第72話 イリガの千手剣
翌日、イリガは稽古着を修繕していた。
左手のない彼女は右手の他、両足も上手く使っていた。
「へえ、器用なもんだな」
声をかけても返事はなかった。
まだ心を開いてくれないのか。
オレ、嫌われてるのかな。
「あのさあ、オレ、思ったんだけど……」
イリガは黙々と作業を続けている。
「もしもーし、イリガさん?」
反応はなかったが、そのまま話を続けた。
「特殊スキルの『千手剣』ってあったじゃん? いまやってみてくれないか」
針を持ったイリガの右手は止まらない。
そりゃーいきなり言ったって、やってくれるわけはないよな。
ところが……。
パパパパパっと次から次に『手』が現れた。
右手や左手。手首まである手。肘まである手。肩まである手。
すべての手が剣を握っている。それらが宙にプカプカと浮かんでいる。
全部で九百九十九本あるんだっけ。
イリガが頼みを聞いてくれるとは思わなかった。
たかがそんなことで、オレは感動してしまった。
近くに浮いている手を一本掴んでみる。
「きゃっ」
イリガが反応した。
ちょっと可愛い声だった。
ボカボカボカボカ
宙に浮くたくさんの手によって殴られた。
もちろん剣先でついてくることはなかった。
しかし痛いことは痛い。
「いてててて。や、やめてくれ」
「急に触らないで」
一応、やっと会話が成立した。
ここでも少し感動を覚えた。
「ご、ごめん。実は考えてみたことがあって。ちょっとだけ触らせてくれ」
「……」
キッと睨むイリガ。
触られるのは不快なようだ。
「一本だけでいいから」
「ならば一本だけ」
なんと了承してくれた。
頼んでみるものだ。
多くの手の中から、『肩の近くまでの伸びた左手』を選んで掴む。
「掴まれてる感触はあるのか?」
「ある。自分の手と同じ」
コチョコチョくすぐってみる。
ボカボカボカボカボカボカ
たくさんの手でまた殴られた。
「ごめんごめん。本当にこの手の感覚が、自分自身に伝わっていくんだな」
オレはその手から剣を奪った。
剣は手から離れると、気化するように消えていった。
「わっ、剣が消えるのか」
彼女がじっとオレを睨んでいる。
オレは握っている手を、彼女のもとに持っていった。
彼女の肩口にその手を接触させる。左肩と左手が繋がった。
「なんのつもり?」とイリガ。
「ほーら。裁縫するんだったら、左手も使えばいいだろ。せっかくあるんだ」
「……」
イリガは無言だ。気を悪くしたのか。
「剣を持つだけの手だと考えなければいい。イリガは他人より手が少ないんじゃない。誰よりも多くの手を持っているんだ」
「不愉快……」
良かれと思ってやったことが、いつも正しいとは限らない。
それをいま痛感している。不愉快にさせたことは悪かったと思う。
イリガが目をそらす。
「……だけど……」
イリガの『剣を放した左手』が稽古着を押さえた。
針を持った右手で縫い始める。
端から見れば、普通に両手を使っているようにしか見えない。
「……足を使うよりもずっとラクみたい」
オレはイリガの作業をずっと眺めていた。
イリガは見られることを拒まなかった。
あるいは気づいていないだけか。
イリガの修繕作業が終わる。
彼女は両手を組み、天井に向けて伸ばした。
ぐーっと背中も反らすようにあげている。
左手はまるで本物。彼女自身の手のようだった。
頭上に組んでいた『両手』を解く。てのひらを目の前に広げた。
彼女の口がもぞもぞ動いている。何をつぶやいているのだろう。
声はオレの耳まで届かなかった。
修繕した稽古着を『両手』で畳んでいく。
それを持って自分の個室まで歩いていった。
個室のドアを開ける。入る前に振り返った。
「ありがとう」
いまの声はちゃんと聞こえた。
「オレはなんにもしてないぜ。だけど驚いた。イリガから礼を言われるなんて」
視線を落とすイリガ。
いけね。口に出すべきじゃなかった。
個室に入りかけた彼女の足が戻る。
体をまっすぐこっちに向けた。
「おそらく誤解されていると思うから、言っておきたい……」
そのように話を切り出した彼女の顔は真剣だった。
「……わたしはあなたを嫌っていたり憎んでいたりしてはいない。心の中ではムアンやチャオプ、それからシェムとほぼ同等だから」
意外だった。
「それはありがたいことだ」
「けれどわたしはダメなの」
「何がダメなんだ」
「ほとんどのオトコが。幼い頃、義父に犯されそうになったことがある」
えっ。
しばらく沈黙が続いた。
「そうだったのか……」
時間をかけて出てきた言葉が、たったそれしかなかった。
「さらにはその義父に奴隷として売られそうになった。そこへ現れたのがマスターだった。マスターはわたしを引き取ってくれた。とても親切にしてくれた」
きのう食堂の隣テーブルにいた若い男のことか。
「へえ、アイツがねえ……」
イリガがうなずく。
「こう言うと、マスターは怒るかもしれないけど……。たぶんわたしは優しい彼の背中に『実父』を見ていた。あんな父が欲しかった。だけど平穏はいつまでも続かなかった。あるとき、ある誤解をされてしまった。彼の妹を見殺しにしたとして。それで彼にパーティーから追放されてしまったの」
「アイツめ!」
「マスターのことは悪く言わないでほしい。彼は愛する妹を突然失ってしまったの。そういうときに冷静な判断ができなくて当然。先に聞いた情報をそのまま信じ込んでしまっただけ。わたしはすべて許したつもり。恩はあっても恨みはない」
「ふうん。まあ、恨みがないのなら」
「それでも追放されたことは事実。わたしのショックは決して小さくなかった」
「だろうな……」
「そのときからだと思う。視界に入ってくるオトコに怯えるようになったのは。オトコに心を許すことが怖くなったのは。それでなるべくオトコを避けながら生きていこうと思った。だけどすぐにあなたが現れた。あなたは手を差し伸べてくれた。パーティーに入らないかと。まるであのときのマスターのようだった。しかもわたしが冷たくふるまっても、あなたは寛容でいてくれた。下心があるような感じでもなかった。あなたという人物はなんなのだろう……いまでも不思議な存在」
オレはイリガにとって『不思議ちゃん』ってことか。
ただ何よりも、嫌われていなかったことに安堵した。嬉しかった。
そういえば二人でこんなに長く会話したのは初めてだ。
彼女の目が泳いでいる。なんだかモジモジしているようにも見える。
まだ言い足りないことがあるのか? なんでもいいから言ってみてほしい。
オレはじっと待った。
「あなたには感謝している。でももう少し時間が欲しい。オトコに対する苦手意識は、いつか克服できるような気がする。もしそれに成功したら、感謝の気持ちとして……最初の笑顔を見せるのは、あなたにするつもりだから」
緊張した面持ちでそう話してくれた。
話し終えてから急に赤面し始める。
しかしオレは彼女にこう言う。
「最初の笑顔を見せる? その必要はないぞ」
途端に彼女の表情が凍りついた。
オレは話を続ける。
「だってさあ、いま、もう笑顔を見せてくれてたじゃん」
彼女が長々と語ってくれている間、オレには小さな笑顔が微かに見えていたのだ。
この日を境に、彼女との距離感がぐっと縮まったような気がした。




