プロローグ「災厄な夜に魔女一人」
私と”彼女”だけがいる不思議な空間。窮屈になりそうな、この空気は苦手だ。
静寂の二文字が支配しているこの空間に耐えきれず、喉元に隠していた言葉を思わず溢した。
「私は貴女がいればそれだけで――
私が言葉を吐いた一瞬、目の前にいる”彼女”は笑った気がした。
“彼女”は、一体どんな気持ちで笑ったのだろうか。
そんな疑問がどうでも良くなる程、月の光に照らされた”彼女”の淡い桃色の瞳はどんな宝石よりも美しく透き通っていた。
“彼女”に見惚れていたら、映画のフィルムが切れたように、急に視界が暗くなった。
柄にもないことを言ったらこれだ。最後まで言わせてほしい。
神様など信じはしないが、もし神様がいて、これが天罰だとしたら神様は性格が悪い。
すごく深い眠りについているような、まるで母の羊水の中に戻ったかのような感覚に陥った。ふと思った。
ーーどれくらい時間が経ったのだろう
瞼が重い、全身からするりと力が抜けていく。
もう二度とこの眠りから覚めたくない、そう錯覚させるほどには。
――あぁ、なんて心地がいいんだ
そんな気持ちはすぐに打ち切られた。
――痛い
今まで心地よさに気を取られていた頭に、入ってきた情報だった。
特段、寝床にこだわりはないが、固い場所で寝るのは流石に堪える。だけどこの痛みは寝る場所だけが理由ではなかった。
――痛い、熱い…
体の中をのたうち回る鈍痛と、肺が焼けるような熱さで目が覚めた。
さっきまで開くことを拒否していた瞼も意外と、すんなり開いてくれた。
目に映ったのは地獄のような光景だった。
先程まで月の青い光が綺麗だった場所は炎で紅く染まり、私が立っていた場所は、ほぼ原型を留めていなかった。
辺りは瓦礫まみれで、何かに吹き飛ばされた様な状態だ。
私は辛うじて足場が残っている場所に、もたれかかる様に座っていた。
おそらく”彼女”がここまで運んでくれたのだろう。
感謝の気持ちを伝えたいが、その”彼女”が見当たらない。ーーそもそもさっきの言葉でさえ、伝えられてない。
“彼女”を探しに行こうと足に力を入れるが、片足に違和感を覚えた。やっと自分の状態に気づいた。
額が切れていて、そこから血が滴る。足は見たことのない方向に曲がっていて、周りの炎の熱さで肺もやられてる。
重傷なのは一目瞭然だ。
そんなことはどうでもよかった。どうでも良くなる程、冷静ではなかった。
ーー”彼女”はどこ!!
悲鳴など、とっくに枯れ果てた身体に鞭を打ち、足枷に成り下がった足を引き摺りながらも歩き始めた。
扉とは言えない歪な形をしたものに手をかけたが、熱で触れる様な状態ではなかった。
「っ…!!!」
熱い扉が時間の経過を意味する。焦りと悪い予感が背中を走る。
叫声を押し殺し、やけに重い扉を開けた。
「あぁ…ぁ…」
音にならない声が脱力感を加速させる。目に見えるは、地獄の方がマシだと言える光景。
視界にある建物は全て燃えて、形をとどめておらず、人の姿はどこにもなかった。
一瞬歩き出すことを躊躇したが、口の中に嫌な味がしながらも歩き出した。
しばらく歩くと人の姿が見えた。自分以外の人がいると言うだけで、これだけ安心できるのか。
声を掛けようと、近づいた時に気づいた。
「ひっ…っ!!!!」
魂が不在の人形が、辺り一面に吊るされている。壁には、まるで元々壁だったと言いたげに、へばりついた肉片。血の水溜まり。生命だったものが、辺り一面に転がっている。黒焦げの死体の山が積み上がっている。
「ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい」
ーー私が関わったせいで。そう思うと謝るしかなかった。すれ違い様に映る景色は、私を深く絶望感に浸らせる。
街の中心部に着いた時、見覚えのある姿が倒れているのが見えた。ーー”彼女”だ。
急いで駆け寄り抱き抱え、胸に耳を当てる。しかし、生きてる事を意味する鼓動は、聞こえなかった。
「嫌だ、嫌だ、嫌だ、嫌だ」
治癒魔法を、何度も何度も何度も何度も何度も何度も、掛け続けた。
だけど、すでに”彼女”となるものは、そこにいなかった。命の理から外れてるものに治癒魔法は効かない。
失ったものは取り戻せないのだ。
「なんで!なんでよ!約束したでしょ…!ーーずっと!!!…一緒にいたかった!それだけなのに」
声帯が軋むまで、叫び続けた。”彼女”からの返事はない。まだ、かすかに”彼女”だった暖かさを感じる。そこに確かに居た。
だが、”彼女”が存在していた証明は少しずつ、消えていく。
ひとしきり泣いた後、自分の傷を治癒魔法で癒した。”彼女”の顔を見たら冷静になれた。大体、なぜ最初からそうしなかったのだろうか。ーーもっと自分を大切にしろと、”彼女”に怒られてしまうな。
気持ちが落ち着き、”彼女”のために魔法で棺を作った。幻想的で、まるで宝石のような美しい棺だ。これが”彼女”には相応しい。そう、私は思う。
棺に”彼女”を入れる。可愛い寝顔だ。また”彼女”が「おはよう」と、気だるげに起きてきそうな、そんな気がして止まなかった。
「今は安らかに眠って」
“彼女”に最後の別れを告げると、足音が聞こえた。この足音の量は一人どころではない、複数人以上。軍隊規模の人数だ。
振り返ると、案の定、自分からは後ろが見えないほど人が続いている。
軍隊が停止すると、先頭から一人出てきた。長い髪に、整った髭、そしてーー胸にはただならない勲章の数々。
おそらく、この人の群れを率いてる隊長的な人だろう。見ればわかる。
「おい。女」
「なに?」
「この町に魔女が潜伏してる。魔女の居場所を言え。魔女の居場所を言わなければ殺す。言えば苦しまないようにしてやる。無駄な隠匿をするな」
そう言うと、彼は腕を振り上げた。私に数えきれない銃口が向けられる。私が目を走らせると、中には震えている怯えた銃口もあった。
「選択肢はないってことね」
「あぁ、その通りだ」
「聞いていい?なぜ、魔女を探してるの?魔女が何か悪い事をしたの?」
「くだらんな。そんな事も知らないとは。誘拐、環境破壊、詐欺、殺人、強盗。魔女が犯した罪など数えきれん。また、それらを全て魔法という人知を越えた方法で行う。皆怖いのだ、魔女は同じ人間ではない。未知のものであるという事は恐怖でしかない」
当然だ。知らないものは怖い。人として当然だろう。だが、ひとつ引っかかる事ある。
「あなた達は、魔女が何かをする時、その場にいた?魔女が罪を犯す時、その犯罪の瞬間を目撃したの?ーーあなた達は魔女に何かされたの?」
「やけに魔女の肩を持つ女だ。いいだろう。魔女の仲間であろう貴様はここで殺すが、その問いには答えてやる。冥土の土産にしろ。魔女は私達に何もしてない。何もしてないのだ。犯行の現場も見た事はない。魔法というのも疑わしいものばかりだ。だが、その存在はひどく恐ろしい。魔女がいる。その存在だけで夜も眠れない者たちがいる。『魔女を殺した』その事実だけでもあれば、人々は安心し平穏に暮らせるのだ。すなわち、全ての人間は魔女の死を願っている。ただ、それだけだ」
ーーあぁ、そんな事か。そんな事で、町の人も”彼女”も巻き込んでしまったのか。
誰も悪くはない。狂ってるのは世界だ。私に魔法を渡したのも、起こった出会いも、人々に抱いた願いも、全ての行いが間違っていた。私と”彼女”の過ごした日々が否定された気がした。
“彼女”はこの世界を美しいと言っていた。やっぱり、私には理解できない。
「今からそっちに行くね」
怒りも悲しみも憂いも全部無くなり、気持ちと同じように顔が俯けかけた時、ふと”彼女”に呼ばれた気がした。声のする方へ、そうやって、私は空を見上げた。
そこには無数の流れ星が流れていた。今まで支配していた感情や言葉などは全て取っ払われて、口から出た言葉は―――――
「綺麗」
「では、死ね」
彼が思いっきり手を振り下ろすと、私に向けられていた銃口から銃弾が放たれた。
だけど、放たれた銃弾は私に触れず、全て花びらへと変わる。無駄な事はわかっているはずなのに、銃撃は止まない。
私を撃つ人達の顔は恐怖とも、憎悪とも、呼べない不思議な顔をしていた。
一時的に銃撃が止む。おそらく弾薬が切れたのだろう。
静寂に耳を澄まし、私は宙へ舞う。人の声が聞こえないところまで昇ると、下を見下ろした。さっき見た世界とは全く違う。私の知ってる世界だ。
宣言をしよう。もう一度、さっきの景色を見るために。”彼女”が好きだったものを見るために。私は手を振り上げる。
「私は魔女。それ以上でもそれ以下でもない!こんな醜い世界ぶっ壊してやるよ」
空をつかむように、手を振り下ろすと、流れ星が地上に降り注ぐ。
まるで、この世の終わりのように。
ーー長い長い夜が始まりそうだ