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第98話 ムタの心


 馬車旅が始まった。御者は交代制だ。


 ムアンは馬車に三つの樽を載せていた。


 一つはやや小さな樽。食料などが入っているらしい。もう一つはサイズが中くらいの樽。飲料水。しかし最後の一つ、大きな樽については教えてくれなかった。何が入っているのだろう。


 ところで、ムタが心を開いているのはルアンナとムアンのみ。馬車の中では、相変わらずの人見知りぶりを発揮している。オレが話しかけても無視。目も合わせてくれない。チャオプやイリガからも距離をおいている。実に寂しい。


 それでもムタの顔は、かつてのムアンと瓜二つ。だから彼女を見ていると、溜息が出てくる。オレのよく知っているムアンが、そこにいるような気がしてならないのだ。ぜひともムタとは打ち解けたい。なんとかならないものだろうか……。




「ムタはね。絵画が好きなの」


 ルアンナがこっそり教えてくれた。


「絵画?」

「そうよ。どちらかと言えば、描くよりも鑑賞する方ね」


 絵かぁ。どこかに面白い絵でもあれば、いっしょに話ができるのに……。

 あっ、そうだ。


「ちょっとこっちに来てくれないか、チャオプ」

「師匠、どうしたんだ」


 オレはペンを取った。


「ムタは絵を見るのが好きなんだそうだ」


 チャオプに微笑みかける。


「わっ、わっ、何をする。わたしの顔はキャンバスじゃないぞ」

「ムタのために我慢してくれ。ちゃんと面白く描いてやるから、安心していいぞ」

「だったらわたしに任せてくれ。師匠のほっぺに可愛いブタさんを描いてやる」

「ああ、よせ。やめてくれ」


 チャオプにペンを奪われたのだ。


「さあ、師匠。じっとしててくれ。きっとムタが感激して喜ぶぞ~」

「いやいや、オレが描いてやる」


 ペンの奪い合いが始まった。

 呆れ顔のルアンナとイリガ。


「ペンならもう一つここにあるから。二人が向き合って描けば解決」


 イリガからペンを渡されてしまった。止めてくれないのかよ。


 オレとチャオプとで互いの顔に『お絵かき』する。文字も書いてみた。

 顔の落書きにケラケラと笑いだすルアンナ。おやっ、反応がいい!


 彼女はオレたちを指差した。


「ムタ、見て。あの二人って気が合うというか、本当に仲良しさんよねえ。ムタもあれくらい仲のいいお友達ができるといいんだけど」


「わたし、あんな友達絶対に要らない」


 ムタはルアンナの後ろに隠れてしまった。


「逆効果だったようね」とイリガ。


「「えっ……」」


 オレとチャオプのショックは大きかった。



    *



 オレとチャオプは樽に手を伸ばした。顔の落書きを消すためだ。

 しかしやや小柄なムアンがそれを止める。


「ごめんなさい。飲み水はもう少ないの。次の集落まで待ってくれないかしら」

「次の集落? 明日になっちゃうな。それまでこのままとは……」


 そんなチャオプの顔には、絶望の文字も書かれていた。

 オレはそこで、彼女の肩をポンと叩く。


「安心しろ、チャオプ。オレには水流魔導がある。じゃんじゃん使ってくれ」

「わたしは断る! 師匠のそれ、ときどき酸っぱいニオイがするから」

「えっ……」


 オレのショックは大きかった。


 ルアンナが不思議そうに首をかしげる。


「あら。その酸っぱいニオイを嗅ぐのが好きだったのではないかしら? 今朝だって、わたしが川で皆の衣服を洗濯していると、あなたは……」


「わぁーー、わぁーー、わぁーー」


 チャオプが大声をあげ、ムアンの言葉を遮る。

 顔がトマトのように真っ赤になっていた。


 今朝、川でいったい何があった???


「わ、わたし、おりるぅーーーーーーー」


 馬車から飛びおりようとする彼女を、オレとルアンナで止めた。





    ◇





 ムアンがいまのムアンになってから、外見ばかりではなく、ようすもガラリと代わってしまった。いまの雰囲気には違和感を覚える。馬車が遠い目的地に近づくにつれて、さらに表情も暗くなっているような……。


 さっき仮眠をとったときもヘンだった――。

 彼女は突然、悲鳴をあげて飛び起きたのだ。

 イヤな夢でも見ていたのか。体の具合が悪いのか。


 そんな彼女を見ているのは辛い。

 教えてほしい。何に苦しみ、何に怯えているんだ?


 オレたちをどこに連れていくのか。

 そこで何を打ち明けるつもりなのか。



 翌日、ある集落で酒を買った。

 今夜は馬車内で宴会をやろう、とオレが提案したのだ。

 もちろんムアンのためだ。元気になってほしい。


 それともう一つ。飲んでムタとの親睦を高めたかった。


 ところがムタはぜんぜん飲んでくれなかった。考えてみればあたりまえだ。

 十三歳のときに意識を失い、目を覚ましたのはつい最近のこと。

 オレより一つ年上だとは言え、気持ちはまだ十三歳に違いない。


 いつも楽しそうに飲んでいたムアンも、たった一杯しか口にしてくれなかった。

 酔って抱きつくことも、一人称が『お姉さん』になることもなかった。


 ぐいぐい飲んでいるのはオレとルアンナだけ。

 おっと、あともう一人……。


「重たいぞ、またお前か! まだ十四のくせに飲みやがって」


 チャオプが泥酔している。

 背後からのしかかってきた。


「くんくん……。きゃはは。酸っぱい。酸っぱい。きょうもニオイが酸っぱい!」


「嬉しそうねえ、チャオプ」とルアンナが笑っている。


「放せ、チャオプ(酔っ払い)。嗅ぐな、しがみつくな」

「酸っぱい~。酸っぱい~」


 チャオプが軽くなった。彼女の体が浮きあがったのだ。

 オレの背中から剥がしてくれたのは、シェムだった。

 チャオプは首根っこを掴まれて宙ぶらりん。


「し、師匠が遠ざかるぅ~」

我が主(わがあるじ)の背中は禁止!!!!!」





    ◇





 仲間たちが寝静まった。


 まだ起きているのはオレとルアンナだけだ。

 二人でいっしょに車両の窓から夜空を眺めている。


「ソンクラムを出発したとき、ラングは国境に向かって頭をさげてたわね」


 オレは酒の入ったコップを台に置いた。


「いままでの感謝のつもりだったんだ。もう二度とソンクラムの土を踏むことはないだろうと思って」


「もうあそこへ戻るつもりはないの?」

「たぶんない。目的は果たせたから」

「目的?」


 首をかしげるムアン。


「ソンクラムに帰ってきたのは、ムアンの記憶を取り戻すためだったんだ。彼女の記憶はちゃんと戻った。だからあそこにいる必要はなくなった」


「寂しいわね。だけどわたしも同じかな。あそこの職場がなくなっちゃったから、故郷に帰るしかないわね」


 魔物によって国じゅうが滅茶苦茶になった。

 冒険者スクールの建物も、寮だったコテージも全壊だった。


 ルアンナが故郷に帰るとしたら、妹のムタもいっしょだろう。

 すなわちムタの召喚魔獣ムアンも、いっしょのはずだ。


 ああ、故郷か……。

 オレの故郷はビエン村。


 このときオレは故郷に対し、不思議と冷めた気持ちになっていた。

 最近そういうことが続いている。はて、どうしてだろう?



 あと2話で100話になります。

 100話目が最終話となります。

 最後まで読んでいただけると嬉しいです。


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