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月のない夜は  作者: 麗華
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お家に帰りたい


「どうして? 月が、出ているのに……」

 ずっと、ずっと会いたいと思っていたのに、いざ目の前にすると身体が動かない。かろうじて動いた口は、あんなに会いたかった鬼を否定しようと必死だ。

「それは百合子との約束。貴女とは、何も約束なんてしていないでしょう?」

「やく、そく?」

「そう。百合子は、私と一緒にいるところを見られたくなかったの。だから月の無い夜だけ、闇にまぎれて私を呼んだ」

 ひどい話でしょう? と肩をすくめる姿はとても楽しそう。

「どうして、お祖母ちゃんは貴女を知っているの?」

「紅葉」

「もみ、じ?」

「そう、紅葉。私の名前よ。百合子の孫、貴女の名前は?」

「ま、い。麻衣です」

 『紅葉』は声すらも美しい。耳から入った声は頭の中を走り回り、私の膝はすぐに力を失いその場に崩れ落ちた。

「そうね、ゆっくり話したいわ。座りましょうか」

 見当違いの解釈をした紅葉はゆったりとした動作でソファーに腰を下ろして穏やかに微笑み、私を魅了する。どうしてだろう。鬼なのに、怖いのに、もっと見ていたい。もっと、知りたい。

「貴女にあげた紅葉の簪ね、百合子がくれたの」

「お祖母ちゃん、が?」

 懐かしむように私を見つめ、紅葉はお祖母ちゃんとの出会いをゆったりと語り始めた。




 鬼には、親などいない。生者の想いが鬼に生を与え、鬼は生を受けた場所で季節と共に暮らす。親を恋しく思うことも、子を慈しむこともない。それが鬼なのだから疑問を抱いたことすらない。

 人が子を思い、親を思う姿を滑稽だとすら思っていた。愛おしみ、慈しみ、そして手を離す。どうして、なんの意味があってそんなことをするのか。鬼である紅葉には、到底理解なんて出来ない。理解など出来ないのに、する気もないのに、どうしてか時折人の心に触れてみたくなる時がある。そんな時、紅葉はまだ幼かった百合子に出会ったのだ。


 秋になると、百合子の産まれた村ではどうしてか神隠しが増える。

 紅くそまった山に、子を連れて実りを求めてやってくる。夢中になって茸を探し、枯れ枝を拾い集める幼子。声をかけながらも山の実りを背中の籠に入れる事に夢中になる親。そして、子供はいなくなる。

 親は泣きながら探し、見つからないと嘆き、神や鬼のせいにする。旨そうな幼子だがら鬼に食われた、愛くるしい幼子だから神にとられたのだと。

 食べる口が減ることに安堵しているのは誰もが知っているのに、それを口に出すことは無い。


 春にはあれほど慈しみ、夏の暑さの中でも子の温もりを離すことなどないのに、山が紅くそまるころには泣きながらその手を離す。そして、手を離した自分を責め、嘆くのに同じことを繰り返す。

 人だけが行う不思議に、ほんの少しだけ興味を持った。ただそれだけ。



 紅く染まった山を隠すような、月のない夜。私の休む木の下でいつまでも泣いている子供の声が耳障りだった。放っておけば、朝までに寒さで死ぬ。寒さに耐えたとしても、山犬にでも食われてしまえば、静かになるはず。放っておけば。


「お前も、捨てられたのね」


 幼子の側まで降り、その瞳を覗く。こぼれる涙を美しいと思った。

「違う、百合子が勝手に歩き回ったから迷ったの。お父ちゃん、きっと探している。迎えに来てくれる。お母ちゃんも、探してくれている」

 言い切った幼子の瞳は、弱くて、強い。鬼にはわからない強さと弱さ。鬼である私に怯むことなく、父が探していると言い切った。

 長い時を一人で過ごしていた私が、その瞳に、幼子に興味を持ったのは只の気まぐれだ。


「家に、帰してやろうか」

「……」

「このままここに居れば、朝は来ない。山犬がお前の匂いを嗅ぎつけて、近づいてきている。山犬が来ずとも、この寒さだ。お前に朝など来ない」

 弱くて強かった幼子の瞳には、不安の色が広がり大きく揺れ始めた。恐怖が溢れているのが見て取れる。

「お家に、帰りたい」

 細く高い声。だが、その声にははっきりとした意志が宿っていた。

「十年……。山が紅くなった朔の日に、娘となったお前に会いたい。その日を約束するなら、家に帰してあげる」

 意味が分からない、と言わんばかりの幼子。意味などない。只の暇つぶしだ。強くて弱い瞳が、どう変わっていくのか。長い時を一人で過ごした私はひどく退屈で、少しだけ先の約束が欲しかった。

「ここで死ぬ? それとも、家に帰る?」

 鬼である私よりも、夜闇の方がずっと怖いのだろう。幼子は黙って私の手を取った。小さな手は冷たく震えていたが、すがるように私の手を強く握る。



 幼子の家は、火が消えたようだった。泣きながら小さな声で幼子の名を呼び続ける母、床を見つめる父。だが、探しに出る気配は感じられない。そんな両親のもとへ幼子は笑顔で駆け寄っていく。驚きと、喜びを浮かべる母。喜びと、不安を浮かべる父。

「百合子、どうやって帰ってきた?」

 顔をゆがませて抱きしめる母、険しい顔を隠すこともしない父に、幼子は嬉しそうに笑う。

「山の神様がね、帰りたいって言ったら、帰してくれたの。とっても綺麗な神様だったよ」

 母は泣きながら感謝の意を唱え、父からは小さな舌打ちが聞こえた。


 その冬は、いつもよりも少し暖かく、いつもよりも少し雪が少なかった。

 春の訪れは早く、夏も秋も穏やかに過ぎ、また山が白く染まる。父も母も外に出なくなり、幼子に昔語りをすることが増えた。昔語りに出てくる鬼は、とても怖く、人を食らう。いつか家に帰してくれた者には、角があった。助けてくれた存在が神ではなく鬼であったことを知った幼子は、いつしか十年後の朔の日が人生最後の夜になると怯えていた。



「私は、そんなつもりなかったのにね」

 美しい鬼が、憂いを帯びたように小さく笑った。



 年に数回、幼子を見に行った。鬼である自分に怯え朔の日には外に出ないことを知っても、約束の日を指折り数え待つしかなかった。約束をしたのだ。勝手に違えて早くに会おうなどいけない事。何より、会ってしまったらもう約束がなくなってしまう。楽しみが、無くなってしまう。

 何も大した願いではない。弱くて強い瞳に、もう一度私を映したい。ただ、それだけ。


 幼子は少女に代わり、娘になり、その瞳は唯一人の人を追うようになっていった。 

 この村で一緒に育った少年。弟妹と一緒に畑を手伝い、時間があれば近所の子供たちと一緒に薪を拾い、いたずらをし、いつも朗らかに笑っている。その少年を見つめる娘の瞳はとても弱かった。



 約束の十年目の夏、幼子は女の瞳をしていた。自分が少しでもよく見えるように、髪を結い、紅をさす。それでも、少年の瞳は違う女を見ていた。日ごと月ごと、幼子の瞳は弱くなり、光を失っていく。



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