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第96話 ご主人


 片手をあげている女の子――。

 ムアンは彼女を指差して言う。


「あの子は…………わたしよ」



 えーーーーーーーーっ!



 その瞬間、ムアンがパッと消えた。


 なんだ、なんだ、なんなんだ?

 あの子がムアンってどういうことだ。

 何故ムアンが消えてしまったんだ。

 さっきまで目の前にいたはずなのに。


 オレの頭の中は大パニックとなった。

 きっと皆だってそうに違いない。

 あり得ない。これって何かの魔導なのか。


 ムアン? おい、ムアン。どこへ行ったんだ!


 ルアンナたち姉妹は別として、他の皆でムアンを探した。

 しかし消えたムアンは、どう探しても見つからない。



 片手をあげた少女が口を開く。


「騒ぐことではないわ」


 おおおお、また喋ったぞ。


 ちゃんと声が出せるのか。

 人形のように動かなかったのに。


 でも騒ぐことではないって……?


 オレたちはムアン探しを中断。

 少女の言葉に耳を傾ける。


「ただ思いだしたということ」


 何を言っているのだ。

 ちょっと意味がわからない。


「思いだしたって……。誰が? 誰の話をしてるんだ」

「わたしよ、すなわちムアンが思いだしたの」



  わたしよ、すなわちムアンが

  わたしよ、すなわちムアンが

  わたしよ、すなわちムアンが



 その言葉が頭の中で繰り返される。


 おいおい、待ってくれ。なんか錯乱してきた。

 まるで少女がムアンだって言ってるみたいじゃん。

 そんな馬鹿なことってあるかよ。だけど……。



  あの子は…………わたしよ

  あの子は…………わたしよ

  あの子は…………わたしよ



 ムアンは消える前にそう言っていた。

 ならば本当に? いやいや、あり得ない。


「嘘だろ。だってムアンにぜんぜん似てないぞ」


「そうよ。あなたたちが見てきたムアンは、ムアンじゃないから。そこに寝ているムタの姿を、無意識に借りていただけ。わたしがムアンの本体。これが真の姿」



 ああ、オレ駄目だ。

 頭ん中がカオスになってる……。



 一度、深呼吸してみた。



 そこにいるのがムアン。

 いままで見てきたムアンより、やや小柄な女の子。

 この姿こそが本来のムアンのもの。

 かつての面影はない……。


 いつも笑顔で癒やしてくれた。

 細かな気遣いをしてくれた。

 そんな優しく綺麗なお姉さん……。


 大きな胸を揺らして、ドキドキさせてきた。

 酒に酔うと抱きついて、ドキドキさせてきた。

 そんなちょっと困ったお姉さん……。


 それがオレの知っているムアンだった。

 そこの少女とは別人にしか思えない。


 でも受け入れるしかないのか。

 これが現実みたいだからな。




 やや小柄な女の子(ムアン)がベッドの近くに寄る。

 いまだに片手をあげたままだ。

 眠っているムタの耳元で囁く。


「もう大丈夫です。すべて思いだしました」


 いったんベッドから離れていった。


 ここでもう一度、奇跡を見ることになった――。


 ムタの瞼がゆっくりと開いていく。

 彼女が目を覚ましたのだ。


 その視線が姉のルアンナに向く。

 前回は目が合うことはなかったが。


「お姉ちゃん……?」


 なんと、さらには声を発したではないか。

 これも前回にはなかったことだ。


 ルアンナが目に涙を溜めていく。

 妹ムタを抱き締めた。



 あらためてムアンがベッドの二人に向く。


「ご主人、ここから早く離れてください。間もなくすべての天井が落ちます」


 彼女は『ご主人』と言った。

 それは誰のことだろう。

 ルアンナか? ムタか?


 声に反応したのはムタだった。


「ムアン? そこにいたのね。良かったぁ」

「はい、生きています。申し訳ございません。ご主人を巻き込んでしまいました」

「それは言わないで。わたしの自業自得。わたしが自ら巻き込まれに行っただけ」


 この二人はなんの話をしているのだ?



 ぽろっ ぽろっ ころろろ



 小さな欠片が落ちてきた。

 天井が崩れ始めたのだ。

 ムアンが言う。


「ご主人、わたしの魔導は限界です。この片手では天井を支えられなくなります」


 とにかくこの病室にいては危険らしい。

 すぐに出ていかなければならないようだ。


 問題はムタの足だ。彼女は長年ベッドに寝ていた。

 一人で簡単に歩けるはずもない。

 だったらオレが抱きかかえてやろう。


 ムタに両手を伸ばす。



「いやあああああああああ。来ないで」



 えーーーーっ。どうして!?


 なんと悲鳴をあげられてしまった。

 オレに謝ったのはルアンナだ。


「ごめんなさい。幼い頃から人見知りなの。特に男の子はまったくダメだった」


 意外だ。ルアンナの妹なのに、性格は人見知りだったとは。

 姉妹で似ているのは顔と胸だけかよ……おっと、なんでもない。



「では我が主(わがあるじ)に代わってわたしが」


 シェムがムタを抱えあげる。


 ムタは見知らぬシェムに怯えたようすだ。

 それでも拒否まではしなかった。


 片手をあげているムアンを残し、皆で病室を出る。

 廊下の天井も崩れだしてきた。急いで走っていく。



    *



 さあ、着いた。目の前が光の壁だ。


「師匠、天井が崩れてくる。早く光の壁から外へ出よう」

「そうだな。すぐ出なきゃ」


 病室の方を顧みる。

 ムアンは大丈夫か?


 彼女を心配しつつ、皆で光の壁を抜けた。

 その直後、爆音が響いた。光の壁の向こうからだ。



 グゴゴゴゴーン



 光の壁の向こうはよく見えない。しかし天井や壁の崩壊した音に間違いない。

 このタイミング……まるでオレたちが出るのを待っていたかのようだった。


 ムタがシェムの腕からおりて叫ぶ。



「ムアーーーーーーーーーン」



 人影が光の壁から透けて見えた。光はだいぶ弱くなっていた。

 光の壁を越えてきた人影――病室に残っていたムアンだった。


 やや小柄なムアンがムタの脇に立つ。

 ムタはやや小柄なムアンを抱き締めた。


 ムアンの穏やかな顔。ムタに送る優しい眼差し。

 病室にいたときには、人形のように無表情だったのに。

 へえ、こんな表情も作れるんだな。


「これはもう必要ないわね」


 ムアンの手がふたたび光の壁に触れる。

 光の壁はたちまち消えてしまった。


 えっ、これってもしかして……。


「ムアンが光の壁を作っていたのか」

「そう、ムタを守るため。あれで建物の崩壊を防いでた」


 光の壁を最初に抜けだしてみせたのって、そういえば彼女だったな。

 静電気みたいなビリビリは、彼女が作成者だから大丈夫だったわけか。



「おーーーーい」



 前校長の声だ。オレたちを見つけて歩いてきたのだ。

 ソードマスターとマスターもいっしょにいる。


 やや小柄なムアンに驚愕する前校長。


「おおおおおお、この子は!」


 この姿のムアンを知っているようだ。

 前校長はくるりと背中を向けた。


「おっと、わたしは本部の建物を探さなければならない。ここで失礼するよ」


 急ぐように去っていった。


 おかしな大佐だ。

 なんだったのだろう。



 さて、ひとまず落ち着いた。

 オレには確認してみたいことがあった。

 もちろんやや小柄な女の子(ムアン)に対してだ。


「ムタのことを『ご主人』って言ってただろ?」

「…………」

「いったいムアンは何者なんだ?」


 彼女の瞳が泳ぐ。

 少し躊躇しているようにも見えた。

 それでも答えてくれた。



「わたしはご主人の召喚魔獣」



 えーーーーーーーーっ!


 ムアンが召喚魔獣……。

 ならばシェムと同じじゃないか。


「てことはムタもオレと同じく(、、、)、召喚魔導の特殊スキル獲得者だったのか」


 『同じく』のところをいくぶん強調して言った。

 少しでもムタに親近感を持ってほしかったからだ。


 しかし人見知りのムタは、目も合わせてくれない。

 ずっとムアンの後ろに隠れている。


 オレはちょっと凹んだ。



我が主(わがあるじ)我が主(わがあるじ)

「どうした、シェム」

「ムアンは召喚魔獣と言いました」

「そうみたいだな」

「ここで大事な情報です!」

「大事な? ぜひ聞かせてくれ」


 シェムが口角をあげる。


「今後、ムアンにはあまり近づかない方がいいです」

「近づかない方がいい? それはどういうことだ」


 オレの手を引き、ムアンから遠ざけた。


「召喚魔獣というものは、みーんな悪魔のように嫉妬深くて危険なのです」

「シェムが言うなよ」


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