越したのは神殿側の判断だ。レイミア嬢が気に病む必要はない。それに今でも一応魔物への処理はどうにかなっているわけだから、どんな聖女が来ても受け入れるつもりだった。だから、加護に対して不安を持つ気持ちはわかるが、それを理由に君を神殿に帰す理由にはならない。……これで答えになっているか?」
「……っ、はい」
(……なんて懐の広い……お優しすぎます公爵様……!)
ヒュースの言葉に、レイミアの罪悪感や不安が全て無くなるわけでは無かった。
けれど、家族とも違う、神殿の人間とも違う、包み込むような優しさを向けられて、レイミアの中で一つ、目標のようなものが出来たのだった。
「私、これから公爵様の妻として、この土地の聖女として、精一杯頑張ります……! 公爵様のお役に立ちたいです!」
「…………!」
ヒュースの目が僅かに見開く。どうやら驚いているらしい。
何か変なことを言ってしまったのかとレイミアの内心に不安が募ると、ヒュースは、片手で自身の口元を隠した。
「君は魔族の血が半分流れている私が怖くないのか? 穢らわしいと思わないのか? 聖女なら特にそう思うのではないのか」
確かに、一般的な聖女ならばそうかもしれない。現に、レイミアが嫁ぐことになったのは、レイミア以外の聖女がそういう思想を持っているからだ。
レイミアだって、魔物と魔族を一括りにして考えたことはあったし、もしも魔族が人間に牙を剥いたらと思うと恐ろしいのは事実だ。けれど。
「……私は、魔族も人間も、種族だけで分けることに意味なんてないと思っています。それに、公爵様は魔物を倒して私のことを助けてくださいました。自分の身も危ないのに、私の身を案じてくださいました。騙したことも許して、受け入れてくださいました」
レイミアの頬が、自然と綻ぶ。こんなふうに笑うのは、一体いつぶりだろうか。
「そんな公爵様を、どうして怖いだなんて思うでしょう。穢らわしいだなんて思うでしょう。……公爵様は、誰よりもお優しい方だというのに」
「っ」
レイミアの柔らかな声色が、部屋に響く。
すると、次の瞬間、ヒュースは口元にやっていた手をずらして目の辺りを隠すようにして俯いた。
「公爵様?」と不安そうに問いかけるレイミアは動揺のせいが、彼の耳がほんのりと赤くなっていることには気付かなかった。
「……参った。降参だ」
「え、降参?」
「ああ。確かに私はどんな女性が来ても受け入れるつもりだった。だがそれは、この土地に安寧をもたらすためのパートナーとして、だ」
「はい。そうですね?」
ヒュースが何を言いたいのかがいまいち読めないレイミアは、コテンと小首を傾げる。
もしや、やはり神殿に帰れと突き返されるのではと一瞬頭が過ぎったが、次のヒュースの言葉に、それは無駄な心配であったと思うのだった。
「だが、今は少し違う。私は、君のことを大事にしたくて堪らなくなってしまった」
「……。え!?」
(今、公爵様……何だか凄い事言わなかった!?)
聞き間違えではないなら、何だか凄く甘い言葉だった気がする。
そう。まるで、ヒュースがレイミアに特別な感情を抱いてしまったような──。
(いやでも、それはないでしょう? 半魔族とはいえ、公爵家当主だし、こんなに美しい容姿をしているわけだし、この国の貴族令嬢の中には魔族の血筋を重要視せずに公爵様に憧れを持つ人くらいいるだろうし)
それに比べるとレイミアは言霊聖女とはいえ、能力が発揮したばかりだ。見た目も普通、神殿での食生活のせいか、出るところが出ていない。
(わ、我ながら……)
そう考えると、都合の良い解釈をしそうになった自分が何だか恥ずかしい。
レイミアは赤くなった頬をパタパタと手で扇いで熱を冷ますと、少し冷静になったのか「あっ」と何かを閃いたように声を上げた。
「レイミア嬢……? どうした」
「分かりました。分かりました公爵様。……そういうことだったのですね……!」
「何がだ」と言いながら顔を上げたヒュースに、レイミアはキラキラとした瞳を向けた。
(簡単なことよ……! 他の人になくて私にあるもの! それは言霊の加護! きっと私の言霊能力の無限の可能性に目を付けてくれたのね……! 発現したばかりだから不安はあるけれど、裏を返せばこの能力がどれだけ公爵領の為になるか可能性は無限大だもの……! 公爵様はきっと公爵領や民のことを思って、言霊の加護を持つ私を最低限のパートナーとしての関わりではなく、大切にしなければと思ってくださったのね……!)
レイミアは今まで、異性に求められたことがなければ、恋をしたこともない。そもそも、そんな境遇ではなかった。
ヒュースの言葉に違和感は感じたものの、「まさか私のことを恋愛的に好きになるなんてないよね」という考え方もあって、それは致し方なかったのだろう。
レイミアは、自身の言霊能力をヒュースが重宝してくれている、だから大事にしたいだなんて優しい言葉を掛けてもらえるのだと、このとき確信を持ったのだった。
「ありがとうございます公爵様……!!」
「あ、ああ。絶対に大事にする。……絶対だ」
(絶対が二回も! なんて嬉しいんでしょう! 慈悲深くて心優しい公爵様をお支えするために、私も頑張らなきゃ!)
そうレイミアは内心で意気込むと、再びキラキラとした瞳をヒュースに向けた。
王命での政略結婚なわけだが、こうも能力を買ってくれて、優しい言葉をかけてくれるのだ。
出来るだけ、私もと思うのは、当然だった。
「私も、公爵様のことを大切にします! それに、幸せにしますから!」
「……っ、なら、君が私を大切にするよりも、もっと私がレイミア嬢を大切にして、幸せにしよう」
「えっ……。ふふっ」
絶対に譲らないといった様子にヒュースに、レイミアからは自然と笑みが溢れた。
それから二人は、当たり障りのない世間話を交わす。
すると、もう少しで完全に日が沈むという時間、穏やかな時間は突然轟音によって一転した。
──ぐぅ〜!!!
「ハッ! 申し訳ありません……お耳汚しを……」
レイミアが両手をお腹に当て、音の正体を在り処を露わにすると、ヒュースは目を何度か瞬かせてから、ふんわりと笑って見せた。
「……ふっ、そろそろ晩餐の時間だ。今日は部屋に持ってこさせるから、ゆっくりと食べるといい」
「すみません……ありがとうございます……。因みに公爵様は? いつもはどこでお食事を?」
「…………。どこで、というより、夜は食べないな。毎日朝に一食だけだ。昼は事務仕事で忙しいし、夜は魔物が活性化しやすいため、大体外に出ているから」
「…………は、はい?」
──いや、意味は理解できるのだが、そういう意味ではなく。
(成人男性が一日一食? そういえば公爵様って少し細いかも? いや、私も人のこと言えないけれど)
それに、よくよく見れば、ヒュースの美しい碧眼の下には隈が見える。
魔物に襲われたり、言霊が発動したり、寝起きだったり、ヒュースが俯いていたりでじっくり見る機会が無かったけれども、なかなかに濃い隈だ。今まで気付かなかったのが不思議なくらいに。
「公爵様、非常にお忙しいのは分かるのですが、因みに睡眠時間はどれくらいでしょう?」
「そうだな、平均して二時間程度だ」
「二時間!? それいつか倒れますよ……!?」
「丈夫だから平気だ。それに、部下たちに働かせて自分が休むのは性に合わない」
(真面目……!! 公爵様は真面目過ぎる……!!)
仕事や魔物への対策に追われて、部下のことまで考えているだなんて、真面目にしたって、度を超えている。
(これは……強制的にでも休ませないと、公爵様がいつか倒れてしまう)
そうしたら、周りに迷惑をかけたとヒュースが落ち込むかもしれない。
その迷惑をかけた分を挽回しようと、より一層無茶をするかもしれない。
(それは……ダメ! ……あっ、そうだ)
そこで、ふとレイミアは思い付いた。
言霊能力が上手く使えれば、ヒュースのことを休ませることができる、延いてはそれが彼を幸せにすることに繋がるのではないかと。
「公爵様、お許しください……!」
「……ん?」
◇◇◇
その頃、ポルゴア大神殿では。
「アドリエンヌどういうことだ! 何故加護なしのレイミアを勝手に嫁がせた!?」
「神殿長、何をそんなに怒っていますの? 一応あの子も聖女ですわよ? 加護なしだけれど、ぷぷっ」
確かにアドリエンヌは神殿長が居ない数日の間に、勝手にレイミアに嫁ぐよう指示をした。
しかしそれを受け入れたのはレイミアだ。それに、王命は『聖女』であれば誰でも良いというものだ。
だからアドリエンヌは、叱責されるなんて想像もしていなかったのだけれど。
「アドリエンヌ……お前が昔からおつむが弱いことは分かっていたが……ここまでとは……」
「な、何ですって……!!」
「公爵領はこの国でも重要な土地だ! そこの領主である公爵の妻にと送った聖女が加護なしだと陛下にバレたら……お前は王命違反で即牢屋だぞ!!」
「は?」
ぽかん、とアドリエンヌの口が開く。
「私も神殿長として責任を取らねばならなくなる!! どうしてくれるんだ!」
眉間に深く皺を刻み、唾を飛ばしながら怒号を飛ばす神殿長。
その唾がぴしゃっとアドリエンヌの頬に当たるものの、彼女はそれどころではなかった。
──加護なしのレイミアじゃなくて、大聖女の私が牢屋行きに……?
アドリエンヌがしばらくその場に立ち尽くしたままでいると、神殿長はそんな彼女の顔に唾を浴びせ続けた。
◇◇◇
レイミアはその後、言霊能力の把握や訓練に精を出した。
そして、魔物が蔓延る森林に一人でも入れるくらいに能力が目覚めた頃、レイミアのヒュースを幸せにする作戦は始まったのだ。
「公爵様、今日はもう魔物を引かせましたから休んでください。ご飯をもりもり食べて眠りましょう」
「だが、君が働いてくれていた倍は働かなければ」
「またそんなことを言っていると……」
レイミアは、深く息を吸い込んだ。そして、言葉に魔力を込める。
【今からご飯を食べてください!!】
「…………!」
【終わったら湯浴みをして即就寝です……! 眠れなかったら私が絵本を読み聞かせいたします……! 良いですね!?】
すると、ヒュースの体が自然とダイニングルームへと向かっていく。
今まで何をどう言っても、真面目過ぎるゆえに休まなかったヒュースを心配していた部下たちは、ヒュースを食事に向かわせたレイミアに拍手喝采だ。
ヒュースの側近の一人は、「読み聞かせ……?」とぽつりと呟いていたけれど。
(公爵様……私はこれから公爵領の民に安心を与えられるような聖女になって、お役に立ってみせます! 優しくて、真面目過ぎる貴方には、しっかり身体を癒やしてもらいます……!!)
──ただし、いざとなれば強制的に。
ヒュースが、レイミアの言霊の能力ではなく、その清く無垢な心や、必死に彼を休ませようとする健気さに惹かれていること──レイミアがそのことに気付き、溺愛してくるヒュースの愛を受け入れるのは、少し先のことだ。
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