3月14日への片道切符
「うう、まだ外は冷えるじゃないか」
俺は思わず、ジャケット越しに自分の体を抱きしめる。2月の中旬、俺は駅周辺の雑多なビル群の間を、ぶらぶらと練り歩いていた。
ピピピピピ。
指定の時間が迫ってきたことを、腕時計が電子音をもって知らせてきた。
周りに注意を払いつつ、俺は駅へと向かった。構内を通り、そのままICパスを使って改札口を通り抜ける。10時28分発、京都行き、普通電車。3番ホームに到着したその電車に、俺は乗り込んだ。
さすがに通勤ラッシュ後の時間帯ということで、電車内の座席にも余裕があった。しかし俺は警戒の意味もあって、座席には座らず、締め切りになっている方のドアにもたれかかって、出発の時を待っていた。
電車が進んでいる間も、俺はスマートフォンを弄りつつ、周囲の様子に気を配っていた。この交通機関を利用するのは別に初めてではない、それどころか、普段使いにもたびたび利用しているぐらい、馴染み深いものだ。しかし今回は、ちょっと特殊な事情がある。
11時になれば、俺の新しい商売道具が、運び屋を介して俺に渡される手筈なのだ。最新式で、映画に出てくるようなギミック満載の、オーダーメイド銃。国内で極秘に開発された、この世に一つしかない、俺専用の銃だ。
俺は胸ポケットに忍ばせている古くからの相棒を、そっと上着越しに撫でた。いままでお疲れさんだったな、お前のスペックで、よくここまでやれたもんだよ。
政府の特務機関に所属しているエージェントが、海外から輸入された量産品の銃で、十数年もの間、修羅場を潜り抜けてきたなんて、一体だれが想像するだろうか? もう俺も、この界隈では十分すぎるぐらい名の知れた存在になっている。銃だって、それに伴った進化が必要なのだ。
プシューッ。
電車が止まり、停車駅から何人かの客が乗り込んで来る。その中に一人、知った顔があった。
スミコ、か。今回はお前が運び屋ってわけね。
ウェーブのかかった栗色の髪をなびかせ、サングラスに、分厚いコートを身に着けた女性。エージェント・スミコ。俺の同期。訓練生だったころ、同じ教官の元で指導を受けた間柄だ。
今はわけがあって政府管轄の別組織に所属しているが、これまでも、手を組んで仕事をしたことは何度もあるし、共に死線をくぐり抜けたことだって、一度や二度ではない。だからといって、二人の間に強い信頼関係や、仲間意識があるかと言われると、少なくともスミコはノーと答えるだろう。明日には敵同士になっているかもしれないし、仕事中にお互いの命を奪い合う可能性だってある。あくまで、仕事上の、同業者というだけだ。
しばらくしてドアが閉まると、電車はまた、ゆっくりと進みはじめた。
スミコは俺のほうを一瞥すると、素っ気なく背を向けて、電車の出口付近のつり革を掴んだ。他人の視点で見れば、俺とスミコに何らかの関係があるなんて、夢にも思わないだろう。
10時58分、いよいよ受け渡しの時間が近づいている。いくらかの停車駅を経た車内は、それなりの混雑具合に変わっていた。
プシューッ。
俺が降りる駅に到着した。ゆっくりと、出口のドアに向かって歩き出す。スミコの近くに来た時、彼女はぼそりとつぶやいた。
「星を探すなら?」
「……夜になるのを待てばいい」
俺はスミコに向けて手を差し出す。これは、同業者であることを確認するための、一応の合図。手のひらに、そこそこ重量のある何かが乗せられる。ガサガサと、包まれた古新聞の感触も伝わってくる。俺はそれを、すぐに胸の内ポケットにしまうと、電車を降り、足早に改札口へと向かった。
受け渡しは成功だ。さすがはスミコ、スパイ活動を何度も成功させているだけあって、まるで不審な様子を見せなかった。俺はジャケットの内側にある新しい相棒の感触を確かめながら、駅の階段を降りていった。
これで、今日の俺の用事は終わりだ。帰る前に、温かいコーヒーでも飲んでいくか。
そう思った俺は、駅の出口近くに停車していたキッチンカーで、ホットコーヒーを注文することにした。
「はい、ホットコーヒーね。外は寒いけど、ここで飲んでいくのかい?」
キッチンカーから、異国の雰囲気を漂わせているおばさんが、心配そうに声をかけてきた。
「ええ、お構いなく」
俺は軽くいなすと、すぐそばに設置された飲食スペースに移動した。飲食スペースには、白いプラスチックの椅子と、金属製の丸テーブルが2組あった。手前の椅子に腰かけ、紙コップに入ったコーヒーを一口飲む。ふう、と一息つき、コーヒーをテーブルの上にそっと置くと、もうもうと白い湯気が立ち昇ってくる。
こんなゆったりしたひと時を過ごせるのも珍しいね。寒いし長居はできないが、せめて一杯のコーヒータイムぐらいはのんびりしたっていいだろう。
しかし、特務機関のエージェントってのは、こんなささやかな憩いの時にだって、お構いなしに仕事がやってくる。
半分ぐらい飲んだタイミングで、前方にある車道の路肩に、三台の車が停車してきた。
三台とも、飾りっ気のない地味な色合いをしていて、そのボディには所々にへこみがある。さらにウィンドウは前後とも、中の様子が外から見えないように加工されていた。明らかに不審だ。
俺はもしもに備え、椅子から数センチほど腰を浮かしていたが、その悪い予感はすぐに現実となった。
勢いよく車のドアが開かれると、そこから銃を持った反社会的勢力どもが次々と躍り出てきた。
それを見た瞬間、俺は丸テーブルの柱に足を引っかけて倒すと、その陰に身を隠した。
ダン!
バキュン!
パン!
ガァン!
静かな寒空のカフェは、あっという間に発砲音が鳴り響く修羅場となった。テーブルは不協和音を立てながら鉛玉を受け止め、穴の開いた紙コップが、黒い飛沫をあげながら俺の横へと落ちてきた。
くそ、この平和な日本で、どうしてあんなに銃が出回っているのか、不思議でしょうがないね。まあ、それはお互い様か。さっき手に入れたばかりの、新しい相棒、その実力を今ここで試してみるとしよう。
そう思い、胸の内ポケットに手を入れようとしたが、耳をつんざくような大きな悲鳴が聞こえてきて、俺の手はピタリと止まった。
「あ、あわわ……ひいいいいーっ!」
そうだった。キッチンカーのおばさんを忘れていた。ちらりと様子を見ると、おばさんは完全にパニックを起こしており、狭いキッチンの中を右往左往していた。
「おばさん危ない! 姿勢を低くして、じっとしてて!」
無関係のおばさんを巻き込むわけにはいかない、場所を変えるか。
俺は別のポケットから、太い油性ペンほどの大きさの、金属製の筒を取り出した。奴らは俺が反撃してこないのに味を占めたようで、堂々と俺との距離を詰めていっている。
いいぞ、もっと近づいてこい。
タイミングを見計らって、筒の側面にあるスイッチを押し、顔を伏せながら空中へと放り投げる。
シュバッ!
閃光手榴弾から、強烈な白色の閃光が放たれ、一瞬のうちに見る者の視界を奪い去った。
「うわっ!」
「ぎゃあ!」
「目、目が!」
奴らの悲鳴を合図にし、俺は身をかがめ、少し離れた位置にある路地裏へとスタートを切った。
「く、くそ! あっちだ! あっちへ行ったぞ!」
不完全な視界で放たれた銃弾は、敷石や壁に跳ね返され、わずかな砂塵を舞い上げるのがやっとだった。それを尻目に、俺は一目散にビル群の隙間へと潜り込んだ。
暗い雰囲気につつまれた路地裏を、人と遭遇しないよう注意しながらさまよっていると、本部からの通信が入った。俺は左耳の下にある通信機の応答ボタンを押す。エージェントは皆、この場所の皮内に超小型通信機が埋め込まれているのだ。
「エージェント・ジロウ、敵対勢力から攻撃を受けたようだな、無事か?」
「その声は、教授。とりあえず問題ありませんよ。今のところは、ね」
教授は俺の上司で、表向きは国立大学の教授をしている人物だ。通信による指示だけでなく、俺たちが仕事に使う武器や道具の開発、監査にも携わっている、機関でも指折りのキレ者である。
「待ち伏せだったのか?」
「待ち伏せかどうかは不明ですが、俺がのんびりコーヒータイムを楽しんでいたところに、いきなり豆鉄砲をぶっ放してきたんでね。優雅に休暇をとっている姿が、よほどムカついたんでしょうな」
「軽口もほどほどにしておきたまえ。それよりも、今日はお前に最新式の銃を受け渡す予定だったのだが、どうもその情報が、敵対勢力に漏れていたようだ」
「な……、なんですって?」
教授からの一言で、俺の口はがぜん重たくなった。
「わしのほうから運び屋に指名した男がいたのだが、その男は今日の未明に、遺体で発見された。先ほど調査の結果が出たが、どうも昨日の夜に準備をしていたところを、襲撃されたらしい。お前が電車の中で待ちぼうけをくったのは、そういうわけなのだ。まずいことに、あの最新式の銃も、今はおそらく奴らの手に――」
「ちょ、ちょっと待ってください!」
重たい口をこじ開けて、俺は教授の説明に割って入った。無理もないだろう、俺が実際に体験したことと、教授からの説明がまるで違っているのだから。
「教授、俺は予定通りに今日の11時、指定された電車で物を受け取っているんですよ!? それに、運び屋は男ではなく、あの、エージェント・スミコだった!」
「何!? そいつは、いったいどういう……」
俺と同じことを、教授も考えたに違いない。いったい、エージェント・スミコから渡された、この物品は何なんだ?
「とりあえず、エージェント・スミコからのお届け物を確認してみることにしますよ」
そう言うとすぐに、俺は内ポケットに手を突っ込み、古新聞にくるまれたそれを取り出した。
注意深く古新聞をはがすと、中から、かわいらしいラッピングをした、両手に収まるサイズの箱が現れた。ご丁寧に、赤いリボンも結ばれている。あまりの世界観の違いに、思わずめまいを起こしそうになった。
これは、もしや……。
「んむ……」
「どうした? 何が出てきたのだ?」
「いや、ちょっと……今から箱の中身を確認するところです」
教授にたどたどしく返答しつつも、俺は覚悟を決めて、この箱を開封することにした。
リボンは片側を引っ張ると、何の抵抗もなくスルスルとほどけていく。ラッピングを丁寧に剥ぎ取り、慎重にフタを開けた。
中には、ハートの形をした、甘い匂いのする茶色のかたまりがあった。その脇には、キラキラとしたラメで縁取られた、メッセージカードも置かれている。そのカードには、こう記されていた。
『お仕事は順調かしら? エージェント・ジロウ、あなたと会うのは、これで何度目になるのでしょうね、でも今度は、いつもと事情が違うの。今日は、あなたに仕事以外で会う、初めての日。この電車に、あなたが時々乗っているという情報を手に入れてね、それで、待っていたというワケ。もちろん、実際に会えるかどうかは運任せだったけど、こうしてあなたが私のメッセージカードを見ているということは、成功したようね、うれしいわ。このメッセージカードと一緒に入っているのは、私のささやかな気持ち。まだお互いに本名も知らない関係だけど、よかったら仕事抜きで、どこかでお食事でもどうかしら? また会えたら、答えを聞かせてね、待ってるわ。 スミコより愛をこめて -2022.2.14-』
うっそだろお、スミコ!!
「おい、あそこに誰かいるぞ! 早く、こっちだ!」
一瞬、俺の心の叫びが、奴らにも聞こえてしまったのかと思った。
騒がしい声をあげながら、乱雑な足音がどたどたと近づいていくのがわかる。俺はまだ、平常心に戻るのに時間が必要だった。ちっ、あいつら、こんな時に襲撃してきやがって、馬に蹴られて死んじまえばいいのに。
「おい、応答しろジロウ! 箱の中身は何だったのだ!?」
「教授、ご心配いりません。ある意味、最新式の銃よりも、はるかに素晴らしいものが入っていましたよ。では、これから奴らを蹴散らさなければなりませんので、また後程!」
やや強引に通信を切ると、俺は茶色いかたまりの膨らんだ部分を、少しかじった。
甘い! スミコ、これはちょっと甘すぎるぞ。ああ、ここに苦いコーヒーでもあれば、ちょうどいいかもしれないのに。しかし、その甘さが喉元を通り過ぎると、俺はふしぎと、いつもの冷静さを取り戻していた。
「やはりあいつだ! 撃て!」
少し離れた所から、また奴らの声が聞こえてくる。俺はスミコからの贈り物を丁重にしまい、ダストボックスの影に飛び込んで、銃弾をやり過ごした。
「もう一発、祝砲を上げるとするか!」
別の閃光手榴弾を腰のポケットから取り出すと、すぐさまスイッチを入れて、奴らの眼前へと放り投げた。そして、使い古された量産品の銃をふところから取り出して、安全装置を外す。
「すまないな、引退前に、もうひと働きしてもらうぜ」
シュバッ!
白い祝福の光が、路地裏の薄暗い空間を余すところなく照らし出す。それと同時に、俺は銃を構え、白い残光を身にまといつつ、奴らの正面へと躍り出た。
俺たちの仕事は、過酷なものだ。明日、生きているかどうか、その保証さえロクにできやしない。だがな、女性からチョコレートを受け取ったからには、何が何でも、一ヶ月ぐらいは生き延びてやるさ!
「ホワイトデーは仕事を受けるんじゃねーぞ、スミコ!」
-END-