欲しい
開け放したカーテンから入る陽の光が目に刺さるほどにまぶしい。そのせいなのか、私の両目からは涙があふれて止まらない。
謝っていたお祖母ちゃん。記憶をたどるばかりではなく言葉が欲しいと思っていたけど、欲しかったのはあんな言葉ではない。私は私の意志で、幸せを選ぶ。
お祖母ちゃんは、紅葉に頼ったことを今でも後悔している。
お母さんは、結婚する前に紅葉に会えなくて良かったのだと答えた。
どうして? 二人とも、大好きな人が欲しかったんじゃないの? 大好きな人が手に入れば、他はどうでもいいと思わないの?
私は、どこかおかしいのだろうか。
―昨日は、ごめん―
陽が暮れる頃、優人からラインが来た。何に対しての『ごめん』なのか触れることができないままに返事を返す。
―いつもは私が酔っぱらっているから、お互い様。大丈夫だった?―
―今日は一日頭痛が取れなかった。明日までに治るかなぁ―
頭痛かぁ。飲みすぎの頭痛って、何にもできないんだよね。薬も効かないし。
―苦しいくらいに水呑んでから寝るとだいぶ違うよ。今日は早く寝なー
―うん。ありがとうー
昨日の事なんて、忘れてしまって眠ればいいんだ。私に言った事も、美華の代わりに手を取ったことも。私は昨夜の夢を忘れるから、優人は昨日の想いを忘れて欲しい。
「まだ、手に入らないのね」
不意に部屋に響く、呆れたような声。それでもその顔は、とても楽しそうだ。
「紅葉の魅力よりも、美華の方がいいみたいよ」
嫌味の、つもりだった。美しい鬼なんて言っても人間の女に勝てない程度の魅力じゃないか、と言いたかったんだ。それなのに、紅葉は心底不思議そうな顔をしている。
「鬼の魅力を手にした麻衣がどうなるのかは麻衣が決める事。どれだけ美しくても、誰にも望まれない人もいるでしょう?」
当たり前のように紡がれた言葉は、私の身体から力を奪うには十分だった。
「私は、優人を欲しいと言ったの」
声が震える。紅葉が歪んで見えない。それなのに、紅葉が笑っているのがわかる。
「私の魅力はあげたわ」
確かにその通りだ。紅葉は、鬼の魅力をくれるとは言ったが優人をくれるとは言わなかった。でも、紅葉のようになれるなら、手に入らないものなどないと思っていた。私が、勝手に……。
「お祖母ちゃんは、紅葉の魅力でお祖父ちゃんを手に入れたのでしょう? どうして、優人は手に入らないの?」
紅葉の紅い唇が弧を描き妖艶な笑みが零れるが、その唇は私の欲しい答えをくれない。
「どうして?」
「そんなに泣いたら、百合子が悲しむわ」
また、これだ。紅葉はお祖母ちゃんだけが大事なんだ。お祖母ちゃんの望みは叶えるけど、私の望みは叶えてはくれない。どうして?
「私が、お祖母ちゃんの孫じゃなければ、紅葉は私の所に来なかった? 」
「ええ」
わかっていた事なのに、紅葉の言葉が胸に刺さる。私は誰にも望まれないの?
「優人が手に入るなら、他はいらない」
気がついた時には泣きじゃくり、紅葉に掴みかかっていた。どうしてわかってくれないのかと叫びながら。紅葉の細い身体は、私の怒りも悲しみもすべてを受け流しただそこに立っている。
「そんな気持ちじゃ、鬼にはなれない」
言葉の意味を問う前に、紅葉は消えた。『そんな気持ち』なのだろうか。美華が憎い。私を見てくれない優人が、憎くて憎くて愛おしい。
私は、いつまで人でいなくてはならないの?
優人が、欲しい。その気持ちだけでは、鬼になれないの? 人でいることは、こんなに苦しいのに。
「麻衣、何かあった?」
彩が心配そうに聞いてくる。そんなに私はわかりやすいんだろうか。
「何にも。何にもないから、つまらないの」
隠す事無く吐き捨てると、彩が目を丸くした。聞いてきたのはそっちなのにとあからさまに不機嫌になった私に彩が笑う。
「麻衣、隠さなくなったね」
そういえば、私はずっと優人への気持ちを隠していた。まぁ、隠しきれてはいなかったけど。
隠していたのは、終わってしまうのが怖かったから。『諦めた方が良いよ』なんて言われるのが怖くてずっと守っていたかった。『なりふり構わず』なんてことする勇気は私には無かったんだ。
今は?
鬼に願った時点で、なりふりなんて構っていないよね。鬼に願うほど欲しかったのに、人には知られたくなかった。人から隠してでも守りたかった私の恋心は、いつの間にか隠し切れないぐらいに大きくなった。これから、どうなっていくんだろう。
「ごめん、悪い意味じゃないの。麻衣、優人に会ってから綺麗になったよ。それって優人の為でしょう? うん、良い事だと思うよ?」
彩の嬉しそうな言葉が、素直に胸に入ってくる。そうだよね。優人が欲しいのは、隠す事じゃない。どうして、気が付かなかったんだろう。鬼に頼っても、私は優人が欲しい。
「うん。欲しいものは欲しいって言う事にしたの」
誰に対しても、言いたい。
台風が近づいている今夜は、月は見えない。本当なら、綺麗な月が見えるはずなのに。
美華が、憎い。優人の気持ちを知っているはずなのに、答えることなく優人の側にいる。優人が傷つくことを知っていて、突き放す。なんて傲慢な女。美華が憎い。
月を覆い隠す雲のように黒い感情が胸に広がって、上手く息ができない。どうしたら、いい?
「紅葉……。紅葉!」
「なぁに?」
鈴のなるような声が部屋に届き、ふわりと紅葉が部屋に降り立つ。
「美華が、憎いの」
「そう」
私の悪意を受け止める静かな声。聞き覚えのある声。
頭の中で声がする。駄目だと、必死に止める姿が見える。ごめんなさい。お祖母ちゃん。私、やっぱり、駄目。
「美華を、殺して」
「やっぱり、百合子にそっくりねぇ」
可笑しそうに笑う紅葉が、滲んで消える。『そっくり』なのだろう。女としてのお祖母ちゃんの姿など見たことはないが、夢の中のお祖母ちゃんの痛みは、今の私の痛みとそっくり同じだ。欲しい。欲しい。私を見て。
「鬼は、人を殺したりはしないわ」
闇から響く高く澄んだ声。美しい鬼は、私の望みを叶えてはくれない。それでも、楽しそうに笑っている。私が闇に染まっていくのを喜んでいる。
「でもね、私は麻衣を見捨てない」
紅葉の言葉が闇に広がる。お祖母ちゃんが、泣いている気がした。
「あの娘を殺す事はしない。でも、麻衣が他の方法を考えるなら、協力するわ」
そういって紅葉は姿を消した。その日から、何度呼びかけても紅葉は私の側に姿を現してくれない。
紅葉に会えない間、私は必死で『他の方法』を考えた。どうしたら、優人は美華を見なくなる? どうしたら、美華が優人の側から消えるの?
経験の少ない私に考えられるのは、美華に恋人ができる事。
収入があって、大人で、イケメン。優人が太刀打ちできないような男性なら、優人も諦めるのではないか。加えて、少しばかり嫉妬深くて、美華が他の男と遊ぶなんてこと許さないぐらいがいい。
そんな都合のいい男性が、いるだろうか。いたとして、都合よく美華を好きになったり、美華が好きになったりするだろうか。
でもきっと、美華を殺すよりも簡単だろう。




