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月のない夜は  作者: 麗華
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約束を

弱くなった百合子の瞳は、つまらない。あの時と同じ真直ぐなのに、弱い瞳。


 あの日と同じ紅く染まった山を隠す月の無い夜に、私はまだ青い紅葉の葉を百合子の元へ送った。私へと導く青い紅葉を追って百合子は真っ暗な山の中を歩いてくる。十年前に泣いていた場所へたどり着いた百合子は諦めたように深くて長い息を吐いた。


「やっぱり、夢じゃなかったのね」

 諦めたような、嘆くような声。その瞳は、以前よりもずっと弱くて、強かった。

「夢だったなら、貴女は今生きていない」

「そうね」

 何を思い出したのだろう。百合子は我が身を抱きしめ、真直ぐに私を見た。

「で、大きく成長した私を、食べるの?」

「……そんなこと、しない。鬼は、人を食べたりしない。人を殺したりしない」

 笑う私に、冷もう一度深くて悲しい溜息をつく。

「それなら、どうして私を呼んだの?」

「貴女の瞳が、どう変わるか見たかったの。ただ、それだけ。私の気まぐれ」

「気まぐれ……」

「そう。気まぐれ」

 笑った私に、百合子は瞳をそらした。その顔は、怒っているようで、悲しんでいるようで、言いたいことを飲み込んだのがわかる。強さを持たない瞳。見たかったのは、こんな瞳ではない。やはり、人はこの程度なのか。

「気まぐれに付き合ってくれたお礼をしたいわ。何か、望みは?」

 鬼の誘惑に、すぐに顔を上げる馬鹿な女。期待と、恐れの葛藤がその瞳に広がっている。


「素敵な瞳ね。正直で、とても素敵」

 素直に誉めたのだが、百合子は気まずそうにまた下を向いた。口にするつもりが無いのなら。

「あの日のように、家まで送るわ。これからは、私との約束なんて思い出さずに安心して暮らすといい」

 望みはわかっていたのに、導いてあげることはしない。百合子の瞳が揺れるのを、少しでも長く見たかった。


「望みは、ある。私を貴女みたいにして。幸司さんが、私を見てくれるように」

 私に向き合ったその瞳は揺れてなどいなかった。真直ぐで、これまでみたどんな瞳よりも強い、とても魅力的な瞳。十年待った、そのかいがあった。


「百合子は私に『紅葉』という名をくれた。これまで、呼んでくれたのは百合子だけだったけどね」

 ゆっくりと、時間をかけて百合子は美しくなっていった。髪に、肌に、鬼の魅力を取り込み、瞳には、女の弱さと強さを宿し、日ごと月ごと百合子を見つめる瞳が増えていく。美しい鬼が放つ魅力の前で、若い男が自分の意志を保つことなど出来るわけがない。

 望みの叶った百合子の瞳は、以前よりいっそう弱く、強く、悲し気に揺れる。

 とても、儚く美しい瞳。



 目の前で、百合子によく似た瞳が揺れている。まるであの日に戻ったみたい。

「お祖母ちゃんの、願いを叶えたの? 」

「どうかしら? 」




 紅葉はクスクスと笑う。とても美しく笑う。

「どうして、私の所に来たの? 」

 私の言葉に、寂しそうに笑った美しい鬼。お祖母ちゃんがつけたという名は、この鬼によく似合っている。寂しさに耐えて色づくような、紅い紅葉。

 どんな女性よりも美しい鬼。その魅力に焦がれて、欲して、手に入れた。

 幼い頃に逝ったお祖母ちゃん。穏やかな顔しか思い出せないが、私と同じように苦しんでいた時があったのだろうか。美しい鬼に魅かれたのは、私だけじゃない。逝ってしまったお祖母ちゃんを、すぐ側に感じる。

「退屈だったの」

 興味本位であることをあっさりと告げるのに、悪気なんてまったくない。美しく、冷ややかな鬼。

「私の暇つぶしに、付き合ってくれる? 」

 美しい鬼の暇つぶしに付き合ったら、私の望みも叶うんだろうか。鬼に頼ることで、私の望みは叶うのだろうか。

 月のない夜に怯えていたお祖母ちゃんの姿が目に浮かぶ。美しすぎる鬼。きっと、とても怖かったはず。恐かったからこそ『月の無い夜』を私から遠ざけていた。

 断ったほうがいいのだろう。そう思うのに私の口は考えることなく動いていた。

「貴女の魅力が欲しい」

 これが、私と紅葉の約束。


「この男でしょう? 」

 まだ青い紅葉の葉がフワフワと宙に浮かび、その上に浮かびあがったのは、楽しそうな優人の姿。ニコニコと笑いながら、スマホを見ている。優人は、わかりやすい。スマホの画面なんて見なくても、誰とやり取りしているのかわかってしまう。一緒にいるときにも着信がある都度そう思ったが、一人でいるときの優人は、もっとわかりやすい。いつもはあれでも気を使っていたんだな、なんて見当違いの事が少し嬉しい私は、重症だ。

「好みも、似てるわねぇ。血筋っていうのかしらね」

 クスクスと笑いながら、私を見つめる紅葉。そんな顔にすら見惚れてしまう。

 私とお祖母ちゃんの好みが似てる? 私が生まれた時にはすでにこの世に居なかったお祖父ちゃん。写真すらないけれども、優人と似ているのか?

「この男、好きな女性がいるのね」

 知っています。だから、貴女の魅力が欲しいんです。他の誰でもなく、私を選んでもらえるために。

「この男が、欲しいの? 」

 紅葉の言葉が、頭の中をフワフワとめぐり、胸の奥に落ちた。


「欲しい」


 優人が、欲しい。彼の瞳に私を映したい。私以外の人に、初めて告げた私の想い。

 言葉にすることで、強くなった想いが胸に広がる。


 まだ青い紅葉の葉がはじけ、優人の姿がかき消えた。


 気がついたときには朝で、いつも通りベッドの中で目を覚ました。それでも、床に散らばった青い紅葉の葉が、鬼が現れた事を物語っている。


 優人が、欲しい。


 どうして、これまで押し込めようとしていたんだろう。窮屈だった恋心は、言葉にした事で自由を得たかのように大きく強くなっている。

 大丈夫、紅葉がきっと、助けてくれる。

 私は優人を、手に入れる。


 その日、久しぶりに外出をした。

 紅葉が、私に優人をくれる。紅葉のような、魅力をくれる。

 誰もがうらやむような魅力的な女性になりたい。優人が私の隣にいてくれるように。

 服を選ぶことも、化粧品を選ぶことも楽しくて仕方がない。普段なら選ばないような、華やかなもの。紅葉の魅力が手に入るなら、遠慮することなんてない。その日、私は両手に抱えるほどの買い物をしてしまった。紅葉がくれるといった魅力に負けないように。



 その晩、夢を見た。

 紅い羽織を着た女性。後ろ姿しか見えないが、紅葉の簪が夜の闇に映え、雪の中を静かに歩いている。知らない女性なのに、何故か涙が止まらない。

 思わず差し出した手は、私の手ではなかった。白く細い指先には、刺さるように冷たい雪が落ちてくる。


「目覚め、最悪……」

 冷たさを感じていた指先は、布団からはみ出た上におかしな体制で寝ていたのであろう、妙に痺れて冷え切っている。あまりにも紅葉のことを考えていたから、変な夢を見たのか。

 夢の中の紅葉の簪は、私の持っているものによく似ていた。雪の夜に映える、紅い羽織に紅葉の簪。夢、と言ってしまうには、あまりにもリアルだ。彼女の後姿は、切なくて、悲しくて。どうして、そう思ったのかはわからないが、まだ胸が締め付けられている。


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