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花かたりの宿り  作者: いうら ゆう
本編 ユンフォア
2/21

第2話

 男は、名をカセンと言った。

 翌朝、無事に村へと戻った少女は、その後も暇を見ては彼の元へと足しげく通った。

 村の裏手にある林。林道から外れた林の果てに彼の屋敷はあった。ちょうど林をくぐり抜けた先。ぽっかりと開けた丘野の中に建つ屋敷は、季節を選ばず常に緑で覆われている。背の高い木々に取り囲まれている屋敷の姿は目をこらさなければ見出すことができない。緑に埋もれるその姿は、ともすれば、小山のようだ。故に、彼の屋敷はきっと取り残された林の一部か、はたまた、草原にできた浮き島に違いない、とユンフォアは密かに思っていた。

 あまりにもユンフォアが一人で林に出かけて行くので、村の大人たちは皆、訝しがった。そこで、ユンフォアは、カセンと彼の屋敷について説明してみたのだが、村人たちは誰もそのような屋敷を見たことがないと言う。村の裏手に位置する林は小さい。外周に沿って歩いても数刻で元の場所まで帰って来られるくらいである。にもかかわらず、村人の誰もが件の屋敷について知らないという事実を、ユンフォアは不思議に思った。

 しかし、今となってはすんなりと辿りつくカセンの屋敷も、元はと言えば散々林の中を迷い歩いた揚句、偶然見つけたのだ。あの日、見かけなければ、ユンフォアも一生気付くことはなかったのかもしれない。ユンフォアはそういうものなのだろうと愚かにも納得してしまった。

 初めこそ、少女の行動に気をとめていた村人たちも、それが日常となるにつれ、気にする者はいなくなる。こうして、この日も一人、林を通り抜けてきた少女は、こんもりと緑の茂る屋敷を目に入れるや否や、野を蹴り、駆け出した。

 外観を取り囲む高い木立を抜け、身の丈程の茂みを抜けると、風にのって運ばれてきた花の香が、鼻先をくすぐる。庭一面に広がった花々と、彼の背後にそびえる瓦屋根の屋敷に、ユンフォアは目を細めた。

 色どり鮮やかな花に目がくらむ。この世の全ての色が集結したような庭の中で、庭の主人であるカセンが纏う衣服だけが色褪せていた。やはり今日もゆったりとした薄茶の衣の上から樺色の帯を絞めただけという彼の地味な姿に、ユンフォアは呆れた。こんなにも広大な屋敷を所有しているのだから、少しと言わず着飾るだけの余裕はあるだろうに。


「カセン」

「おや、来たね」


 花に見入っていたカセンは、顔を上げる。ユンフォアは、手を振り上げると、彼の元へ走り寄った。


「カセンは、もう少し身嗜みに気を使った方がいいと思うわ」

「なぜ?」


 カセンは首を傾げる。それは、疑問を現すというよりも、少女がどういった答えを出すのかを期待している風だった。


「だって、もったいないもの」

「もったいない?」


 そう、と少女は頷く。


「だって、カセンは綺麗なのに。それに周りもこんなに綺麗なのに、カセンがそうだとがっかりするわ」

「がっかり?」

「ええ。がっかり」


 ユンフォアは、憤然として言った。「それは、それは」と、カセンは口元に軽く握った拳を添えて打ち笑う。


「申し訳ないね。がっかりさせてしまって」

「ええ、本当よ。もしもカセンがもうちょっと華やかな衣装を着ていたら、この庭はもっと綺麗だったと思うの」

「そうかな」

「そうだと思うわ」


 きっぱりと言い切ったユンフォアに対し、カセンはおっとりと微笑みかけた。


「けれど、もしもそうだったら、私はこの花に埋もれて見えなくなってしまうよ」


「そうかしら」とユンフォアは、首を傾げる。

「そうだと思うよ」とカセンは頷いた。

 カセンは庭に広がる花に目を向ける。ユンフォアもつられて、庭へと顔を動かした。

 背丈も色も異なる無数の花が、あらゆる場所で咲き乱れる。これほどまでに数多の花があるというのに、この庭には同種の花が一対としてないのだと、ユンフォアはカセンから聞いて知っていた。全ての花が一輪ずつ。故に、この庭の花の色は重なることがなく、花が互いに色味を増していく。

 その事実を思い出すたびに、どうしようもなく寂しいとユンフォアは思うのだが、そんなことは気にもしないのだろうか、花はそっと風に身を委ねるだけである。


「――見つけ出せると思うわ」


 少女の言葉に、カセンは意識を花からずらした。ユンフォアは裾を翻して彼の前へと回り込むと、爪先立ち、手を精一杯空に突き伸ばす。


「だって、こーんなに背が高いのよ? どうしたって頭が花から飛び出るわ。見つけられない方がおかしいもの」


 手で示してみせながらも、背伸びした彼女の指先はちっともカセンの背丈に届いていない。よくて肩の辺りである。カセンは、一所懸命突っ張って立っている少女をとっくりと眺めた。


「おいで」


 言うや否や、彼は少女が頭上に掲げている手を取る。そのまま、彼は彼女の手を導き、ユンフォアに来るようにと促した。

 こぽこぽと音を立てながら清水を吐き出す泉の脇。受け皿から溢れ出た水は、陽光を反射しながら、次々と地に流れ落ち、折り重なって、細い道筋を作り出す。辿りついた庭の片隅で、カセンは「ごらん」と、小川の一点を少女に示した。ユンフォアは、目を丸くする。


「また、見たことがない花だわ」

「新しく増えた花だからね」


 驚いている少女に、カセンはゆったりと微笑んで、小川を股越した。先日まではなかった花の傍にしゃがみ込み、彼はそっと唇を花弁に押し当てる。初めに迷い込んだ日から、これまでにユンフォアが何度も目にしてきた光景。カセンはことあるごとに花に口付ける。瞳を閉じるカセンの姿は芳しい花の香を吸い込むのにも似ていた。奇妙なまでに美しいその姿に、ユンフォアは度々見てはいけないものを見ているような感慨にとらわれる。


「カセンは……」


 ユンフォアは、ぽつりと呟いた。紺色に縁取られた彼の双眸がおぼろげに開かれていく。


「なぜそうやって、花に口付けるの?」

「口付ける?」

「ええ」


 カセンはユンフォアを見上げる。彼女は、小川を隔てた場所から、カセンを眺めていた。彼は頭を捻る。


「していないよ、そんなことは」

「しているわ、こうやって」


 ユンフォアは、その場にかがみこむと、手当たり次第に辺りにある花を引き寄せた。小さく尖らせた口先を、花に押し付ける。滑らかな花の一端に唇が触れたところで、ユンフォアはぱっと花から顔を離した。不確かな感触の気味悪さに、少女は花を解放した手でごしごしと口周りをこする。

 いっそ傲岸ささえ見え隠れする少女の所作。だが、カセンは彼女の示唆したところを悟っただけだった。


「なるほどね。そう見えたのか。あれは、違うんだよ。私のは息を吹きかけているんだ」

「――息を?」

「そう。こうやってね」


 カセンは再度、手元の花に口を寄せる。


「そうして花を飛ばすんだ」


 ふぅっと吹きかけた彼の息は、確かに花を揺らした。風が揺らしたのではないかと見紛うほどかすかな動き。ユンフォアは騙されたような気になった。そもそも、花を飛ばすとは一体どういうことなのか。飛ばすと言う割に、花弁のひとひらも宙に舞ってはいない。

 ユンフォアの心情を如実に読みとったのだろう。「やってみれば、そのうちわかるよ」と差し延ばされた彼の手にユンフォアは、大人しく従った。

 小川を飛び越え、差しだされるままに男の手を取った少女は、彼の隣に腰を下ろす。どの花でもユンフォアの好きなものを、というカセンの言葉に、彼女が選んだのは、空色の花だった。細い緑の茎に、小さな花がいくつも連なっている。

 半信半疑の彼女が上目を使ってカセンを伺い見れば、彼は静閑な微笑をのせて頷く。彼に応じて、ユンフォアは、身をかがめ空色の花に顔を寄せた。今回は口付けるのではなく、カセンに倣い、軽く息を吹きかけるだけに留める。

 熱い汁を冷ますのと同じ仕草。しばらく、至近で律動する花の様子に見入っていたユンフォアは、花に何の変化も訪れないことを知ると、眉根を寄せた。


「何も起こらないじゃない」

「いいや、もう起こっているよ」


 カセンは手を膝につき立ち上がる。微笑ばかりを貼り付けているカセンに、ユンフォアは、子どもだからとからかわれたのだろうか、とますます機嫌を損ねた。


「カセン!」

「どうした?」


 肩を怒らせている少女を、男は不可解そうに見やる。しかし次の瞬間、「ああ、そうだったね」と彼は両手をぱちりと打ちあわせた。


「ユンフォアは、もっと鮮やかなものが欲しいのかい?」

「…………一体、何の話?」


 ユンフォアは、怪訝気にカセンに問い返す。先まであった少女の勢いは、彼の言動の唐突さで一気に削がれた。


「服だよ。さっき話していただろう?」

 同意を求めてくる男。ユンフォアは、彼の視線を受け続けながらも、必死に思考を巡らせた。ようやく思い当たった事象に、彼女は「あぁ……」と相槌を打つ。


「カセンの話はいつも脈絡がなさすぎるわ」

「そうだろうか」

「そうよ」


 ユンフォアは、はぁと溜息をつく。


「それで? 服がどうしたって言うの? 私がカセンの服を地味だって言ったことをきにしているのなら謝――」

「いいや。私の衣服が地味ならば、ユンフォアの衣服の方がよっぽど地味なのだろうと思ったのだよ。必要なら用意しよう。ユンフォアは、華やかなものを好むのだろう」

「…………皮肉? ……ではないようね」


 邪気の欠片も見えないカセンの様子を見れば、彼を詰る気力さえ起きない。それでも、ユンフォアは「酷いわ」と零すのを忘れはしなかった。

 彼女は、身に付けている衣服の裾を摘みあげる。何の染色もない生成の生地は、月日を経過して黄ばんでいた。胸下で留めた帯は、同じ樺色と言ってもカセンの上質な絹でできた帯とは比べものにならないほどに劣っている。しかし、母が手ずから縫いとってくれた刺繍が裾を飾っている分、ユンフォアが持つ衣服の中では、これが一番上等な品だった。


「何の色がいいだろうか。ユンフォアが、花のように色を纏ったら、それは綺麗だろうね」

「いらないわ、そんなもの」


 微笑するカセンの前で、ユンフォアは彼をキッと睨みあげる。そうして、目の下を指先で引っ張り下げた少女は、彼に向って「カセンのばか」と舌を出してみせたのだ。

 ユンフォアは身を翻して走り出す。カセンは唖然とした面持ちで、あっという間に屋敷を出て行った少女を見送った。庭園の上を吹き過ぎた風が、乱れ咲く花々を凪ぐ。

 家まで一心に駆け戻ったユンフォアが、周辺にはなかったはずの小さな空色の花の群生を村の片隅で見つけたのは、それから数日後のことだった。

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