第1話 落ちこぼれの最終日
「あら、ラングじゃない? また一人で皆の武器や防具を磨いてたのね」
オレの名前はラング。開いたドアから現れたのは、寮母のルアンナだった。寮母といっても、年齢はオレとあまり変わらない。優しい姉のような存在だ。
彼女のいうとおり、いまオレは軽鎧の手垢をゴシゴシと落としている。ときどき寮の道具庫へ来ては、こうしてパーティー仲間の武具を手入れしているのだ。
「汚れた物がキレイになるのって、気持ちよくて」
「たまには皆にもやらせなくちゃダメよ」
カラカラカラーン
背後で音がした。なんだ?
立てておいた矢入れ箱が倒れている。
その横を何食わぬ顔で歩いているのは、淡い銀色の毛をした子猫。
ああ、いまのは小さな彼女の仕業だったか。
こっちにやってきて、ミャーオと鳴いた。
サファイヤブルーの瞳がじっとオレを見つめている。
オレは武具磨きの手を止め、子猫を高くかかげた。
まったくもう! なんて可愛いんだ。
どんな悪戯されようが、怒れなくなってしまう。
◇
子猫を拾ってきたのは、およそ半年前――。
あれは一人で自主トレに出かけた帰り道だった。
突然、滝のようなスコールに襲われ、途中の神殿廃墟で雨宿りしたのだ。
そこでウトウトと居眠りしてしまった。
目が覚めると幼い子猫がいた。
とても小さかった。歩くこともままならない。
親猫を探してみたが見つからなかった。
ならば捨て猫か。
子猫がオレの指を舐める。きっと腹を空かせているのだ。
しかも全身ずぶ濡れ。寒そうに震えているではないか。
子猫を懐に入れ、雨の中を走った。
寮に連れていき、濡れた体を拭いてやった。
部屋に食べ物はないが、当てならばあった。
寮母のルアンナに事情を話し、頼み込んだのだ。
親切な彼女はミルクを持ってきてくれた。
子猫はちゃんと飲んでくれた。
さて、このあとどうしよう……。
まだ成猫ではないため、捨て直すわけにもいかなかった。
結局、オレの部屋に居つかせてしまった。
この子猫に『シェム』と名づけた。
◇
「ねえ、ラング?」
寮母のルアンナに名前を呼ばれてハッとした。
ついついシェムとの思い出にふけっていたのだ。
ルアンナが矢入れ箱を起こしている。
シェムが倒したのだから、オレがやるべきだったのに。
「ごめんなさい。ルアンナにさせちゃって」
「そんなことより、いま道具の手入れをしてる場合だっけ?」
ヤバッ、もうそんな時間か。
急いで中央神殿に行かないと!
「行ってきます、ルアンナ」
「いってらっしゃい。がんばってね」
慌てて道具庫をとびだした。
全力で走って大きな中央神殿に到着。
建立されたばかりのピカピカな神殿だ。
正面階段の下に白ヒゲの神官が立っていた。
わっ、もう来てる。マズいな。待たせてしまったか……。
彼の表情には出てないが、きっと怒っているはずだ。
石柱の陰にも若い三人の姿を発見。オレと同じパーティーの仲間だ。
彼ら三人もオレに気づいたらしい。そのうちの一人が手を振る。
「遅かったじゃん、ウィザード。部屋にもいなかったから、逃げたと思ったぞ」
「悪かったよ、アーチャー」
寮母のルアンナからは『ラング』と本名で呼ばれているが、アーチャーからは『ウィザード』と役割名で呼ばれている。オレたちのパーティー内ではそのように呼び合っているのだ。むろんアーチャーも本名ではない。
パーティー仲間のうち三人は、すでに特殊スキルを取得している。
特殊スキルにまだ成功していないのは、惨めなことにオレだけだ。
オレが取得する特殊スキルは『魔獣召喚』の予定だ。
極めてレアで傑出した特殊スキルだとされている。
断っておくが、『魔獣召喚』というのはオレの勝手な願望や妄想ではない。
幼少時、地元の神殿でそんな神託をくだされたのだ。
にもかかわらず、まだ成功できていないのは何故だろう。
ただし取得できたとしても、この『魔獣召喚』には特別な制限がある――。
通常の特殊スキルならば、取得後は何度でも繰り返して使用できる。
たとえば『水上走行』を取得した者は、いつでも好きなときに水面を走れるし、『雨乞い』を取得した者は、ほぼ毎日でも雨を降らせることができる。
しかし『魔獣召喚』の場合、発動するのは生涯で一度きりなのだ。
ゆえに召喚できる魔獣はたった一体のみ。一体の魔獣としか巡り会えない。
したがって召喚した魔獣を、一生かけて大事に育てることになる。
遠い過去には、魔獣召喚に二度も成功した例があるらしい。
だが二百年以上も遡らなければならない話だ。非現実的だと言えよう。
まあ、未だに取得できていないオレには、まったく無縁の話だ。
とにかく成功させなくては。
もしこの特殊スキルに成功したら、どんな魔獣が現れてくれるのか。
ドラゴン? ユニコーン? フェニックス? はたまた未知の魔獣……?
数年前まではそんなことを空想するのが好きだった。
しかし残酷なことに、タイムリミットというものがある。
特殊スキルを手に入れられるのは、子供だけ(つまり十四歳以下)なのだ。
十五歳以上の者による特殊スキル取得は、過去において一度も例がない。
とうとう明日が十五の誕生日。もうすぐ十四歳が終わってしまう。
オレに残された時間はもうない。きょうが恐怖の最終日なのだ。
神殿に来たのはこのためである。今回が最後の神頼みとなる――。
溜息をついた。
もしきょうも成功できなかったらどうしよう。
パーティー仲間にどんな顔をすればいいのだ?
ああ……。
特殊スキルを持たないウィザードなんて。
初歩魔導しか使えないウィザードなんて。
完全にパーティーの足手まといになる。
そんなオレを仲間たちはどう思うだろう?
ちらりと仲間たちの顔を確認する。
「あのさ。もしオレがきょうも成功できな……」
「大丈夫だ。成功する」
言葉を遮るように言われた。
簡単に言ってくれるものだ。
少なくとも励ましにはなっていなかった。
なんだか余計にプレッシャーに感じた。
いままで何度失敗してきたことだろう。
正直、きょうも成功する気がしない。
だけど今回ばかりは失敗が許されない。
仲間の目は笑っていなかった。
白ヒゲの神官とともに、石の神殿をのぼっていく。
ここは神殿。地上で最も特殊スキル取得に成功しやすい場所だ。
神殿の下では仲間たちが見守っている。
てっぺんに到着した。これから最後の祈りを始める。
いま特殊スキルの発動がなければ、未来永劫魔獣召喚はない。
幼少時にくだされた神託は、魔獣召喚の特殊スキル取得のみ。
オレにとって魔獣の顕現だけが、『特殊スキル発動の成功』を意味する。
ここで深呼吸する。
大きな剣のモニュメントの前で跪いた。
目を閉じ、意識を集中する。
「神よ! 我に魔獣を与え給え」
魔獣よ、現われてくれ!!!!!!
ひたすらじっと待つ。
来てくれ。来てくれ。来てくれ。
特殊スキル皆無の結果なんて、マジ勘弁してほしい。
もしそんなことになったら、皆になんと言ったらいい?
仲間たちのお荷物になるなんてイヤだ。
土下座したって許してもらえない。
まだ現われないのかよ。
もうダメなのか……。
諦めかけたとき、モニュメントが光った。
なんだろう。これは初めてのことだ。
成功だよな?
信じられない気持ちでいっぱいになった。
くそっ、涙が出そうだ。
やっと特殊スキルをゲットできる。
それはすなわち魔獣召喚の成功を意味する。
きっとこの光から魔獣が形成されるのだ。
いったいどんな魔獣が出てくるのだろう。
ああ、待望の召喚魔獣……。
ドラゴン? ユニコーン? フェニックス?
さあ、なんだ。何が生みだされるのか。
なんでもいいから早くしてくれ。
モニュメントの光が石畳の床に移動する。
光は小さくなっていった。
まさか消えてしまうのか。そんなのって。
いいや、小さいながらも何かが残った。
光の中にケモノの姿がうっすらと見えた。
なんだ、なんだ、何が現れようとしている?
ケモノの正体についてはまだ不明。
このとき頭の中で音楽が鳴った。
そして眼前に表示が現れた。
『レベルが3にアップしました』
こんなの初めて見た。少なくとも冒険者スクールの授業では習ってなかったぞ?
でもレベル3ってどういうことだ……。さっきまでオレはレベル2だったのか。
もしレベルというものがあるのならば、普通は1から始まるように思うけど。
そんなことはどうでもいい。
とにかく特殊スキルの取得すなわち発動に成功したようだ。
これほど嬉しいことはない!
じっと目を凝らす。
さあ、正体を教えてくれ。
オレの召喚魔獣はなんだ?
――ハツカネズミだった。
微妙だ。
ハツカネズミがこっちを向く。
逃げる素振りはない。オレを主人として認識しているようだ。
神官がプッと笑う。
おいおい、それって神官としてどうなんだ?
彼はオレと目が合うと、すぐに表情を引き締めなおした。
でもいいさ。オレは満足だ。
ハツカネズミだろうと召喚できたのだ。
そう、魔獣は魔獣! 単なるハツカネズミなどではないはず。
きっとコイツは特殊能力を持っているに違いない。
成長すればドラゴンを凌ぐ力を持つかもしれない。
優しく根気よく育ててあげよう。
下で待っている仲間たちにも、これでいい報告ができる。
早く皆に見せてやりたい。
ああ、そうだ。この召喚魔獣に名前をつけてやらないと。
何かいい名前はないかな……。
そのとき事件が起きた。
ニャーオと何かが鳴いた。
子猫――? オレの可愛いシェムだ。
こんなところまでついてきたのか。
最近は活発すぎて困ってしまう。
オレが目元を緩めた瞬間、シェムがパクり。
召喚したばかりのハツカネズミを丸呑みしてしまった。
「ああああああああああああああああああ!」