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月のない夜は  作者: 麗華
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ねがう

 二杯目のハイボールが半分に減ったころ、カウベルがなり明るい声が店内に響く。

「うわ、今日混んでるなぁ。何かあった?」

「うちは何もないんだけどなぁ」

 楽しそうに笑うマスターは、流石だ。私は上手く笑顔を作る自信がなくて、残ったハイボールを一気に飲み干した。石川さんは、私に雅さんとは会わずに帰って欲しかったんだろう。でも……

「こんばんは。遅かったですねぇ、忙しかったんですか?」

 石川さんの、望みなんて知るものか。

「そろそろ繁忙期に入るからね。もうかなり呑んじゃった?」

「少し、です。もう一杯だけ呑みたいので」

 さっきまで石川さんが座っていた席を引くと、当たり前のようにそこに座る。

いつも通りの軽い会話に彼の笑顔が、私の胸を冷やしていく。


 三杯目のハイボールをなんとか飲みきって、一人で終電間際の電車に駆け込むと、車内はお酒の匂いをさせた人と疲れた顔でため息をつく人で混みあっている。

 この中で、私は今どんな顔をしているんだろう。



 惰性のように毎朝起きて、仕事に向かう。週末に近付くことが憂鬱になるなんて、思いもしなかった。いつも通り、優人からの連絡のない週末に少しホッとするなんて……。


 ―今、美華と黒猫に向っているんだけど、麻衣も来ない? ―

 金曜の9時を少し回った時間に優人から連絡が来た。私はすでに帰宅して、お風呂も済ませている。そんな時間なのだから、呑みになんて出たくないのが普通だろう。

 以前の私なら、尻尾を振って支度をして、一時間以内には『黒猫』にいたんだろうけど。

 ―今日は、もう家にいるの。また誘って―

 私は今、どんな気持ちで返信をしたのだろう。自分の気持ちすらもわからないままベッドに潜り込み、瞳を閉じた。




 土曜日の9時を回った頃、一人で来た『黒猫』は混み合っている。土曜日、優人と美華は『黒猫』には来ない。知っているのに、店内をキョロキョロと見渡してしまうのが情けない。

「珍しいな、土曜日に来るなんて」

「……呑みたかったの。ハイボールください」

 半分ほど埋まったカウンター。隙間を見つけて座り込むと同時にハイボールが出てきた。

「ありがとう」

 カウンターでは定番のデートコースの話題で盛り上がっていた。一人の男性が、明日長く想っていた彼女と初デートらしく、どこに行ったらいいのか迷っているとか。前日まで悩むんだ、なんて余計な事を考えながら呑んでいたら、急にこちらにまで話題が飛んできた。

「麻衣は、初デートならどこに行きたい?」

「あ、いいね。女のコの意見」

「……初デート」

 優人と初めて二人で出かけたのは、水族館。お互い、子供の頃に行った事があって、久しぶりに行きたいなぁ、なんて話から二人で行くことになった。あの頃は、ただ一緒に笑えることが嬉しくて、楽しかった。でも、あれをデートと言っていいものか……。

「どこでも、いいかなぁ」

 こないだ、大型スーパーでも楽しかったし。一緒に出掛けられるなら、どこでも。

「出た! どこでもいいが一番困るんだよなぁ」

「ダメですか? じゃぁ……」

 ええと、ええと。想ってくれた人との初デート。雅さんと、もし行くのなら。

「猫カフェとか、映画とか」

「猫カフェ?」

 猫がたくさんいれば話題に困らないし、猫を追っていれば少し距離もとれる。映画は、暗いしあまり話さなくてもいい。動物園や水族館は定番だけど、街中にはないので移動している時に間が持たないんじゃないかと心配だから、候補からは外した。これ、絶対に理由は言えないな。

「猫カフェ、いいかもなぁ。話題困らなそうだし」

 同じ理由だけど、気持ちは全然違うんだろうな。

「じゃぁ、ご飯は? 何食べたい?」

 デートは明日なのに、何も決めていないのは楽しみすぎて決められないんだろう。でも、当日会ってモタモタしていたら確実にポイントは下がっていくのに。

 周りも同じことを思ったのか、『雑誌を買って帰れ』なんて言われてスゴスゴと帰っていった。そうだよね、せっかくの初デート。遅刻しちゃったら悩んでいたのも台無しになっちゃう。

 初デートの場所と食事。悩んでもらえる女性が羨ましい。

 

 終電が近づくごとに静かになっていく店内。入れ替わって入ってくる新規のお客さんたちは、すでにどこかで呑んでいたのだろう、ご機嫌にボックス席で呑んでいる。

「雅から猫カフェに誘われたら、行くのか?」

 少し時間のできたマスターが、洗い物を片付けながら聞いてきた。雅さんと……。

「ううん、行かない、と思う」

「……そうか」

「うん」

「お前、何がしたいんだ?」

 何が……?

 最初は、美華が他の男性に好意を持ってくれたらいいと思った。雅さんは、美華の自尊心を刺激するのには充分な存在だ。そんな男性が、女として自分よりもずっと下だと思っている私に好意を持っていたら、必ず興味を持つだろう。私は、美華と女としての勝負なんてする気はない。美華が優人から離れてくれたならそれでいい。

 それなのに、雅さんが私を見る瞳に、胸が苦しくなる。その瞳が持つ熱を、誰よりも知っているから。何がしたいのかなんて、私の方こそ教えて欲しい。

「呑み友達が、欲しかったの」

 マスターにそんなこと、通じるはずがない。わかっているけど。

「お前、今苦しいだろう?」

 苦しい? 優人が美華を見るようになってから、ずっと苦しい。だから、早く楽になりたいのに。

「帰る」

 楽になりたかったのに、以前よりもずっと苦しい。


 望んだことが叶っているのに、どうして苦しいのかわからない。今夜は、月が見えない。





「伝えてきなよ」

「……」

「ちゃんと、返事をくれる人だよ。行っておいで」

 それでいいの? と訴える声の主から目をそらせた。彼女が誰を見ていたのかなんて、ずっと前から知っている。彼女の幸せを望むのなら、避けては通れない。

 たった一言を、どれだけの想いで口にしたのか。私には、出来なかったことだ。


「ありがとうって、言われた」

「そう」

「でも、やっぱり私じゃ駄目だった」

「そう」

 その声に、喜びは微塵もない。彼女の悲しみを自分の事のように受け止めている。彼女が泣かずに過ごせることを、本心から願っていた。その心に、私は責められる。

「司、ありがとう」

 幼いころから知っている顔が、涙に濡れながら笑っている。




 寒い。頬を伝う涙の冷たさで目が覚めた。

 お祖母ちゃんは、羨ましかったんだ。好きな人が後悔しないようにと、本心から願った。そう出来る強さが羨ましくて、強く想われることが妬ましかった。

 そして、自分が情けなくて、とても悲しかった。

 

 わかっている。

 優人の事を思うなら、どうしたらいいのか。私がしていることは、一つも優人の為を思ってなどいない。自分の欲しいものの為なら、誰が傷ついても構わない。そんな私が優人の隣にいて、優人は幸せ? 誰を傷つけても、優人が欲しい。それが、私の本当の気持ち。でも、優人には、幸せそうに笑っていて欲しいと思うのも、本当。

 

 私は、どうしたいのだろう。

 私が自分の気持ちに正直になることで、誰も幸せになれなくなる。誰も幸せでなくても、私は? 私も、幸せにはなれない? 

 

 暗かった部屋が、少しずつ明るくなってきた。 


 お祖母ちゃんは、お祖父ちゃんを手に入れた。代わりにどれだけの物を失ったのだろう。

 鬼に魅力をもらって手に入れた男性の気持ちを、信じる事ができたのだろうか。


 今の私は、誰を信じることができて、誰に信じてもらうことができるのだろう。



「紅葉! 紅葉!」

 もうすぐ陽が昇る時間だ。鬼は、朝には眠るのだろうか。私の声が届くのだろうか。

 近所迷惑も気にせずに、紅葉の名を呼び泣きじゃくったが、返事はなかった。紅葉にとって、今の私は最高の暇つぶしになるだろうに。

 お祖母ちゃんは、私よりも悩んだ? 私よりも苦しんだ?

 いいえ、きっと私の方が、悩んでいる。苦しんでいる。それなら、私の方が、紅葉を楽しませてあげられる。

 それなのに、どうして紅葉は来てくれないの。 


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