おもしろい
「あの子、面白いわねぇ」
私の部屋で思い出したように笑う紅葉に、心臓が跳ねた。
「美華の事?」
「名前は知らない。麻衣の欲しい男と一緒にいたコよ。見ていて、とても楽しかった」
「……何が楽しかったの?」
落ち着かなくちゃ、と思うのに声の震えを抑えられない。私は、暇つぶしの相手に過ぎない。私に手を貸すよりも面白いと思えば紅葉は美華につくかもしれない。
美華に紅葉がついたら、私なんてどうにもならない。
「心配しなくても、麻衣も面白いわ。全然逆だけど、二人とも見ていてとても楽しい」
楽しい? 私も?
紅葉の言葉の真意はわからないけれど、暇つぶしになっているのならそれでいい。私は紅葉との約束を違えない。紅葉も、私との約束を違える事はない。
鬼との関係なんて、それで十分だ。
「私、紅葉の暇つぶしにはなれそう?」
「ええ」
紅葉の笑顔に背中が寒くなる。私が優人を欲しがり、美華が美しい紅葉を妬む。胸の中がずっしりと重くなるのに、今紅葉に捨てられるわけにはいかない。
「私に、紅葉の魅力をくれる?」
「もちろん。でも、少しずつよ」
クスクスと笑って私の髪を撫でる。紅葉は、柔らかく艶やかな黒髪を持ち、髪の毛一筋さえも美しい。この魅力も、私のものになるのだろうか。
「心配しなくても、鬼は約束を違えることはしない。必ず麻衣を魅力的な女性にしてあげるわ」
その言葉は、私の胸で甘い蜂蜜のようにゆったりと広がっていく。
今夜紅葉が集めていた視線は、いずれ私のものになる。
真っ暗な窓に白い雪が降り積もり、私は暗い部屋の中から白くなっていく窓を見つめながら泣いていた。たった一人で声も出せずに泣いているのに、どうして泣いているのか、なにが悲しいのか思い出せない。
明るい日差しの中で年配の女性と歩く、幼い子。道端の花を摘み、笑顔で歩くその姿に涙を誘うことなど何も無いはずなのに、私は涙をこらえることができず道をそれた。どうして? 何が、悲しいの?
逃げ出すように道をそれた私の肩に、大きな手が置かれる。
「百合子ちゃん、ありがとうねぇ」
「今の、夢……」
紅葉と会ってから時折見る、リアルな夢。『百合子』と呼ばれていた。あれは、お祖母ちゃん?
私は夢で、お祖母ちゃんの過去をたどっている?
紅葉と、鬼と会ったから?
あれは、お祖母ちゃんが見た景色だ。悲しくて仕方がなかったのは、お祖母ちゃんの心。お祖母ちゃんが、私に夢を見せているの?
『月の無い夜は、鬼がでるから空を見てはいけないよ』お祖母ちゃんは、幼い私にそう繰り返した。私を紅葉に会わせたくなかったから? どうして、会わせたくなかった?
いつも優しく、穏やかだったお祖母ちゃんを思い出す。心から、私を想ってくれていたことを知っている。
それでも、今の私には紅葉の魅力が必要なの。私の頭は、お祖母ちゃんの気持ちを考えることを拒否した。今の私には、お祖母ちゃんの愛よりもずっと欲しいものがある。
ごめんなさい。ごめんなさい。
せっかくの週末なのに、あいにくの天気。お祖母ちゃんの涙のような雨は見たくない。昼間からカーテンを閉めてテレビの音量を上げるが、頭に浮かぶのはお祖母ちゃんのことばかり。
「お祖母ちゃんは、どんな魅力をもらったんだろう」
私が覚えているのは、お祖母ちゃんとしての穏やかな女性。いつも穏やかに微笑んでいて、絵本に出てくるような小人やら妖精やらの話を楽しそうにしてくれる、可愛らしいお祖母ちゃん。
恋に苦しんで、鬼に縋るような女性を、私は知らない。
どんなふうに苦しんで、どんな魅力をもらって、どんな風に好きな男性と結ばれたの?
紅葉の魅力を手に入れたのに、どうして泣いていたの?
夢を見せることができるなら、私の話を聞いてくれたらいいのに。
いつの間に眠っていたのか、目がさめると部屋には紅い光が差し込んでいた。小雨はまだ止む気配もないが、お腹は空く。仕方ない、溜息をつきながら軽く身支度をして、今年買った傘とレインブーツをクローゼットから取りだした。優人と会う日に雨が降ったら使おうと思って取っておいたが、結局一度も使っていない。
このまま使わないのももったいないし、調度いいよね。
新しい傘とレインブーツで外の空気を吸えば、少し気分も上がってきた。近所のコンビニで今夜の食事だけ調達するのでは、せっかくの休みも新しい傘とレインブーツももったいない。少し、歩こう。
小雨の降る中歩くこと、10分少々。衣料品から雑貨、アクセサリーまで多くのテナントが入っている大型スーパーは、雨で行く場所のない人達で混みあっていた。楽しそうな雰囲気につられて、ついお気に入りのショップに足が向く。目に留まったのは、昨日紅葉が着ていたようなスキニーとビックサイズのシャツ。カーキのシャツは、紅葉の白い肌を見事なくらいに引き立てていた。
紅葉のように、なりたい。
手に取ったカーキのシャツを身体に当てて鏡に向うが、私のなりたい姿は写っていない。まだ、紅葉のようにはなれないという事だろう。思わず溜息が漏れた。
「麻衣には、白の方がいいんじゃない?」
不意に横からかけられた声に、心臓が5ミリは飛び跳ねる。
「優人? なんでいるの?」
「ん? ここ『LOU』って店入ってるの知ってる? 俺好きなんだけど、うちの近くにあった店は無くなっちゃってさ。仕方ないからここまで来るようになったんだ。麻衣の家、この辺だったっけ?」
「うん……。歩いて十五分くらい」
何度も言った、私の住む場所。覚えていては、くれないんだね。
「そうなんだ。今日は一人? 昨日の親戚の子は?」
優人が会いたいと思うのは、私では、ない。
「一人だよ。一緒に住んでいるわけでもないし、家も遠いし」
少しずつ、声が小さくなっていくのが自分でもわかる。会えたことに勝手に喜んで、紅葉を探されたことに勝手に凹んで、優人が一人で来ているのかどうか、聞くこともできない。
私、何やっているんだろう。
「じゃあ、またね」
最初の目的通り、食品買ったらさっさと帰ろう。
もし美華といるのなら、見たくない。手に取ったシャツを戻して、精一杯の笑顔を優人に向ける。昨夜の美華のような表情になっていない事を願いながら。
「なぁ、時間あるなら一緒に飯食わない? どこも混んでて、一人じゃ入りにくいんだよな」
「食べる! お腹空いた!」
どうしよう、なんて考えることもなく、私の口から飛び出した言葉。ああ、これだから。
「じゃぁ行こう。何食べたい?」
何食べたい? こう聞かれたら、美華はなんて答えるんだろう? 紅葉なら、なんて答えるんだろう?
私、以前はどんな風に答えていたっけ……。
「フードコート行かない? ここのフードコートに入っている中華、前に雑誌に載ってて気になってたんだよね。」
そう、優人が美華を見るまでは、私は思ったことをそのまま話していた。私が好きなことを言って、それを優人が笑って受け入れてくれるのが、好きだった。
「フードコート、いいな。行こうか」
ニコニコとしながら答えてくれる優人。以前と、なにも変わらない。




